①prologue / 少女クライシス
――青く光る月の下、住宅街の一角。
「はぁ、はぁ……」
壁に手をつきながら、一人の少女が歩いていた。
いや、とても歩いているとは言えない。
頭から血が滴り顔を赤く染め、全身に裂傷を携え、砕けた足を引きずっている。
誰がどう見たって大怪我をしていた。
彼女はただ闇雲に歩いている訳ではない。自分をこのようにした相手から逃げているのだ。
「何で私がこんな目にっ…!」と少女は空に毒づいた。
出血し過ぎたのか、膝に力が入らずその場で倒れ、うつ伏せの状態になった。さらに呼吸もままならず、視界もぼやけ始める。
「(ああ……こんなところで……)」
足音は迫っていた――。
その音源は『襲撃者』と呼ばれる青年のもの。奇襲を受けた少女は辛うじて生きて逃げているがもはや時間の問題だった。
「逃がさない」
静かに呟きながら歩を進める襲撃者。
対して少女は地面を這いずって逃げるしかなかった。
「何でっ、何でっ、何でッ!!!」
残った力で路地裏に入ったものの、それで結果が変わる訳でもない。
とにかく襲撃者の視界から外れたかった。向けられる殺意からとにかく避けたかった。
だが、そこが限界だった。これ以上手足が動かなくなったのだ。
足音が迫る――。
道路のアスファルトを踏み締める音。
「もう、逃がさない」
襲撃者はあくまでも平静に言った。人を殺めることに一切の躊躇を感じていない。ただ機械のように命を啄もうとする。
「うっ…………………………!」
恐怖に目を瞑る。
不意に、足音が一つ聞こえてきた――。
襲撃者とはまた別の軽い足音だった。
現れたのはどこからどう見ても普通の少年。手にコンビニ袋を提げているので買い物帰りと思われる。
「――最近はこういうやつ増えてんのか?」
彼は襲撃者のことを見据えると、頭を掻きながらあっけらかんと呟いた。
まったく動揺していない。
その異常性に注意が逸れた。
襲撃者は怪我で動けない少女を一旦無視して、もう一人の男に視線を向ける。勿論、殺意という名の視線。
「…………」
「そっちがやる気なら仕方ないな」
少年はコンビニ袋をその場に置いた。肩や首を回してもう一度、襲撃者を捉える。
「まぁ、でも前よりはマシか」
「……お前は何者だ?」
「それはこっちの台詞だ。いきなり『逃がさない』なんて」
どうやら少年は勘違いをしている。
少女の方が路地裏に隠れていることに気づかず自分が狙われたと思っている。路地裏で踞っている彼女からしたら好都合だった。
「(でも……彼も殺されてしまう)」
少年は襲撃者に向かって駆ける。何の作戦もないような単純な動作。
どうするものか。
襲撃者の青年は右手を宙に振り上げた。こちらも一見何をしたいのかわからない動作だった。
そのはずだったが――少年の左腕が肩口から切断される。血を吐き出しながらくるくると落下した。
だが、少年は顔色を変えずに走り続けた。溢れる血液が軌跡となって地面に塗られる。
「切断」
襲撃者は両手を交差して振った。それだけだった。
走っていた少年は首、右腕、両膝の部分で切断され持っていた運動エネルギーのままバラバラに飛んでいく。
血液だけが襲撃者に降り注ぐ。
「――これは血じゃない?」
赤い液体と思われるものはさらさらと足下まで落ちる。どうやら水分を含んでいないらしい。
こちらは後回しだ、と襲撃者が路地裏を振り返った時には既に少女はいなかった。少年と相対している隙になんとか逃げることができた。
「……逃がしたか。まあ、いい」
今晩の襲撃は不能と判断し、襲撃者もまた夜の影へと身を隠した。
やがて、金切り音が響く。
ギィィィ。
ギィィィ。
ギィィィ。
ギィィィ。
磁石が集まるようにバラバラになった体が再生し始める。時計仕掛けのようにゆっくりじっくり。
「異能の力か――」と呟いた時には少年の体に傷はなかった。それから何事もなかったようにコンビニに袋を拾って家へ帰のだった。




