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新都東京の中心部から離れること約八十キロメートル。
かつては奥多摩市という名前だった東京都の郊外。
現在は都市部への人口の一極集中が進み、崩れかけた橋や廃屋は、自然に支配されかかっている。
ひび割れたアスファルトからは、木の根が見え、ボコボコと波打っている始末。
住まうのは野生の動物ばかりとなったこの地区に、普段、人影はない。
しかし、忘れ去られた地区というのは、人の好奇心をくすぐるもので、時折ガラの悪い若者達が物珍しさに引かれて遊び半分でやってくる。
そして今日もまた数名の若者のグループが肝試しと称してやってきていた。
「おぉーすっげぇ! 同じ新都でもこんなところまだ残ってるんだなぁ」
「うわ!? あの家やば、絶対やばいの出るって! 悪霊的なサムシングが出るって!」
「ばっか、霊なんかいるかよ。いたとしても動物だろ?」
大学生くらいの男女グループは、闇夜をライトで照らしながら物珍しげに周囲を見回していた。
都市部育ちの彼らからすれば、周囲を鬱葱とした森に囲まれたこの状況自体が新鮮なのだろう。
「で、噂って本当なのかよ」
「いや本当かどうかはしらねぇけど、ネットのホラー掲示板には色々書いてあったぜ」
「確かこの先にある橋に女の幽霊が出るんだっけ?」
「だ、だから霊なんかいるわけねぇって。見間違いかなんかだろ」
「……さっきから随分否定するけど、本当はびびってるんでしょ」
「はぁ!? び、ビビッてねーよ! 俺はそういうの信じてねぇの! なんなら俺一人で行ってみてきてやるよ!!」
ちゃかされた青年はライトを引っ手繰ると、一人でズンズンと進んでいく。
「呪われるなら一人だけにしてくれよー!」
「怖くなったら叫んで良いからねー」
「うっせぇ!!」
よほどちゃかされたことが気に入らないのか、彼は苛立ちながら暗闇を進む。
「……ったく、あいつ等。俺は怖くなんかねぇって言ってんのによ……」
などと言って入るものの、彼の手は小刻みに震えている。
実際のところはかなりビビッている。
今日だって本来ならついて来るつもりは無かったのだが、しつこくさそわれ、彼が根負けする形で来てしまったのだ。
「……大丈夫、大丈夫。おばけなんているわけねぇ。迷信だ迷信、いぃッ!!??」
自分に言い聞かせながら歩くものの、近くの茂みが揺れ、変な声を上げてしまう。
ライトでそちらを照らすと茂みががさがさと揺れていたが、現れたのは小さな狸だった。
「なんだよ、たぬきか……。いやいや、霊なら茂みなんて揺れるわけねぇ。変に気ぃ張りすぎか」
どこかに消えていく子狸を見送りつつ、青年は一度呼吸を整えて目的地の橋へ向かう。
虫の鳴き声を聞きながら歩くこと数分。
蔦に覆われた橋の欄干が見えてきた。
酷くさび付いているが、元々は赤い橋だったようだ。
真っ暗闇に浮かぶ赤い橋というのは不気味で近寄りがたいオーラを放っている。
ここに来る途中、車の中で聞いた話では、この橋には自殺者の霊が頻繁に目撃され、女性の霊を見た場合、橋の下へ引きずりこまれ落とされるとのことだった。
だが、本当にその話が本当なら、投稿者はどうやって検証したのだろうか。
明らかに矛盾のある話に、青年は首をかしげたものの、実際見てみるとかなり気味が悪い。
「ってか、橋の強度とか大丈夫なのか? 手入れなんてされてねぇだろ……」
ぶつくさいいながらも、橋へ足をかける。
まぁ元々は車も通っていた橋なので、人一人が乗ったところで折れるとも思えないが。
「おーい! 今から橋の上歩くからなー!!」
一応言ってみるものの、返事はなかった。
聞こえない声ではなかったはずだが、なにか話し込んでて反応がなかっただけだろうか。
まぁいいかと、目の前の橋へ進む。
とりあえず橋を渡ってはみるが、特にこれと言ってなにか起きたわけでもない。
霊的なものも見えなかったし、声も聞こえていない。
「やっぱりただのデマだな」
肩を竦ませ、一度欄干の傍から下を覗き込んでみる。
オオォォォ……という風が吹き抜ける妙に不気味な音が聞こえ、一瞬身体が震えたものの、やはり何もない。
そのままもと来た道を戻っていくものの、途中で彼の足が速まった。
「あれ……?」
疑問符を浮かべるのも無理はない。
最初皆で来た時の位置に誰もいなかったのだ。
あるのは、ライトがつきっぱなしになっている車と、懐中電灯だけだ。
「おーい! お前等からかうのも大概にしろよー!」
全員で口裏を合わせてこちらをからかっていると思い、声をあげるものの、返答はない。
周囲を懐中電灯で照らしてみるものの、やはり人影は無い。
が、車の影にライトを当てたとき、一緒に来ていた女子の姿があった。
「ははーん……」
探しに行って車の後ろに来たところで驚かそうという魂胆かと、青年は笑みを浮かべ、ゆっくりとそちらに歩み寄っていく。
「そこにいるのはわかってんだよ……ッ!?」
意気揚々とライトで照らすものの、彼は声を詰らせる。
車の影にいたのは、確かに一緒に来た女子だった。
しかし、彼女は膝を抱え込み、歯をガチガチと鳴らしながら恐怖で表情を引き攣らせていた。
露出した肌には、血のようなものがついており、ただ事ではなさそうだ。
「お、おい! どうした!?」
肩を揺さぶってみるものの、彼女からの反応はなく、目を見開いて口元を震わせている。
「いったい、なにが……」
彼女の様子に驚きつつも、周囲を見回す。
だが、彼女が恐怖におののくようなものはない。
誰もいないのも気にはなったが、とりあえず今は車に乗せるべきだと、震える彼女を車へ押し込む。
その間も一言もしゃべらず、ただ恐怖におののいているだけだった。
オオオオオォォォオオォォォン――――!
遠くから何かの咆哮のようなものが聞こえた。
熊ではない。
それよりももっと大きな動物のような気がする。
咆哮に気を取られていると、肩を思い切りつかまれる。
あわててそちらを見ると、恐怖に顔をゆがめた彼女が息を荒くして告げてきた。
「は、早くここから逃げないと……! アイツ、アイツが来るから……!!」
「なんだよアイツって……。もしかしてさっきの声のやつか?」
「そう……! アイツが、皆を……!!」
彼女は声を詰らせ、両手で顔を覆う。
声の主がどんな存在なのはかはわからないが、彼女の様子からして、やはり他の面子が何かしらの事件に巻き込まれた可能性は高い。
「とにかく、来てくれるかはわからねぇけど警察に……!」
端末から警察に連絡を取ろうとするものの、再び先程の咆哮が聞こえた。
だが、今回はさっきよりも近い。
ぞくりと全身に鳥肌が立つようなおぞましい咆哮だ。
「早く、車……逃げなきゃ……!!」
懇願するようにすがってくる彼女に、青年は一度頷くと運転席に座ってエンジンをかける。
消えた友人達のことは気になっているが、今はこの場から立ち去らなければ危険だ。
出来るだけ手早く車を反転させると、そのままアクセルを踏み込んで一目散に来た道を戻っていく。
後部座席では身体を震わせている彼女が、手を組んで必死に祈っている。
が、バックミラーで彼女の様子を確認した直後、青年は見てしまった。
後方の闇の中に浮かぶ二つの赤い光を。
「なん、だ……あれ……」
息を詰まらせながらも、スピードは緩めない。
直感的に判断した。
アレは危険なものだ。
普通の人間が相対することができるものではない。
それこそ、斬鬼のような、災害級のなにかだ。
小さくなっていく獲物を赤い双眸はずっと見つめていた。
追いつけないわけではない。
しとめようと思えば簡単にしとめられるし、壊すこともたやすい。
しかし、今日は既に腹が満ちている。
普段口にしている獲物と比べればかなり美味だった。
とはいえこれ以上狩りをする必要もない。
ならば、追う必要も無いだろう。
惜しくはあるが、あの獲物の気配はいくつも感じている。
そのうちに狩りに行けばいいだろう。
低く唸った狩人は、赤い瞳を揺らめかせると、去って行く獲物から視線をそらす。
雲が切れ、月明かりが狩人の姿を照らし出す。
顔つきは巨大な狼と言ったところか。
赤黒い体毛で全身を覆われ、口は大きく、長く鋭い牙には、なにかの肉片や血が残っている。
足は通常の狼よりも一対多く、六足あり、それぞれの爪は鋭利な刃物のように鋭い。
硬そうな体毛の下からでもわかるほどに隆起した筋肉は、人を殺害するのには十分すぎるだろう。
狩人は一度深く息を吸い込むと、大きく吼えた。
その咆哮は、獲物たちへの威嚇か。
それとも、自身の領域に立ち入った者達への警告か。
巨躯の狼は地面を揺らしながら闇夜へと姿を消した。
「あんだよ……今日もいねぇのか……」
雷牙は寮のベランダで端末を持った手をだらりと垂らしながら溜息をついた。
ついさっきまで、準決勝に上がったことや近況報告をするために、育ての親である美冬と連絡を取っていたのだ。
彼女は『おめでとう、この後もがんばって』と祝福と応援をくれた。
その際、師匠、柳世宗厳が在宅か確認を取ったのだが、彼は今日も留守らしい。
というか、ここ最近ずっと留守だそうだ。
なにやら重大な用事があるらしいが、美冬にも詳しい内容は話していないようで、彼女もどこへ行ったまでかは把握していないようだった。
「ったく、少しは弟子の成長に興味持ってくれねーかなぁ」
はぁ、と溜息をついた雷牙は、端末を充電器に立て掛けると、ベッドに横になる。
試合を終え、生徒会長率いる学生連隊のメンバーとなった。
あの場では緊張感が勝ってしまってあまり感情を表に出すことが出来なかったが、正直に言うとかなりうれしかった。
自身の力を誰かに認めてもらえるというのは、やはり気持ちが良い。
同時に、生徒会が率いる組織に入ることができたことで、光凛に近づけた気がしたのだ。
母も学生の頃は強さが抜きん出ていたため、玖浄院の生徒会に所属していたらしい。
「……そうだ。もしかすると過去の記録とかに母さんのことが書いてあるかもしんねぇ」
生徒会室には、資料が多く詰め込まれていた。
中には過去の生徒会に関する記録のようなものがあるはずだ。
生徒会に所属したわけではないが、その生徒会が率いている組織のメンバーになれたのだから、そのくらいのわがままは聞いてくれるだろう。
「まぁ、別に無理でもいいけど。あったら見てみてぇな」
一応、トーナメントが終わったらレオノアの母であるヴィクトリアに、光凛のことを聞く予定ではあるが、一度自分の目で確かめてみるのもいいだろう。
とりあえず近いうちにアルバムでも見せてもらおうと考えていると、部屋の扉がノックされた。
「へいへいっと……」
扉を開けると、部屋着姿の瑞季がいた。
思わずそれに視線を奪われてしまう。
いつもよりも少しだけ砕けた服装に、邪魔にならないように纏められた髪もあまり見られなくて新鮮である。
「どうした?」
「え? あぁいやなんでも、お前こそどうしたんだ? なんか用か」
「なんか用って……夕食の時に後で部屋に行くと行っただろう。例の話をするために」
「あ、あー……そういやそうだったな。でも、それなんだ?」
そういえばそんな約束をしていたことを思い出した雷牙が指差す先にあったのは、瑞季が持っている紙袋だ。
「お茶と軽い茶菓子だ。なにもせずに話し合うのもつまらないからな。良い茶葉が送られてきたからちょうど良いと思ったんだよ」
「なーる。なら、入れよ。……一応聞くけど誰にも見られてないよな?」
廊下を見回すと、それなりに遅い時間ということもあってか、人影はない。
一年の首席と次席が密会していたなどという噂が広まるのは勘弁願いたい。
「大丈夫だ。それよりも入るぞ」
「お、おう。まぁつまらないところですがどうぞ」
部屋に女子を招き入れる。というか、同年代の友人を招き入れること自体がはじめてなので、思わずかしこまってしまった。
それがおかしかったのか、瑞季は微笑を浮かべていた。
部屋に入ると、瑞季はテキパキとお茶の準備を進め、雷牙はテーブルと椅子を向かい合うように並べた。
急須から湯のみに注がれた緑茶は匂いだけでもなんとなくいいところのものを使っているのがわかった。
学食で無料で飲めるものとはかなり値段に差があるに違いない。
「さてと、お茶も入ったことだし、はじめようか。学生連隊のことと、明後日の試合について」




