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リバース・ワールド・クリエーション  作者: 冷やしヒヤシンス
五章 氷河結晶
67/89

3.分岐点

 

 ◎


 振り向いた先にいたのは返り血を浴びた居候だった。その手には先程踏み潰した灰色の壊れた剣が握られている。黙殺虫の首を半ばまで抉って俺に何食わぬ顔を見せた。


「……桔梗さん……」


 ――何故そんなことをしているんですか。

 訊こうとした、だが愚問。訊くまでもないことだ。殺した理由は命の危機だから殺しただけ。

 人を殺した。

 仕方なく。

 実際に死んで動かなくなって、灯は夢想に溶けた。

 二の句が継げないまま、数瞬の時が過ぎる。ぱたんと倒れた黙殺虫の首からだらだらと血液が流れだした。既に顔は青白んで固まっている。


 落ち着け、落ち着け。ここで俺が動揺してしまったら桔梗さんは落ち込んでしまうかもしれない。理由なんて訊いたら彼女はまた裏世界に――。

 だからって何と言えばいいのかわからない。いや、言葉はない。この事態に想定された日本語は存在しないかもしれない。


「……見た感じ大丈夫そうね」


 不意にかけられた言葉にびくっと体が震えたが、多分桔梗さんには気づかれていないはずだ。

 俺は――いつも通りに至って平静に返事する。大丈夫、声が震えるなんてあり得ない。


「はい、何とか……でも結構強かったですよ。妖術使いでしたから」

「君ならやってくれると思ってたわ」

「知ってたんですね」


 ――もう一人はどうしたんですか。

 訊ける訳がなかった。

 コロン、と鉄の剣が捨てられれた。異能を解除したつもりだったが破片はしばらくは残るらしい、そこで限界を迎えたのか灰鉄は粒子になって消滅する。

 血の池の中に足を突っ込んだままということに気づき、公園の出口へ向かって歩き出す。


「もう、帰りましょう」

「そうね」


 彼女は俺の隣を駆けてきた。端っこで真っ赤に染まったスカートが翻る。

 きっと綺麗なのだろう――。

 返り血を浴びて濡れても美しくて、鋭い視線に魅了されて、純粋な殺意すら愛しく思えるほどに。実際に俺は漆黒のドレスを纏った彼女にドキッとしたくらいだ。


 元殺し屋の彼女にとってあの行動は徹頭徹尾普通のことなのだろう。いつも通りの足取りが隣にあった。

 血塗れの桔梗さんは現実世界に戻る訳にもいかないので、裏世界から自宅に帰る。同じところに帰ろうとしているのに、逆方向に進んでいるようだ。


黙殺虫ナチュラル・キラーが殺虫スプレー持ってたのって……」

「手足を切り裂いて動けないようにした人の口に殺虫剤を突っ込んで……で、殺虫剤で死んだなら虫だってこと」

「ま、あんな化学物質が殺人剤にならない方がおかしいですよね」


 洗剤とか、シャンプーとかを押し込まれただけで人は死ぬかもしれない。歯磨き粉だってフッ素は歯に良くても体に悪かったりと、意外と危険なものが近くにある。何より、それに気づけないのが恐ろしい。


「俺、しばらく前に黙殺虫ナチュラル・キラーに現実世界で会ってたんですよ」

「そうなの?」

「本当、偶然なんですけどね……ドラッグストアで馬鹿みたいに殺虫剤を買ってましたよ」

「ま、そうでしょうね。自己を正当化する手段だもの」

「でもですよ、あんな殺人鬼でもルールを守って買い物をしてたんです。あんなの裏世界に持っていって掻っ払えばいいだけだったのに」

「ふうん、そんなこともあるのね」

「…………」


 あんなシーンさえ見てなければ、一思いに刺すことができたかもしれない。一般人みたいなことをしてなければ。結局のところ何があったって俺が彼を殺すことはできなかったのだろうけど。



 三〇分の徒歩の末、自宅のあるマンションに辿り着いた。エレベーターが使えないので非常階段を上る。桔梗さんは息を切らさずトントンとリノリウムに足を乗せていく。

 非常階段出入口を開けると各部屋への入口に面する通路に繋がっていた。一直線な通路のために、俺の部屋の扉に背を預ける人物の姿も同時に観測できる。


 水瀬希だ。

 相変わらずの不思議パワーで四メートルを超える金髪は腰の高さ辺りで空に浮かんでいる。今日の緑色のドレスは肩を全開に晒し、あたかもウェディングドレスにようなデザイン。凶悪な胸囲も健在である。レースのようなさらさらの布質の手袋を着けて腕を組んでいる。

 そして、美しさと冷たさを極めた双眸が俺と桔梗さんを捉えて離さない。機嫌が悪いことは一瞬で理解できてしまう。生憎なことに機嫌が良い時など見たことないが。


「希……」


 希は無言のまま俺ではなく、俺の隣に鋭い眼光を向ける。返り血を浴びているんだ、気になるのも仕方ない。

 ここで桔梗さんの方もお返しとばかりに睨み返した。精神氷結系の超低温空間ができているような気がする。

 どうしてこんなに仲が悪いんだろう。


「あ、あの……」


 割って入るのは憚られるが、隣にドンパチされても困る。苦笑いを噛み潰しながら一歩ずつ踏み込んでいく。


「部屋に入るからどいてくれない?」


 敵意ありありの金眼がこっちを向いた。

 少しばかりの付き合いがあった、これくらいは慣れたものだ。俺は怯まず希の瞳を覗く。いつ見ても宝石ような透明感のある眼、人間離れし過ぎた美しさだ。

 ふんっ、とやや顔を赤くさせながら希は俺の部屋に入っていった。入れよ、と言わんばかりの表情だった。俺の住居だよ。居候三号の称号を押し付けてやろうか。

 肩を竦めてから後ろに視線を飛ばす。


「とりあえず着替えましょう、桔梗さん」

「そうね。一旦シャワーを浴びるわ」

「はい」


 俺は裏リビングへ、桔梗さんは表の風呂場に向かって別れた。

 希は大々とソファーを占有しながら足を組んで天井を見詰めている。起こってなければ芸術品みたいに綺麗なんだけどな。


「何見てんだ?」

「い、いえ……」


 どうしてそんなに不機嫌なんですかね。反射的に敬語を使ってしまうレベルだ。もう、完全に敷かれている状態じゃないか俺。

 淵に乗せている手を退けて希の隣に腰を下ろす。手を彼女の膝の上に乗せようとしたが、逆に掴まれた。見た目通りさらさらの触感に包まれた。


「何か久し振りだな、こうやって話すの」

「ふん、気を遣ってやったんだよ」


 一体何に対しての配慮なのかわからなかったが、驚きが全身を駆け抜けた。


「…………気…………遣えるんだ…………」

「馬鹿にしてんのかっ!」


 憤慨とばかりに乗り出してくる。とても顔が近くなったので逸らして弁解に入った。


「いや、そんなつもりはない。意外だと思ってさ。そんな気にしなくても良かったんどけどな」

「……そういうやつだったなお前は」

「よくわからんが納得してくれたようで何より」


 彼女は俺のことを理解しているようだが、俺は彼女をことをまったく知らない。いや、希だけでなく桔梗さんも水連ちゃんのこともだ。

 俺は気にせずに接することができてしまうのだ。だけどこれは距離と取り方が上手いとかじゃない。


「ま、確かに最近は会えてなかったよな。色々とやることがあったからな」

「コロシアムで何かあったのか? 流石に情報網を首都圏まで伸ばすのは面倒だからしなかったけど」

「…………希には言ってもいいのかな。主なのは岩井塾生との接触かな。後は天使が封印されてた」

「岩井塾生……偽世界フェイク・ワールドの成果か」

「はい?」

「何でもない。天使というと何の奇跡だ?」

「さ、さあ…………見た感じ結界とかそんな感じに見えたけど。そう言えば素数剣に奇跡剣とかあったよな。あれと関係あんの?」

「ああ、モデルにした。擬似的な再現だけどな」


 奇跡剣――対呪縛の素数剣と水連ちゃんが言っていた。呪縛に対しての特効。炎とか氷とかシンプルな属性がある中で"奇跡"と選んだのはやはり意味があるのだろう。

 奇跡に呪縛。ならば――と、俺は思う。


「超能力、魔法、妖術、奇跡、呪縛。俺の異能はどこに分類されるんだろうな」


 どれにも当てはまらないことは薄々勘づいていた。

 超能力の代償はスタミナ。

 魔法の代償は待機中の不可視のエネルギー。

 妖術の代償は該当怪異のスタミナ。

 奇跡の代償は精神汚染。

 呪縛の代償は肉体汚染。

 俺の異能"金属再生"に代償はない。強いて言うなら再生限界がある点から超能力と言えなくもないが、それにしてもタフ過ぎる。

 そして、進化するという特徴。


 隣からううん、という唸り声が聞こえてきた。


「私が思うに、海斗のそれは新たな分類なんじゃないか?」

「新しい……」

「便宜的に"古代"と呼ぶが――」

「――何で古代なんだ?」

「錆びた歯車なんかが発掘された、なんて話は良くあるからな。超古代文明の名残とかな。で、だ。どの性質にも当てはまらない新世代の異能が古代、と言えなくもない」


 その解釈でいいなら、それで解決なのだがどうにも引っ掛かった。

 漠然とだが古代の異能を昔から知っていたような気がする。過去は脚色されるものだから確証はない。ただ、薄れた記憶の波間に景色が見える感じ。

 今までに俺のような異能形態の者はいなかった――その情報だけでも収穫と思うか。


 しているとシャワーを浴び終えた桔梗さんが裏世界のリビングにやって来た。頬が赤く上気し、生足を出したファッションに目を奪われる。ドライヤーだかで乾かした髪を手で梳く。


「お話の途中だった?」

「いえ、丁度終わったところです」

「そう、それなら良かったわ」


 言いながらソファーの前に仁王立ちする桔梗さん。

 希がソファーを占有しているので座るところがないのだ。正確には希の隣がもう一つ空いているのだが、犬猿の仲っぽい彼女らがその選択をするとは思えなかった。


「海斗、現実世界に戻ってろ」

「は、はい……」


 有無を言わせない命令。

 チラッと桔梗さんに視線を飛ばすと、僅かな頷きが返ってきたので俺は速やかに現実世界に帰還した。


 〈現実世界に戻りますか?〔干渉状態〕〉


 という青い文字が視界に浮かび上がる。了承の意思を思考すると世界が反転し、様々な色彩入り混じるいつもの世界に戻ってきた。

 あの二人が何を話すのか気になるところだが、というか修羅場ってる気がするが、俺はどんな風に振る舞おうか。


 すると――。

「うわっ!」という驚きの声が隣から聞こえてきた。俺の太腿に乗っている二つの細い足が顔の高さまで跳ね上がった。ソファーを占有していたのは希だけじゃなかったらしい。


「水連ちゃんか」

「って……裏世界から急にただいましないでください!」

「えっと、ごめんなさい」


 帰還の際にソファーがゴロゴロしていた彼女に干渉していたらしい。ガバッ、と起き上がると普通に背もたれに体重をかけた座り方をする。


「と、ともかくお帰りなさい、海斗さん」

「うん、ただいま。昼寝中だった?」

「暇潰し中でしたね。ところで桔梗のお姉さんはどうしたんですかね? 希さんとお話があるようでしたけど」

「俺が知りたいところなんだがな」

「ああ、ハブられてここに来たんですね」


 悪意のある言い方じゃない? ちょっと傷ついたよ。


「それに――」と水連ちゃんは洗面所の方を向きながら。「――あの返り血って……訊いても良い奴なんですか?」

「ま、隠している訳じゃないよ。俺って顔バレしてるから襲撃されたんだよ……黙殺虫ナチュラル・キラーだとかに」

「え!? だ、大丈夫だったことは見りゃわかりますが大丈夫ですか?」

「見てわかるんじゃないのかよ……」


 精神のことを見越して言ってるのなら大丈夫じゃない。

 俺は水連ちゃんを連れて洗面所を向かった。洗面器に入っていた真っ赤に染まった、白いはずだったスカートを手に取る。徒歩の間に乾いたのだろう、鮮血色が失われ固まっていた。


「血って洗剤に着けても落ちないよな」

「白に戻すのは不可能でしょうね、完全に染み込んでます。でも逆に全部染まってるからそれはそれで使えるかもしれませんね」

「すごいタフさだな……知らん奴の返り血スカートを使うとは……欲しいなら上げるよ?」

「冗談です、そんな気持ち悪い者早く捨ててください」

「はい…………ブラウスの方は辛うじて使えそうだけどな……」


 黒は何物にも染まらない、そんな感じで遠目に見たら違和感はない。触ったり、近くで見たらおかしいとは思うけど。

 水連ちゃんが引いた顔で俺を見てきた。冗談だよ。どっちも捨てるわ。ビニール袋に二つとも突っ込んで硬く縛った。


「海斗さん、普通に燃えるゴミ出そうとしてません?」

「じゃあ何ゴミで出すの? 血濡れの服はリサイクルできないだろ」

「裏世界で処分してください。もし警察とかその手の人達に目をつけられたら面倒ですから。居候の身としては特に」

「なるほど、ルミノール反応とかか」

「そんなの見りゃわかりますけどね」

「なら後で希に分子分解してもらうか……」

「そこは普通に燃やしてもらえばいいでしょう……ていうかさっきから微妙なボケばっかしますね、休んだ方がいいんじゃないですか?」


 ボケてるつもりはないんだが……天然ボケとでも言うつもりか。

 不調ではある。しかし、ここで何もせずにいられる自信はなかった。この変に高揚した時のような落ち着かない気持ちを抑えたい。


「水連ちゃん、今暇なんだよね? ちょっと散歩しない?」

「散歩、ですか」


 返事を訊くよりも早く立ち上がってキッチンに置いてあるエコバッグを掴んだ。コンビニとかスーパーだけでなく、本屋までも袋有料になった。不便とも思うが仕方ないことか。


「買い物ついでだよ」

「それくらいならいいですよ。遠くは嫌ですし」


 水連ちゃんも実はお尋ね者、と言ったら語弊があるが、岩井塾生なので危うい立場なのだ。首都なんかはともかく一つの地区内ならそこまでの問題はないはず。


 鍵をしっかり閉めて居候二号と出掛ける。


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