2人だけの国2
「恥ずかしい話だが、平たく言うなら夫婦喧嘩が原因だ」
「なるほど…………なるほど?」
あっさりと白状したミレド王だったが、全くもってその言葉の意味を理解できなかった。夫婦喧嘩で民が1人残らずいなくなるとは一体どういうことか。あらゆる想像をしてみても原因と結果が繋がらない。
「我が妻、フェルメアはとても美しいのだが、その中身は大変男勝りで気が短い。些細なことで部下を叱りつけるのだ」
彼の話に、オークの夫を足蹴にするエルフが脳裏をよぎる。
「妻の粗野な振る舞いに、私の部下が何人も音を上げてしまってな。貴重な人材がこの地から去って行ってしまうのを、さすがに見過ごし続ける訳にもいかず、ある時私が妻に注意したのだ」
ミレド王は当時の状況を思い出したのか、頭を抱え始めた。
「だが、妻はなぜか私に対して激しく怒り、終いには攻撃するようになった。私は妻の怒りを鎮めるために、彼女の気が落ち着くまで戦い続けたのだが、その間に民も兵士もいなくなってしまったという訳だ」
話を聞けば俺の頭の中がスッキリすると思ったが、余計に疑問が深まるばかりであった。どう返答して良いか分からなかったので、苦し紛れにいつまで戦い続けたのか聞いてみると、やっとそこで民がいなくなった理由が分かった。
「1年程は戦い続けただろうか。朝も昼も夜も、戦い続けた。食事をとり、公務を行なって、その合間に妻と戦った。フェルメアは魔法の知識もあり剣の腕もあってな。この国で相手をできるのは私ぐらいだ」
「戦い」をただの喧嘩の比喩だと思っていたが、驚くべきことに本当に戦っていたようだ。しかも話を聞く限り、2人の喧嘩を止められる者がいないときた。
「私たちの戦いが全く止まらないので、愛想を尽かして皆この国を出て行ってしまったという話だ。国王失格であろう。いや、どうか笑ってくれ」
「あ、あっはっは……」
しかし、仮に夫婦喧嘩を行い続けたからといって、1人残らず国から出て行くことなどあり得るだろうか。この大陸の古い歴史に聞く、どうしようもない程の暗君は何人もいたが、それでも王を取り巻く家臣は必ずいたし、民だって存在していた。きっと何か他に重要な理由があるのではないかと思う。
しかし、今はミレド王の話に挙がった、フェルメア王妃が気になるので、まず彼女がどこにいるのか聞いてみることにした。
「フェルメア王妃とは今も?」
「ああ、喧嘩中だ。妻は丁度館の反対側の塔にいる」
「もしよろしければ、王妃にお目見えさせていただけないでしょうか。ストロキオーネ司教からフェルメア王妃の様子も確認するよう仰せ使っておりますので」
「いや、それは……妻はまだ怒っているからな。君たちに万が一のことがあっては……」
「黄衣の魔女は、自身に『魔女の呪い』を受けており死ぬことがありませんのでご安心ください。そして、ここでの万が一のできごとは一切口外いたしませんので、どうか」
俺が頭を下げて頼み込んでいる間にも、エリスロースが恨めしそうに何かを呟きながら、後ろでミレド王の衣服をかき集めていた。
ミレド王は少し悩んでから、半ば折れる形で認めてくれた。
「フェルメアに会うことは許そう。だが、我が国に滞在している客人に傷1つでも付けてしまったとあれば、私の名誉に関わる。今回はツエグッタ司教の意思を汲むが、次はどうか遠慮してくれ」
「寛大な御配慮に感謝いたします!」
◆◆◆
館の正面口に出る大広間に戻ってから、炊事場に行きリリベルを見つける。彼女は黄色のマントを脱いで、食事の準備をしていた。マントは横の椅子に大事に置いてある。
「良い香りだな」
「む、ヒューゴ君か。味見するかい?」
手を横に振っていらないの意を示してから、炊事場の壁に寄りかかって彼女の様子を見る。
「この国に民がいないのは、夫婦喧嘩が原因らしい」
俺はそう話を切り出してから、ミレド王から聞いたことをリリベルに伝えた。
話を聞き終わったリリベルは、表情をあまり変化させず野菜を手際良く切っていた。
「司教の依頼を達成するには、2人の夫婦喧嘩を解消しなければならないということだね」
「そういうことだな」
「帰ろう」
包丁を持ったままこちらに居直るリリベルに、両手を上げて俺の方へ来ないよう懇願する。
「回りくどすぎるよ」
そうはいかない。
俺たちの本来の目的は、2人の夫婦仲を戻すことでも、ストロキオーネ司教の手紙を届けることでもない。ミレド王からある情報を入手することだ。
ミレド王は、国王である前に、非常に腕の立つ戦士である。彼は、幾多もの戦場を乗り越え、何人もの名のある強者と渡り合ってきた逸話を持つ。俺たちは彼が戦ってきた相手の、ある1人の情報を得るためにこの国へやって来たのだ。
この国に来るまでに、整備されていない山の中を必死に歩いてきたのだから、何か1つ収穫は得たいものである。
「リリベルは師匠から恋しなさいと言われていただろう? 2人の感情を読み解いて、仲直りさせたら恋する感情がどういうものか理解するのに役立つかもしれないぞ」
リリベルはうーんと唸ってから、再び野菜を切り始めた。
「君がそう言うなら……」
俺の言葉を彼女はすんなりと受け入れたので、ほっとした。
提言しておいて何だが、彼女は俺の言葉を鵜呑みにする傾向がある。信頼の証と思えば嬉しい限りではあるが、その純粋さになぜか意地悪をしたくなる気持ちが最近湧いてしまっている。そんな時は自分自身に、俺は少女を痛ぶる趣味はないと長く言い聞かせて、気持ちを落ち着かせている。
彼女と接していて、最近は俺も俺自身、何かが変わっていると思うようになってきた。その何かが今のところはっきりとしないが。
「下準備が済んだら一緒に行こう」
彼女は一言「うん」と返して、料理に集中し始めた。俺は彼女の調理風景を眺めて待つことにした。
魔女は魔法薬の調合にも長けている者が多く、材料を切ったり煮たりする工程をよく挟むことから、総じて料理の腕にも長けているらしい。実際、リリベルの作る料理も美味しい。
だから、俺は彼女の調理する様を安心して見ていることができるし、その風景を見ているのはなぜだか楽しい。
だが、しばらく待っている間に、よくよく考えたら主人に料理させているのもどうかと思い始めて、慌てて彼女に声をかけた。
「俺にも手伝えることはないか?」
リリベルは一瞬の呆け顔から優しい表情に切り替わって、横に置いてあった野菜を俺に差し出した。仕事があって良かったと、安心して野菜を受け取って、包丁を手に取り切り始める。
しばらく彼女の手伝いをしていると、炊事場の出入り口からエリスロースの声がかかった。エリスロースはたくさんの洗濯物を両腕一杯に抱え持ち、俺たちを見つけると開口一番文句を言ってきた。
「ついでにフェルメア夫人のおべべも洗ってやってくれって、王様から言われたさ、ああ言われたさ。くそっ、なんで私が……」
俺とリリベルは不憫なエリスロースを見て、声を上げて笑い合った。
リリベルの調理の下準備が終わり、エリスロースも洗濯のための水場を発見できたところで、3人で館の右側へ向かうことにした。
再び広間へ出ると、上から声がかかった。今度は館の左側からではなく、右側からだった。声の主は女性で、見てみると金色の長髪と頭からぴょこっと飛び出た突起があった。動物の、言うなれば猫のような耳だ。
「誰だ」
「私共、ストロキオーネ司教の使いで――」
「ああ、分かった。ご苦労だったな」
フェルメア王妃はさも興味なさそうに俺たちを一瞥した後、すぐに振り返ってしまったので慌てて呼び止める。すぐに彼女に睨まれて思わず怯んでしまったが、リリベルは気にせず彼女に声をかけた。こういう時は彼女の無邪気さが心強い。
「君と話がしたいんだ。だめかな?」
ただ、その言葉遣いは下手したら相手の怒りを買いそうだ。特に、ミレド王から先程聞かされたばかりの彼女の情報を引き合いに出せば、碌な目に合わなそうだ。
だが、リリベルの言葉に対して彼女は思ったよりも悪い気にはなっていない雰囲気だった。
「ほう? 面白い。付き合ってやろう、来い」
なんとリリベルの言葉に笑顔で応対して迎え入れてくれた。
俺たちは足早に駆けてフェルメア王妃に追いつく。
「攻めてくる敵もいないしな。暇で暇で仕方なかったところだ」
「ふふん、それは良かったね」
2階の通路は様々な絵画が掛けられていて、所々に花が咲いている植物も飾られている。よく手入れされていて綺麗だ。ミレド王がいた側の通路と比べると、この通路は華やかである。
「植物の手入れはフェルメア様が行っているのですか?」
「ああ。知っているのか?」
正直に知らないと答えると、つまらなそうにふんと鼻から息を漏らした。植物の知識無しで、飾られている植物の話をするのは良くなかったようだ。
「ガーベラだね。花の色が綺麗だね。随分大事に育てているみたいだ」
「そうだ。風通しの良い場所を好むから、たまに窓を開けてこいつらの気分を良くしてやっている」
「お、これはブルーデージーだね。これだけ多く集まって咲かせていると美しい」
「こいつは暑すぎるのも寒すぎるのも苦手でな。育てるのは難しいが咲く花は美しい」
何ともまあ話が弾むものだ。リリベルは意外なことに花についての知識もあるようだ。そういえば、フィズレ国に建てた彼女の家の庭には花が植えられていたのを思い出した。
フェルメア王妃は上機嫌のまま、塔まで案内してくれた。ミレド王の時と同じように、階段を上がってすぐの扉を開けると、円状の部屋が目の前に広がった。
ミレド王の部屋は本棚が主に壁の周りを囲んでいたのに対して、フェルメア王妃の部屋の壁は花が多く飾ってある。部屋の真ん中にはソファが2脚と、その間に机が置いてある。そして部屋奥は大きな長机があり、彼女はそこに身体を放り投げて座った。世話をしてくれる者はいないが、彼女は部屋を綺麗に保っているようだ。
「それで、一体何の話をしたい?」
開口1番にミレド王との喧嘩について深く聞きたいところだが、彼女の機嫌を損ねてしまいかねない。せっかくリリベルが上手くフェルメア王妃の機嫌を取り持ってくれたのだから、まずは差し障りのない話を切り出すことにする。
「ストロキオーネ司教がフェルメア様の様子を心配しておりました。もしよろしければ1日お世話をさせていただければ」
「好きにしろ。それだけか?」
「えっと……」
会話が苦手な訳ではないのだが、フェルメア王妃の威圧感が凄まじくどうも話しかけ辛い。
「じゃあ洗濯物はどこにある?」
エリスロースが助け舟を出してくれた。彼女も物怖じしない性格ではあるので、いてくれるだけで心強い。よくよく考えたら、ここにいる女性陣は皆、心臓が鋼でできていそうだ。
エリスロースの問いにフェルメア王妃が壁際に置かれたクローゼットらしき扉に目線を移動した。彼女の目の先にあるものを悟ったエリスロースは、一言断りを入れて彼女の返答を待たずして開けてしまった。
エリスロースが扉を開けたその瞬間、彼女の扉を開けようとする動作の勢いを超えて、衣服が雪崩のように飛び出してきた。衣服は彼女の腰まで埋まっている。
一瞬の沈黙の後、エリスロースは頭を掻き無言で衣服を集め始めた。
「話は変わるけれど、君ってお姉さんと見た目が違うね」
その直球な物言いに、思わずリリベルの顔を両手で掴んで、頬を押し潰してしまった。彼女は何か喋っているが、何を言っているかは分からない。
俺たちのやり取りを見て、フェルメア王妃が寂しそうに声をかけてきた。
「懐かしいな、お前たちのやり取りのようなことを私もしたことがあったよ」
彼女は何かを思い出して遠い目をしていた。お前たちというのは、俺とリリベルのことで、やり取りというのは、このじゃれ合いを指すのだろうか。
そして、私もしたことがあったということは、このじゃれ合いと同じことを彼女がしたということ。相手はミレド王だろうか。
この雰囲気であれば、フェルメア王妃に喧嘩のことを聞けるのではないか。
俺は勇気を出して、声を絞り出す。




