エピローグ 悔しさを闘志に変えて
任命式も終了した夜、雷牙の姿は寮の屋上にあった。
剣帯には兼定を携えている。
深く呼吸した雷牙は、そのまま柄に手をかけて一気に振り抜いた。
空気を切り裂く鋭い剣閃を続けて二度、三度と重ねていく。
「フッ!!」
静かな気合いの声と共に放たれた最後の一閃を放ったところで、再び深く呼吸しながら兼定を鞘に戻す。
少しだけ夜空を見上げた雷牙は、僅かに口角を上げた。
「出て来いよ。瑞季」
すると、屋上の入り口の影から、どこか申し訳なさそうにした瑞季が顔をだした。
彼女はおずおずと出てくると、雷牙の少し後ろに立つ。
「えっと、いつから気付いていた?」
「屋上に上がってきたあたりからな。山育ちなもんで、割と気配には敏感だって言ったろ?」
「こちらとしても気配を殺していたつもりだったんだがな」
「ハハハ、会長クラスならわからなかったかもな。んで、なんか用か?」
振り返った雷牙は、肩を竦めながら瑞季に問う。
「あぁいや、特に明確な用があったわけではなくてな。ただ偶々君が屋上に上がっていくのが見えたから、どうしたのかと思っただけだ」
「そっか。俺も大した理由があって来たわけじゃない。ただ、昼間のこと思い出すとちょっと悔しくってよ」
「決勝戦のことか」
「……ああ」
雷牙は自身の手に視線を落とす。
戦い自体は楽しかったし、いい経験にもなった。
だが、悔しくないかといわれればそうではない。
負けたことは当然悔しい。
そして自分の予想が浅はかだったこともどこか腹立たしくもある。
「鬼獣や斬鬼が倒せるだけじゃダメなんだ。俺が目指してそして越えようとしている人に追いつくには、まだ足りない」
脳裏に浮かぶのは母の後ろ姿。
近くにあるように見えてもまだ遠い彼女の背中。
「今回のことで痛感したよ。俺は、弱い」
夜空を見上げる雷牙の目尻には光るものがあった。
保健室で一度踏ん切りをつけたはずだが、やはりこみ上げてくるものはある。
顔を瑞季に見られないために、空を見上げる雷牙は、ふと彼女が自身の隣にやってきたのを視界の端で捉える。
表情まではわからないが、彼女は凛とした声音で告げた。
「だったら、強くなるしか他に無いだろう」
「……」
「憧れに追いつき追い越すために強くなる、強敵を倒すために強くなる、たくさんの人を守るために強くなる……。自身が弱いと感じたのなら、強くなるしかない」
「強く、なる」
「雷牙。君は今日自分がまだ会長たちのいる場所に立つことができないと痛感して、己の弱さを知った。それは強くなるための第一歩だと私は思うよ。己の弱さを知ることが、強くなるためには必要だ。だから、涙を拭け」
「な、泣いてねーし!」
雷牙はすぐさま目元を拭って反論するものの、瑞季は微笑を浮かべている。
その微笑みに雷牙は頬を赤くさる。
少しの沈黙が流れるものの、やがて雷牙の方が軽く咳払いをしてから彼女に告げた。
「……ありがとな、瑞季」
「感謝されるようなことはしていないよ。友人が迷っているのなら助けるのは当然だ。さてと、じゃあ私はそろそろ戻るよ。君も早く休んだ方が良いぞ」
「ああ」
短く返事をした雷牙は屋上から去っていく瑞季を見送ると、再び夜空を見上げる。
『強くなるしかない』。
酷く単純で誰にでもわかりきっている言葉だが、今の雷牙の心には突き刺さる言葉だった。
五神戦刀祭出場が確実になったことも含めて、少しだけナイーブになっていたのかもしれない。
だが、瑞季に言われたことでもう迷うことはなくなった。
これから先、彼が己の弱さで悩むことはないだろう。
「……俺はもう、二度と負けねぇ」
静かな誓いの中には強い闘志と、決意の念が込められていた。
「雷ちゃん。学内のトーナメントで負けたみたいですよ」
お猪口に日本酒を注ぎながら言ったのは、雷牙の育ての親である安生美冬だ。
彼女の前には、長い髭を蓄えた老人、柳世宗厳がいる。
彼は注がれた酒を持つと、小さく笑みを浮べた。
「試合ならば負けたほうがいい。この儂の弟子とはいえ、まだ未熟なところも多い」
「けど、少し元気なさそうでしたよ。宗厳さんからも連絡してあげたらどうなんですか?」
「儂が言って助言をくれてやることは簡単じゃ。しかし、それでは外にやった意味がないではないか。友人や歳の近い者同士の中で成長していくことが、あやつには必要なんじゃよ」
「そういうものですか……。あぁそうだ、ついさっきハクロウの長官から連絡がありましたよ」
「辰磨の小僧から?」
「はい。お話したいことがあるから、近々お伺いしてもよろしいですかって」
「あの小僧から連絡とは珍しいのう。まぁよい、好きに来いと伝えておいてくれ」
「わかりました。……ところで、また行くんですか?」
美冬が言うと、酒を煽っていた宗厳が静かにお猪口を置いた。
彼の眼光は鋭く、まるで見えない何かを射抜いているかのようだ。
「ああ。辰磨と会った後、また出発する予定じゃ」
「無理はしないでください。貴方が死ぬと雷ちゃんが悲しみます」
「お前は悲しんでくれんのか?」
「……多少は、悲しみます」
「ハハハ、実にお前らしいのう。なに、まだ死んでやるつもりはないわ。来月には雷牙の活躍も控えておるからの」
宗厳は快活に笑うと、酒を注ごうと徳利に手を伸ばす。
しかし、その手は虚しく空を掴むだけだった。
見ると美冬が徳利を確保し、冷淡な視線を向けている。
「お酒はほどほどに」
「あぁ!? 待て!! せめて最後の一口!!」
「ダメです」
美冬は非常に優しい笑みを浮かべてから徳利を下げていく。
残された宗厳は「まったく……」とぶつくさいいながら大きく溜息をつくと、仏壇に視線を向けた。
そこには満面の笑顔を浮べる光凛の遺影がある。
「光凛よ。お前の息子は様々なことを学び、そして悩むだろう。だがあの子は絶対に強くなる。いずれお前を越える刀狩者になるだろう」
宗厳は静かな声音で、今は亡き愛弟子に語りかける。
口角を上げた宗厳は、空に広がる満天の星を見やった。
薄暗い室内には黒い円卓が置かれており、十二の席がある。
そのうちの一つの席に座る人物が声を上げる。
「そういえば聞いた? アレクシスが捕まった話」
「あぁ、調子こいて阻害装置持ってたけど、捕まった馬鹿女ね。いいんじゃない? どうせ雑魚だし。大した戦力低下にもならないでしょ」
「ガハハハハ! 弱っちぃヤツにまでかまけてやる暇はねぇわなぁ!」
「……うるっせ。少しは黙れねぇのかよ」
「ですが仲間が減るのは悲しいことです……」
顔まではわからないが、男性と女性がいるということは声だけで判断できる。
話題は少し前にハクロウに捕縛されたアレクシスの話題だが、一名を除いて心配しているような素振りは見えない。
「おい。テメェら、そろそろボスが来るんだから、少しは行儀よくしたりできねぇのかよ」
「別にいいんじゃない? あの人はそういうのあんまり気にしないし」
「確かに。こっちは寝てるし」
十二席のうち、十一席はうまっているものの、決して行儀がよく待っているというわけではない。
空いている一つは煌びやかな意匠がなされた特別な椅子だ。
すると、室内に重厚な音を響かせながら扉が開く。
同時に座っていた人影が一気に立ち上がり、入ってきた人物を迎える。
その人物は、特殊な意匠がなされた椅子に深く腰を下ろすと、立ち上がっている者達へ向けて静かに告げる。
「……座れ」
低い声音からして男性であることはわかったが、その表情まで見ることはできない。
立っていた者は皆一様に席につく。
「さて、お前達に集まってもらったのは他でもない。そろそろ狩りをはじめようと思ってな」
狩り。
その言葉を聞いた瞬間、その場にいた全員の瞳が妖しく光る。
「いよいよですか」
「楽しみだなぁ。ボス、何人殺しても良いんだろう?」
「好きにしろ。俺たちがやることは唯一つ。あの狼共に絶望を与えてやることだ」
ボスと呼ばれた男性の口元が不敵に歪む。
鮫の様に鋭い歯がギラリと光る。
腰に巻かれている剣帯には、真紅の柄をもつ刀が下がっている。
一見すると人間のようにも見えるが、唯一違う点があった。
僅かな光に照らされる頭部には、普通の人間ではありえないものがある。
それは角だ。
一対のねじれた角が男性の頭部から生えていた。
ただ、片方の角は、鋭利な刃物で断ち切られたのか、中ほどからなくなっている。
「我らが力を示す時が来た。俺が与えた力を存分に発揮しろ。クロガネの力を見せてやれ」
どこか喜悦交じりの声を漏らした異形の男は、十一人の配下を見やる。
闇の中で黒き力は胎動する。
光を貪るその時を待ちながら。
少年少女達の物語は動き出す。
しかし、その足元には確実に暗い影が迫ってきていた。
まるで彼らの未来を閉ざすかのように。




