2-1 東の玖浄、西の轟天
夏の陽に照らされ、煌めく翠の葉が生い茂る山道を黒塗りのSUVが走っていた。
ハンドルを握るのはハクロウの長官、武蔵辰磨だ。
車が一台通れるほどの幅しかない道は、最低限の整備がほどこされているのみで、時折車体が激しく揺れる。
――もう少し訪ねやすい場所に住んでいて欲しいものなのだがな。
僅かに口元を緩ませた辰磨は内心で溜息をつく。
彼が目指しているのはとある老人が住まう屋敷だ。
老人の名は、柳世宗厳。
先日、玖浄院で行われた決勝戦に出場した綱源雷牙の師匠であり、彼の母、綱源光凛の師匠でもある。
辰磨もまだ若かった頃から親交があったが、最近はめっきり連絡することもなかった。
ではなぜ今回宗厳のもとを訪ねることにしたのか。
理由の一つとしては、彼が稽古をつけていた雷牙のことを聞きたかったからだ。
龍子との決勝戦を観戦した際、辰磨は少しだけ雷牙に違和感を覚えた。
同年代と比べれば彼は十分強い。
なによりあのバケモノ染みた霊力は、ハクロウに所属している刀狩者の中にもいないだろう。
が、だからこそ解せない。
雷牙の強さは、あくまで同年代で見た強さだ。
宗厳の手にかかれば光凛並とは言わないまでも、彼女に迫るところまで育てることは可能だ。
たとえ彼女ほど育っておらず、龍子と闘って負けることはあってもあそこまで一方的な試合展開にはならなかっただろう。
なおかつ、あの霊力だ。
上手くすれば属性覚醒にまで導くこともできたはずだ。
ようするに今の雷牙の強さは中途半端なのだ。
「……まぁ聞いてみれば分かる話か」
気がかりなことは他にもあるが、全ては彼に問うてみればいいだけの話。
辰磨は視線の先に大きな門を捉え、辰磨は口角を上げた。
「お待ちしてました。武蔵長官」
車を降りた辰磨を迎えたのは、宗厳の世話役兼秘書でもある安生美冬。
「ああ。久しいな、安生」
「ええ。最後に会ったのは十年以上前だったでしょうか?」
顔を上げた美冬に辰磨は頷いた。
最後にここに来たのは、まだ光凛が存命だったころだ。
その当時はまだ彼女も十代の幼さが残っていた。
いまではすっかり大人の女性と言った感じだ。
「そうだ、土産を持ってきた。好きな時に食べてくれ」
「ありがたくいただきます。ではこちらへどうぞ」
美冬に促され彼女の後についていく。
門を潜るとまず眼に飛び込んできたのは、豪奢ながらも下品さのない純和風建築の屋敷だ。
そのまま玄関をあがり、廊下を歩いていく。
内装も以前訪ねたときからさほど変わってはいないが、所々にクレヨンで描いた落書きのようなものが点在している。
「これは……」
「あぁそれは、雷ちゃ……雷牙くんが小さかったころにやったイタズラです。消すことも可能ですけど、大切な思い出なので消していないんです」
「なるほど。彼は赤ん坊の頃からここにいたんだったな。君からすれば息子も同然か?」
「そうですね。光凛さんには少し悪い気もしますが……」
美冬は僅かに顔を伏せている。
だが、光凛と雷牙の過ごした時間の短さを考えれば、そういう反応も頷ける。
彼女が雷牙と過ごした時間など、一年も無かったはずだ。
同時に、彼女を失った影響はハクロウ全体に及んだ。
優れた刀狩者であった彼女は、多くの刀狩者から尊敬の念を向けられていた。
今の部隊長も彼女に憧れていた者や共に仕事をした者が多く務めている。
京極剣星もまたそのうちの一人だ。
「ここです」
ふと前を行く美冬が立ち止まった。
どうやら哀愁に浸っているうちに宗厳の待つ部屋に到着したようだ。
彼女はそのまま障子を開くと、中にいる人物に声をかける。
「武蔵長官をお連れしました」
「ああ、わかった。入れ、辰磨」
懐かしい声に年甲斐もなく辰磨は緊張するのを感じたが、すぐにそれを落ち着けて室内に入る。
畳が敷かれた室内は綺麗に片付けられており、塵一つ落ちていない。
そして部屋の中央に置かれた座卓の向こう側には、白く長い髭をたくわえた老人、柳世宗厳の姿があった。
彼の姿を捉えると同時に、辰磨は腰を折る。
「お久しぶりです。柳世さん」
「おう。本当に久しいのう。……しかしまぁ、年を取ったなぁ、小僧」
クッと口角を上げた宗厳に言われ、辰磨は苦笑しながら答える。
「まぁ私ももう五十を過ぎているので。あと小僧はやめてください」
「クハハ、その程度儂にとっては小僧も同然よ。まぁとりあえずは座れ、長い道中疲れただろう」
「では、失礼します」
言われるまま辰磨は座布団に座る。
「お茶を淹れて来ますが、コーヒーの方がよろしいですか?」
「いや、お茶で構わない。それと先ほど渡した土産もここで出してくれていい」
「わかりました。ではごゆっくり」
美冬は障子を閉めるとそのまま台所へ向かった。
彼女の足音がなくなったところで、宗厳が小さく息をついてから鋭い眼光を辰磨に向ける。
「儂に聞きたいことがあって来たのだろう?」
「はい。貴方の弟子、綱源雷牙についてです」
「ほう……」
宗厳は頷くものの、その様子からして大方の予想はついていたようだ。
「先日玖浄院では五神戦刀祭の選抜メンバーを決めるトーナメントが行われ、決勝戦では私の娘と彼が戦いました。私もその日は時間があったため、実際に玖浄院で観戦をしていました」
「なるほど。それで雷牙に疑問を抱いたと?」
「ええ。彼の強さは十代では強い部類に入るものでした。そしてあの底知れない霊力と瞬時の治療が可能な治癒術は素晴しいものであると想います。しかし、貴方ほどの剣豪に鍛えられていたというには、いささか不可解な点が多かった」
「クハハ、儂を剣豪と呼ぶか。臆病者と呼ばれるこの儂を」
宗厳は肩を竦めて笑った。
確かに、彼は世間的には臆病者などと呼ばれているが、それはあくまで若い連中のみで、彼の強さを知る者は誰一人として彼を臆病者とは呼ばない。
しかし、今はその話がしたいわけではない。
「茶化すのはやめていただきたい。綱源雷牙は現状、中途半端な状態です。貴方がそれを知らないなんてことはないはず」
「……なるほど。確かにお前ならば気付くのも当然か。いいだろう、話してやる。しかし、こちらにも少なからず事情がある。全ては話せんぞ」
「構いません」
辰磨は眼光を強めると、宗厳を見据える。
彼はそれに小さく笑みを浮かべると、溜息をついてから告げる。
「雷牙にはしっかりと稽古をつけていた。まぁ殆どは実戦形式のものだったがな」
「貴方には流派というものがありませんからね。それは頷けます」
「ああ。ではなぜ雷牙が中途半端なままであるのか、その理由はあやつの霊力があまりにも大きすぎたということかのう」
「どういう意味です?」
「辰磨よ。お前は体が成熟していない子供が大量の霊力を有していた場合、どうなるかわかるか?」
「……まさか」
辰磨は逡巡するとなにかに気付いたような素振りを見せる。
「赤ん坊から幼児だったときの雷牙はまだあそこまでの霊力を有しておらんかった。しかし、六つか七つの時だったか、爆発的に霊脈が成長し、内在霊力が爆発的に増えおってな。修行中に突然倒れ、しばらくの間生死の間を彷徨ったことがある」
「……」
辰磨は反応こそしなかったが、そのような事例があることは知っている。
霊力は人間の力にはなるが、それがあまりにも大きすぎると、毒にもなる。
赤ん坊の頃に大量の霊力を有してしまった結果、命を落とした子供もいるという。
「その他にも原因はあったがな」
「他の原因?」
「宗厳さんが考えたハードスケジュールの鍛錬ですよ」
辰磨が振り返ると呆れと不満が混じった表情の美冬が立っていた。
彼女は緑茶のグラスと辰磨が買って来た土産の羊羹を二人の前においてから、ジト目で宗厳を睨みつけた。
「雷牙くんが剣を持つようになったのは五歳の頃で、すでに霊力は普通の子供よりも大きい程度でした。しかし、その二年後、七歳の頃、今この人が言ったように霊脈が急成長して、幼い体にその反動が来たんです」
「しかし、気付けるものではないのか?」
「本来ならばな。しかし、雷牙は違った。あれはあやつの天性の才能とでもいうのかのう。通常の人間では不可能なレベルでの肉体活動を、霊力を使用することで可能にさせてしまうという能力が雷牙自身はもちろん、儂と美冬すら異変に気付くことを遅らせる原因となった」
「とは言ってもあの当時の宗厳さんには驕りもあったと思いますけどね。光凛さんの息子なのだからこれくらいできるだろうとか普通にやってましたし。私はあれほどやめてくださいと言ったのに」
いまだにジト目で宗厳を見据える美冬に、彼は「お前も同じようなもんじゃろうが」と溜息をつく。
「ということは、それが原因で修業が遅れたということですか?」
「それもあるな。当然、症状が回復してからも元のメニューをやらせるわけにはいかんでな。新たに鍛錬メニューを組みなおした。結果、光凛と同じレベルの強さを与えてやるには至らなかったというわけじゃ」
「なるほど、確かにそれならばあの強さと治癒術にも納得がいきます。現在はもう大丈夫なのですか?」
「ああ。今は出力を抑えている状態じゃからの」
「そうですか……ん? 出力を抑えている?」
辰磨は自分の耳がおかしくなったのかと顔を上げて宗厳を見やる。
彼の表情には冗談を言っているような軽薄さはなく、美冬にもこれといった変化はない。
しかし、先程の言葉がどうしても信じられないのか、辰磨は一応聞いてみる。
「冗談でしょう? あれで抑えているなんて」
「いや、本当だが? 雷牙が今自身の最大出力だと思っているのは、全体的に見ても六十パーセントから七十パーセント前後と言ったとこかの」
「あれだけの霊力で、まだそれだけ……!?」
辰磨の硬い表情が驚愕に染まる。
彼自身、あれほどの霊力保持者を見たことがなかったのだが、まさかあれが最大ではなかったとは。
動揺して渇いた喉を潤すために出されたお茶を飲む。
「霊力だけでみれば、雷牙は世界一かもしれんのう。あぁいや、そうでもないか……」
宗厳がなにかを言っているものの、辰磨は雷牙の持つ霊力の多さに愕然としていた。
あの綱源光凛の子供なのだから、何かしら優れた才があるとは考えていたが、まさかそこまで大きな霊力を有していたとは。
「本人はこの事実に気付いているのですか?」
「いや。封はいずれ外れるようになっておる。来たるべき日がくればそのうち外れるじゃろう。一応言っておくが、下手な手出しなどはするなよ」
宗厳の鋭い眼光が辰磨を捉える。
本気の眼だ。
こちらから手を出せば、確実になにかをしかけて来る。そんな眼をしていた。
「……わかっていますよ。私としても貴方とは争いたくはないので」
「そうか。ならばいいが、先に念を押しておこう。雷牙の属性覚醒に関しては話す気は現状はない。話すべきではないと言った方が正確か」
「わかりました。では、別のことを聞かせていただきます」
本来ならば属性覚醒に関しても問いただしたいところだったが、この様子からして脅したとしても話すことはないだろう。
というか、脅したら逆に脅し返されそうだが。
辰磨は雷牙のことを一度頭の隅に追いやると、宗厳の瞳を見ながら問う。
「柳世さん。貴方は今、何を追っているのですか?」
「……ほう」
宗厳は辰磨の問いの意味を理解したのか、意味ありげな笑みを見せるのだった。




