発端5
1つの丸テーブルを5人が囲む。
リリベルは先程注文していた料理がきたので早速食べている。味付けされた米の上に、卵を溶いて焼いたものが覆いかぶさっていて、更に赤色のソースがかかっている珍しい食べ物だ。
彼女はその料理を口に運ぶ度に、満面の笑みになる。これまでのリリベルの記憶がある状態なら、きっとこの料理の作り方に興味を示していただろう。
入国後、記憶を無くしたリリベルをこの状態に持っていくには、相当の努力を要した。
一時的とは言え、これまでの記憶を無くしてしまったのだから、ひどく混乱してしまい、挙げ句の果てには幼子のように泣き出してしまったのだ。
そこで、彼女に嘘をつくことにした。俺は彼女の兄で、旅する途中で頭をぶつけて記憶を無くし、家に帰る前にこの島で一旦落ち着くために来たという体で、長い説明の末に落ち着くことができた。
記憶を無くしたと言っても、言葉や物の使い方などは覚えているので、完全な記憶喪失状態では無いようだ。生きるための全ての知識が失われていたらどうしようかと思ったが、その点については安心した。
リリベルから碧衣の魔女セシルに視線を移すと、不意に疑問が湧いた。
「碧衣の魔女は、入国時に何も制限されなかったのか?」
俺の質問に彼女は眉をひそめたので、何か癪に触ることでも言ってしまったのかと不安になってしまう。
「セシルで良いよ。私と貴方は友達でしょ……?」
青緑色のフードの下から覗ける黒髪と可愛らしい顔を、台無しにしてしまう糸で縫い付けられた両の目蓋は、痛々しく血が付着している。
目はその人の感情を読み取るための情報源として、重要なものの1つだ。その目が見えない状態になっていては、眉の微かな変化や声色で何となく察することしかできない。
だが、彼女ははっきりと物を言うタイプみたいで、何に不満を持っているのか示してくれた。
彼女は、友達に他人行儀な振る舞いをされるのは嫌だったらしい。
「そうだな。えーと、セシル」
「そうね……。私は特に何もされなかったわよ……。元緋衣の魔女さんから用意してもらった入国用の手配で簡単に入ることはできたわよ……」
「はははっ、喧嘩を売っているのか?」
セシルの挑発に茶髪の男、エリスロースが口元をひくつかせているところを、隣に座っていたクレオツァラがなだめる。
セシルは自分が碧衣の魔女であることを門番に明かした上で、何もされなかったようだ。不思議な話だ。
彼女が有名人でなければ、それまでの話であったということになるが、腐っても『歪んだ円卓の魔女』の1人だ。魔女の中でも相当の実力を持つ彼女を、枷も無くノイ・ツ・タットに放ったのには訝しまざるを得ない。
その後は他の者の入国方法を聞いてみたところ、俺とリリベル以外はエリスロースの策略のおかけで入国できたようだ。
エリスロースは血の魔法を使って、ノイ・ツ・タットから発った者を操り、再び入国させてから署名を書かせることで難なくことを済ませたようだ。彼女の血の魔法は、操る対象の記憶を読み取り、共有することができるため、誰が署名したか、どんな名前かを簡単に盗み見ることができるのだ。
彼女の血が混ざった者は、彼女が操っていない時は本来の自分のまま行動できる上に、基本的にはエリスロースに対して尊敬の念を抱くようになるため、彼女の意思で身体を動かされることに嫌悪感を持たない。便利な魔法である。
もっとも彼女が敬意を抱かれるのは、彼女が血に混ざった相手に対して、傷や病があれば癒やしているという行動をしているからだろう。
彼女に操られている者は、感謝して自発的に操られていると彼女は言っていた。
今、目の前にいる、赤いマントを羽織った見覚えの無い短い茶髪の男は、おそらく元々はこの国の民だろう。
「それで、もう1人いるみたいだけれども、その方はどちら様……?」
目を閉じたままのセシルが、正確にクレオツァラに顔を向けて彼の素性を尋ねた。
俺はクレオツァラと目を合わせてから、頷く動作で彼に自己紹介をお願いするように促す。
「名乗り出るのが遅れて失礼した。私はクレオツァラ・サザール。商業国家フィズレで騎士をしている者だ」