2人だけの国
人がしばらく行き来することがなかったせいで、山から平地に出るまでの道は草木が腰まで生えていて歩き辛かった。
山1つを国とするポートラスは、小さな国ではあるが、険しくそれなりに標高の高い山の上に城を建てているため、長い間続いていたらしい。
城門をくぐる際に、城壁が目に入ったが、かなり年季の入った石積みの高い壁だった。問題があるとすれば、所々無惨に崩れ落ちていて、防壁の意味を成していないところだろう。
城門をくぐった先は、レンガ造の街並みが現れる。
山の上にあるというのに、綺麗に地面を切り取ったかのように道は歩きやすい。この国の最も大きな通りであろうその道は、一定の大きさのレンガが敷き詰められていて整然としている。
ただし、家々の壁や窓はしばらく手入れがされていないみたいで、汚れいているし、レンガの地面も所々から細長い草が生えている。
大路を奥へ歩いて行くと、見た目で分かる王族が住まうであろう本城が上に鎮座している。本城へ向かうにはレンガ造の長い階段があるので、途中で休憩を挟みながら登って行く。
階段を登り切ると、また鉄柵のような形をした扉のある門があるが、片方の扉が門から外れていた。
そこを通り過ぎると、左右対称に揃えられた大き目の庭が出現する。
いや、よく見ると左右対称ではない。両側に並んだ樹木が好き勝手枝を伸ばしているせいで、1列目は左側より右側の方が長くて、2列目は左側の方が長いといった状況になっている。
庭の中央には綺麗な装飾が施された噴水があるが、土台は煤汚れたように汚れている。これもしばらく手入れされていないようだ。ただ、流れている水自体は綺麗なようで、噴水から浅く掘られた水道は透き通っていた。この水道は庭の樹木全体に水が与えられるように整備されているようだが、途中で枯れ葉が溜まっている所もあって、水が溢れてあらぬ方向へ向かってしまっている。
庭を抜けるとコの字に広がった館が見える。館の両端にはそれぞれ1本ずつ三角帽子の長い塔が建っており、これらは左右対称と言っていい作りになっている。
館の壁には何本もの横に突き出た槍のような物があり、旗が垂れ下がっている。ただ、その旗はどれも汚れていて、とてもではないが客人を迎えるような見た目ではない。
館の正面扉から中へ入ると、大広間に出る。中央に上の階へ上がる大きな階段があり、そこから館の端へ向かう通路がそれぞれ分かれている。1階部分も同様に左右に1本ずつ通路があり、覗いてみると館の端までひたすら赤い絨毯が続いているのが分かる。
館内の装飾も左右対称だと思ったが、どうやらそうではないようだ。館の左側へ続く通路は、観賞用だとは思うが、剣を構えた甲冑が通路の端に何体も並べられており、荘厳な雰囲気を漂わせている。一方、右側の通路には甲冑は置かれておらず、精巧に造られた石像や、絵画などが壁に貼り付けられていた。
大広間の天井はガラス窓がたくさんあり、多くの光を取り込める構造になっていてとても明るい。窓の一部が壊れていなければ、言うことは無いのだが。
「町人はいないし、兵士もいない。城の中だと言うのに執事もメイドも出迎えに来ない。これで国って言うのだから驚きだよ」
広間奥の階段ど真ん中に足を組んで、手に顎を乗せたリリベルが自分の前髪に息を吹きかけて遊んでいる。
「こんな山の中を……歩くなんて……」
赤いマントを羽織った黒髪長髪の女が息を切らして、壁に身体を預けている。彼女は茶色い靴に赤黒い燕尾服を着込んでいて、パッと見た身なりは高貴な身分であるように感じさせる。
だが、男であれば見慣れた燕尾服を女が着ていることで違和感を感じるし、その上に真っ赤なマントを羽織っているのだから更に違和感を覚えさせる。顔立ちが整っているせいでより不審者感を際立たせてしまっている。
そんな彼女は元緋衣の魔女、エリスロースである。
黄衣の魔女リリベルの子分にすっかり収まってしまった彼女は、いつの間にか俺たちの旅をともにするようになった。
「おや、客人ですかな」
突然、上階の左側の通路から声をかけられた。
声は壮年の男を思わせる声色で、見上げて視界に入った見た目は、正に壮年男性の顔つきであった。若々しい訳でもなく、かといって老々しいという顔でもない。最低でも俺より10は歳上であろう。
「勝手に城へ入った無礼をお許しください。私共、エストロワ国はツエグッタ・ストロキオーネ司教よりミレド王へ書簡を預かっております」
「なんと、そうであったか。どうぞこちらへ。私の部屋へご案内しよう」
いきなり国王と対面し、いきなり国王の部屋へ案内されるとは思わなかった。
俺は急ぎ足で先に階段を登るリリベルまで近付き、彼女に耳打ちをする。
「それで、この後はどうすればいい?」
「どうしようかね」
「おいおい」
そう。俺たちがここにやって来たのは、ミレド王へ手紙を渡すことが目的ではないのだ。
ミレド王の案内で2階に上がり、長い通路を壁に突き当たるまで歩いて行く。
2階の通路も1階と同様に、甲冑が等間隔で置かれていた。ミレド王の趣味なのだろうか。
通路にはたくさんの豪華な装飾が施された扉があった。客人を迎えるにしては部屋が多すぎるので、家臣の仕事部屋か何かではないだろうか。このような通路の作りだと、国王の通り道なものだから、仕事中でも挨拶するために部屋を出ていかないと不敬に当たったりするのだろうか。何分、元々は一介の牢屋番で、王様の近くで仕事をした訳でもないので、勝手な妄想でいもしない家臣へ同情する。
壁に突き当たって左に曲がると、コの字型の館の先の方まで通路が見える。その通路を先端まで進んで行くと、目の前に階段があった。
ミレド王はその階段を上がり、大きな扉を両手で押し開くと、広い円形の部屋が望めた。丁度、外から見えた三角帽子の塔があった所だろう。まさかあの塔が王の居室だとは思わなかった。館の先端部分にあるので、防衛には向かないだろうに、それでもあえてその位置に塔を作ったということは、余程武力に自信があるのだろう。
ミレド王は最奥にある大きな横長の机にあった椅子に、行儀良く座ってから俺たちに部屋に入るよう促した。
ミレド王の手招きを受けてから、部屋に入った。部屋の真ん中には机があり、それを挟むように大きなソファが置かれていた。壁には部屋を囲むように本棚が配置されていて、一部はクローゼットらしき扉が存在している。何とも奇妙な部屋である。
部屋の中は、まあ、率直に言って汚い。
いくつもの書物が乱雑に床に落ちており、脱ぎっぱなしの服が部屋中央のソファに掛けられていて、力無く垂れ下がっている。一国の主の部屋とはとても思えない汚さで、身の回りの世話をしてくれる人がいない証でもある。
「部屋が汚くてすまないな。椅子に掛けてくれ。ああ、気にせず衣服は床に捨て置いてくれ」
「そんなことできる訳ねえだろ!」と突っ込みたかったが、目の前にいるのは王様だ。そのような失礼なことはできないと、立ったままで話を進めようと思ったら、リリベルが思いっきりミレド王の言う通りにしやがった。衣服を床に捨ててソファに座ったのだ。
俺がリリベルに小声で叱りつけると、ミレド王が諌めて俺にも座るよう勧めた。さすがに2度目は断れないと思い、大人しく俺もソファに座ることにする。
悪いことをしたと思ったのか、横に座っていたリリベルが素直に俺に謝って来た。珍しい健気な彼女の振る舞いに、言い過ぎたかと思って俺も彼女に謝ると、彼女は微笑み返して居直る。
ミレド王はエリスロースにも目配せをしたが、エリスロースは「私は従者ですのでお構いなく」と返して、俺たちの後ろに立った。返した言葉が既に従者として発するべきものとは思えないのだが、口には出さないことにする。
「改めて、私はポートラスの王ミレド・フォグリア・エルド・カトレノスだ。して、ツエグッタ司教の用向きとは何かな」
ミレド王に手紙を渡す。これ自体はツエグッタ・ストロキオーネ司教からもらった正真正銘の手紙である。
ミレド王が封を開けて、しばらくの沈黙の後、再び彼が口を開いた。
「なんと。どうやら彼女に要らぬ心配をさせてしまったようだな」
手紙の内容は、あらかじめストロキオーネ司教から教えてもらっていたが、当事者が読んだにしては反応が薄く感じられた。
「わざわざエストロワからこの地まで手紙を届けてもらうとは、苦労をかけてしまったな。もてなしの酒席の1つでも催したいところなのだが、この通り給仕の者がおらぬのでな」
「それなら私が腕によりをかけて作ろうじゃないか! 何だったら私たちがここを出るまでに、私の従者に君の身の回りの世話をさせよう!」
リリベルが待っていましたと言わんばかりに食いついた。私の従者と言って指した先は、俺ではなくエリスロースだった。彼女は王の前だというのに構わずリリベルに対して「おい!」と怒鳴った。
王に対する2人のフランクな接し方に、俺はソファから立ち、机の角にぶつけんばかりに頭を下げて謝りたおす。
ミレド王はやはり困惑していたが、笑顔で返してくれた。寛大な人で良かったが、冷や汗が止まらない。
「どうしても気になっていたので、やはり聞かせてもらうが。この手紙の封印には司教の使う紋が刻まれている故、君たちがツエグッタ司教の使者であるということは疑わぬのだが……。今まで会ってきた使者とは、何というか異質でな。特に彼女は些か使者と言うには若すぎる。つまり、一体君たちは何者なのかね?」
彼女とは、リリベルのことを指して言っているのだろう。それもそうだ。余りにも目立つ黄色のフード付きマントを羽織った少女が、本物のストロキオーネ司教の手紙を持って、国王に接しているのだ。怪しすぎる。
リリベルはソファから軽やかに立ち上がり、ふふんと鼻を鳴らした。頼むから最上級にお淑やかに挨拶をしてくれ。
「私はストロキオーネ司教に頼まれて手紙を渡しに来た、黄衣の魔女リリベル・アスコルトという者だよ」
「ま、魔女!?」
魔女という言葉にミレド王は目を丸くして驚いた。
正直リリベルがいきなり正体を明かすとは思わなかった。魔女はこの世界では、基本的に忌み嫌われている存在である。会うだけでも毛嫌いする者が数多くいるし、心が図太い者は利用さえすれ、心から信頼する者はほぼいない。それが国王の前であっさり、魔女が目の前にいると宣言してしまうのだから、きっとミレド王は警戒してしまうだろう。
「ツエグッタ司教が魔女を使者に……?」
普通ならあり得ないだろうな。魔法に関する知識を広く有する魔女を、召し抱えるとすればやはり魔法に関連することが普通であるのに、それが使者として現れたのだ。俺が国王だったら暗殺しにきたのではないのかと疑う。
リリベルの手を握って座らせるように仕向けてから、ミレド王の次の行動を待っていると、彼は口元に手を当てて少し考えてから再び口を開く。
「何とも不思議な使者だが、良い。義姉の使いであればどのような者でも無礼な扱いはせぬつもりだ。そして、君たちに、私の身の回りの世話も、食事の支度もさせることはできぬな」
ミレド王の言葉を聞いて、後ろにいたエリスロースがほっと息を落とした。身の回りの世話がしたくないのは分かるが、それを態度に出すのはお願いだからやめて欲しいものである。
エリスロースをよそに、ミレド王の気遣いをものともしないリリベルは更に食いつく。
「司教はこの国の現状を知って、私たちを送り出して身の回りの世話をするように命じたのだよ。だから君の世話をしないで帰ったとなれば、私たちがとっても怒られるのだよ」
「なるほど、目的はそれか。ふむ……」
ミレド王が良からぬことを考えていると思ったエリスロースは、俺の後ろで「おいおい」と小さく絶望気味に呟いた。
そして、ミレド王がリリベルの要望を仕方ないと言った表情で了承すると、エリスロースがあからさまな溜め息をついた。
「だが、1日だけで良い。1日私の世話をすれば、君たちの瀬も立つだろう」
「ありがとう。では早速、私は食事の支度をしよう。給仕室はどこにあるかな?」
リリベルは黄色いマントの下の着ていたシャツの腕を捲り上げて、ミレド王から教えられた一階にあるという給仕室へ、気合い十分で向かった。
エリスロースは諦めついた表情のまま、洗濯のために乱雑に置かれた衣服を拾い集め始めた。少しだけ同情するが、頑張ってくれ。俺はこの現状を再確認するために、彼との会話を続けることにしよう。
「ミレド王、よろしいですか」
「良い。何かね?」
「なぜ、この国には民も兵士もいないのでしょうか」




