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弱くて愛しい騎士殿よ  作者: おときち
第5章 2人だけの国
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2人だけの国3

「ああ、ついでだが見た目が違うのは、母が違うからだ。俗に言う腹違いというものだ」


 俺が言葉を吐き出す前に、フェルメア王妃が先にリリベルの質問に答えてしまった。

 意気を削がれてしまったが、なぜ見た目が違うのかは少しだけ気になっていたので、理由を聞けてすっきりはした。

 ツエグッタ司教は人型ではあるが、見た目は獣にしか見えない。顔は毛で覆われていて、毛色も白い。それに対して、王妃は見た目は人間そのもので、唯一頭の上に猫のような耳を生やしているところが、人間とは異なる。髪色が金色であることも姉のツエグッタ司教と異なる。

 高貴な身分の者であれば、父親に側室がいても不思議ではない。毛色の違いも納得できる。


 リリベルは自身の気になったことを解決できて、さも満足そうな顔をしている。彼女の質問に対する回答を得て会話がひと段落したところで、今度こそ俺は王妃に問いかける。


「フェルメア様。なぜ、ミレド王と喧嘩をしているのでしょうか?」


 その瞬間、場の雰囲気が一気に変わった。王妃の鋭かった黒い瞳孔が大きく開いたのが、ソファに座っているここからでも分かった。明らかに感情の変遷がある。


「あいつ、私との約束を破ったんだ」

「約束?」


 隣に座っていたリリベルが、フェルメア王妃に聞き返した。声色が明らかに違う王妃に対して、リリベルは至って普通に会話している。全く気にしている様子はないようだ。


「そうだ! 側室は一切迎えないという約束だ! 私があいつの妻となる条件として、最も重要なことだと、婚姻の儀を行う前から何度も言ったのに。それなのに、あいつは約束を破って女を自分の近くの部屋に住まわせた」


 簡単に言えば浮気だった。

 しかし、彼女は相当嫉妬深い人物であると考えられる。政治的思惑もあって権力者の娘を妻として迎え入れるのは、良く聞く話だ。それすらも許さない、自分以外の女がミレド王に介入する余地を挟みたくないという王妃の性格は、中々なものである。

 男の俺からすれば、それだけ相手に愛されているのであれば嬉しいとは思う。思うが……。


 王妃の言葉に、リリベルの方はイメージが浮かんでいないのか反応が薄そうだった。王妃がどういう気持ちで怒っているのかを多分理解できていない。王妃はリリベルの様子を見て、彼女に対して言葉を放った。


「お前の今最も大切な者を頭に思い浮かべてみろ。そいつが自分の知らない女と仲を深め始めて、お前が蔑ろにされ始めたらどうする」


 フェルメア王妃がリリベルに対して、自分の気持ちを理解して欲しいのだと思った。でなければわざわざ、彼女自身により解像度の高いイメージをさせるような言葉を吐かないだろう。王妃の話し方から、彼女はリリベルのことを少なからず気に入っているのではないだろうか。


 リリベルは目を瞑って少しだけ俯いて、考え始めた。多分、彼女の大切な者が他の誰かと仲良くしている場面を想像しているのだろう。彼女の理想の男性が、一体どういう者なのかは想像し辛い。俺の頭の中では今のところ、月を壊すことよりも遥かにとんでもないことをする超人しか現れて来ない。

 リリベルが考え終わって、再び目を開くと、更に場の雰囲気は重くなった。久し振りに感じた彼女の殺意だ。見えるはずはないのに、彼女の周りから圧倒的な負の感情が噴き出ているように錯覚できてしまう。久し振りに俺の彼女に対する怯えの感情が、前面に出てきてしまう。


「ずたずたに引き裂いて、肥溜めに捨てるかも」

「そうだろう! 私の気持ちが分かるだろう!?」

「分かるかも!」


 ええ……。


「ええ……」


 恐怖感に覆い尽くされて、すぐに座り直してリリベルとの距離を離してから、王妃に質問をかける。


「し、しかし、ここにはもう、その女性はいないのでは?」

「いない。だが、あいつが再び別の女を連れ込む可能性は多いにある! あいつが心から変わろうとしない限り、私は絶対に、許さない」


 以前はともかく、現在の王妃はミレド王を愛しているのだろうか。最早、憎悪の感情しか感じられない気がする。

 王妃の怒りの言葉を聞いたリリベルは、ソファから立ち上がり張り切って王妃に提案し始めた。


「それなら良い手段があるよ。『魔女の呪い』だ。私が王様に、一生他の女を愛することができない呪いをかけてやろう」

「それは良い提案だな! 今すぐやってくれ!」


 リリベルが魔女であることをしれっと伝えたのにも関わらず、一切気にする様子なく、ミレド王に呪いをかけることをフェルメア王妃は快諾した。俺は慌てて立ち上がって、弁解する。


「お待ちください! 『魔女の呪い』には代償があります! 下手をすればミレド王の御命に関わることも起き得る場合があります! 考え直してください」


 これで王妃が「あいつの身体があれば生死は問わない」とか言い出したらどうしようかと思ったが、幸いなことにミレド王に危害が加わるのは困るようで、考え直してくれた。

 リリベルは言葉には出さなかったが、俺の方をじっと見つめてなぜ余計なことを言ったのかと、視線で責め立ててきた。俺は顔を逸らして逃げる。逃げた視線の先には、エリスロースが洗濯物を持って先に部屋を出る姿が映った。


「あいつが死ぬのは困るな。他の提案は無いのか?」


 彼女は死ぬのは困ると言うが、それなら毎日本気で自分の夫と戦うのはどうかと思う。もちろん、決して面と向かって口には出せない。


「今日の酒席に参加していただけませんか? ミレド王と食事を共にしていただけないでしょうか」

「断る。怒りで酒席をぶち壊しかねない」


 彼女の声色は怒りの感情を混ぜていて、本気で酒の席を滅茶苦茶にする可能性があるということが分かった。

 しかし、その最悪の展開になったとしても構わないと思った。祝いの席の雰囲気が悪くなるだけで、さすがに客人を前に殺し合いにまでは発展しないと言っているようなものだからだ。物理的に傷付け合わずに雰囲気が悪くなるだけなら、ずっとそっちの方が良い。

 だが、さすがに場の雰囲気を壊しても良いから出席してくれとは、言えない。別の提案を探す他ないだろう。


「お前、名前は何と言う」


 俺に対して名前を聞いているのかと思ったが、目線が合わない。それでリリベルに対して語りかけているのだと分かった。

 リリベルは自分が王妃に質問されているのだと気付くと、あっさり名を明かした。

 今まで、魔女の名は簡単に他人に明かしてはならないとリリベル自身から聞かされていたのだが、彼女はここにきて2人に素直に名前を教えている。一体どういうことだろうか。


「リリベル……。お前は酒席の後、私の部屋に来い。お前ともっと話がしたい」

「うん、良いよ」


 フェルメア王妃は、リリベルのまるで他人を気遣わないその無邪気な(さま)を気に入ったのか、彼女と更なる会話を求めたのだ。リリベルはそれを快諾した。


 このやり取りを経ることができたのは僥倖だ。

 きっとフェルメア王妃は、本当はミレド王とのよりを戻したいはずだ。もしかしたら、リリベルと王妃が会話することで彼女の更なる本音が聞き出せるかもしれない。そこから夫婦の仲を戻す作戦が思い付くかもしれない。

 リリベルの性格に感謝すると共に、彼女を気に入ったフェルメア王妃が男じゃなくて良かったとも少しだけ思った。




 フェルメア王妃としばらく会話をした後、リリベルは食事の準備のために炊事場へ向かった。

 俺は一旦ミレド王のもとへ行き、王妃との喧嘩について聞き取りをした後、リリベルへ報告するため、炊事場に戻って来た。

 既にいくつかの料理が出来上がっており、間もなく酒席が開けるといったところだろう。

 彼女の作った料理は、普段家で食べているものより少し豪華になっている。さすが王族の食糧庫というだけあって、素材は豊富で作られる料理の幅が広がる訳だ。もっとも料理をする者の知識と腕に依るところがある。リリベルが料理上手なおかげだ。

 彼女は知識とそれを実現できる場さえあれば、ほとんどこなしてしまえるのだろう。天才と言わざるを得ない。こうなると、逆に彼女は何が不得手なのか知りたくなる。


「ミレド王に話を聞いてみたが、『私は妻以外の者と共寝したことなど一度もない。誤解していると何度も言ったが信じてくれない』と言っていた」

「ふむ。仮にその話が真実だとしても、王妃が信じられる証拠を示せない限り、この関係は平行線のままだろうね」


 もちろん、ミレド王にはフェルメア王妃に誤解を解いてもらえる証拠は無いのかと聞いたが、彼ははっきり無いと言っていた。その言い淀みの無さから嘘は付いていないのだと思う。嘘でないと信じたい。


「その誤解の的となった女性の部屋の場所は調べてみたかい?」

「ああ。部屋を綺麗にするという目的でエリスロースが調べているところだ」

「それなら彼女が戻ってくるのを待つとしよう。それよりも君に聞きたいことがあるのだけれど」


 肉を焼きながら、リリベルは聞いてきた。一体何かとリリベルの質問の続きを促すと、彼女はフライパンへ目線を向けたまま言葉を放つ。


「ヒューゴ君はどうやって性欲を満たしているのだい?」


 俺は聞き流すことにしたが、彼女が全く同じ言葉を繰り返し言い放つので、観念して会話に加わることにした。


「なぜ、今そんな質問を……」

「以前、私は君に、女に困ったら私を好きに抱いていいと言ったのを覚えているかい? これまで私は君に一度も抱かれたことがない。だからどうやって君は欲を満たしているのか気になっているんだよ」


 その話は衝撃的だったので覚えている。その台詞を最初に聞いた時、俺は彼女を気狂いだと思った。

 俺を黄衣の魔女の騎士として迎えたいがために、平気で自分の身体を(ゆだ)ねようとした。宿に泊まりたくても持ち合わせが無かった時には、平気で宿屋の主人に一夜を売ろうとした。彼女は交渉の材料に自身を平気で使おうとするのだ。

 自分の身を全く大事にしないその考え方は、俺にとっては苦痛だった。

 だから、騎士になってから一番に彼女に、身体を大事にしてくれと懇願した。


 だが、今の彼女の心中を通して出た質問は、それらとは意味が違うということだけは分かっている。

 事実、次に放った彼女の言葉は、俺の想像を確信に変えてくれた。


「君にとって私は、魅力的な女ではないのかな?」


 彼女から受け取った言葉を、頭の中でもっと優しい言葉に変えるなら「君は私に好意を抱いていないのか?」だろう。

 それは彼女が俺に好意を持っているからこそ、気になって出てくる言葉なのだと思う。


 だが、リリベルは自身の好意の感情がどういうものなのかは、きっと理解できていない。

 リリベルから聞かされた、彼女の師匠ダリアのことを思い出す。彼女はダリアを敬愛していた。彼女が話す師匠はとても優しい人物だったことを覚えている。

 そして、ダリアに似た優しさを持つ俺に興味を持って、騎士として迎え入れようとしたのだ。

 つまり、彼女の好意は、俺ではなくダリアに向けられたものであった可能性がある。本来の好意の向け先であるダリアが今いないから、代わりに俺に向けられているのだと俺は思う。


 彼女は、敬愛も家族愛も情欲的な愛も、下手したら自己愛すらもまとめて1つの好意にしている。


 好意の種類が理解できないから、彼女はどうすれば好意を向け合う仲になるのか分からないのだと思う。

 だから、俺と彼女が男と女だから、たまたま本で読んだ愛し合う男女の知識をもとに、()()()()()()を取ろうとしているのだ。


 案外すぐに彼女の不得手なことが見つかったが、そんなことよりも、最も問題で、何よりも問題なことは、俺自身が彼女のことをどう思っているのか整理できていないことだ。

 恋を0から10まで知り尽くしているかのような考えを頭の中で展開していたが、俺だって今の今まで生きていくのに必死だったから、恋などしたことないのだ。


 彼女にどう返答すれば良いか分からないから、分かりやすく考えられる彼女の見た目について言及していくことにした。


「いや、リリベルは魅力的だと思う。顔は整っていて可愛らしいし、その金色の髪も瞳も綺麗だ」


「でも、リリベルと俺は主人と騎士の関係だ。部下が主に対して、情欲を抱いて良い訳がないだろう?」


 これは本心だ。


「ふむ。それならもし、主人と騎士との関係を忘れたとしたら、君はどう思ってくれるのかな」


 考えたことも無かった。現在のリリベルとの仲のままで、俺が騎士を辞めたとしたら、彼女に対してどう接していくのだろうか。

 そうやって仮の妄想をしていたら、あることに気付いた。俺は気付いたことをそのまま口に出して、彼女に伝えることにした。きっとその方が彼女にとっては分かりやすいと思ったからだ。


「頭の中で考えてみたのだが、俺が騎士を辞めたとしても、その後の生活の前提としてリリベルが近くにいるみたいだ」


 リリベルがふふんと鼻を鳴らした。多分、機嫌が良い。


「だがそれでも、お前を抱くことはできない」


「俺自身、お前が心から好きなのか分からない。自分の気持ちに整理が付いていないのが正直なところだ」


「仮にその気持ちのままにお前を抱くなら、どうしてもお前がサルザス国の牢屋にいた時のことを思い出してしまうんだ。自分の心を満たすために、お前を痛め付ける男たちを思い出してしまう」


「きっとあの男たちと何も変わらなくなってしまう。俺はあんな獣にはなりたくない。清い人間でいたいのだ」


 「リリベル」と呼ぶように彼女に願われていたはずが、本心をそのまま口にしてしまっているせいなのか、気付かぬ内に「お前」と呼んでしまっていた。


「なるほど」


 彼女は調理する手を止めて、顔を壁の方に向けて考え始める。

 1つ鼻を鳴らして、そのまま俺の方へ歩いて来た。俺は思わず姿勢を正す。


「今から私は君にキスをする。嫌ならこの場から離れておくれ」


 彼女はゆっくりと歩を進め、こちらに近寄ってくる。先程までのやり取りでどうしてその言葉が出てくるのかは理解できなかった。彼女の中で決めた何かに従って、俺に確かに近づいて来る。


 あっという間に距離を詰めた彼女は、もう目と鼻の先の距離にいる。


 彼女は目を瞑り、ゆっくりと背伸びをしてこちらに顔を近付けて来るのだ。


 彼女の言葉に対して、もし言葉で返したとするなら「嫌ではない」と言うだろう。彼女の言葉は卑怯なのだ。




「少なくとも口づけを交わしてくれる仲であるということが分かれば、それで良いかな」


 未だ自覚の無い彼女の純粋さに、俺はどう接していけばいいのか分からなかった。

 ほのかに赤みを帯びた満面の笑みを見せる彼女に対して、多分今の俺は何の感情を表しているのか分からない顔になっているだろう。


「ところで、最初の質問に戻るけれど、どうやって性欲を満たしているのだい? こっそり娼館にでも通っているのかい?」


 彼女は笑顔のまま、後ろ手に持っていた包丁をいきなりちらつかせ始めた。

 そこでやっと察することができた。フェルメア王妃と話をしていた際に、大切な者が他の者と仲を深めていたらどう思うかと問われて、発したリリベルの怒りは、一体誰を想像したものなのか。


 エリスロースが再び炊事場に入ってくるまで、俺は必死に彼女に無実を訴え続けた。


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