2人だけの国7
館中央の広間に再び戻って、1階と2階をつなぐ階段に俺とリリベルは座って呆けていた。
エリスロースはすぐ後ろを付いて来ていると思ったのだが、結局俺たちが広場に戻るまでに彼女はやって来なかった。薄情な魔女である。
フェルメア王妃が住んでいる館の右側から、エリスロースが呑気に歩いて来て、俺たちの顔を見るなり指を差して笑ってきた。
「すっかり疲れきっているな」
俺はリリベルとの小さな喧嘩に体力を使い、リリベルは幽霊に気を使って体力を使ったので、それぞれ疲弊している。エリスロースだって、やりたくもない家事手伝いをさせられてうんざりしていたはずなのに、俺たちのくたびれた様子を見て元気に笑っている。
上の廊下からは、未だに激しい夫婦喧嘩が行われていて喧しいことこの上ない。
既に外は夜で、今から山を下るのは危険だ。寒さで体力を奪われる可能性もあるし、道が整備されておらず土地勘が無い俺たちは、間違いなく道に迷うことになるだろう。
つまり、今日1日はここで過ごした方が良いのだ。
3人で寝床の当てを探すためにどこが良いか話し合うが、中々思い付かない。ミレド王とフェルメア王妃の部屋以外は、寝泊まりできるような状態にない。寒いし、埃臭いし最高に最悪な環境だろう。
考えられる場所は、寒さを我慢すればこの広間か、火を焚いて暖かさを確保できる炊事場だろうか。持ってきた鞄には外套が入っているので、これにくるまれば何とか夜は過ごせそうだ。
最終的にエリスロースは炊事場で火を焚いて眠ることになり、俺とリリベルは広間の階段で眠ることになった。俺が広間で眠ると言ったら、リリベルも追随した。
広間の階段の上には、赤いカーペットが敷かれているので、床に直に横になるよりかは大分マシだ。
「ヒューゴ君、隣で寝ても良いかな」
階上の幽霊の大胆な存在主張に、彼女は戦々恐々としている。もし、ここに幽霊がいないなら、彼女は自分の好きな場所で寝泊まりしていたと思う。そうしないのは、やっぱり幽霊の存在が大きいのだろう。
言葉には出さず、俺の横の空いている場所で眠るように促す。彼女はしおらしく横になる。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
これだけの爆音の中でよく眠ろうとすることができるなと思った。甲冑が崩れて響き渡る音、獣の雄叫び、2人の怒りの声がこの広間に響き渡っている。
疲れ切っているのだから、このまま気付かぬうちに眠ってしまうことを祈って、外套に身を包んで、階段横の手すりに傾いて目を瞑る。
◆◆◆
目を開けたら、いつの間にか喧嘩の音は消えていた。館の中は完全な静寂に包まれている。屋内とはいえ寒い。
リリベルはすっかり安心しきっているのか、小さな寝息を立ててぐっすりと眠っている。
「起きたかね」
顔を上げると、1階の広間ど真ん中にミレド王が、堂々と立っていた。一階の広間にいるということは、階段で寝ている俺たちを通り過ぎて来たということだが、全く気付かなかった。幽霊だからなせる技なのだろうか。
国王を前にして座ったまま応対するのは不敬なので、慌てて立ちあがろうとすると、彼は手でそのままで良いと制止してきたので、彼の行為に甘えて甘えてそのままリリベルの横に座る。
「すまないな」
彼が何について謝っているのか、理解できなかった。寝起きの頭では上手く考えられない。
「一体何のことでしょうか」
「いや、気にしないでくれ。言ってみただけだ」
魔女も王様ももう少し一般人に優しい言葉で話して欲しい。
こうして俺と会話しているということは、喧嘩はどうやら終わったと思って良いようだ。
「あの、ミレド王。1つお聞きしたいことがあるのですが」
「良い」
喧嘩が終わったなら、丁度良い。
この地に来た本当の目的を今、達成するとしよう。本来は、ある情報を得たくて、ストロキオーネ司教に頼み込んで、彼女に教えられてここまで来たのだ。
それは、ある魔女の情報だ。
「燐衣の魔女をご存知ですね?」
燐衣の魔女。赤黒いマントを羽織った少女で、炎の魔法の扱いに長けている。火を扱う魔物として燃える死者と戦ったことはあるが、奴等が使う火を温い熱だと思わせる程に、魔女は圧倒的な爆炎を放つ。
俺とリリベルはそれと戦った。
そして、明確に負けた。
まるで太刀打ちできなかった。
「ああ、勿論。その女と戦ったことはある。その時は決着を付けることは叶わなかったが、次に会った時はその首を掻き切ってやろうと思うぞ」
国王は腕を振り回して、見えない剣で誰かを斬るような仕草を見せる。
「燐衣の魔女を我々は倒したいのです。知恵をお貸しください」
ミレド王が武芸に秀でていることは、亡きストロキオーネ司教から聞かされている。
彼は幾度もの戦いを経てこの国を守ってきた。その身体が病に果てたことで、国としては悲しい結末になってしまったが、それでもポートラス国の危機を幾度も乗り越えて来た。
実践経験豊富な彼は、燐衣の魔女と戦い、生き残った。きっと彼から有用な情報が得られるだろう。
ミレド王は当時の状況を思い出しているかのように、目を瞑って頭を上げて考えながら話してくれた。
「奴を倒そうと考えているのなら、前情報ぐらいは得ていると思うが、奴の通常の魔力量は大したことはない。むしろ並の人間と同じような魔力量しか持たない」
リリベルも同じことを言っていた。
燐衣の魔女は、魔女の中でも1、2を争う程、素の魔力量が乏しい。
魔女に限らず、この世界で魔力を操ることができる者は、食事や睡眠、この世界にごくありふれる自然現象等から無意識に魔力を補充している。俺もリリベルも誰も彼も、通常の生活をしていく中で、知らぬうちに魔力を供給している。
しかし、燐衣の魔女は持って生まれたものなのか、はたまた『魔女の呪い』か何かによる制約なのか、通常の生活の中で得られるであろう魔力を、一切得ることができないのだ。
故に彼女は、通常時であれば魔法を数度放てば、力尽きてしまう。その光景は俺も過去に見た。
「『魔力感知』を使って、奴には余りにも低い魔力量しかないと知り、異常に気付くまでに『魔力感知』を全く使わなかったのが今でも悔やまれる」
俺もリリベルも全くその通りであった。
リリベルも同様に燐衣の魔女に対して『魔力感知』の魔法を使って、燐衣の魔女が数度魔法を放って魔力が枯渇するのが分かると、油断してしまった。俺もリリベルの言葉を聞いて、魔力が無いなら派手な魔法を放つことは無いだろうとタカをくくってしまった。
しかし、それが間違いだった。
「燐衣の魔女は一体どうやって魔力を得ているのでしょうか」
「推測だ。これはあくまで推測に過ぎぬ」
ミレド王はそう前置きした。
「戦い始めた時と、戦いが熾烈化した時とで、奴には違いがあった」
「奴は怒っていた。何に怒っているかは知らぬが、怒り狂い、喚き散らして、駄々をこねるように暴れ回っていた。そして、戦いの時を経ていけばいく程、怒りは増していた」
「奴の魔力と怒りには何か関係があると私は考えている」
思い当たる節はある。
俺とリリベルが燐衣の魔女に敗北する寸前に、何か恨めしそうに文句を吐いていたことを覚えている。炎の音でわずかに言葉が聞き取れただけだったが、それでも明らかに支離滅裂で、俺たちとの戦いには全く関係の無い話をしていた気がする。
「怒りが増す程、魔力も増加しているということでしょうか?」
「うむ。その可能性は大いにあるだろう」
「ミレド王はどうやって燐衣の魔女を退けたのでしょうか」
「私は奴とひたすら戦い続けた。奴は魔力を増し続けていたが、それでも私は奴の魔法に力で対抗し続けたのだ。だが、対抗し続けたと言っても、兵士を守るために防戦一方ではあったからな。奴が飽きるまで戦いが続いて、最後には怒りのままに別の場所へ移動していった」
燐衣の魔女に力だけで対抗したというミレド王に畏怖の念を覚えた。彼がこの世にいてくれたなら、燐衣の魔女を倒すことができたのではないかと思う。
「いいか、奴を殺したいのなら短期決戦だ。そして、奴を怒らせるな。奴に怒りの感情を与えれば、勝ち目が無くなるだろう」
「大変有益な情報をいただきありがたく思います。我々はこの情報をもって、燐衣の魔女を討伐いたします」
「幸運を祈る。支援できることがあれば言ってくれ。私も有耶無耶な結果になったことには、歯痒く思っているのでな」
ミレド王はゆっくりと近付いて、俺に手を差し出した。俺は彼の手を握り、燐衣の魔女を倒すと改めて心に誓う。
歯痒い気持ちは俺にもあるのだ。今度は黄衣の魔女を守り抜く。
翌朝、エリスロースとリリベルが目覚めた後、ポートラスを発つことになった。
リリベルは昨日とは打って変わって、爽やかで軽やかな足取りで館の外の庭を歩き回っている。
「ここは空気が澄んでいて良い地だね。長居できないのが本当に残念だ」
本当は一刻も早くこの幽霊屋敷を立ち去りたいはずの彼女だが、部下である俺に弱い姿を見せたくないがために、精一杯の虚勢を張っている。
彼女に意地悪して「それならもう1日滞在するか?」と提案してみたら、なぜそのような酷いことを言うのかと考えていそうな絶望に満ちた表情で固まってしまった。見ていて飽きない。
最後に館の扉を出てきたのはエリスロースだったのだが、扉をしっかり閉めていないから僅かに隙間が空いていた。彼女の尻拭いをすべく、扉へ近付こうとしてした時だった。
扉の隙間から影が見えたので、目を凝らして見ると、思わず声を上げて驚いて尻餅をついてしまう。
扉の隙間には顔だけ覗かせたミレド王とフェルメア王妃がいた。感情1つ無い表情でこちらをただじっと見つめていた。今は朝早い時分だが、霧も雲も無く快晴であるというのに、2人の顔色は土色をしていた。
その2人の顔は微動だにすることなく、それでも扉だけはゆっくりと閉じていき、間も無く乾いた木の音が鳴ると共に、扉は完全に閉まった。
まさにこれこそが、俺の想像していた幽霊のイメージだ。別世界の生き物であるかのように感じさせる不気味な雰囲気を漂わせているそれは、外から来た者のそれ以上の侵入を阻んでいるかのように錯覚させる。
エリスロースが冗談混じりにでも、「幽霊でも見たのか?」と聞いてきたが、彼女の言う通り幽霊を見たのだから、肯定するしかない。
館の正面扉からすぐ横にある1階の廊下が見える窓に視線を移すと、館の中は天井から崩れ落ちたのか、上から木板と赤黒いカーペットがぶら下がっていた。その廊下は、昨日は炊事場に向かうために通った箇所で、とても綺麗な廊下だったのを覚えている。今はその面影すら見えない。
はっきりとこの目に霊を焼き付けることができた俺は、急ぎ足でリリベルの元へ駆け寄って謝る。先程リリベルをからかった罰がすぐに降りかかったのだと思ったからだ。
黄衣の魔女よ。もし、俺のからかいで怒りを上げたのなら、どうかお許しください。
「俺が悪かった。早くここを出よう」
しかし、彼女のささやかな反抗なのか、俺の願いが聞き届けられることはなかった。一種の意趣返しかと思った。
不思議に思って彼女の金色の瞳を覗き込むと、彼女の視線が合うことは無く、すぐ前で手を振っても反応しなかった。
「気絶しているな」
エリスロースの一言で、確認のために彼女の頬を少しつねってみたが反応は無かった。リリベルは立ったまま気絶していた。
固まったままの彼女の視線の先は、館の正面扉の方だったので、俺が見てしまった所と一緒だった。俺はそれで察することができた。
俺が背負っていた鞄をエリスロースに背負ってもらい、代わりにリリベルを背負って館の敷地を足早に抜け出る。
先程の幽霊を見ていないエリスロースは状況が飲み込めないまま、後を付いて来た。
その後は国から出て、山の中をしばらく歩いた後、休息のために水を飲もうと鞄の中を開けたら見知らぬ手紙が紛れていた。
全く身に覚えがない手紙だが、気になって開けてみると、中身はボロボロで崩れかけの紙切れが1枚入っていて、「また来ると良い」というただ一文が書かれているだけだった。
直近のできごとで、お礼を言われるようなことをした覚えはないが、それでも最近触れ合った者の中で、崩れかけた手紙を渡してきそうな者の見当はついた。
もしかしたら、このことを第三者に話したなら、「幽霊が感謝して手紙を鞄に入れたんだ! 良い話じゃないか!」と感激してくれるかもしれない。
だが、手紙の文章はおそらく血で書かれた、真っ赤な一文だったのだ。どう考えても「次に我が国へ来たら、どうなるか分かっているよな?」と脅迫されているようにしか思えない。歓迎されているような色使いではないのである。
ちなみにこの手紙を見たリリベルは、いよいよ恐怖心の限界を迎えてしまったのか、3日程は文字通り片時も傍を離れることがなかった。




