3. 客室会議
大通りに面した3階建ての建物に到着した。
どうやらここが男性の住む宿らしい。
ユキト達が両開きの木の扉を押し開け進むと、レンガ造りの壁に囲まれて、足下の板張りがコツコツと音を立てた。
壁から顔を覗かせる吹き抜けの窓は、室内を明るく照らしてくれる。
広い待合広間の中央には大黒柱のように受け付けが鎮座し、その両端に、奥へと続く木造の階段が伸びていた。
あちらこちらの壁の木枠にはまだ役目のないロウソクがかけられており、ガラスのドームがそれを囲っていた。
視線を上にやると、天井の真ん中からラベンダーのような花の飾られた籠が、蔓に絡まりながらぶらぶらとぶら下がっていた。
男性は受け付けの女性の元へ、連れと一緒に帰ってきた旨を報告すると、もらった鍵を振り回しながらユキト達を連れて2階に上がった。
軋む階段を上がると、入り口から奥へと客室が並ぶ廊下が待ち構える。
その一室に入ると、男はベッドにどかんと腰を落として喋り始めた。
「んじゃあ、とりあえず自己紹介からだな!俺はジェームズ・ディングスだ!さっきお前アメリカっつったけど、イギリスだぞ!紳士の国だ!よろしくな!ヒョロガリ共!」
紳士とはかけ離れた口調で自己紹介を終えたジェームズに、金色の毛深い豪腕で万力のように握手されると、ユキトは床に正座をして、落ち着かない様子でソワソワし始めた。
やっとこの世界のことが知れる。
そう考えながら、ユキトは部屋を見渡した。
ベッドが部屋半分を占めている。
床にしかれた*蘇芳色の絨毯の上には細かい砂がちらほらと見えていた。
木造の天井からは、真っ直ぐ伸びる細い燭台が蝋燭を吊し上げ、ユキト達の頭上で静かに揺れていた。
全員の自己紹介が終わると、早速本題に入る。
主に母が事の経緯を説明したあと、ジェームズの話を聞き出した。
ジェームズは、警察官だった。
休暇中に家族で東京に旅行に来ていたらしい。
奥さんと、8歳の娘と一緒に食べ歩いているときに連れてこられたという。
ジェームズははじめ、こことは違う国にいた。
異世界に来て最初のうちは誰に話しかけても言葉がわからず、3日ほど食料も手に入らないまま広場を寝床にホームレス生活。
広場の真ん中には質素な噴水が、静かな水声をたててドームを建てており、彼は飲めるかもわからないその水を飲んで喉の乾きと空腹を凌いでいた。
しかし彼を異世界に連れてきた者に言語を教わってからは、仕事を探して転々とし、気のいい元傭兵が宿を経営していると聞いてここにやってきた。
今はこの宿の手伝いをして、客室の一室を借りて生活していた。
……。
ん?
ユキトは何か疑問を感じた。
異世界に連れてきた者?
誰かに連れてこられたのか?
自分は誰かに連れてこられた記憶はないが、もしかしたら元の世界に戻れるヒントになるかもしれない。
そう考えている間に母が口を開く。
「その、あなたを連れてきた方は、神様とか、そういう方…ですか?」
聞きたいことを聞いてくれた。
「神様?そんな大層なもんじゃないさ。まあ誰かは今は言えないがな。ほら、自分の能力は秘密にしとくもんだろ?………なんだ、あんたは神様だったのか?」
能力?
またユキトの分からないことが増えた。
「ええ、私は神様に連れてこられたの。でも、能力って?」
母も連れてこられたのか。
「神様か!そりゃすごいな!まだ来たばっかのあんたらは知らんだろうが、俺らを連れてきたその神やらが、能力を授けてくれるんだよ。あんたらもそのうち力をもらえると思うぞ。」
母の目が少し輝いているように見えた。
能力!異世界の定番!
魔法とか!スキルとか!
だが誰かに連れてこられた記憶のないユキトは、自分には能力も使えないのではないかという不安もあった。
超能力とか魔法とか、異世界に来たら誰だって憧れるもんだ。
しかも母を連れてきたのは神様だ。
やはり母がこの世界の主人公なのか?
「なんだか怖いけど、少し面白そうね、ユキ。」
ユキトに話が振られたが、少しガッカリした表情でユキトは答えた。
「俺、能力、使えないかも……。」
ジェームズと母が顔をしかめてこちらを見た。
「そりゃ残念だな。力のないやつに連れてこられたか?スーパーパワーにゃ誰だって憧れるもんな。」
「いや、そうじゃなくて、誰かに連れてこられたわけじゃ無いと思うんだ。誰にも会ってないし。」
ジェームズがふーむと顎に手を当て答える。
「まあ、俺もこの世界に来て2ヶ月しか経ってないから、どんな状況かはわからんが、この世界で魔法を学べば、坊主も魔法なら使えるかもしれんぞ!」
お!やはりこの世界に魔法はあるんだな!
外でエルフや小人を見たユキトは、ある程度予想はしていたが、それが確信に変わったことで期待が膨らんだ。
それに、神様とやらがいなくても勉強すれば魔法が使えるというのだ。
もしかしたらユキトに魔法の才能があって、この世界を無双するかもしれない。
ユキトの目がさっきと変わってキラキラと輝きはじめた。
隣を見ると、母の目もキラキラと輝いていた。
なるほど、母もこちら側の人間か。
母がこの世界のファンタジー要素に胸をときめかせつつ、真剣な顔に戻って次の質問に移った。
「この辺で、ポニーテールの女の子と、中学生くらいの男の子を見かけませんでした?うちの子供たちで……。」
妹アキヒと、弟ナツオの安否確認だ。
「いや、見てねぇな、来たばっかなら服装でわかるはずなんだがな。」
たしかに。
この世界の人達は、中世ヨーロッパを感じさせる平民衣装を着ている。
ジェームズも今は薄汚れた緑色に茶色味がかった1枚のシャツを着ている。
「そう、ですよね……。」
母の顔が一気に暗くなる。
「まあそんな心配すんな。この世界に来る方が珍しいんだから、そのガキどもも今頃元気に元の世界ではしゃいでるさ。」
ジェームズの言うことも最もだ。
さすがにそう簡単には見つからないだろうし、この世界に来ていない可能性の方が高い。
母の顔は少しだけ安堵をもらしたが、それでもまだ暗い表情だった。
それもそうだ。
お腹を痛めて産んだ自分の子だ。
この世界でさまよっているにしろ、宇治橋のお土産屋さんでさまよってるにしろ、心配になるのは当たり前だ。
だが今はあれこれ考えていてもしょうがない。
「母さん大丈夫だって!2人なら心配ないよ!」
沈み始めた空気を払拭するように、ユキトは声を上げた。
「そうね。アキちゃんならしっかりしてるし、2人が一緒にいればきっと大丈夫よ。」
母が無理に笑顔を繕う。
心配をかけさせまいとする母の顔が痛かった。
「とにかく今は、これからあんたらがどう暮らしていくか決めないとだな!」
そうだ。
妹たちのことも心配だが、今は自分たちのこのありえない状況をどう乗り越えていくかだ。
ユキト達3人は、今後の生活を相談しあった。
*
今後の生活基盤が固まった。
この宿には空きが3つあるそうだ。
家族だから別に一緒でも構わないと、ジェームズの時と同様、仕事の手伝いをすることで、親子2人で1部屋使わせて貰えることとなった。
期限はない。
ジェームズの話を聞いて、親切な宿の主人とその奥さんが快く受け入れてくれたそうだ。
しばらくはここで生活の基盤を築いていくことにした。
ひとまず、手伝いの他にも、この世界での収入が必要不可欠。
黄熱病の権威たる野口さんや、母さんの貯め込んできたポイントはこの世界では出番がない。
正真正銘の無一文だ。
まずはジェームズに頼んでこの世界の言葉を習得。
そしてこの世界のノウハウがある程度身についたら、仕事の斡旋所、つまりハローワークのような所に行こうということになった。
この世界の常識などについては、言葉を習得してからこの世界の人達に聞いた方がいいだろうということで、母もユキトも納得した。
ジェームズもあまり詳しくは知らないようだ。
ジェームズは、自分たちが置かれている状況がもう少し詳しくわかったら、【連れてきたもの】の異能を活用して、非常勤の学校教師の資格を手に入れるらしい。
おおまかな流れとしては、宿に住みながら情報収集、仕事探し、自分たちだけで生活出来るようにする。
こんなところか。
話がまとまったらさっそく、ジェームズの能力を借りる。
「少し我慢しろよ。」
そう言ってジェームズは、人差し指と中指で、2人の額をコツンと小突いた。
言語情報が一気に流れ込む。
発音や文法、文字の書き方。
まるでスピードラーニングを狂ったように速く流したものが、脳内で再生される。
激しい頭痛と吐き気に襲われた。
この世界に来てからまだ何も食べていないことが幸いだった。
唾を垂らすだけで済んだのだ。
とにかく、これで言葉の壁問題は解決。
会議が終わると、もう日も落ちて遅いので、明日の朝、宿のスタッフと顔を合わせることにして、今夜は借りた一室で寝ることになった。
狭いベッドで母と2人、10数年ぶりに一緒に寝ながら、ユキトは思いにふけていた。
これからこの世界で生活していくのか。
元の世界には帰れるのだろうか。
待ってろよ、アキ、ナツ……。
※蘇芳色・・・赤と黒が混ざったような色