⑲逃亡すら許されない
◎
「何で……あなたが――」
現実世界における吉田邸宅の書斎にいたのは館の主人である吉田浩二郎ではなく、黒いスーツの男だった。
昨日、ショッピングセンターの屋上に現れた異能使い。俺と栞ちゃんを追い詰めた暗殺稼業その人。
「何、で……こんなところにいるんだっ!」
相対しているだけで全身の神経をすり潰されそうになる。冷や汗だけで脱水症状になりそうだ。
思考じゃなく身体が拒否反応を示している。食い違って、金縛って。
だが、落ち着け。
「――ここは現実世界だ」
その事実だけでもかなり心はだいぶ軽くなる。驚異的な異能は存在しない。目の前にいるのはただの人間だ。
俺の呼吸が整ったのを見計らってか、彼はようやく口を開いた。
「昨日振りだが……色々と変わってるようだな。素人にも関わらずあの三人を出し抜くとは素晴らしい」
口振りでは評価が上がってるが、声色はどこまでも無情。何を考えているのか、もしくは考えていないのかわからない。
「君が生き残ったのもある意味運命のような――」
「――そんなことより何でここにいるんですか?」
「……君は殺されかけた相手に敬語を使うのか?」
「質問を質問で返さないでくださいよ。年上には普通使うでしょう? 敬語を使って欲しくないのなら止めますから」
「……そういうタイプか。まあいい。何でここにいるか、理由は簡単だ」
そう言って机から降りて真っ直ぐと向き合う。俺は自然と身構えてしまうが、あちらは両手をポケットに入れて面倒そうに天井を見ていた。
「ここの主人の依頼だ。侵入者を抹殺しろというな」
「な……」
何でそんなことになっているんだ。叫び出したくなった。
訳がわからなくなってきた。
主人が護衛として召喚したのは三人ではなく、四人だったということ。ただそれだけなのに、よりにもよって何故この人物なんだ。
違うだろ。真倉さん。
こんなことは予想外とでも言うつもりか? また相手がこいつで?
冗談キツいぜ。こんな絶望的な予想外があって堪るか。
「だから――」
異常な程無情に。
「君を――」
それでいて冷酷に。
「殺す」
告げられた。
正真正銘の絶望。さっきみたいなポジティブシンキングなんて雀の涙以下。
絶望以外に何もない。絶望でできた世界で、原材料は絶望、消費者は絶望、絶望主義国家が広まり、絶望を絶望させるのに勤しむ混沌。
「……………………………………………………………………………冗談だろ?」
「現実を見ろ。行こうか裏世界へ」
「吉田浩二郎は?」
「仕事さ」
「…………そうですか。大体わかりました」
俺の独り言に首を傾げる彼だったが、すぐに忘れてこちらへ向き直る。
「戦争を始める」
「……俺はそんな物騒なことはしませんよ。ただ生き残ります」
俺は手を伸ばしたらすぐに触れられる距離まで近づくと、男はポケットから手を出す。
「今のうちにあなたの名前を知りたいんですが」
「……このタイミング。お前、頭狂ってるな。俺はただの『槍操掌握』だ。それ以外に名前はない」
「そうですか。俺は八神勇気です。脳に刻み込んどいてください」
「ああ」
「じゃあ、始めましょうか」
思い切り右足を踏み込み、腰に捻りを加え、全力の拳を放つ。
瞬間に俺と槍操掌握の体が裏世界へ移行される。彼は間断なく顔面を捉えた一発をただ突っ立ったままに見ている。
そして、顎を軽く上げた――。
全身がバラバラになった――と知覚したのはまたしても、いくらかの刹那の後だった。バラバラと言っても両手足切断だが――いや四肢がもげたら徹頭徹尾バラバラだ。
「あああああぁぁぁ……!?」
「痛くはないようだな。出てるのは血……ではなく何だ?」
無数の黒い槍が一瞬で俺の両手足を貫いたのは辛うじて目の端に映ったような気がしもなくなかった。人間の初速度なんて歯牙にもかけないスピード。
芋虫のようにしか動けない俺の脇に座り込んで男は床に広がる赤い何かを凝視する。これが『槍操掌握』の本当の力。
「これはナット、ボルト、ネジか。昨日から気になっていたんだ」
赤く、その上、極めて小さなサイズの金属が身体からあたかも血液のように流れ出ていた。血ではないのだからいくら出血しても何の問題生じない。
「となると君の異能は『機械化』と言ったところか……その副次作用で再生があると考えるべきか」
次々と事象を結び付けて一つの結論に至る。矛盾があるようには思えない信憑性のある仮説だ。
しばらくくネジを弄って「磁力もあるな……」などと呟いて、握っていたナットを放り投げた。
その頃には俺の腕と足は、小さな金属塊によって再び構成されて元の形に戻りつつあった。
「面白い異能だ。他にも性能があるのか、今まで見たことのない興味深い力だ」
「そりゃ、どうも……」
「解剖したいところだがすぐに治るんじゃ意味はないか」
「惨いこと考えますね……」
彼は立ち上がって浮遊していた黒い槍の一つを掴んだ。
ここでようやく右腕一本が復活した。
「あなたは金で雇われたんですよね。あなた自身は金でしか動かない人間のことをどう思いますか」
時間稼ぎのつもりはない。ただ訊いてみたかった。
現実世界ではなく裏世界で生きていくという意味について考えていた。愛にも、彼にも理由はあるはずなのだ。
そして、わかりあえる可能性もゼロじゃないから。
槍操掌握は何の躊躇も、憂いもなく即答した。
「最低だろ」
「そうですか。俺はその答えに満足しました」
「一思いに」と言って掲げた槍を振り下ろす。マジに解剖するつもりなのか頭部一撃粉砕しようとしてきた。
先の戦闘経験から展開を感知する力が養われたと思う。
右手で受け止め軌道をずらすことに成功した。代償として右手が爆裂四散したが。
俺の行動が意外だったのかスーツの男一瞬は眼を丸くする。
「お前、躊躇なく手を出したな」
「そりゃ、こちらの台詞ですよ……」
徐々にだが回復してきて地に足つけることができるレベルに至る。骨粗鬆症のようなペラペラ骨格ではあるものの移動はできる。
「移動くらいしかできないとも言う!」
いつの間にか周囲には一〇本の黒い槍が浮遊していて、いつ攻撃されてもおかしくない状態。人間の速度じゃ絶対追い付けないスピードでの攻撃。
あの攻撃をガードするなんて栞ちゃんの異能のような意識外でも発動するようなバリア以外にあるか? それも相手よりも高度な硬度である必要がある。
「……無理だな」
「何が目的か知らんが運が悪かっ――」
〈現実世界に戻りますか?〔安全〕〉
「ログアウト」
現実世界――。
無人の書斎。急いで内側から鍵を開けて部屋を出ていく。
この際、住居侵入なんて考えてる余裕はない。いくら転んでもいいという勢いで一階リビングまで駆け降りた。
汗が背中を伝ったのかドロッと気持ち悪い感触がする。
邸宅の玄関口には黒服の護衛がいるので現実世界からは出ることができない。危険ではあるもののここだけは裏世界経由。
天地逆転の体感。同時に周囲を警戒したが、槍操掌握はまだ来ていないようだった。
妙に静かなのが裏寒いけれど、チャンスはここしかない。窓も鍵を開けてから開いて外へ出た。
木々に沿ってゆっくりと歩いて行くと――ふと、風の薙ぐ音を耳が聞いた。得も謂われぬ強い衝動に駆られて目の前の草むらに飛び込んだ。
ザンッ、と。
同時に、さっきまで自分がいたところに黒い槍四本が突き刺さっていた。音もなく降り注いでいた。
「…………おいおい」
どこかから見られている。
だが、避けることはできた。この広い空間なら前もって気づける可能性は高い。
裏世界には基本的に風は吹かないから巻き起こればそこが発生源。ただし一〇本あるので多様されたら判断も外れるかもしれない。
〈『コア・メタル・アーマー』〉発動。
さっきの三人組にも突破されたこの鎧が通用するとは思わないがないよりはマシという気休めに。
「あれ? あいつらは?」
違和感があると思ったら登場人物が足りてない。あの三人組から追撃があってもおかしくないのに。
邸宅の方を見てみるがやはり人影はない。
「一体どういうことだ?」
四人に狙われたらもはやどうすることもできず、敗北は確定なのだが三人組はどこにもいなかった。書斎に入れてしまったから帰ったのだろうか。
「ま、実際は全然嬉しくない状態が続いてるんだがな」
この硬質化状態なら土でも掘ったり、壁を破壊して出てもいいと思ったが、思っただけで実行はしない。
あまりにも時間がかかるので親を心配させてしまう。
けれど、それじゃあどうすることもできない。
辛うじて草むらに隠れることで事なきを得たが、動いたらすぐさま槍が飛んでくるはずだ。
「伸びる槍が可愛く見えるぜ……」
こう独り言を言ってても何も起こらないから音ではなく、目視で捕捉されていると推測できる。俺は突然喋るヤバいやつではない、ちゃんと確かてる。
一撃の威力が高過ぎるが故に、ダメージ覚悟でなんとかできない以上、知略と戦略を持って対処するしかない。
「――って、余裕もないのかよ」
スーツの男が直々にリビングまでやって来ていた。ここから相手を見ることができるのなら、逆も言える。
それなら、結局同じだ。敵が見つけるのと俺が見つかるのと――。
たった今作戦は思いついた。
致命的な状況を打開する作戦はすべからく致命的。
自分で考えといて、よく考えついたと言いたくなるような絵空事。本当に死ぬ覚悟をしなければならない。
選択肢はない――金槌を取り出して、逆サイドの釘抜きをメインとして使う。俺は腕を振り上げて――。
「……………………………………………………!」
それから、生きたまま死に地獄を見た。
一段落の後、草むらから立ち上がり、邸宅内に向かって歩を進める。
「……自分から出てくるとは、余程の自信があるのか?」
不意に現れたはずなのに前もって知っていたかのような態度を取る槍操掌握。
「自信なんてありませんよ。だけど確信はありました」
「何の?」
「あなたが、俺がここに現れても即座に攻撃しないということをです」
「…………」
皮肉を込めた台詞。男の俺への視線が俄然鋭くなった。
顔に感情が出ないだけで、色々思ってるタイプなんだろうな。だから、今、冷静な振りをして怒りを堪えているかもしれない。
付け入る隙はそこしかない。
そして、隙さえあれば逃げられる。
「どうしたんですか? 急に押し黙って」
「……戦闘に関しては素人だが頭が良ければ、勘もいいらしいな」
「別に大したことじゃないですよ。あなたが馬鹿なだけでしょう」
「…………」
イラついたからって異能を行使する訳ではない。変に理性的だからこその反応。
このような精神攻撃をすればなんとか隙を作ることができそうだ。
「どうやらあなたはクールを気取ってるようですが結構直情タイプですね。他人を協調するように見せかけて、唯我独尊といった。裏世界で協調も何もないでしょうけど」
「挑発のつもりか?」
「別に違いますけど……あなたはなんというか現実世界で言うところの意識高い系でうざがられる感じですね」
「…………」
「そんなやつだから裏世界に来たんですね」
「……勝手に語ってくれるな」
スーツの男の声に少し変化が見られた。
呆れた態度ではなく、怒れた態度だ。少しずつだな挑発に乗っている。
だが、こっちは既にマグマのように苛立っているんだよ。何もかもが上手くいかずストレスで禿げそうなくらいにな。
「もう、終わらせよう――こんなことしてる場合じゃないんだ、時間はもうないっ、何も信じられないっ、こんなのはもう御免なんだよ」
「所詮ガキか」
「こっちはとっくにぶち切れてるんですよ!」
全身の神経という神経が逆立って完全集中に至る。知覚という知覚を知覚している。
研ぎ澄ませ。軌道を読め。そして、殴れ。
一呼吸の後、一本踏み出す。リズムに乗って加速していく。ほんの数秒で射程に到達できる距離。
「馬鹿正直に突っ込むとは……結局は運が良かっただけのガキか」
彼の人差し指が俺の額を向いた。起点を俺として四方八方から黒い槍が飛び出してくる。
背中から胸を貫かれた。
脊髄を粉砕して腹を抉られた。
鎖骨辺りから入って肩甲骨を出ていった。
肋骨を砕いて関節を切られた。
肘も大部分持っていかれたため皮一枚で浮いていた。
地面に刺さった槍にめり込むように固定され足を止めざる負えなくなる。
槍操掌握は動かなくなった俺に寄ってきた。
「どれくらいバラバラになったら死ぬんだろうな」
「がふっ……さぁ?」
変なところに穴が空いているから喋ろうとしてもどこかから漏れ出た。
死に際なのに冷静なのがお気に召さなかったのか初めて平静を崩す。
「気に食わない、お前の人を見下す態度には心底殺意が沸くんだよッ」
槍を生成して握ると「お前は徹底的に殺す」と言って、有らん限りの力で俺の脳天を貫いた。
脳漿を撒き散った。
そこからは圧倒的力量差による蹂躙だった。甦生スピードよりも早く槍を繰り出された。
ミキサーに突っ込まれたように細分化され徐々に人間の形を失っていく。
俺は、それを俯瞰してどこかから見ていた――が、突然意識が遠くへ持っていかれそうになった。
身体の崩壊と共にその衝動は強くなる。
真っ黒で真っ暗な空間に一人、意識が削られて消えていく。
「いい加減もうくたばれよッ!!!」
辛うじて残っていた結城海斗という肉体は一〇を超える槍を一斉にくらって完全に失われた。
そして甦生と魂はここを離れる。
残っていた赤いネジ、ナット、ボルトも煙のように消えていった――。




