爆炎2
エリスロースから聞かされた血の小瓶のことを、一緒に聞いていたリリベルに良く言って聞かせる。自身に危険が及んだ時は躊躇うことなく飲むようにという訓告に、彼女は無言で何度も頷く。俺の鎧姿に驚いて声が出せないとみえる。
小瓶には紐を通すための穴があったので、それを付けて彼女の首にネックレスのように掛けてやる。転んで割ってしまわないか心配だ。
燐衣の魔女がここに来た目的を達成するために、最も分かりやすい成果になるものはモドレオ公王の死だろう。
争いを生んでいるのはこの国の指導者であるという思い込みによって、奴は怒りと火を噴き上げながら、モドレオを探して島中を彷徨い始める。
そして、その道中で人々は死んでいく。唯一の逃げ場になるであろう海へ出ようにも、港が燃えていて近付けない。港以外の海岸線は崖になっていて、飛び降りた時に怪我をすることは必至だ。生きて飛び込むことに成功したとしても、その後生き延びれるかは保証が無い。
国民は上へ向かって逃げ出す他無いだろう。
リリベルの護衛にはクレオツァラとエリスロースを選んだ。
現状、騎士との戦い方を最も良く知っているクレオツァラと、人を殺さずに操ることができるエリスロースが、俺たちとノイ・ツ・タット、双方に犠牲をなるべく出さずに済みそうな組み合わせだろう。
そして、火元の確認にはセシルを呼んだ。もし、火元が燐衣の魔女であるなら彼女が必要だ。
セシルは瞬きをする毎に誰彼構わずに命を奪うという『魔女の呪い』を持つ魔女で、その大味すぎる力はこの狭い島で使うと大変な被害を生むだろう。
だが、彼女はこの場にいる者の中で、唯一相手に近付かずに攻撃できる手段を持つ者だ。「近付かずに」とは魔法も含む。魔法攻撃も物理攻撃も、その攻撃が必ず相手に到達しなければダメージは与えられない。
しかし、彼女の瞬きはそれを必要としない。瞬きという動作1つに対して、死という概念が1つ無作為の誰かに送られるのだ。彼女と攻撃を受けた相手との間には、魔法も物理のやり取りもないので、攻撃を与えるということに関して彼女は確実にこなしてくれる魔女なのだ。
ただし戦ってもらうなら、なるべく国民が近くにおらず、燐衣の魔女だけがいるような場に持ち込み必要がある。そこが難しいところでもある。
すると、彼女は俺の心配ごとに首を振って反論した。
「瞬きをしなくても相手を殺す手段は、掃いて捨てる程あるわよ……」
物騒なことを言っているが、それは心強い。尚更火元の確認に、彼女が必要だと思った。
俺とセシルは家を出て、路地を進み抜く。
たまに後を見ると、彼女は青緑色のマントに付いたフードを深く被って、そこから黒髪が時折揺れ出させている。
そもそも目蓋を縫い合わせているのに、どうやって歩くことができるのだろうか。
「本来は弟子たちの目を借りて、外の景色を見ているのよ……。弟子の目が無くても、気配とかで何となく歩けるわ……」
それなら、今の状況では走ったりすることは容易では無さそうだな。
俺は彼女に一言「セシル、手を」と言ってから、こちらから彼女の手を引く。視界を乗っ取ってもらっても良いが、今の俺は全身を鎧で包んでいる。兜はいくつもの縦に入った隙間から外の景色を覗くことができるが、はっきり言って視界は悪い。
それなら彼女の手を取って、俺が進路を誘導するのが良いだろう。
抵抗されると思ったが、彼女は特に抵抗することなく、素直に進んでくれた。
「リリベルがこれを見たら、殺されるかもね……」
「是非、秘密にしてくれると助かる」
彼女はくすっと笑っていた。どうやら料理の件の怒りは収まってくれたようで安心した。
一歩踏めば大通りに出るところだが、その前に路地から大通りの様子を窺う。無数の悲鳴が一層大きく俺の耳に入ってくる。
人々は皆、上へと走って行く。これがただの火事であるなら、火消しのために水を持って向かう者がいてもいいはずだが、そのような者は1人もいない。彼らの手に負える火では無いのだろう。
火の手から逃れるために家財を背負っている者もいるが、その大きさ故に速度は遅い。ある者は焼けた服が肌に貼り付いて、それでも呻き声を上げながら走っている。外傷に関しては回復魔法をかければ治るだろうが、それまで火傷からくる地獄のような痛みを我慢しなければならないと思うと、絶望でしかない。
ゆっくりと路地から身を乗り出して坂の下の方を見るが、大通りは渦を巻くような道の作りになっているため、遠くまでは確認できない。
セシルの手を引き、ゆっくりと大通りに出て、右側の家々の壁伝いに坂を下りて行く。
大通りに出てきた時点で熱をより感じるようになった。坂を駆け上がる風が熱を伴いながらこちらに襲いかかって来ているのだ。火傷するのも当たり前だ。
火元の強烈な熱のせいで、空気の流れがおかしくなっているのだろう。
商店が建ち並ぶエリアを抜けると、間も無く港の方が見えた。俺たちが最初に集まった酒場の屋根はここから見ることができるが、既に全てが炎に包まれている。
酒場のすぐ下は港なのだが、港の開けた場所は火の海になっている。そこから風に乗った炎が潮の満ち引きのように坂を上ったり下ったりしている。
そして火の海の波に乗るかのように1人の女がゆっくりと歩いて来ているのが分かった。
胸に長い槍が突き刺さっている。奴の背が槍の長さよりも無いためか背中側から突き出た槍先が地面に当たって、ガラガラと音を出しながら引きずっている。
その顔は見覚えのある顔で、正しく燐衣の魔女であった。
目が見えないセシルのために、今の目の前の状況を説明すると、素朴な疑問が返ってきた。
「燐衣の魔女は胸に槍が突き刺さっているのに、なぜ死んでないのよ……」
残念ながらその理由は俺にもわからない。むしろ教えて欲しいぐらいだ。
だが、最も身近な魔女を例に挙げて想像するならば、奴は不死なのかもしれない。
セシルに、不死性を持つ者はこの世にたくさんいるものなのかと問いかけると鼻で笑われた。
「不死や不老が簡単に現れる訳ないでしょう。そんな化け物と巡り会えるヒューゴの運が良いだけよ……」
それは冗談で言っているのだろうか。
むしろこの場合は運が悪い。最悪に運が悪い。
奴の炎の魔法にもろくに太刀打ちできないのに、その上不死だとしたら倒しようがない。
「奴を殺すことができないとしたら、動きを止めるしかないな。拘束する魔法とか使えないのか?」
「無いよ」
無いなら作れば良い。
リリベルは過去に、戦闘中に自分の知識にない魔法を作り出すという器用なことをやってのけた。彼女と同じ歪んだ円卓の魔女の1人であるセシルなら、きっと造作もないだろう。
セシルに提案してみると、彼女は予想外に拒否してきた。
「できる訳が無いでしょ……。拘束呪文のための魔法陣を考えて、それが実際に効果を発揮できるか試す……。落ち着いた場で無ければ、まともな魔法陣も作ることなどできないよ……」
「だが、リリベルは戦っている最中に新しい魔法を――」
「それはリリベルだからだよ……。頭の中で魔法陣を考えて、考えた通りの魔法を間違いなく出力できる……。そんなことできるのは、この世界で黄衣の魔女ただ1人だけだよ……」
まさかの話だった。魔法の扱いに長けた魔女なら誰でもできる業かと思ったが、リリベルにしかできない芸当だったらしい。一体彼女はどれ程すごい魔女なのか、もう俺の想像の範中には収めることができない。
「ちなみにだけれど、魔法の扱いに長けた者は、同時に2つの魔法を唱えることができるけれど、同時に3つ以上の魔法を使えるのは、私が知る限りリリベルだけよ……」
俺の頭の中にいるリリベルが両手を腰に当てて、胸を張ってふふんと鼻を鳴らしてきた。褒めてはいるが、踏ん反り返るな。
港の方へできるだけ近付いてみたが、これ以上は進めそうに無い。炎熱が凄まじい。
俺は黒鎧、セシルは碧衣のマントによって魔力による防御が常に張られている。物理攻撃も魔法攻撃も遮断することができるが、魔力量と魔力を操る精度によって防御の良し悪しが決まる。精度が悪ければ、ダメージを軽減することができずに自身に傷を負う羽目になりやすい。
目の前の炎の熱はこれ以上進むと、俺の魔法防御では対処しきれず身を焦がしてしまうだろう。
もうかなり前の話になるが、古代遺跡を探索した時に遭遇した燃える死者の出す熱は凄まじかった。リリベルが常に俺に回復魔法を唱え続けてくれていなければ、とっくに焼け死んでいた。
そのことを思い出すと、恐怖で足が上手く動かなくなってしまいそうになる。
燐衣の魔女の周囲にある家は焼け落ちていて、彼女の歩く道は火を噴きながらドロドロに溶けている。
国民の姿は見えないが、逃げ遅れた者がいるのだろうか。肉の焼けた臭いがする。
「不死でも四肢をバラバラにしたら動けなくなるでしょ……」
セシルは俺の手から離れると、魔力を込め始めた。青緑色のマントが風ではためいているが、被っているフードが外れることはない。
『黙視権……』
彼女がそう一言言うと、燐衣の魔女はその場で倒れ込む。手で顔を押さえてもう片方の手は空中を彷徨っている。まるで目が見えなくなって、のたうち回っている。
「燐衣の魔女の視界は今、私に奪われているわ……」
たった一言で奴の動きを止める彼女も、リリベルに負けず劣らず強いと思った。相手の視界を奪う魔法なんてものがあるのも驚きだが、その強力そうな魔法を使うのに魔力だけあれば良いというのにも驚きだ。
「後は煮るなり焼くなり好きに――」
そう言いかけた俺だが、燐衣の魔女は突如叫び、その場で暴れ回り始めた。
何ごとかと良く見ると奴の両目に親指が入り込んでいる。叫んでいるのは目を潰した痛みからだろう。
彼女の叫びと共に、周囲の燃えカスが風に乗ってこちらへ吹き飛んでくる。痛みは怒りを増幅し、奴の周囲から噴き出す魔力の炎は更に強力になり、燃えカスと同時に炎の波が俺たちを飲み込む。




