血色
エリスロースは簡単そうに燐衣の魔女を止めると言うが、彼女が本当にできるのか疑問だった。
彼女の魔法は1にも2にも血が必要なのだ。血があればあるほど彼女の魔法はより強力な魔法へと変わる。
だが、今の彼女には俺の目の前にいる彼しかいないのだ。
自分が自由にできる血が近場に無いのに、どうやって戦えるのかと疑問を持つことは当然とも言える。
「足止めするだけだったら、この身体1つでこと足りるさ」
エリスロースの本体は血であり、血の魔力によって他人を操ることができる。
彼女のことだから、目の前の男エリスロースが死んだとしても、他の場所に血が残っているだろう。だから、完全な死になることはない。
エリスロースが余裕そうに語っているのは、完全な死にならないからだと考えられるし、俺もそこに不安を抱いてはいない。
どちらかというと、魔女1人が足止めとして残ってこの先の戦力が割かれることになることに不安を抱いている。
リリベルを守りながらとは言え、実力のあるエリスロースとクレオツァラ2人がかりでヘズヴィルに良いようにやられたとなれば、相手の方が更に実力はあると言える。
青い炎の嵐が突然止み、周囲は煙が立ち込める。
夜だがあちらこちらで火の手が上がっており、灯りに困ることは無い。
なぜ炎が急に止んだのかは分からないが、頭上に明るさを感じて路地から上を見上げて合点がいく。
青い炎の塊が無理矢理に家や地面を溶かしながら聖堂目指して直進しているのだ。炎が崖を駆け上がっているように見える不思議な光景に一瞬だけ呆然とするが、多数の悲鳴が上がったことで心を引き戻される。
「足止め失敗してるわよ……」
セシルがエリスロースに対して茶々を入れて、エリスロースがそれに不快感を示す。目立つ怪我を治したところで、2人は既にいつもの調子に戻ったようだ。
燐衣の魔女もリリベルも聖堂へ向かっているなら、俺たちも急いで聖堂へ向かわねばならない。
準備ができたところで急いで路地を飛び出し、大通りに出て上を目指そうとする。
周囲は蒸し風呂のように暑く、汗が止まらない。鎧の中にいるとなれば尚更だ。
青い炎に直接焼かれたものは、岩であろうと木であろうと人であろうと、等しく燃やされていて元々がどういう形をしていたか判別できない。この景色だけを見ればここが現世だとは思えない。
エリスロースが最後に路地を抜けたところで、急に坂の下から光の弾が飛来してくる。
幸い誰に当たることも無かったが、狙いを外した光弾は地面に着弾し、溶けた石を捲り上げる。相当な威力だ。
光弾の出元から先程の銀騎士が片足を引き摺りながら歩いて来た。
青い炎を間近で受けたのにも関わらず形が残っていることに驚きだ。
「待て、聖堂に行くのは黒い鎧の奴だけだ。他はお呼びじゃねえ……いってえ」
銀騎士の言葉を受けて、エリスロースが相対する。
「彼を殺さなければ良いのだろう?」
エリスロースは俺に振り返ることなくそう問いかけた。
エリスロースも他人の命を無闇に奪うことを良ししない魔女である。ただ、命を奪わない代わりに身体や心の自由を奪うが……。
俺に殺すか殺さないかの判断をわざわざ聞いたのは、俺の思いを尊重してくれようとすることの表れであった。意外にも嬉しい。
俺は正直に答える。
「できるなら殺さないで欲しい。でも、無理もしないで欲しい」
俺の愚かな行為に歯止めは効かない。偽善の暴走は最早留まるところを知らない。
仲間の実力の高さに胡座をかいて、俺のつまらない矜持のために、仲間を巻き込むことに嫌悪感を抱かなくなってきた。
エリスロースが次の返事をすることは無かったが、若い男の彼から血が垂れたのを見て、セシルとクレオツァラに合図して先へ走り出す。
銀騎士に背を向けたセシルやクレオツァラを狙って、すぐに光弾が飛んで来るのは分かっていた。
『剣は盾』
手に持つ黒剣を想像した黒盾に変化させて、光弾の前に飛び出す。リリベルの魔力でできた盾は、光弾を明後日の方向に弾き飛ばす。
聖堂までは渦を巻くような大通りが通っていて、常に左へ弧を描き続ける造りになっているため、銀騎士から2人の姿が外れるのはそう時間がかからない。
2人が銀騎士の放つ光弾から当たらないであろう位置に走ったのを確認してから、俺は2人の後を追う。
◆◆◆
リリベルの騎士たちが先に上へ向かって、銀色の彼が今度はこちらに焦点を合わせる。
彼が持っているのは銃という物だ。金属の塊を爆発の勢いで飛ばして相手を殺す道具だ。
銃は魔力の扱いを不得手とする者が、魔法使いに対抗するために作られた物なのだが、あれは魔力を打ち出すという珍しい代物だ。
興味深い、ああ興味深い。
《魔女様、彼はヴィヴァリエ様という御方です。騎士として私たちをいつも守ってくれる偉大な御方なのです》
体の持ち主である彼が教えてくれた。
それなら尚更持ち主の彼の平穏のために、銀色の彼を殺す訳にはいかないな。
《魔女様の命が失われるくらいなら、代わりに彼の命を奪ってください。彼は偉大な方ですが、仕方のないことです。悲しいですが仕方のないことです》
安心しろ、ああ安心しろ。私は彼を殺すつもりはないさ。
「お前、この国の者か……。なぜ彼らに手を貸す?」
「この身体の主導権は今、別の者が握っている」
「分かりやすい説明ありがとよ、化物」
ヴィヴァリエが魔力銃を躊躇なく撃ってきたので、少し残念だな。自分の大切な国民に簡単に手をかけるなんて。
可哀想だ、ああお前は可哀想だ。
《そんな……。魔女様にそう思っていただけるだけでも俺は嬉しいです!》
『散血』
銀色の彼は、弾を血で防がれてひどく驚いているな。なぜ血が蠢いているのかと思っているのだろう。
「くそっ、なんつー運の悪さだよ!」
血がヴィヴァリエを鎧ごと飲み込んだはずなのだが、彼の血の記憶に辿り着くことはできなかった。
鎧に魔法の防御でも仕込んでいるのか。面倒だ、ああ面倒だ。
彼は血を被りながらも銃を撃ち続ける。はっきり言って無駄だ。
『血栓』
血の壁1つで弾丸は止まる。
銀色の彼は弾丸と共にこちらへ突撃して来た。それでは銃の利点が失われるだろうに。
「お前、俺が遠距離から撃つだけの人間だと思ってねえか? 騎士を舐めてるぜ」
「お前は魔法使いを舐めている」
ヴィヴァリエは血の壁を手で無理矢理こじ開けて私の領域に入り込んで来た。流動体である血を掴める彼の行為に興味は覚えるが、それ自体には何ら危機感を覚える訳では無い。
『鉄血』
血で手を覆って、そのまま彼に殴りつける。魔力で圧し固めた血は、金属と相違無い程の硬さに変化する。
君が若い男で良かったよ。殴る力がある。
《俺が男で良かった……!》
まさか血と素手だけで殴り返されると思っていなかったのか、彼は一瞬だけたじろぐ。
それでも、すぐに体勢を整えて私の首根っこを掴み、銃口を眉間に付ける。
「素手で鎧にヒビを入れるのはびびったが、やっぱりお前騎士を舐めてるだろ!」
『血栓』
銀色の彼の両側から、改めて血の壁を作り出して挟み込む。
君の血の気が多くて良かったよ。たくさんの血を使える。
『血の気が多くて良かった……!』
銀色の彼は銃弾を放つのを諦めて、両側から挟もうとする血の壁を押し退けようと努力する。
身体の左側を怪我しているのか、左側の血の壁だけ徐々に彼の身体へ押し込み始める。
兎にも角にも彼は血の壁で両手を留守にしている。
その間に御大層な見た目の兜に手をかけ、ゆっくりと上へ引き抜く。
素顔は髪を伸ばし放題の中年男性と言ったところか。苦労していそうな顔だ。
「血の動きを鈍らせたり、蒸発させたりするような手段を取らない限りお前に勝ちの目はないさ、ああないさ」
その言葉に怒ったのか知らないが、彼は防御を止めて壁に挟まれた。
そして、右肘を曲げて壁を支えにしながら、どうにか銃口を私に向ける。鎧が悲鳴を上げる音が聞こえる。
「もしかして撃たれても死なねえとかじゃねえよな?」
銃弾を放つ。
光が私の視界を覆って一瞬で額に辿り着く、訳も無い。
『鉄血』
顔に血を覆わせて弾丸を弾き飛ばすと、彼は絶望してしまった。
『散血』
彼の素顔に血を流し込む。
こうして私の血の記憶が彼に流れ込み、彼は私と知り合いになる。
小国の騎士如きが私に勝てる訳がない、ああ勝てる訳がないさ。




