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リバース・ワールド・クリエーション  作者: 冷やしヒヤシンス
五章 氷河結晶
73/89

9.龍月朧とは

 

 ◎


 ――〈スペリオル〉発動!


 全身を虹色に瞬かせ俺は混沌なる吹雪の中を駆け向ける。

 雪の暴風の中には氷柱が混じっており、油断していると顔面に突き刺さった。脳天半ばまで埋まるが左手で引き抜き、すぐに足を動かす。

 〈ガイズ・コンパス〉も使用し、サーチしながらほんの数十メートル先の朧君を捉える。

 剣先を俺に示した朧君は技を発声。


「"スノー・ドーン"」


 進行方向に水色の半透明な球体が幾つも浮かび上がり、俺に向かって飛んできた。超高速で飛来してくる物体に思わずブレーキをかける。

 が、すぐに加速し直す。自己暗示をかけて気持ちも前のめり。

 ――できるだろ俺! 避けろっ!

 右肩を後ろに引き、右頬を掠る一撃を回避する。その間も左脇腹を抉る光弾が迫っていた。

 左手を剣のように真っ直ぐに伸ばし、球体に斜めから差し込む。手の甲から痛々しいほどの燐光が舞うが軌道は逸れていく。

 次の瞬間――、右腕を砕かんと水色が噛みついてきた。


 スピードを落としてはならない。

 素数剣所有者に相手に同じ手は通用しない。だから、一発で決めなければならないのだ。

 右腕を触れる寸前でパージし、反動なしで切り向ける。ひしゃげた片腕が遥かの雪原に消えていった。

 時には飛び跳ね、時には潜るように神回避を見せる。

 アスファルトに積もる新雪を踏み潰し、朧君のほんの五メートル先まで到達した。


 〈スペリオル〉を纏えば素数剣でも〇・一秒くらいは持つはすだ。その隙に柄を掴めれば俺の勝ちだ。


「『法律簒奪ロー・デス・エル』」


 構えていた素数剣を地面に突き刺し、彼は逆の掌を俺に向けて発声した。ロー・デス・エル。そんな名前は知らない。

 突然、体の動きが鈍くなった。

 伸ばしたはずの右腕が意思とは関係なく停止する。

 虹色の燐光が薄膜に包まれた。表面が凍結され光が封印されていく。


「これはエネルギーの吸収か」

「金属体に試したのは初めてだったけど、凍結できるのは半分くらいみたいだ。『法律簒奪ロー・デス・エル』じゃ君を撃退するのは難しいかな」

「ロー・デス・エル…………」

「それが俺の本当の異能だよ。エネルギーを"吸収"するんじゃない、問答無用にエネルギーを"簒奪"する能力」


 金属の結びつきは他の物質と違って強固ではあるが、電子等が飛び回っているのは同じ。凍結される余地はある。だが、完全に一致しているという訳じゃないのが俺の異能。

 辛うじてだが動かすこともできる。

 そんな俺の思考を見透かすように朧君が言った。


「――だから、君の封印は氷壊剣で行う」

「っ!」

「死なない君を倒すにはそれしかない。形見であると同時に切り札なんだよ、これは」


 素数剣で封印されたら、脱出不可能だ。

 極僅かだが素数剣を上回る異能使いがいるらしいが、その助けを期待するのは難しい。もしかしたら希が助けに来るかもしれないがそれも数日後の話。

 朧君を止めることはできなくなる。攻撃される前に素数剣を掴むしかない。


「うッ、あああああッッッ!!!」

「やっぱり君は超えてくる。すごいやつだよ…………だから、しばらく眠っててくれ」


 振るわれる素数剣よりも早く、右腕を伸ばした。

 だが、歴然存在するその差が埋まることはない。後から出しても素数剣が負ける道理はなかった。


「"クレセント・オブ・コロープス"」


 青い太陽が昇るはずの午前五時前。

 いつの間に天頂にあった三日月は音もなく落ちてきた。弧を描く氷結が俺を飲み込み地面と一体化する。鎧と骨格が圧迫され歯車の干渉が起き、軋む。

 金属体には感覚はないので冷たさも痛さもない。

 ――冗談だろ。マイナス一億度あんのかよ。

 氷に埋まった雪男のような、現代アートみたいになっているに違いない。


 天候が変動した凍える世界の中で一人、彼はこう言い残した。


 ――これで全滅か…………思ったよりも詰まらなかったな…………



 ◎


 素数剣の一振り――、氷壊剣ヴァルナカルナのよる氷は何時間経っても溶けなかった。朧君、魔神の話を真に受けるならマイナス一億度あるかもしれないのだ。

 いや、ないけど…………あるかもしれない。

 なので、これはもしかしたら永久にこのままなんじゃないのかと思われる絶対の封印なのだ。


 身体を動かそうともびくともしない。生成で内側から膨張させてみたものの半端ない抗力に逆に潰されるくらいだ。ならばと強化のスキルの〈スペリオル〉と〈コア・メタル・アーマー〉を発動して抗ったがそれでも微動だにしない。

 万力というか億力って感じ。

 希の助けが来る補償もない。

 街を覆い尽くす氷塊の一部なので動かすこともできない。


 この絶望感は真倉さんに騙されて以来感じてなかった類いだ。

 原材料が混沌の絶望が俺の中で渦巻いている。

 憤怒が暴れ狂うが氷に阻まれ形にならない。


 ゴン――、と。

 ゴンゴン――、と。

 ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴン――、と。


 後頭部上から氷を叩いたような振動が伝わってくる。何者か知らないが俺を助けようとしているのか。

 まさか嵐隊員か?

 いや、これだけ広範囲が凍結されたら少し離れてるくらいじゃ同じく飲み込まれているだろう。では誰だ?


 しかし、魔神と創造の合作を破壊できる膂力があるのかは甚だ疑問だ。偶然現れた者が素数剣を上回っている確率は限りなくゼロだ。最早誤差。

 だが、それでも叩きつけるものは何者なのか。

 そもそも俺の知り合いに助けてくれそうな人はいないのだが。


 礼を言うにも氷から出なければならない。


 それから何時間か――。

 物事を考える気力すら失われる寸前、氷を叩く音意外を聞いた。

 ピキッ――、という音だった。

 機械の体でも首もとから這い寄る不気味な空気を感じつつ、その時を待つ。

 少しずつだが氷が砕かれていく。時間はかかっているが素数剣の一撃を削っている。驚嘆だ。


 頭だけ発掘された俺は縦横無尽の駆動を利用して首を一八度回転させる。

 目の前にいたのは真っ暗な生命体だった。

 反射的に戦闘態勢に入ってしまうが氷に阻まれ結局動けないが。


 脳裏に過った姿は悪魔アストラ・インペルと呼ばれる呪縛獣。首都ドームで開催されたコロシアムの個人戦の途中、桎梏空間に落ちた際に戦った正真正銘の化け物。

 それとまったく同じ色合い

 つまり――呪縛使い。

 否、既に悪魔と化している。その顔には真っ白な虚無で構成された真ん中丸い二つの眼と正三角形の口が付いている。


 思わず驚いたものの、俺は以前こいつに会ったことがある。


「見たことあるぞ…………ジャッカル? ジャガーノート? だっけ…………」


 素数戦線でスピッターから俺を助けてくれたやつだ。

 また、俺を助けてくれたのか?

 一体どうして、という思いは山々だが機械的に叩きつけられる拳を見ていたらそんな気も失せた。

 素数剣の氷、まともに壊すことはできないとは思っていたがまさか――拳が潰れる程殴るかよ。呪縛ならではの強度と回復スピードでも追いつけない速度で腕を削っていた。


「もういいからっ」

「グァァ…………」


 返事をした、のかと思ったが止めようとはしない。

 何だよこいつ。

 頭だけでも露出したので首をパージし、ゴロゴロと氷上を転がる。

 何だよこいつは俺か。

 今も氷塊に埋まっている体の関節も外し、一繋ぎに再構成する。一部分でも出られればこういうこともできる。蛇みたいにうねうねしたそれを回収して再び人型に変形した。


「ほら、もう大丈夫だから」

「ギギグァァァ…………」とか言いながら俺のことをじろじろと見詰めてきた。しばらく不躾な視線を巡らせた後、十分という風に踵を返す。


「ちょっと待ってくれ」


 呼び止めるものの悪魔ジャガーノートは氷漬けの市街地を飛び跳ねて離れていく。やはり意志疎通するのは難しそうた。ビルの影に溶け込むそいつに向けて叫ぶ。


「ありがとうっ! また助けてもらった!」


 首都に俺の声がこだました。言葉はひとりでに一帯に音を発するものが存在していないことを証明する。

 原子や電子の運動すら止める極低温の世界に生きられるのはジャガーノートのような悪魔か俺みたいな非人間的な何かだけ。


「もう夜か…………朧君と戦ってから何時間経ったんだ…………」


 左手にコロシアム優勝賞品の代わりの腕時計が巻かれていることを思い出し確認すると針は、九時一〇分を指していた。

 確認して何になる訳でもなかった。

 古家御苑に向けて歩きながら、改めて氷の世界を見回す。遠くに目を細めると半径二〇〇メートルは氷結現象の範囲内ということがわかる。改めて恐ろしい。

 足底をスパイクにしながら氷面を歩くものの刺さることはなく、結局滑らないように一歩一歩に神経を研ぎ澄ます。


 三〇分だろうか、古家御苑に辿り着いたのは。

 芝生は薄く霜が乗っていて朧君が来たであろうことが推測できた。今も冷気が充満していて真っ白な煙が流れてくる。

 木々の隙間からは要塞は見えなかった。見えたのは瓦礫、崩壊した要塞が瓦礫の山になっている。同じようにテントも潰れていた。


「あ、ああ…………」


 倒壊に伴って転がってきた漂白された建材が足にぶつかる。足を止めると、また別の破片に目につく。

 ――人の手。

 完全凍結され出血もしていない人の右手首が草むらに落ちていた。横切って、その先に歩を進める。


 一階層は倒壊せずに残っている部分があったので足を踏み入れた。通路の左右に面接している部屋は根こそぎなくなっているが一番奥の会議室はほぼ無傷で残っている。半分開け放たれている扉が見えていた。

 氷結で固定されているので開いた隙間を体を横にして抜ける。


「騎士長…………ナースさん…………」


 一分の一の氷像はどちらも目を見開いて驚いている表情をしていた。全身の熱エネルギーを奪われ絶対零度にされているから多分、朧君は俺と会うよりも早く来たのだ。

 体が砕かれていないのである意味仮死状態だが――これは素数剣の能力ではなく朧君の『法律簒奪ロー・デス・エル』だ。何日かすればこの冷気も中和される。

 助けることはできないだろう。


「…………俺だけかよ…………本当にッ…………」


 素数戦線でもたくさんの人が死んだ。数え切れない数が俺の知らないところで消えていった。

 だけど、救える命も確かにあった。水連ちゃん、魔神の想いも、騎士長もミミーも巨人も生き残ってくれたんだ。


「――だけど、これはないだろ…………これはないだろッ!」


 固く握った拳の行く先はなく、ただ歯を食い縛ることしかできなかった。

 最後に朧君は全滅、と言った。なら氷河結晶のアジトに四方八方から責めた討伐軍の同志も手遅れということだ。そして、きっと氷河結晶の構成員すらも氷漬けにした。


 だから、何も守れず、敗北して、残るものはなにもない――。


 冷気の突風が吹き込み瓦礫の要塞を大きく揺らした。

 ここが崩れるのも時間の問題だ。氷の粒が割れた天井からパラパラ落ちてくる。

 騎士長、ナースの女神さん。


「…………ありがとうございました。お疲れ様でした。朧君は俺が止めますから、後はゆっくり休んでください」


 二人分頭をさげ、すぐに踵を返した。もうここには居たくない。虚しさが俺の心を苛んでいくのがわかった。

 要塞を出てすぐに残る一階部分も崩れてけたたましい音が背中に叩きつけられる。


 御苑の入口付近にある木々の裏で現実世界に戻る。ダイアログの表示を確認すると、虹色の色彩が視界に差し込まれた。

 対照的な茹だるような熱気が全身を蝕んだ。

 それでも芯が暖まる気配はない。


 未だ喧騒鳴り止まない最寄り駅に着くまでには相当の汗を流したが、それは全部冷や汗というもの。視界が定まらないず、膝に力が入らない。危なげのある歩行に周りの人々が視線を向けてくる。

 早く帰りたかった。

 帰れば、ゆっくり休むことができる。その一心で電車に飛び乗る。



 ◎


 某マンションの一室――。

 時刻は午後一一時三〇分を回った。鍵を穴に通して捻ると錠が落ちて扉が開く。中は真っ暗で何も見えないが人の気配はした。

 靴は乱雑に脱ぎ捨ててリビングへ。


 ソファーに背中を預けていたのは居候一号の桔梗さん。

 珍しいことに、というか初めてだが、彼女はワインを飲んでいる。手にはワイングラスが収まっている。半ばまで注がれたそれを傾けているらしい。

 テーブルには三本のワイン、二本とも飲み終えたのか三本目を開けている。カーテンは昼間から弄ってないのか全開のままで、遠くで光を灯す高層ビルが映り込んでいる。

 そして、真っ黒なネグリジェに袖を通す桔梗さんの顔は色っぽく赤く上気していた。


「あら、ただいま海斗君」

「桔梗さん…………」


 今まで見たことないほど安らかな微笑みで挨拶をしてきた。頬が緩んでいるみたいだ。

 完全に酔っている。そう思うと、髪を耳にかける仕草も扇情的に見えてくる。衝撃的過ぎて渦巻いていた感情が遥かの彼方まで飛んで行った。


「わ、ワインなんて飲むんですね…………」


 何と言っていいかわからず、当たり障りのないことが口から出た。桔梗さんはグラスに入っていた分を一気に飲み干してから答える。


「実は初めてなのよね。こんな美味しいならもっと早くに飲みたかったわ」


 最後のビンを逆さまにしてグラスを満杯するとまた傾ける。表面張力で遊んでいるという訳ではなさそうだ。

 こんなにも欲情を煽ってくるが、今の俺にはそれに応える気力は残されていない。

「ねえ、海斗君」と不意に名前を呼ばれた。シンプルに尋ねられる。「何があったの?」

「別に普通のことです。裏世界ではよくあることですから」


 日常茶飯事で人が死ぬことなんて。俺がいないところではそんなのばかりだ。

 だから、きっといつも通りなのだ。今回は俺の周りで起きただけ。


「そんな顔はしてないわよ」

「そりゃそうですよ…………全員死んだんですからッ」


 氷河結晶も氷河結晶討伐軍も。朧君はそもそもどちらにも所属していなかったもの。俺だって死んだようなもの。

 これではただの不幸な物語じゃないか。

 悲しむ人は俺しかいない。だが、その悲哀は俺には重過ぎた。


「どうすれば良かったんですかっ…………あんなの、勝てる訳ないのに…………」


 結局のところ、どう抗おうともこのルートにしか運命は到達し得ないのだ。朧君が俺の前に立った時点で他が全滅していた。もっと早く気づいていたとしても氷壊剣に勝てなければ同じ。

 全滅が絶対の収束点だった――。


 再び、胸の奥に冷たい燻りが過る。

 また。

 また全身が震えてくるかと全身に力を込めたところで、桔梗さんはソファーから立ち上がり俺にしなだれかかってきた。女性の柔らかな感触が前面を覆う。

 物理的に暖かい。

 またしてもおぞましい感情は霧散していく。

 だから、背中に手を回しぎゅっと引き寄せる。俺と同じくらいの身長の桔梗さんを抱き締めると顔がすごく近くなる。


「あっ…………」


 俺の胸の中で桔梗さんは両手を俺の頬に添えたので、思わず息が漏らす。

 月光に照らされながら――。

 ――んっ。

 桔梗さんの唇が俺の唇に触れる。予備動作の感じられない鮮やかな手並みに反応するかとができなかった。

 息が止まる。

 桔梗さんの吐息が口元に広がり、瞬く間に体温が上昇していく。

 鼓動が加速する。息をしていないから当たり前だがそれだけじゃない。

 一〇秒経っても、離れようとはしない。

 二〇秒経ったら、名残惜しそうに。

 三〇秒も経って、ようやく離してくれる。


「はあ、はあ、はあ――…………」


 ――死ぬかと思ったわ。


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