銅色3
黄衣の魔女と行動を共にしてから習慣的に命の危機に瀕している気がする。
胸や腹の辺りに熱を感じる。見てみると鎧の破片が自分の身体に突き刺さっていて、水漏れした桶のように血が漏れ出ている。熱を感じるのは血の温度だ。
死にかける度に思うことがある。
致命傷を負う、若しくは負いそうになる時に時間が緩慢に感じられるのだ。
兜の隙間から広がる視界は、ゆっくりと大通りの景色から空の景色に切り替わっていく。
着地の体勢を取ろうと手を背中側に向けるが、一向に地面と触れる感覚はやってこない。
背中から落ち続けていく中、少しずつ一面の夜空の景色に茶色い崖が混じっていく。
大通りを一生懸命駆け上がってきた訳が、崖下に落ちるということはまた駆け上がる必要があるということで、掛かる時間を考えると多少は骨が折れそうだ。
リリベルに早く会いたいのに、その時間を延ばされてしまったのは正直に言って焦ってしまう。
だから、崖に手を伸ばしてみる。岩でも良い。鎧が土に突き刺さってくれても良い。完全に落下することを避けて、どうにか崖の途中で持ち堪えられれば、万々歳だ。
崖の土に手を掛けてみるが、土を削り取ってしまい思うように止まらない。
このままでは無意味に土を削りながら崖下まで落ちていくだけだ。
そう思っていたら突然俺の背中で何かが引っかかって、落下の勢いが弱まった。
何が起きたのか確認したいところだが、今はまず崖に掴まることの方が大事だ。
足と手を崖に突っ込ませると、段々と落下の勢いが弱まっていった。
駄目押しに頭も突っ込んでみると、最後には止まることができた。今日だけで何度思ったことか、生身の状態でなくて良かった。
「何とか止まりましたな」
上を見上げるとクレオツァラが黒剣を崖に突き立てて、俺を掴んでくれていた。彼のおかげで俺は大して落下することもなく留まることができた。感謝してもしきれない。
「ありがとう、ございます」
感謝の言葉を喋って初めて分かったが、呼吸で胸が膨らむ度に痛みを感じる。
戦いと焦りの中で一種の興奮状態にあったからだと思うが、危機を脱して冷静になる機会が与えられると、途端に痛みを感じやすくなってしまう。
顔全体を隠す兜を被っているため、首を曲げて壊れた鎧の胸当たりの傷を確認することはできないが、頼むからすぐに死んでしまうような負傷ではないでくれと思う。
すぐに崖を登りたいところだが、ふとセシルが先程叫んだ言葉を思い出す。
彼女が自身の視界から離れるようにと依頼されたことは、今の状態なら達成できているのではないだろうか。
崖上の戦いの場が、今セシルとヘズヴィルの2人だけしかいないのであれば、セシルは本来の碧衣の魔女としての力を振る舞うことができるはずだ。
セシルだったら圧倒的な物理攻撃能力を持つヘズヴィルに対応できるかもしれない。
だから、胸の痛みに歯を食いしばって耐えながら、大きく息を吸い込んで、彼女に合図を送る。
「セシル! 後は、任せた!」
胸に激痛が走って喉から意図しない鉄臭いものが口に向かって流れ込んできて、嫌悪感を覚える。
◆◆◆
「セシル! 後は、任せた!」
ヒューゴの合図が聞こえた。
彼を信じて、閉じていた目蓋に縫い合わせた紐を無理矢理引っ張ってから、久し振りに目を開けてみる。
今が昼間ではなくて良かった。太陽の光を浴びると目が痛くて、不意に瞬きをしてしまうのだから。
眩しさで不意に瞬きをしないように、常にフードを被って影を作って暗さを保つ必要がある。
本当は不意の瞬きに対応できるように、私の弟子も近くにいて欲しかったところだけれど、今は我慢。
真っ暗な世界から、数ヶ月振りの色のある世界が広がって多少の嬉しさはある。この世界がずっと見られたら良いのにと思うけれど、そうはいかない。
目の前にいる崖際で下を覗いている大きな鎧姿を視認する。
大きなハンマーを持った鎧は、先程から聞こえてきた重そうな空を切る音と一致する大きさだった。
以前見たヒューゴの鎧姿とは異なるし、彼の仲間のクレオツァラという男は鎧を着ていた音では無かった。
だから、アレは多分、敵。
1度目を開けたら周囲の状況を確認するために、瞬きを我慢しなければならないのは、いつも思うことだけれど、ちょっとしんどい。目も痛くなるし。
でも、安全管理を怠ると友達が死んでしまうかもしれない。あっさりと。それは、嫌。
だから注意深く観察して、瞬いた呪いの向け先の対象が複数存在しないことを確認する。
そうして、周りにいる生き物はそれしかいないということも確認して、細心の注意を払ったつもりで、私は瞬く。
◆◆◆
大きな音を立てて崖上から、鎧の塊とハンマーが俺とクレオツァラのすぐ横を過ぎ去っていく。
そして、再び崖下で大きな音を立てる。
それは鎧とハンマーが地面に叩きつけられた音であり、ヘズヴィルが命を失った音でもあった。