9.epilogue / 帰る場所で待つ人
◎
深夜二時を過ぎた頃、俺は現実世界における自分の部屋の扉の前にいた。希と漣水連は裏世界を通じて入っているはずだ。
俺も同じように入っても良かったが、待ってくれている彼女に言わなければならないことがあったからこうして扉の前で止まっていた。
深呼吸を一つしてから扉を引く。明かりも付けず真っ暗な部屋だが、彼女は玄関口で待っていた。
一体いつからこうしていたというのだろうか。鍵を開けていたのだから常に見張っていたのだろうか。
でも、待っている人がいた――だから、言う。
「桔梗さん、ただいま帰りました」
「帰りなさい、海斗君」
彼女はそう言って可愛らしく微笑んだ。今回は俺の方も自然に笑い返せた。居候とは言え、待っている人がいるというのはそれだけで尊いことだと思う。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも……私?」
「一生に一度は言いたい台詞ではありますよね」
「もう、ちゃんと答えてよ」
「とは言ってもすげぇ眠いんですよ」
「じゃあ私ってことね」
私とは一体何なのか。休めるのか? 睡眠の比喩だと言うのか?
重い体を引きずって自室へ向かった。雪崩れるようにベッドに倒れ込む。
眠気を抑えるのも限界だった。
「じゃあ、お休みなさい」
「う、ん……休みます……」
母親のような手つきで頭を撫でられたのが最後の感覚だった。
あれは間違いなく人生で最も苦しくて、長かった時間だった。
だけど、今では遥か過去にように思えて。
だけど、鮮明に覚えていて、忘れることはないと確信できる。
俺は間もなく夢の世界に没入した。
夢とわかる夢を見た。明晰夢だ。
魔神と創造と水連の姿がある。
それと、俺の知らない小さな少女もいる。小学生の背丈だが凛々しい表情をして、精神年齢は高そうに見えた。
彼女は漣水連の言っていた少女だろう。槐だっけ?
四人は何かを話している。
俺は近くにいるはずなのに、それは聞き取れない。読唇しようとも繋ぎ合わせることのできない言葉の羅列だった。
ただ、彼女達は楽しそうに笑っている。
彼女らの内、二人は既に死んでいる。
だから、これは夢だ。
小学生はともかく、愛は間違いなく、彼女は死んでいるのだから。
夢に干渉するなど裏世界ならともかく、現実世界ではあり得ない。ならば、これは俺の願望なのだろう。
漣水連の話を聞いて、こうであって欲しいと思った幸せな世界。まるで奇跡のような反実世界だ。
決して現実じゃない。
悲劇は嫌だからせめて心理の中では幸福であった欲しかった。現実から目を逸らしたいからこうして現れた。
だけど、こんな世界があってもいい。
三次元じゃない、五次元か、九次元か、一一次元かもわからない遥か彼方にきっとあるのだから。
だから、たまにはこういうのも――。
◎
「……うっ、っ!?」
手に乗せていたはずの顎がずれて頭が落ちて目が覚めた。
昨日の今日じゃ疲れはとれなくて昼休みに居眠りしてしまったようだ。教室で寝顔を晒すなど恥ずかしいものだが、俺のことを見るようなやつはいなかった。
真ん中の最後尾という座席から正面の黒板を見つめる。ただ目のピントを合わせるために。
そういえば、近々学期末テストが行われる。それが終わればすぐに夏休みだ。クラスメイトは何やら予定について話し合っているが俺には関係のないことだった。
「何の夢見てたんだっけ?」
目覚めたら夢のことを忘れてしまった。よくあることだ。最後の方はくっきり覚えているのだが、そこまでの過程があやふやになっている。
夢らしい儚い夢想だ。
魔神、創造に加えて漣水連――。
「問題は山積みじゃないか……」
先の戦いの後始末が残っている。まさに人の命の重さについて考えさせられているところだった。
前向きに考えるしかないのだけれど。
気持ちを切り替えつもりでネットサーフィンでも始めようとした時だった。
彼女が――糸言糸鳥が教室までやって来て、俺の席まで視線を運びなから歩いてきた。
「こんにちは、海斗先輩」
「元気そうで何より……糸鳥ちゃん……」
◎
中庭、花壇前のベンチに並んで座る。数日前にもこんなことがあった。
あの日と同じく激しい熱線が突き刺さってくるうんざりする快晴が広がっている。ひぐらしの鳴き声が全方位から聞こえて耳に刻み込まれるようだった。
静けさや岩に染み入る――、って奴。
「"極悪編隊"の方は大丈夫そうかな?」
「助けてもらいましたから。先輩の方も……って、大丈夫じゃなかったですよね」
弁当を食べながら大して気負いもせずに言葉を交わす。どちらも生きているのはわかっている。
煌光剣の所持者だった金髪少女からは逃がしたがそれからどうしたかは知らなかった。
「元々素数連合の指示に従うつもりはなかったですから交戦は一度もありませんでした。あれは運が悪かったですねえ」
「……生き残りってどれくらいいるんだろうな」
中心地に素数連合メンバーはいなかった。一緒に来た龍月朧君もあれから姿を見ていない。
全滅の可能性も少なくないだろう。
「私もあんま知りませんが雪女さんは生きてましたよ。騎士長が肩に担いでましたよ」
「そっか……早々に別れたけど何とかしたんだ」
「巨人も生きてたみたいですよ」
あのムキムキが倒されるシーンなんて想像できないが、彼も彼で死闘を繰り広げていたのだろう。聞いただけでたった三人だけ、生きているだけマシか。
「ていうか、先輩ってどうして素数連合に参加していたんですか?」
ずっと気になっていたんですよね、と糸鳥ちゃんは言った。隠している訳じゃないので訊かれたら答える。
「真倉黒也に借りがあってね、それを返したんだよ。これでチャラのはず」
「結構ズブズブなんですね。もしかして仲良い?」
「良くはないな」
「そうですかね? 先輩って適応力が半端ないから誰とでも仲良くなれそうですけどね」
そんなんじゃない。
本当にそんなやつがいるのなら、それはそいつが人間に関心がないだけだ。誰でも一緒、と思わない限りそんな態度は取れないはずだ。
「誰とでも仲良くなる訳じゃないさ」
「ふぅん。いつかその恩恵に預かりたいですよ」
「恩恵ねえ……あるのかな?」
真倉黒也にしても、水瀬希にしてもトラブルばかりを起こすような気がしてならない。人を巻き込む気にもならない馬鹿みたいに規模がデカいことばかりだ。
「ま、無事に終わったみたいですし」
「…………………………」
「まさか?」
「まさか、何だよ?」
「いや、それはわかりませんが……教えてくださいよ」
「まあ、隠してる訳じゃないからいっか」
あれは首都スカイタワー跡地に希が降臨して来た後のことだ。漣水連のことを救命して、素数剣を破壊した訳だがそこでの出来事。
『所有権の半分は愛にあるのか? 今も?』
『そうだ。だからこうして直接出向かなきゃ掌握することができなかった』
『そんでもって素数破壊剣の剣能――創造主降臨って訳か』
『だが、掌握とは言っても半径一キロ程度だけだから言うほどじゃねぇけどな』
『程度って一〇〇〇メートルですけど……あれ、そういえば何か言ってたような。助けた時に残り一三本とか何とか……』
不可解な点が浮上したので俺はカウントを始めた。彼女を助けた時にそれぞれの剣の現在状況について教えてもらったのだ。
奇跡剣。豪炎剣。煌光剣。質量剣。創造剣。死神剣。削山剣。覇王剣。龍殺剣。奴隷剣。天元剣。疾走剣。
合計一二本。
『一本足りない……?』
『数え間違えたのかもな』
希はそんなことを言っていたが彼女が――頑なに約束を守ろうとしていた彼女が数え間違えるなどあり得ないのだ。
ならば、一キロより外に素数剣が存在することになる。
なればこそ不思議だった。収集剣の剣能により素数剣が集まるようになっていた、だからこそ素数戦線は成立していた。なのに、どうして離れることができたのか?
「残り一本の素数剣……」
「それってヤバくないですか? 拮抗する手段がないじゃないですか」
「そうだけどね。まあ、それを創ったやつがいるんだから任せればいいと思う」
「危機感ないですね。先輩がそう言うならいいですけど」
危機感のなさは確かにあるのかもしれない。素数連合のことだって注意力散漫だった感は否めなかった。
警戒するに越したことはないか。
「もうすぐ夏休みだな」
「急に! さっきまでのシリアスは!?」
「何しようかな。というか課題嫌だな……面倒だな……」
「普通の高校生みたいなこと言っちゃって」
実際そうだし、君だって周りから見たらそうだろう。
だけど彼女の場合は普通の高校生じゃない。自分でも意識していないし、そうあろうとも思ってないはずだ。
でも、それは俺も同じこと――糸鳥ちゃんには俺は普通じゃないように見えているらしい。
「普通の夏休みならいいんだけどな」
「あ、極悪編隊のオフ会来ます?」
「お、オフ会? 途轍もなく似合わない言葉なんだが……」
「結構ありますよ? もしかしたら誘われるかもしれませんよ?」
「ナンパみたいなノリだな……それってリアルの話だよな?」
「そうですよ。前は焼き肉行ったりしましたし」
殺伐するばかりじゃない。
知らないことばかりだ。まるで人間。
嫌いな人とだってちゃんと話せばわかり合える、それに似ているように思う。
判断を下すとしてもよく知ってなくてはならないのだろう。
「んー、考えとくわ」
「じゃあ、伝えときますね」
昨日のことについて報告し、それからは他愛のないことを話した。そうしていたらすぐに予令よチャイムが鳴り響いたので解散する。
テストを迎えたら授業は短縮するので昼休みはない。糸鳥ちゃんと話す機会はしばらくなくなる。だからって特別な挨拶を交わす訳じゃない。
「じゃあな」
「はい」
◎
放課後になると真っ直ぐと自宅であるとあるマンションの一室に帰った。
寝坊しそうになって桔梗さんに言えてなかったことがあったので早急に伝える必要があるのだ。
「ただいま帰りました」
「おかえり」
桔梗さんはソファーに背を預けながらテレビを眺めていた。クーラーが付いているので随分と快適そうだ。
お嬢様風の綺麗な色合いのワンピースだが、こんなの持ってたか? 可愛いけど。
「桔梗さんに説明しなくちゃならないことがあるんです」
「……それって深刻なこと?」
「そんなでもないですけど」
「そう、それなら気楽に聞かせてもらうよ」
「じゃあ、まず裏世界に」
「裏世界関連?」
二人で青色の射し込む世界に移動すると、そのリビングに彼女はいた。四メートルはある金髪を浮かして、青いドレスを纏っている美少女。水瀬希だ。
背中全開のドレスに思わず目が吸い寄せられた。前衛的に攻めている、特に胸。
「……いつも思ってるけど、そのドレス……」
「何だ?」
「いや良いと思うけどさ。そういえば彼女は?」
どうやらリビングにいないようだが。
「寝室にいるぜ」
希がそう言うので裏自室へ向かう。その後ろを桔梗さんが着いてくる。
「……大丈夫ですか?」
「まあ、睨んでくるのも慣れたけど緊張はしちゃうわ」
本当に相性が悪いみたいだな。というか、希が一方的に嫌悪しているみたいだ。
部屋を覗くとベッドで上半身を起こしていた彼女がこちらを向く。漣水連は希に治療され、昨日から寝ていた。
「彼女は漣水連といいます。まあ、居候二号ですね」
「居候!」
居候も居候が増えることは驚くようだ。普通はそうだろうな。
ということで自己紹介が行われる。
「えっと居候一号、躑躅坂桔梗です、よろしく」
「あ、はいよろしくお願いします……」
「という訳で認知はしといてくれ。えっと水連ちゃん?」
水連ちゃんは顔を赤くて俺のことを見つめてきた。
「水連ちゃん……って」
「あー、名前ちゃん付けで呼ばれたくないタイプ?」
「いやいいんですけどっ」
糸鳥ちゃんもこんな反応をしていた。その時に何か言われたことを思い出す。『女の子以外にやったことあります』と訊かれた。
女子以外にはできないだろ普通。朧ちゃん、とか言えねえよ。
「それなら良かったよ」
そういう訳で裏側ではあるけれど、居候が増えた。
現実世界に戻ると桔梗さんが問い掛けてくる。
「私が言うのもなんだけど、いいの?」
「夏休みだからいいんじゃないでしょうか」
「理由になってないわよ。まあ、あなたがいいならいいんだけどね」
苦笑いしながら肩を竦めた。呆れられているようだ。そりゃそうだろうけど。
それならば信頼を取り返さなければならない。
「夏休み、暇なら出掛けません?」
「一緒ってこと?」
「そうです。何だかんだそういうはありませんでしたから」
「それってデートってことで?」
デートなのだろうか。
しかし、デートには思うところもある。最近のラブコメは異性と出掛けること全てをデート扱いしている節があるのだが俺はあまり気に入ってない。
もしかしたら作品の意図かもしれないが俺は恋人と一緒に出掛けることをデートと言いたいのだ。
しかし、ここで訂正するのって結構勇気いりますよ?
嘘は吐かない方がいいよな――。
「そ、そう思って頂いて差し支えないですよ……?」
「ふぅん、そう」
若干嬉し気な桔梗さん見て肩が下がる。
何にも埋まっていない夏休みの予定が一つ埋まった。
そういや――素数連合は真倉さんに協力要請したけど、一体誰が彼とのコネクションを持っていたんだ?




