発端
もう。ここは色々な国のえらい人も来る場所なんだから、床を汚さないで欲しいな。その敷物だって霊験あらたかな物で高いんだよ?
「お前の望み通り、ミレドとフェルメアを地獄から呼び戻し、黄衣の魔女とやらに会わせた。お前の望む会話も奴らにさせた。さあ、俺の魂を返してもらうぞ」
「嫌だよ、返したら僕のこと殺すでしょ?」
僕、知ってるよ。
お爺ちゃんの魂を返したら、僕を守る盾が無くなっちゃうでしょ?
お爺ちゃんの大事な物って言われているのに、そう簡単に返す訳ないじゃん。馬鹿だなあ。
「契約を反故にするなら、お前の寿命が尽きるのは、今この時になるぞ」
「貴様、モドレオ様に対する無礼だぞ!」
わあ、お爺ちゃんの近くにいた衛兵が剣を抜いて、僕のために怒ってくれた。嬉しいけれど、君たちじゃ勝てっこないと思うよ。
「ぐぐぐ、地獄の王ゼデに対して無礼と言うか。愉快な冗句だ」
お爺ちゃんの声って、人間と同じような喋り方じゃないから、すっごく聞き取り辛いんだよねぇ。後、喋ったり動いたりする度に黒い羽毛まみれのローブから死臭が漂ってくるから、もっと身だしなみに気を使って欲しいなあ。
「でも、地獄5層の王様なんでしょ? 大したことなさそーう」
「……お前の冗句は笑えん。腑が煮え繰り返りそうだ」
「褒めてるの? ありがとーう。あ、お爺ちゃんの魂の隠し場所は、僕のひみつきちに隠したんだ。僕を殺したらこの先見つけられることは無いと思うよ? 僕を今すぐ殺して自分で探しに行くなら別に良いけれど、探している間にお爺ちゃんは王様じゃなくなっちゃうかもしれないねえ。だって、魂が1つ無いんだもん」
お爺ちゃんがもっと怒り始めちゃった。怒らせるつもりなんて無かったのに、なんで怒ったんだろう?
「後ね。もし僕が死んだら、僕の友達にお爺ちゃんの魂を壊せって言ってあるんだあ。そうしたら、お爺ちゃんはこの先ずっと不完全なままになっちゃうね」
「……契約を反故にしたことは覚えておけ。地獄へ来た時は、歓迎してやる」
「うん! 楽しみにしてる!」
本当に臭いから早く消えてくれて良かったあ。
これだけ、たくさん我慢して頑張ったんだから、きっとお姉ちゃんは来てくれるよね?
僕のやろうとしていることに気付いた同僚のストロキオーネおばさんは、邪魔だったから殺しちゃったけれど、きっとお姉ちゃんは許してくれるよね?
待ち遠しいなあ。
◆◆◆
ノイ・ツ・タット聖公国は島1つを領土としている。商業国家フィズレから船で南東へ向けて行くことでこの島に辿り着く。半日せずに行ける距離であるので、フィズレの港からでもこの島は確認できる。
島の外周が最も低い位置になり、そこから真ん中へ向かって、1つの丘が存在する。
その島の中央には、城の象徴的構造と聖堂の象徴的構造を混ぜ合わせたような奇妙な建物が建っている。堅牢そうな城壁を持ちながら、何本も聳え立つ塔の頂点にはマルム教のシンボルである、翼を生やした人のモニュメントがある。
外からやってくる脅威を守りたいのか、人を迎え入れたいのかはっきりとしない形だと思った。城の中央部分には祈りを捧げる聖堂と思わしき建物がある。長円形型の天井部分には色鮮やかなガラスが飾られており、島の端からでもその綺麗なガラス窓を確認することがきでる。公国と呼ぶからには、そこが王様の居城だろう。
街人は皆、その建物のことを『救われる地』と呼んで、毎日祈りを捧げるために行くのだそうだ。
中央の聖堂へ行くには、船着き場から続く1本の大通りからでしか進入する方法は無い。その大通りは外側から内側へ渦を巻くように徐々に坂道を上って行く構造になっており、近道も存在しないので、最も下側に住む者にとっては交通の便が悪い。
支配者はマルム教司教でありながら貴族の身分も持っている。彼は宗教的祭事以外では、モドレオ公王と呼ばれ国民に慕われている。
毎日、大通りを行き来して民の様子を窺っては、マルム教の教えを説いて回っている。国民は恐らく全員がマルム教信徒であり、モドレオが道を通る際には、通りは人集りができる。
ノイ・ツ・タットの港には今、多くの人が集まっている。港横の少し背の高い岩壁には石でできた柵があり、町人はそこから海に浮かぶ何隻もの船を見て笑っている。
「行けえ! アルマイオ様、やっちまえ!」
「殺せー!」
「赤騎士様! マルム教の加護は常に貴方の足元を照らしています!」
「悪魔たちを焼き尽くせー!」
聞こえるのは味方への声援と敵に対する罵倒の嵐だ。マルム教には争いを助長させて良い教義でもあるのだろうか。
船から何発かの砲撃がこの島へ向かって発射されているが、一発たりともこの地へ到着することは無かった。
例えば今飛んできた砲弾は、この港へ落ちようかという寸前で見えない壁に当たり、その場で爆発して煙だけが無情に立ち上っていた。魔法による防御壁であることは疑う余地が無い。
横にいた恰幅の良い男が、外から来た俺に優しく説明してくれた。
「この島は全体を魔法防御壁で覆っているんだ! 例え100隻の大艦隊が襲って来たって、この島に傷1つ付けられないさ! 行けー!殺せー!」
国民はこの防御壁があるから、こうして安心して応援と罵倒を行えているのだ。
そして、侵略者の脅威に対して、更に国民に安心を与えているのが、赤い鎧に身を包んだ騎士の存在だ。
◆◆◆
「おい! 砲弾が1発も当たらねえぞ!」
「黙れ! さっさと次弾装填しろ!」
ああ、ノイ・ツ・タットには攻め入るべきじゃなかったんだ。
あの島には大量の金銀財宝があって、使う者の望みを何でも叶える賢者の石があるっていうのは、誰もが知っている話だ。
もし、奪えたなら、俺たち全員で分け合ったって、一生の内に使い切ることはできないぐらいの金が手に入る。
人口は2000人もいない小さな島だし、兵士は100人もいないって聞いていた。
だから、攻め落とすのは欠伸をするよりも簡単だって船長は言っていた。
「6番が沈んだ!」
「畜生! 兵士一匹殺すのにいつまで手間取ってやがるんだ!」
話が違うじゃないか。何だよこれ。
「 敵が船首に飛んできやがったぞ!」
「殺せえ! 所詮は人間だ! 全員で囲んじまえば大したことはねえ!」
赤い騎士1人、たった1人の赤い騎士に、既に8隻も船が沈められてる。奴は化け物だ。
あんなのは人間じゃない。
「あ」
目が合っちまった。全身、赤い塊で目なんか見えないけれど、絶対目が合った。
「ま、待ってくれ! 殺さないで――」
『極光剣』
◆◆◆
強烈な光の後、大きな帆船はまるで小さな船の模型を手で潰したみたいに、真ん中から真っ二つに割れてから粉々に砕け散って、海上に残骸をばら撒いた。
海上が赤黒く染まる度に、歓声が上がる。
「お兄様、怖いです」
俺をお兄様と呼ぶリリベルが、眉を下げて怯えた顔で見上げてきながら、俺の服の袖口をつまんできた。
今、俺と彼女を取り巻く状況は非常にややこしい。