4-10
雷牙が自室に戻ってきたのはお昼過ぎだった。
どこかやつれた風貌でふらつきながらベッドに倒れこむ。
「……酷い目にあった……」
雷牙はついさっきまで晶による精密検査を受け、愛美からはキツイお説教を受けた。
まぁお説教はまだよかった。
自分がやったことはかなり危険なことであるし、一歩間違えれば死んでいた。
それを考えれば、彼女が怒ったのも普通の反応だ。
むしろビンタ一発と一時間前後の説教で済んだのだから大甘なくらいだ。
問題だったのは精密検査である。
あの淫行保健医ときたら、人の体を舐めまわすように見回した挙句、パンツ一枚にひん剥いていろんなところを触診と称して触ってきた。
無論、あんな美女にそんなことをされれば、思春期真っ盛り体が反応しないわけもなく……。
「……だめだ、思い出すことすら恐ろしい」
大きなため息をついた雷牙は精密検査の内容を記憶の彼方に追いやることにした。
なんとか記憶の奥底に封印に成功し、雷牙が起き上がろうと体に力を入れた時。
ぎゅるるるるるるごるるるるるどるるるるる。
凄まじい腹の虫が鳴いた。
いや虫というより獣か。
そういえば今朝はレオノアのことを心配していつもより食べていなかった。
なおかつあれだけの戦闘、大量の霊力放出を考えれば、腹が減るのも当然か。
「メシ行くか」
食堂に行けばまだ瑞季達もいるだろう。
剣帯から鬼哭刀を外し、壁に立て掛けたあとベッドから立ち上がった雷牙は部屋を出ようとドアノブに手をかける。
しかし、その瞬間、視界がぐらついた。
そのまま足の力が抜け、雷牙はその場に意思とは関係なく倒れこむ。
全身に力が入らない。
体に異常が起きていることは明白だ。けれど妙だ。精密検査では特に問題がなかったはず。
晶は医療に関しては真摯な態度をとっている。彼女が見落とすようなことはないはず。
「なに……が……」
しゃべることもうまく出来ない。
痛みなどはない。ただ、少しすると襲ってきたのは強烈な眠気。
もはや雷牙の意思など関係ない。
まさに睡魔に引き込まれるように、意識が闇に飲み込まれていくような感覚。
しかし、この眠気は雷牙の命を脅かすようなものではない。
直感的に理解した雷牙は、睡魔に身を任せ、そのまま眠りに入った。
病院で検査と処置を終えたヴィクトリアは専用に用意された個室で、軽くではあるが湊に怒られていた。
レオノアは学校からの連絡があったらしく今は席を外している。
「まったくもう。助けが必要な時は呼んでください」
「ごめんなさい。貴女に迷惑をかけてはいけないと思って」
「迷惑とか関係ないですよ。頼りたい時は好きに頼ってください。今回は本当に危なかったですからね」
話題はもちろん、レオノア誘拐にヴィクトリアが一人で動いたことだ。
彼女の実力は確かに高い。
しかし、それは鬼哭刀を所持し、霊力を使える状態での話だ。
殆どを封じられたヴィクトリアは、彼らにかなり追い詰められた。
あの場で雷牙がきていなければ、今頃はレオノアと共に遺体として発見されていただろう。
「……彼には、本当に感謝しないといけないわね」
「そうですよ。……けど、やっぱり似ていますよね、光凛さんと」
「ええ、本当に」
ヴィクトリアは雷牙が救援に来てくれた時のことを思い出す。
あの時、痛みと失血でかすむ視界に現れた彼の後姿が、記憶の中に深く刻まれた彼女と重なった。
どんな危機的状況でも常に皆を鼓舞するように笑みを浮かべ、皆の背中を押し、さらには引っ張っていく。
凡そヴィクトリアが見てきた刀狩者の中で最高の刀狩者。
今は亡き綱源光凛が本当に現れたように見えた。
そのまま意識を失ってしまったが、彼が必死に戦っていてくれたから、自分は今生きているのだと、ヴィクトリアは胸の前で拳を握る。
「助けてもらうのはこれで二回目ね」
「それって一回目は光凛さんに?」
「ええ。雷牙くんは後で家に招待しなくちゃいけないわね」
「その方がいいですよー。光凛さんのことも知りたがってるみたいでしたし、思い出話でも聞かせてあげたらきっと喜んでくれますよ。あと、その時にちゃんとお礼も」
「わかってるわよ。……それで、英国支部長のウーゼルのことなんだけど」
ヴィクトリアは声のトーンを下げて神妙な面持ちとなる。
救急車で搬送される間、湊とは通信でウーゼルがハクロウを裏切り、クロガネと闇取引をしていることを話していた。
早急に手を打たなければ、彼が逃げおおせてしまうかもしれない。
だからこそ、彼を逮捕させるために彼女に情報を与えようとしたのだが、湊は肩を竦めた。
「それに関しては現在こっちで動いてます。というか、最初っから動いてたみたいです」
溜息をついた湊は、なにかを思いやるかのように窓の外に見える青空を見やった。
英国、ハクロウ支部の支部長室でウーゼルはあわただしく荷造りをはじめていた。
時刻は早朝。まだ人々が活動を始めるよりも少し早い時間帯だ。
「クソッ! あの役立たず共め、よりにもよって失敗しおった!!」
スーツケースに乱雑な手つきで室内にあるものを手当たり次第にぶち込む。
額には大量の脂汗が浮かび、顔面は真っ白だ。
それだけ今の彼は焦っている。
つい先程、アレクシス達との連絡が完全に途絶えたのだ。
もしやと思い、彼女等が持っている端末のGPSを確認すると、彼女らがいたのはハクロウ本部。
瞬間、ウーゼルは悟った。
彼女らは依頼を失敗したのだと。
もしかすると、抹殺対象であるヴィクトリアは殺したのかもしれないが、捕まったということは確実に情報を引きだされるはず。
彼女は金で雇っているだけで、仲間意識などはない。
だから自身が危なくなれば、平気でこちらの情報を流すだろう。
ハクロウに移送されたということは、いつ本部から連絡が来てもおかしくない。
その前に支部いや、この国から出て姿をくらませなければ、せっかく築いてきた人生が無駄になってしまう。
「そうだ、金を……!」
ふと思い出したように、支部長室に個人的においている金庫を開けに走るウーゼル。
ネットやATMでいつでも引き出せるとはいえ、下手に使えば足がつく。
しばらくは現金での生活を余儀なくされるだろう。
暗証番号と網膜スキャンを済ませ、金庫の取っ手に手を伸ばした時だった。
「あれれー? こんな朝早くから随分急がしそうだね。ウーゼル・ヴォルテグナス支部長」
聞こえてきたのは、若い女の声だった。
弾かれるようにそちらを見ると、応接用のソファに少女と見紛うほどに小さな女がふてぶてしい態度で座っている。
最初思わず首を傾げそうになったが、彼女の腰に下がっている得物とその服装を見て声を詰まらせる。
身に着けていたのは、ハクロウ本部にて最高位に位置する部隊員の証である黒服。
そして腰にあったのは、日本刀型の鬼哭刀だ。
肌の色や顔立ちからして日本人であることは間違いない。
「き、貴様は……!」
「私? あぁそういえば名乗ってなかったね。ハクロウ本部、斬鬼対策課所属、風霧天音でーす。そして今、支部長さんの後ろにいるのが、私の隊長」
「え……?」
天音に言われ、ウーゼルはゆっくりと振り返ると、その場から後ずさった。
背後にいたのは、長身の青年だった。
整った顔立ちは非常に冷淡で、瞳は氷のように冷たい。
長らく現場に出ていないとはいえ、ウーゼルもかつてはそれなりに力のあった刀狩者だ。
背後に立てれれば気配でわかるはずだ。
しかし、気付けなかった。
「どうも、ウーゼル支部長。僕は京極剣星。彼女の所属している部隊の隊長を務めています」
「ちなみに私は副隊長ねー」
けらけらと軽い態度の天音に対し、剣星の声は酷く落ち着いていて鋭かった。
まるで喉下に刀を押し当てられているかのようだ。
「ほ、本部の刀狩者が何の用だ? 第一、ノックもなしに入ってくるなんて失礼だろう!?」
精一杯の反論をしてみるものの、二人は特に意に介した様子も無い。
そして目の前の剣星が小さく息をつくと、彼は静かに告げた。
「ウーゼル支部長。貴方はハクロウ英国支部を任されておきながら、我々を裏切り、敵であるクロガネと取引を行っていた。また、日本に移住したヴィクトリア・ファルシオン、及びその娘の命をクロガネ構成員の手で抹殺しようとした。間違いありませんね?」
ぶわっと、全身から汗が噴出すのを感じた。
やはり、彼らは自身を捕まえに来たのだ。だが、確認を取っているということは、まだ完全な証拠は掴んでいないということだろうか。
ならば、なんとかして言い逃れができるはずだ。
「なんのことだかわからんな。この私がクロガネと取引だと? 馬鹿も休み休み言いたまえ」
「では何故慌てた様子で荷造りを? お引越しですか?」
「そ、それは急な出張が入ったからで……。そうだ! 私の補佐官に聞いてみればいい!」
「その補佐官というのは彼女のことですか?」
剣星が視線を向けた方に視線を向けると、阻害輪で拘束された補佐官がうつむき絶望した表情で入ってきた。
彼女の背後には男女の刀狩者がおり、剣星たちと同じく黒服だ。
あの様子からして補佐官が情報を漏らした可能性は高い。
「まだシラをきるのならそれも構いませんが、この音声データを聞いても嘘をつけますか?」
そう言って剣星が端末を操作すると、数週間前に行ったやり取りの音声が聞こえてきた。
『ああ。標的はヴィクトリア・ファルシオンだ。金は弾むぞ。……娘? ああ、別に殺しても構わん。あの女は娘を溺愛しているからな、いい餌にもなるだろう。ことが終わったら好きにすればいい。金はいつもの口座に振り込んでおく』
『了解。ではよろしく』
アレは依頼をした際に窓口と呼ばれるクロガネのメンバーと話したときの音声だ。
まさかこの音声すら握っていたとは……。
ウーゼルは呆然とした表情を浮かべると、その場に膝から崩れ落ちる。
しかし、まだ諦めてはいない。
床に手をつきながらも彼は忍ばせていた拳銃を抜き、剣星に向けた――。
――瞬間、手首から先がなくなった。
「は……?」
最初、なにが起きたのかわからなかった。
けれど、徐々に痛みが現れ、今の状態が把握でき始めた。
「ぎ、ぎぃやあぁぁああぁぁぁあああぁ!!?? わ、私の腕、腕がぁぁぁぁ!!」
なくなった手首はテーブルの上に転がっており、その手には黒光りする拳銃が握られたままだ。
剣星の手には、鈍く光る鬼哭刀が握られていた。
手首からは止め処なく血が流れ、鋭い痛みが続いている。
「手首くらいなんですか。ポッドにぶち込めばそれくらいすぐ再生するでしょう。それよりも、貴方と話をした人がいるので、これを見てください」
剣星からかけられた声に、ウーゼルは肩で息をしながら反応すると、ガラステーブルに置かれた端末のホロディスプレイを見やる。
少しノイズが走ったディスプレイだが、すぐに安定すると、黒檀の机の向こう側に座る人影が見え、ウーゼルは絶句する。
「た、武蔵長官……!!」
巌のような表情でこちらを見据えているのは、ハクロウの最高権力者、武蔵辰磨だった。
『久しいな。ウーゼル』
「ち、長官! 今回のことはちょっとした手違いといいますか、勘違いでして。これは私なりの捜査なのです! クロガネに取り入り、やつらの拠点を一網打尽にしようという……!」
『ほう? ではその過程で受け取った多額の金や女達、殺した人間も全てはハクロウのためであったと?』
「そ、それは……!」
浅はかだった。まさかそこまで調べられているとは。
ウーゼルは痛みと緊張で益々息が荒くなる。
『舐めるなよ、ウーゼル・ヴォルテグナス。貴様はハクロウを裏切ったばかりか、名前に泥を塗った。その罪、簡単に償えると思うな。京極、あとは任せる』
「了解しました」
「お、お待ちください! 長官……!!」
食い下がろうとしたものの、辰磨は通信をきり、ホロディスプレイにはノイズが走るだけと鳴ってしまった。
同時に、ウーゼルは自身が今まで築いてきたものがガラガラと音を立てて崩壊していくのを感じ、気絶するように倒れこんだ。
気絶したウーゼルを見やった剣星は、失血死する前に彼の手首の傷を塞ぎ、両腕と両足を拘束する。
「さて、それじゃあ引き上げようか。僕達の任務はこれで終わりだ」
「りょーかーい。あーさっさと日本帰って温泉入りたーい」
「あ、それ私も賛成。隊長、休暇もらっても大丈夫ですか?」
「仕事が一段落したらね。西城くんも休暇とりたかったらとってもいいよ。ずらしてくれれば」
「帰ったら決めますよ」
剣星たちは雑談をしながら英国支部を去って行く。
黒服をはためかせながら歩く剣星の腕章には、『零』という刻印と、所属する部隊の象徴である獣が描かれていた。




