2-6
ハクロウ本部、長官室は暗幕が引かれていた。
窓際にある黒檀のデスクの上には、青白い光を放つ三分割されたホロディスプレイが投影され、その前には眉間に皺を寄せた辰磨がやや腰を折った状態で立っていた。
『して、首尾はどうかね? 武蔵くん』
響いたのは、機械のような抑揚の無い男性の声。
「はっ。学生連隊に関しては、各育成校の生徒会及び一部教師に通達してあります。昨晩、最後に残った玖浄院からも連隊のメンバーを選出したとの報告があがりました」
『なるほど。しかし、玖浄院が最後というのは珍しい。君の娘が生徒会長ではなかったかな?』
「はい。急ぐようにとは伝えてありましたが、今年の玖浄院はなにかと問題が起こりまして、戦刀祭の選抜メンバーもようやく決まり始めたところであります」
『あぁ、そうだったな。七英枝族の大城家の子供が斬鬼へ堕ちたのだったか。それと大事にはなっていないが、ヴィクトリア・ファルシオンの娘の誘拐事件も起きていたな』
『確かにそれならば無理もない、か。となると、今年の戦刀祭、荒れるやもしれんな』
男性の声とは別に、女性の声が入る。
こちらもなにかフィルターを挟んだかのような声で、あまり抑揚がない。
しかし、どこか面白げに言っている雰囲気もある。
『今年の各校は粒揃いだと聞いた。うれしい限りだな、次代の刀狩者は優秀な者ばかりのようだ』
「そのようで。……では、先日報告した件についてなのですが、よろしいでしょうか?」
『構わん。話せ、武蔵』
再び別の声。
同じように加工はされているが、今度は非常に低い男性の声だ。
辰磨は小さく頷くと、端末を操作する。
「先日捕縛したクロガネ構成員のうち二人は、現在玖浄院の特別拘置施設にて拘束しており、来週からは裁判が行われます」
『裁判など行わなくとも、そのまま八獄送りで構わないだろうに。甘いことをやっているなぁ、武蔵くん』
「……たとえ犯罪者といえど人です。相応の権利はあるべきかと」
『ちゃかすのはよさないか。彼もうまくやっている。愚かな者達ではあるが、人として扱わなければならんだろうさ』
「ありがとうございます。では続きまして、これは未確定の情報なのですが、今朝早く、旧奥多摩市において鬼獣らしきものが発見されたとの報告がありました。被害者は新都の大学生グループ。男女二人を除いた全員が行方不明とのことです」
『ほう、鬼獣か……部隊は送ったのか?』
「現在観測課が旧奥多摩の霊力観測を行っておりますが……」
辰磨は少しだけ言いよどむ。
嫌な予感がしたのだ。
ホロディスプレイ越しに存在するこの連中は、人の考えというものを理解しない。
悪人ではないが、善人でもない。
常人では恐らく理解できないこの連中は時として辰磨を酷く困惑させる。
だから、この嫌な予感も恐らく的中する。
『いいタイミングだ。玖浄院の学生連隊を出動させろ』
『良い提案だな。私もそれに同意しよう』
『私もだ。せっかく発足したのだから使わない手はあるまい』
「お待ちください。学生連隊はまだ試験運用すらおこなっていません。今の状態で運用すれば、学生に影響が出るばかりか、戦刀祭の開催が危うい可能性があります。今一度お考えを」
普段厳格な雰囲気を纏う彼が、すこしだけ焦った様子を見せた。
さすがの辰磨も発足して間もない学生をいきなり鬼獣がいる可能性のある場所へ送り込むことはしたくないのだろう。
しかもその連隊の中には娘がいる。
アレに限って負けるなどということは無いと思うが、この大事な時期に怪我などをさせるわけには行かない。
『わかっていないな、武蔵よ』
『ああ、まったくだ』
『いいかね、武蔵くん。試験運用など不要なのだよ』
やはり、返ってきたのは辰磨とはまったく違う考え。
辰磨は下唇を僅かに噛んでから彼らに問い直す。
「……それは、どういうことでしょうか?」
『言葉どおりだ。そもそも試験運用など必要がない。我々の時代は、それこそ生きるか死ぬかの瀬戸際だった。そんな状態で試験運用などという悠長なことはいってられん』
『そのとおり。我等からすれば技術の発達した今なら斬鬼の対処など容易くなっている。むしろこれを試験運用とすればいいではないか』
『若い獅子達には良い経験になるだろうさ。仮にも五神戦刀祭の選抜メンバーなのだから、鬼獣程度に遅れを取ることはないはずだ。……それとも君は、自分の娘を信じていないと?』
「そういうことは、ありませんが……」
硬く拳を握り締める。
決して龍子が負けるとか、死ぬとかそういうことを思っているのではない。
ただ、この時期に無理をさせて出動させるべきではないのだ。
学生にとって五神戦刀祭は自らの実力を見せつけ、更なる成長への足がかりへとする絶好の舞台だ。
だから、それが控えた今、あえて危険な場所へ送り込む必要はないはず。
部隊は送っていないが、鬼獣程度ならすぐに対処が出来る。
これ以上被害が出る前に鬼獣を叩く方がよいと思うのだが、彼らにはその考えが通用しないらしい。
『鬼獣は性質上住処から大きく離れることはしない。旧奥多摩は近くに町があるが、そこまで行くこともないだろう』
「しかし――!」
『くどいぞ。我等の決定に歯向かうのか、ハクロウ長官武蔵辰磨』
機械のような声ではあったが、明らかに怒気というか、語気を強めた声に辰磨ですら押し黙ってしまう。
そうだ。感情的になってはいけない。
ここで彼らに歯向かい、不況を買いでもすればそれこそ危険が多くなってしまう。
彼らの好きにさせないためには、自分が耐えなければならない。
辰磨は半歩下がると、ふかぶかと腰を折った。
「身勝手な物言い、大変申し訳ありませんでした。少々感情的になってしまったようです」
『……まぁいい。だが、連隊の運用の方針は変えん。今言ったとおり、玖浄院の連隊を使って鬼獣を討伐しろ。吉報を待っている』
低い声はそのまま通信を切ったようで、微かな電子音の後に彼の画面が消えた。
『では、我等もそろそろ失礼しよう。がんばりたまえ、武蔵くん』
『これからも、立場を理解した行動をとるように』
続くように二人が通信を切り、ディスプレイが消えると暗幕が自動的に開き、眩い光が長官室を照らす。
一人残された辰磨は、硬く拳を握り締めると、窓ガラスに激しく打ち付けた。
強化されたガラスは、割れることすらなかったが、窓全体が激しく揺らぐ。
「……老い耄れ共が。いつまでも過去に生きおって……!」
明確な怒気。
辰磨の瞳は、全てをわかりきったようなあの連中に向けた怒りの炎が宿っていた。
窓ガラスから手を離し、深呼吸をすると、懐からタバコを取り出して紫煙を燻らせる。
彼らの物言いは気に入らないが、ここは従うほか方法がない。
別に今の地位が惜しくて従うわけではない。
彼らを野放しにするわけにはいかないのだ。
彼らの思想は非常に危険だ。
それこそ、世界全体を巻き込むほどに危険な思想を、誰かが止めなければならない。
現状、それができるのは辰磨しかいない。
娘にまかせるわけにはいかない。むしろ、娘はこの役職につかせたくないくらいだ。
古い思想に凝り固まった彼らは、これからも無理難題を告げてくるだろう。
「……ボケ老人どもめ」
灰皿にタバコをグシグシと押し付けた辰磨は、玖浄院の生徒会長であり、自身の娘である武蔵龍子に通信をとった。
「…………わかりました。では、そのように進めます。いえ、大丈夫ですから。はい、失礼します」
誰もいない生徒会室にて、龍子は辰磨から突然発せられた命令を承諾した。
命令の内容は、大雑把に言えばこうだ。
旧奥多摩市にて鬼獣が発見されたので、玖浄院の学生連隊でそれを発見、討伐せよというものだ。
明確な期日は問わないと言っていたが、声音からして近日中には終えて欲しそうだった。
時折、辰磨はあんな声を漏らすことがある。
声自体に大きな変化は無いのだが、なにかすごく申し訳なさそうな色があるのだ。
ハクロウの長官としての立場から、色々とあるのかもしれないが、実の父のあのような声を聞くと心配にはなる。
だから、できればこの命令は早急に終わりにしたいのだが……。
「どうするかな……」
背もたれに寄りかかりながら龍子は口元に指を当てた。
鬼獣の討伐ということだが、明日は準決勝が控えている。
現時刻から考えても、今から行って討伐というのは現実的ではない。
やはり動けるのは、明後日になる。
斬鬼から離れた鬼獣は、野生の動物と同じで自身が決めた縄張りから大きく動くことはしない。
だが、問題なのは、鬼獣が人の味を覚えてしまっている場合だ。
野生のヒグマが人の味を覚え、執拗に人を襲うようになるのと同じように、鬼獣も一度人を食うとその味を覚えてしまう。
その場合、縄張りを少し離れることになっても、鬼獣は喰らいに行く可能性がある。
辰磨の話では、大学生グループ数名が餌食になった可能性が高いという。
一度にその数を喰ったとは考えにくく、味を覚えたてならばまだ町にまで下りていく可能性は低いはずだ。
それに、野生動物と同じで喰いかけの獲物を残していることも考えられる。
助けに行くべきだという考えもよぎったが、恐らく最初に襲われた時点で殺されているはず。
「今から行ったとしても変わらないよね」
内心で犠牲者に謝罪しつつ、龍子は意を決する。
討伐に向かうのは明後日の早朝。
出動できる人員は怪我が全快しているもののみ。
夕刻まで発見できなければ、即時退避後、ハクロウの部隊へ連絡する。
これが龍子が決めた鬼獣討伐のプランだ。
「とりあえず、皆には連絡しておかないとな」
内容は伏せ、緊急で話があるとして、本日午後六時に生徒会室に集まるように学生連隊のメンバーへメールを送信する。
雷牙は、修練場で霊力を鬼哭刀に集束させて放つ修業を行っていた。
多少は形になってきたようで、最初のころよりも随分と地面についた傷痕が深くなっている。
しかし、雷牙は納得していないようで、眉間に皺を寄せて難しい表情をしている。
「こんなんじゃだめだ……! 辻先輩の防御を破るなら、もっと鋭くしねぇと……!」
早朝から行っているためか、顔には大きな汗が浮かび、息遣いも僅かに荒い。
言ってしまえば、今の雷牙の霊力の放出は、広範囲すぎるのだ。
威力はあってもそれが一点に集中しておらず、周囲へ飛び散ってしまっている。
これでは、直柾の風の防御は破れない。
防御を超えてダメージを与えるのなら、もっと鋭利に、そして範囲を絞らなければならない。
「アレやってみるか……」
なにか策があるのか、雷牙は記録映像を見るため端末を開くと、龍子からメールが来ていたことに気がつく。
「会長から?」
疑問符を浮かべつつメールを開くと、緊急任務という題だった。
内容は短く『本日午後六時生徒会室へ集合』だけだ。
どうやら、学生連隊としての最初の任務が始まるらしい。
雷牙は口元を緩ませると、鬼哭刀を握る手の力を強める。
「上等……!」
笑みを浮かべた雷牙の鬼哭刀には霊力が集束しはじめ、淡い青い光を宿していた。




