6. スラムの少年
「ふぅむ……。」
食材を保管している部屋で、この宿の主人、グイドが小さく声を漏らした。
「ユキト、ちょっと買い出しを頼む!」
ユキトはいつも通り食堂と広間の掃除を道具たちと踊りながら済ませ、遅めの朝食をとると、グイドからのお使いを受け外に出た。
メモの入った編みカゴを片手に、大通りに足を踏み出す。
振り返って見上げると、『宿亭シア』と宿の文字。
シアは主人の性だ。
そのまま上空を仰ぐと、日も高くなってきた朝の青空から、巨大な月と、2つの小さな月が地平線に沈もうとしている。
巨大な月は、地球で見なれている月の直径の10倍はあるだろうか。
3つの月は周期も軌道もバラバラで、昼間に月が見えることも多い。
とりわけ巨大な月は、神様の住まう都として王国全土で厚く信仰されている。
今日は3つ揃って月が見える。
月に見送られ、ユキトは道を進んだ。
通りを3つほど抜けた先に、朝から大変な賑わいを見せている市場が広がっていた。
競りや売り声飛び交うここは、大通りを挟んで、取れたて新鮮の野菜、果物、魚介類、お肉などがずらりと並ぶ。
ユキトはグイドさんから貰ったメモを頼りに、客の波をかいくぐって行く。
まずは手前の青果店。
馴染みのある葉のものや赤い実が並んでいる。
そして黄色く丸い野菜。
握り拳ほどの大きさだろうか。
主人のグイドが扱っている所を見たことがある。
外側は硬い皮が覆っているが、中は何枚もの薄い葉が層をなして収納されている。
花開く前の蕾らしい。
食べるのはこの中の葉の部分だ。
ほんのり甘く、サラダやスープの材料としてよく使われる。
「はい、リタの蕾10個で193カルク!ありがとな!」
青果店の店主の声を後にして、次の店へ向かう。
この大陸ではお金の単位は小さい順に、カルク、デカルク、ラングとなっている。
1カルクがおよそ0.3円、1000カルクで1デカルクとなり、1000デカルクで1ラングとなる。
つまり1ラングは日本円でおよそ30万円だ。
先程使ったカルク硬貨は銅色の、一般市民がよく使うものだ。
デカルク硬貨は金貨、ラング硬貨はプラチナ硬貨だ。
ユキトの包みには銅貨がいくつも入っている。
*
おおかた買い揃えた。
カゴの中は野菜、果物、燻製肉や卵などが隙間を作らず詰めこまれている。
買い物を済ませているうちに、市場を流れる人の数がかなり増えてきた。
「てめぇ!とっとと取ったもん返せ!」
市場の一角に、なにやら人だかりが出来ており、そこから怒号が聞こえてきた。
ユキトは気になって人だかりの方へ行った。
そこには燻製肉の店主と、そのそばで横たわる、褐色のやせ細った少年の姿があった。
どうやら少年が店のものを盗もうとしたらしい。
そこを捕まって、見せしめのように店主に殴られていた。
ユキトは静かに殴られている少年をじっと見ていた。
自分と同じ歳位の少年だ。
体にはいくつもの痣が浮かび上がり、肩や腕、至る所から流血している。
ユキトはふと、少年と自分を重ね合わせた。
もし自分が少年と同じ立場だったら?
グイドさん達にお世話になっていなかったら?
母とコソコソ盗みを働きながら、ボロボロの格好で生活をしていたかもしれない。
少年が殴られる度に、同じ箇所がユキトも疼いて落ち着かなかった。
追い討って、周囲の野次馬の言葉が耳に無理やり入ってくる。
「最近盗っ人が多くて嫌ねぇ。」
「ほんと、あんな汚らわしい生き物、とっととくたばっちまえばいいのに……」
「どれだけ街を汚せば気が済むんだこいつらは!」
周りの人達の会話は、殴られている少年のことを、およそ人間とも思っていないようだった。
過去にこんな光景は見たことがなかった。
不良もいない平和な街で暮らしていた。
しかも今目の前にあるのは、大の大人が寄ってたかって子供をいじめる姿だ。
誰も助けようとしない。
それどころかもっと殴れと叫ぶ始末。
ユキトは変に注目されたくない、周りにどう思われるか不安な気持ちと葛藤していた。
しかしやはりどうにもいたたまれなくなり、少年の元へ飛び出した。
「もういいだろ!やりすぎだ!」
咄嗟に飛び出したが、肉屋の店主のこちらを睨む顔を見て、心臓の鼓動が強まった。
ユキトは少し怖くなった。
自分も殴られたらどうしよう。
「なんだお前、こいつの仲間か?」
肉屋の店主が拳を強く握り直した。
それを見てユキトは、少し顎を震わせて答えた。
「な、仲間じゃないけど……これ以上やったらこいつ死んじゃうぞ!」
ユキトと店主は互いに腹の内を探るかのように、じっと目を合わせ、しばらくして店主が口を開いた。
「ちっ、警衛隊が来たら俺までしょっぴかれちまう。」
店主は自分の店に戻って行き、それから周りの野次馬たちも散り始めた。
「君、勇気あるな。」
1人の野次馬がそう残して立ち去っていった。
ユキトはまだ少し震える手を少年の肩に添えて、大丈夫かと声をかけた。
「とりあえず病院行こう!ほら、立てる?」
しかし少年はユキトの胸元のシャツを掴んで、声を絞り出して言った。
「ダメ……病院じゃ、相手にしてもらえない……。家に…帰らせて……。医者がいるから……。」
ユキトは少し考えた。
とにかく少年の怪我の状態がひどく、一刻も早く医者に診てもらった方がいい。
ユキトは少年の言う通りにして、少年の振り絞る声で案内されながら彼の家へ向かった。
*
「え、ここ?」
少年の家だという場所にたどり着いた。
そこは誰からも見捨てられたような場所だった。
その辺一帯は人気がなく、どの建物も壁は剥がれ、廃墟と化していた。
ユキトはその中で一際大きい建物の中へ、少年を連れて入っていった。
狭い入り口を抜けると開けた場所に出た。
かつては集会所として使われていたものだ。
その奥に5、6人の人がいた。
皆破れたボロボロの服を着て、小さな毛布にくるんで寝てる人や、上裸で硬い床に寝ている人もいた。
うち1人がユキト達を見つけ寄ってきた。
「誰だお前……ん?おい!モクフ!お前大丈夫か!?」
その声を聞いて、他の人達もモクフの元へ集まった。
「ここに医者がいるって聞いて、この人のケガ早く見てください!」
「おう!お前、誰かわかんねぇけど、ありがとな!おい、そっちの肩持て!」
2人の男がモクフに肩を貸して、建物の奥、上の階へと上がって行った。
残った1人の褐色の男は、奥に入っていく仲間を見送ったあと、ユキトに向き直って言った。
「何があったか聞かせてくれるかい?」
ユキトは先程の出来事を話して聞かせた。
「ちっ、あのくそども!俺たちのことを人とも思ってねぇ!」
男は吐き捨てるようにそう言った。
「あの、何かあったんですか?」
ユキトは恐る恐る小さい声で聞いた。
「あ?何かあったってどういうことだ?お前、俺らのことバカにしてんのか?」
突然怖い形相で睨む男に、ユキトは慌てて付け加えた。
「あの、僕この街に来たばかりで、ほんとに何もわからないんです!」
男はじろじろとユキトを観察したあと、しぶしぶといった様子で話した。
「見ての通りだが、俺らには家も金も食料もろくにねぇ。毎日薬売ったり盗み働いたりで生活してんのさ。だからみんな俺たちに近づかねぇ。まあ、お前みたいな物好きもいるけどな。」
ユキトはなにか申し訳なさそうに、あまり目を合わせず相槌を打った。
つまり、世間から見放された人達ってことだ。
「……あの、僕になにか出来ることありませんか?」
聞いてしまったからには放っておけない。
ユキトはそういう性格だった。
「俺らに金持ってくんのか?盗みやるか?それとも薬売りさばいてくんのか?ふっ、お前に出来ることはねぇよ。」
男はそう言うと、モクフの様子を見ると言って踵を返した。
「お前はもう帰んな。ほかの仲間に見つかったらまずいぞ」
そう言って奥へ消えていった。
ユキトはボロボロの広い内観をもう一度見渡してから、その場を後にしようと出口まで差し掛かったところで声をかけられた。
「あんた!モクフを連れてきたやつだろ?」
今度は白人の背の高い男だった。
「あの、モクフって人は大丈夫でしたか?」
「ああ、おかげでな、助かった。礼を言うよ。だが1つ聞きたいことがある。」
男は真剣な顔つきでユキトに迫った。
「この場所は、どうやって知った?」
彫りの深い顔がユキトを探る。
「モクフに教えてもらったんですよ。ここに医者がいるって言うから。」
「そうか、1人で来たのか?」
ユキトはただ事ならない状況かもしれないと、少し声を震わせて言った。
「はい、1人で来ました……。」
「そうか」
男はユキトの顔を上から覗き込んで、じっくりと探っていた。
「ほんとに他に誰もいないんだな?俺たちは街中のどこにでも潜んでるんだぜ?ましてやボロボロの仲間がいたら、そりゃ目立つだろうな。」
ユキトは危なげな雰囲気に、頬から冷や汗を流していた。
心臓がドキドキと大きく響き始める。
「ほ、ほんとです!」
そこに建物の奥から別の褐色の男がやってきて、白人の男に耳打ちした。
白人の男がユキトの所へ戻ると、首に手を回して強く掴んで、広間の奥の方へ強引に引っ張っていった。
「よう、この偽善者が!おい!ドンゴ!降りてこい!」
白人の男はユキトの首根っこを掴んだまま仲間を呼んだ。
やってきたのは褐色の大男だった。
スキンヘッドに、広い肩幅、背は190cmはあるだろうか。
その太い腕で、白人と代わってユキトの首を締め付けた。
後ろからほかの仲間もぞろぞろとやってくる。
「おい、それ貸せ。」
白人の男は仲間からナイフを奪うと、ユキトに向けた。
「さあ、このスパイ野郎。あんたが仲間に連絡出来なけりゃ、この場所がバレることもねぇ。」
白人はなにか勘違いしているようだったが、ナイフを向けられていては、ユキトも下手なことは口にできなかった。
ユキトの目に涙が浮かび上がる。
人を助けただけなのに、待っていたのは礼ではなく報復だった。
人生で初めて、人に怪我を負わせられる。
それどころか死の可能性もある恐怖に、ユキトは震えるしかなかった。