⑧裏世界入門
◎
真倉さんがどこまで知っているかもはっきりしてない。
知らないけど知ってると言いかもしれないし、逆かもしれない。疑おうと思えばどこまででも行ける。
「では、警察が自殺と判断したのは何ででしょうか?」
「上層部がそういう風にしたからだろうね」
間髪入れずに答えが返ってきた。この質問を想定していたような速さだ。
しかし、上層部か。刑事ドラマ風に考えれば、警視総監とか? 流石にそれはなさそう。
「随分と遠回しな感じですね」
「時が来たら教えられることもあるさ」
時が来たら――。
その情報をどう処理すればいいのかわからない。
絶妙に仄めかしてくる。理解も不理解よラインを弁えている。
自称探偵の処世術というやつなんだろうか。
真倉さんは両肘をテーブルに付けて手を組んだ。手のの上甲から目だけを出している。
「君の幼馴染の名前は?」
「名前、ですか……」
「言うのが憚れるのかい? それとも長過ぎるとか?」
「いえ……思いの外普通だったので。彼女は八神愛と言います」
死んでる人に許可を取る方法は知らない。少なからず罪悪感を持ち合わせつつ答えた。
「――そういうことか。面白い」
真倉さんは俺の答えに得心いったらしい。
勝手に納得されても……俺は何と思えばいいのか。すこしは説明して欲しい。
「その質問の意図は?」
「そう来たか。頭良いな。正直に答えるのなら彼女――つまり君の幼馴染の八神愛が『八番目の大罪』『八帝魔神』と呼ばれてるからだよ。もしかしたら関係あるのかと思ってさ。どうやら俺の予想は当たってた」
「…………………………ん?」
困惑しているのですが。
これ以上なく。
八番目の大罪?
八帝魔神。
こう呼ばれるってかなり痛いやつってことになるけど、どうなんだ? 中二病患者ですか?
「名付けたのは勿論本人ではないけど」
「そりゃそうだ……」
愛はそこまで痛いやつじゃない。
だが八帝魔神(笑)と言っている真倉さんは冗談を言ってる風ではない。
俺の疑念を他所にとっとと進める黒の男。
「質問。八神愛にとって南木公園とはどんなところか?」
南木公園、通称天空遊園。
真意かどうかわからないが、思い当たる記憶はあった。普通に言うのが恥ずかしいし類いではあるけど。
「いや……本人から聞いた訳じゃないんで確証はありませんが」
「御託はいいよ。自らハードルを上げてどうしようとしているんだ?」
確かに逆にやましい感じになっている。ならばスッと答えよう。スッと。
「小学生の頃に俺と結婚の約束をした地とか……」
「…………」
「いや、何か言ってくださいよ」
「……なんかすまない」
「謝らないでください、居たたまれなさ過ぎますから!」
変に意識しちゃうじゃん。
あくまでも小学生の頃の話だから真面目に取り合うこともないのに。
俺のターンだがだいぶ気を削がれてしまった。答えてくれない質問がある以上期待できないが、一応謎の一つを訊いてみる。
「八神愛はどうやって古家セントラルセンターに侵入したんでしょうか?」
そう投げかけると、一転。真倉さんは随分楽しそうに口角を上げた。
質問だけでこんなに人を喜ばすことができたのは初めての経験だ。これからも精進していこう。
「ではなくて、どうなんですか? 答えてくれますか?」
「――くっくっくっ、やっと訊いてくれたな」
「は?」
半狂乱にでもなったのかと思った。笑い方が悪役のそれだから。
すると椅子から立ち上がりテーブルをトントンと叩いた。
「答えを見せて上げよう。さあ、立ち上がって」
「いやいや普通に説明してくださいよ……」
「やれやれだな、百聞は一見に如かずだぜ。いいからスタンドアップ」
「は、はあ……」
渋々椅子から立ち上がる。
やっと訊いてくれた、と言った真倉黒人。そして答えを見せるとも言ってた。
真実へのアプローチはここなのか――?
真倉さんは手を伸ばして俺の視界を覆うようにした。反射的に目を閉じたくなったが、確固たる意思の下で暗黒を見つめる。
またもや「くっくっくっ」という笑い声が聞こえてきた。
「さぁ、ようこそ『裏世界』へ」
いつもなら戯れ言だと思っていただろうけど、彼の放つ奇妙な雰囲気に飲まれて動くことができなかった。
予感はしていた。俺の知らない愛がいた世界。それはどんなところなんだろう。
突然の展開で着いていけないが、腹を括るしかない。
現実を受け入れて未来を進む。俺が愛のためにできることはこれくらいしかないのだから。
◎
「ラブコメ編。いや君はヘタレだから日常編とでも言おうか……日常編が終わり、似非ミステリー編も終わって次は異能バトル編に突入する訳だよ」
「……失礼ですね。日常編じゃなくて青春編と言ってください」
「それなら告白の一つや二つしてくれよ。もしくは親友の恋のおてつだいとか。無理か、友達いなよな」
「何故俺に友達がいなと断定するんですか。いるかもしれないでしょう?」
「その発言からしてもういないよな」
真倉さんの手が額に触れた瞬間、足元がぐらついた。それも束の間、視界が反転――三六〇度回ったところで虚像であるもう一人の自分と重なる感覚。
俺の知らない不可解な概念――。
頭を軽く振って、直線に何が起きたのか確認した。
「何ですかこれは……」
「ようこそ『裏世界』へ」
「リバースワールド……なんか全体的に色彩が青くなった気がしますが」
「理由はわからないけどそういう風にできている」
そういう風って設定がばがばだな。世界に設定も何もないか。
しかし、どうやら俺の目がおかしい訳ではないらしい。
色彩が青になっただけで何も変わった様子は見受けられない。十分な変化ではあるが、なんというか普通なのだ。喫茶店だな、という感想しか思い浮かばなかった。
というかそもそも裏世界って何だ? 百聞は一見に如かずとか言ってないで教えて欲しい。
「じゃあ外に出ようか」
「この状況の説明は?」
「そのためにもさ。効率化していかないと」
「…………」
店内にはマスターはいない。暖簾の向こう側にいるのだろうか。客は一人もいないから空けてても問題はない。
それはそれで、どうなんだろう。
鈴を音が鳴る。扉の向こうへ足を踏み出すと。先にある光景だってさっき来た道なのだから手取るようにわか――。
「…………………………」
「感想は?」
「…………………………」
粉砕。崩壊。破壊。
瓦解。破砕。壊滅。滅亡。
ここはどこだ。遠くに丘が見える。天空遊園があるあの丘だ。
ここから見えるはずがないのに見えている。
絶対に見えない位置にあるはずのものが見えていた。
その理由は単純。
あらゆる建造物が根こそぎに粉砕、崩壊、破壊、瓦解、破砕、壊滅しているからだ。
古今の災害でもこんな風にはならない。
未曾有の大噴火、大陸縦断大地震、スーパーセルが同時に日本で起きたような惨状。いや、そんなんじゃ収まらないだろこれは。
「うううううっっっ……!」
心臓が痛い。思わず服の上から押さえる。
この時、何かを理解した。心臓の奥底で歯車が動き出すような――。
真倉さんは意外そうに呟く。
「驚いているようだね。まぁ、最初はそうか……でも驚くことはまだあるよ。こんなの目じゃないくらいに」
「……これ以上何があるって言うんですか? 完全終わってるでしょう、これは」
終わっている――人が死ぬのと同じように、途絶えている。
動悸が激しい。心臓が回っているみたいだ。
「状況は見ての通り。何もかも壊れている」その場で大きく手を広げる。「とても人為的なものだとは思えないね」
「そりゃ、人為的ではないでしょうけど……」
人間がこんなことをやったらホラーだ。ファンタジーだ。
よく見てみると瓦礫の山の中に動線が見受けられる。少なくともここ最近にできたものではない。
ここはどこかをまだ訊いてなかった。
「ここはどこですか?」
「だから裏世界と言っただろ」
話の腰を折ったからかちょっと怒っていた。いやいや、今回に関しては俺は悪くないはずだ。なので黙ることにした。
「まあ、聞いてくれ。確かにさっきまでいた世界ではあの災禍は人為的ではない――」
「は?」
「――だが、この世界ではそんなことは珍しくもない。つまりは人為的にこんな災害を起こすこともできるのさ」
「はい?」
裏世界では災害を人為的に起こすことができるということなのか。どうにも意味がわからない。
俺を置いてきぼりに、続ける真倉さん。
「要は『力』が存在する、それも人間が扱うことができるね――」
ここで満を持してというように手を叩いた。そして右手人差し指を俺の顔に向ける。
「――それは俗に言う『異能』というやつだ」
「伊能? 日本地図を作った人? そんな話してる場合ではないですよ」
「君は天然か? 異なる力と書いて『異能』だよ」
「なるほど……それで異能を持ってる人がこれをやったと」
とりあえず頷いたけどよくわからなかった。
再び、地平線が見えてきそうな程平らな灰色の世界を見渡す。だとしても何故こんなことになっているんだ。
「あんまり驚かなかったな……もしかして元中二病だった? それとも現役か?」
「止めてください。それにああいうのは中二病じゃなくて邪気眼ですから」
「まあ、反応はいささか薄かったけどこの世界には超能力とか魔法が存在する訳だ。それを念頭に考えて欲しい」
「念頭にって言われても……」
超能力の存在を当たり前と考えるとか無謀だろ。魔法があるって言われても俺は異世界に召喚されるようなやつじゃないし。
「質疑応答の時間をあげよう」
「太っ腹ですね……」
展開というよりも、世界観が理解できない。
とりあえず先程踏み倒された質問でもする。こんな時こそ始点に立ち返るべきだ。
「八神愛が古家セントラルセンターに入れた理由はこれでいいんですか?」
「そういうことだ。正確には空から飛んできたって感じだ」
予想の斜め三〇度上の答えだ。空飛ぶなよ。俺の幼馴染は鳥か?
「古家セントラルセンターは裏世界でも存在しているどころか、対応しているんですね……」
「良い目の付け所だ。それには色々と条件やら法則が合っているよ」
正直言えば、未だに信じきれていないけれど、愛が古家セントラルセンターの屋上へ行けるであろう方法を確かに見つけ出すことができた。
裏世界と呼ばれる俺が住んでいた世界に酷似している別の場所――愛は裏世界の住人だったのかもしれない。
だが、方法を見つけただけだ。
無意識にため息が漏れる。
「……もう沢山だ」
「ため息を吐くと幸せが逃げるって言うぜ」
「迷信ですね。逆にストレス解消になると聞きましたよ俺は」
「勿論知っていたけどさ」
「…………」
「疑ってるようじゃないか」
「そりゃ、まあ。後から言われても……人狼で後から占い師を名乗るようなものですよ」
「愉快な喩えだね。知っていたのは本当さ。大人だから」
「理由になってませんけどね」
「俺は情報屋だぜ? 他人よりも情報を知っているに決まってるじゃないか」
「自称……」
「はっはっはっ、なかなか言うじゃないか。君は愉快だな」
何でこんな会話しているんだ俺達は。ストレス解消だとかはどうでもいいことだ
頃合いを見て真倉さんが言う。
「じゃあ戻ろうか」
「…………………………あれ? どうやって来たんでしたっけ?」
いつの間に、何気なくこんなところにいたけれど、ここに来た瞬間を目撃した訳じゃない。
真倉さんが何かをしたんだろ?
「一度入れば異能持ちじゃなくても出入りできるようになるよ。つまり、君はこれから好きな時に好きなだけ裏世界に来れるということだ」
「裏世界に出入りできる……」
「戻ろうと思えばいつでも戻れるよ。こんな風に――」
真倉さんの像が薄い青くなったと思ったら、煙のように消えていった。
思えば――できるか。
気分的に目を瞑って「……戻れ」と呟く。
〈現実世界に戻りますか?〔安全〕〉
視界内に青い文字で確認文が浮かび上がった。名前の定義としてもあっちは現実世界みたいだ。
「こういうシステムなのか。まるでゲームだな……」
心の中でYesと思うと入ってきた時と同じように世界が反転して、どこかにある現像の自分と重なり合う。
「――はっ……」
改めて世界を認識すると、目の前一杯に住宅や建物が林立している。世界の色彩もいつも通りだ。
ちゃんと戻ってこれた……のか。
先に戻ってきていた真倉さんが、俺の肩に手を乗せる。
「どうだったかい、初めての裏世界は?」
「……対応したところに出るから今外にいる訳ですか」
「そういうこと。知らない人に見られたら大変なことになるね。鏡の世界から出てくる感じだよ」
「真司君のことはいいんですよ……ただ、なんとなくの輪郭は捉えました。時間かけて考えればある程度の答えは出そうです」
「そうかい」
「……質疑応答の時間ってまだ続いてますか?」
「なんだい?」
「裏世界での八神愛の関係者に会いたいんですが、情報をください」
「それは質問じゃないぜ」とポケットに手を突っ込みスマホを取り出した。「君は今いくら持ってる?」
何故そんなことを訊くのかわからなかったけれど「一万円ですけど……」と。
「じゃあ、それでいいよ。一万円で」
一万円で依頼を受けてくれるということなのか?
自分でお願いしといていいんですか、と問いたくなる格安さ。もしかして良い人?
「条件として連絡先交換しよう」
「それくらいならお安い御用ですよ」
妙ににやけていると思ったが、いつも通りなのだろう。それに財布までも黒いのもいつも通りに違いない。
財布から一万円を取り出す。
高校生から大人にお金を渡す絵はなかなか非倫理的だ。こんな往来のど真ん中でやることじゃない。
「オーケー、裏世界での八神愛の関係者を紹介しよう。だけど、その前に――」
「はい?」
「――質問、君の知っている彼女の性格はどんなだ? 答えなくていい。けど考えて置いて欲しい」
「……は、はあ」
「さあ、始めようか異能バトル編を」
「さっきからそれ言ってますが意味わかりません」
俺ができるのは無能バトルくらいだ。