3-2
「二人とも動かねぇな……」
瑞季と龍子がその場から一歩も動かずにいることに、玲汰がゴクリと生唾を飲み込みながら呟いた。
試合開始のブザーが鳴ってから既に数分。
二人はそれぞれの得物を抜いてはいるものの、その場からまったく動いていない。
「恐らくは、それぞれが出方を伺っているか、間合いを図っているのだと思います」
答えたのはレオノアだった。
「二人の間で時折見えるスパーク現象は、それぞれの霊力がぶつかっているためです。恐らくは今はせめぎ合いとでもいうのでしょうか。私達には見えませんが、二人はイメージの中で何度も剣戟を交わしているはずです」
「なるほど。レオノア的に見て、瑞季に勝算はある?」
口元に指を当てた舞衣が問うものの、レオノアは難しい表情を浮かべる。
「正直、難しいかもしれません。確かに瑞季さんの剣技は凄まじいです。それだけで言うなら生徒会長に匹敵、もしくは超えているかもしれません。ですが、問題なのは属性の方です」
「氷か……」
「それも要因の一つです。でも、属性の相性だけではなく、生徒会長の方が属性に関しては上なんです。瑞季さんの覚醒は入学の少し前で、会長の覚醒は半年以上前。属性操作に関しては会長に軍配が上がるでしょう。しかも、会長は元々水の属性です。その弱点も熟知しているはず。たとえ剣技が上回っていたとしても、経験の差がありすぎます」
レオノアの懸念は最もだ。
確かに瑞季は強い。
それこそ学生の枠組みではなく、プロと比べても遜色ないほどに。
だが、たとえ強くとも、技術と経験はまだ龍子が上回っている。
同じ七英枝族で、幼い頃から修業を積んでいる二人であったとしても、両者の経験の差というものはそう簡単に埋められない。
「やっぱりみーちゃんでも難しいかぁ……」
「玖浄院の生徒会長の名前は伊達ではないということだな」
陽那と樹も落胆した様子を見せる。
しかし、レオノアは「ですが」と続けた。
「たとえ属性操作に差があったとしても、瑞季さんはそれで勝負を放棄する人ではないでしょう。感情論になるかもしれませんが、最後に勝利を掴むのは、意思の強い人です」
「……そう、だよね。うん、どんなに会長が強くても、瑞季ならやるわよ!」
バトルフィールドに立つ瑞季の表情は、毅然としていて、怯えや油断はない。
僅かに見える刀身には、薄く水が張り始めている。
龍子の方を見ると、同じように刀身が薄い氷で凍てついている。
同時に、肌を焼くようなピリピリとした感覚が一層強くなりはじめた。
「そろそろ始まりますよ。次に霊力のスパークが起きた時に、どちらかが確実に動きます」
直感的にレオノアは悟る。
そして彼女の言ったとおり、二人の間で一際大きな霊力の衝突が起こり紫電が散った。
瞬間、動いたのは瑞季だった。
瑞季は姿勢を低くし、前傾のまま距離をつめる。
霊力を足に回し、一気に駆ければそれこそ一瞬で間合いに入ることができる距離だ。
龍子との戦いにおいても警戒すべきなのは、氷もそうだが、あの長刀にもある。
あの間合いは非常に危険だ。
しかも龍子はあれだけの長さがある長刀を、まるで普通の鬼哭刀を扱うかのように振るう。
アレだけの長さがあるのなら、鬼哭刀自体の重さも通常の物よりもある。
なおかつ、振るえば遠心力で身体が少なからず持っていかれるだろうに、彼女はそれすら意に介さない。
だが、勿論デメリットもある。
力が乗り切った切先は危険視すべきだが、距離を詰めてしまえば対処は難しくない。
「……問題なのは、そう簡単に詰め寄らせてくれるか、だが」
駆ける瑞季に答えるように、龍子が一度地面を足で踏み込む。
同時に瑞季の足元までが一気に凍りついた。
瞬時にその場で小さく跳躍すると、足先を掠めるようにして氷が駆け抜けていった。
それを目で追うこともせず、瑞季は視線の先にいる相手を睨む。
「そりゃあこんな鬼哭刀使ってたら距離詰めるよね」
笑みを浮かべる龍子は、長刀を構えている。
「けど、避けるのなら跳ぶんじゃなくてステップで避けた方がよかったんじゃない?」
彼女の言いたいことはなんとなくわかっている。
小さく跳躍したとはいえ、未だに瑞季の身体は空中にある。
着地までには数秒もかからないが、その一瞬さえあれば龍子には十分だろう。
瑞季の視界の先で、氷に覆われた刃が振るわれる。
切先は腹部を捉えており、決まれば確実に重傷は免れない。
身体を捻ったとしても回避はできない。
氷の刃は一切の容赦なく振りぬかれ、瑞季の腹部を切り付ける。
だが、氷刃は空を斬った。
舞ったのは鮮血ではなく、透明な水。
瑞季の姿は先程までいた場所には無く、バトルフィールドの中空まで飛び上がっていた。
「へぇ……」
観客の誰もがあっけに取られている中、龍子だけは関心したように笑っている。
『こ、これは一体……!? あの一瞬で何が起きたのでしょうか、痣櫛選手はどうやってあそこまで飛び上がって……!』
実況が混乱するのも無理はない。
確かに瑞季の姿は刃が届くギリギリまであの場にあったはず。なにをやっても避けられるはずがなかった。
すると、空中にいる瑞季に向け、氷塊が連続して放たれた。
今度こそ回避は間に合わないと観客の誰もが思ったが、彼らが見たのは、空中で全ての氷塊を華麗に回避する瑞季の姿だった。
そして皆は理解する。
どうやって瑞季が龍子の攻撃を回避したのか。
瑞季の足裏、そして掌からは水が高圧に凝縮された水が噴射されていたのだ。
『水の噴射で回避を……!』
そう。
瑞季が行った回避運動は、足裏、掌などからの高圧の水のジェット噴射だ。
だが、一言に水の噴射と言っても簡単なものではなく、僅かに姿勢制御を誤れば身体が変な方向に吹っ飛ぶこと、さらには関節や骨にまで異常が及ぶ可能性すらある危険な技である。
「いやいやお見事。そこまで操作できるようになってたとはね」
フィールドに着地した瑞季に対し、龍子は賞賛の声を送ってきた。
だが、瑞季はどこま不満げな表情だ。
「できればこんなもの使いたくなかったんですけどね。正直完璧とはいえませんし、未完成にもほどがある。緊急回避じゃなければこんなもの使いませんよ」
「それでもあの一瞬で決断して実行するのはすごいと思うよ」
「いえ、勝負を急ぎすぎたが故の判断ミスです。なので、今からはより落ち着いて試合を進めたいと思います」
ギン、と龍子を睨むと、虎鉄の刀身に水が発生し、刃の周りを水流が覆う。
「それじゃあ、今度はこっちから行こうかな、っと!!」
瑞季の準備を待っていたかのように、龍子が駆け出す。
周囲には鋭利な氷柱が並び、いつでも撃ち出すことができるようになっている。
それは瑞季も同じであり、彼女の周囲には水球が浮かんでいる。
瑞季も駆け出すと、顔面を狙うように氷柱が飛来した。
だが、刺さるよりも早く、水球から撃ち出された高圧水流が氷柱を断ち切った。
次々に飛来する氷柱を水流で切断しながら、距離を詰めていくと、氷柱の射出に混じって鬼哭刀の刃が飛来した。
アレだけは水では防ぐことが出来ないと判断し、瑞季は水を纏う虎鉄でそれを受け止める。
散ったのは火花ではなく、水流と氷の欠片。
遠心力と霊力で強化された斬撃に一瞬吹き飛ばされそうになるものの、踏ん張ってそれを耐える。
そのまま大きく息をついた瑞季は、右足を震脚をするように叩きつける。
瞬間、地面から水流が龍子目掛けて勢いよく吹き上がった。
荒々しく白んだ水は龍子の身体を飲み込むものの、直前で完全に凍結し、砕け散った。
瑞季はまだ止まらない。
受け止めていた刀を僅かにずらして弾くと、短く息をつく。
「――痣櫛流殺鬼術三之刃――『黒百合』――」
低い姿勢から水流を伴いながら放った剣閃は、龍子の首を捉えていた。
しかし、それすらも龍子には届かず、首に触れる直前で水流は氷の柱となり、砕け散った。
「残念」
不敵な笑みを浮かべる龍子は既に構えに入っており、いつでも斬撃を放てる態勢に入っていた。
ふと彼女の動きが止まる。
龍子の長刀に水流がまきつき、動きを止めていた。
水はそのまま龍子の足、腕へとまきつき完全に拘束する。
「あらら」
少しだけ困惑した様子の龍子の頭上に巨大な影が現れる。
竜子が顔を上げると、鼻先ギリギリまで近づいた螺旋回転する水柱が迫っていた。
地面からの水の噴射も、黒百合も全てはこれを隠すためのものである。
「フッ!」
虎鉄を振り下ろす動きと共に水柱が龍子の身体を飲み込み、轟音がアリーナに響く。
あれだけの大質量の水に飲み込まれれば、龍子といえど無事ではすまないだろうと誰もが思ったが、瑞季はまだ止まらない。
既に刀を納めていた瑞季は息をついた。
「――痣櫛流殺鬼術五之刃――『曼珠沙華』――!!」
痣櫛流の中でも純粋な抜刀術の一つ。
目にも止まらぬ速さで放たれる抜刀は、対する鬼の巨腕ですらいとも簡単に断ち切る。
瑞季の場合、鞘の中を水で満たすことで、摩擦と言う抵抗をなくした高速の抜刀。
龍子を飲み込んだ水流へ向けて放たれたそれは、水を斬るほどのものだった。
しかし、水柱に飛び込んだところで瑞季の動きが止まった。
すぐさま脳が危険信号を発し、そのまま後方へ飛び退いた時だ。
まるで滝つぼのようになっていた水柱の動きが止まったかと思うと、次の瞬間全てが凍てついた。
氷はそのまま自重に耐え切れず、亀裂が入った後崩れ去る。
岩が落ちるような重々しい音を立てながら落下する氷塊の雨の中に、悠然と佇む人影を瑞季は確認した。
無傷。
水柱が着弾した場所は大きく抉れているというのに、彼女の肌には傷一つついていない。
そればかりか、服が殆ど濡れていない。
やはり、一筋縄ではいかない。
あれだけ攻めたというのに、有効打は皆無だった。
「いやー、流石に動きを封じられた時は焦ったよ。そして抜刀術、スピードもパワーも申し分なかった。結構あぶなかったかも。というかこっちから行くとか言ったわりにカウンター喰らって大分恥ずかしいねこれ」
あっけらかんとした様子の彼女は、長刀をトントンと肩に当てている。
なにが危なかっただ。
顔色一つ変えずに攻撃を防いだくせに、よく言ってくれる。
溜息をつく瑞季であるが、表情はどこか楽しげだ。
『あ、痣櫛選手凄まじい猛攻でした!! 次々にくり出される技、水流、どれをとってもととても一年生とは思えません! そしてそれらを喰らっておいてなお、悠然と立ち続ける生徒会長も凄まじいの一言です! さっきの水流、どうやって防いだのでしょうか!? 正直、実況の身でなかったらただただ見ていたいだけです! というか、口を挟む余裕がないんですが!!』
実況が戸惑いと驚きの混じった声を上げている。
会場内もどよめいており、観客席のあちらこちらから驚きや畏怖とも取れる声が上がっている。
「さすがに瑞季さんやるね。よぉし、そしたら、もう一度仕切りなおしで言わせて貰おうかな」
龍子が瞳を閉じた。
瞬間、瑞季は龍子の纏う剣気が変化したことに気がつき構えをとる。
龍子は刀を突き出すような霞の構えを取っている。
同時に、閉じた瞳が開かれ、冷徹な眼光が瑞季を捉える。
彼女は告げる。
「今度は……こっちが攻める番……」
龍子から完全に笑みが消えた。




