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半世紀以上前、世界中で同時多発的に発生した刃災によって、世界の主要都市部の多くは、地形が変わるほどの甚大なダメージを受けた。
首都としての機能が完全に崩壊し、首都を移した国が殆どを占める中、日本の首都東京は、被災後、急速な復興をとげ、現在では新都東京として生まれ変わった。
玖浄院は、その新都東京に存在する刀狩者育成校で、国内五箇所にある育成校の中で最大の敷地面積を持つ。
無論、国際機関が運営している学校であるため、警備面も厳重であり、校内に入るには正門にあるセンサーをパスしなければたとえ生徒であっても入ることは出来ない。
正門以外、たとえば塀を乗り越えて侵入しようとすると、即座に警報、及び防衛装置が作動する。警察機関、及び刀狩者の厄介になるのは確実である。
そして現在、雷牙は塀をよじ登りたいのを我慢し、斬鬼発生現場から走り通しでようやく正門にたどり着いたところである。
「け、結構、疲れるもんだ、な」
全力疾走を終えて、肩で息をする雷牙は何とか呼吸を落ち着けて目の前にある玖浄院の正門を見やる。新入生らしき影はなく、いるのは正門前に立つ雷牙のみだ。
「ここが、玖浄院……」
目の前にある正門とその奥にある校舎らしき建物を見ながら、感慨深げに呟く。師匠が言っていたが、彼が雷牙の母と最初に出会ったのも玖浄院だったらしい。
雷牙に母の記憶は殆どない。母は雷牙がまだ赤ん坊だった頃に、彼を守るために斬鬼の一撃を受けて死んだ。
記憶の中の母の姿はおぼろげで、顔の輪郭すらはっきりしない。一応、師匠が遺品として持っていた写真を何枚か見せてもらったものの、若い時代のものが殆どでいまいちピンとはこなかった。
けれど、彼女が刀狩者として戦っている映像があり、それを見たとき雷牙は彼女の在り方に強い憧れを抱く。
斬鬼と戦う彼女の勇ましい姿は、まだ幼かった雷牙の瞳と心に色濃く焼き付いた。同時に雷牙は決意した。自分も母のような刀狩者になると。
「ようやく、スタートラインだよ。母さん」
小さな笑みを見せた雷牙は、ほころんだ表情を引き締めるように両頬をパシンと叩くと、「うし、行きますか」と、事前に送付された学生証をポケットから出し、正門をくぐろうとした。
が、背後で車が止まった音が聞こえ、思わず振り返ってしまう。
先ほどまで雷牙がいた場所に黒塗りの高級車が止まっている。ピカピカに磨かれた車体は安い鏡よりもよく写りそうである。
運転手はエンジンを止めずに出てくると、テキパキとした動きで後部座席のドアノブに手をかける。
高級車に運転手ときたものだから「おいおい、どんなお金持ちのボンボンが出てくるんだ?」と内心で呆れていると、ドアが開けられ、乗っていた人物が姿を現した。
と同時に、雷牙の視線はそちらに釘付けになってしまう。
車から出てきたのは雷牙と年齢が同じくらいの少女だった。とは言っても、ただの少女とは言えない。簡単に言ってしまえば超美少女がそこにいた。
顔立ちは凛としていて、たたずまいからして同年代の女子とは比べ物にならなかった。
鴉の濡れ羽色と形容できる黒髪は、触れたらシャラシャラと音がしそうだ。
やや切れ目な瞳は彼女の美しさを際立たせるアクセントであると同時に、まだ幼さの残る卵型の輪郭を引き締める効果があるようにも見える。
加えて制服の上からでもわかるほどの起伏のある肢体。指はまさしく白魚のように美しい。
めちゃくちゃ綺麗だ。少女の美しさに目を奪われるてしまい、身動きすらとれずにいると、彼女と片膝をついた壮年の運転手の会話が届く。
「申し訳ありません。お嬢様。この権堂がおりながらこのような時間に到着することになってしまい」
「顔を上げてくれ権堂さん。仕方ないさ、街中で斬鬼が出てしまってはあのように道が混雑してしまうのは当然だ。それに入学式は繰り下げになったのだから、気に病む必要はないよ」
権堂という運転手に対し、凛とした張りのある声で言う彼女は微笑を浮かべている。表情から見ても不機嫌であるとか、怒っているといったような雰囲気はまるで感じられない。
笑顔の美しさたるや慈愛の女神かなにかと見紛うレベルである。
「そう言っていただけて幸いでございます。では、お嬢様。いってらっしゃいませ」
権堂は立ち上がると、彼女に対してふかぶかと頭を垂れる。彼女もそれに「うん、行って来る」と短く答え、正門へ足を進める。
雷牙の隣を通り過ぎる瞬間、ふわりと鼻腔をくすぐったのは沈丁花の香りだろうか。柑橘類のような爽やかさの中に、ジャスミンやスズランのような甘い香りは、僅かに香っただけでも印象に残る。
センサーに学生証を通した彼女は、そのまま進んでいくものの、雷牙はその後姿にすら釘付けになっていた。
不意に彼女がくるりと振り返る。思わずそれにビクッと身体を震わせると、再び凛とした声が雷牙の耳に入る。
「そこの君」
「え!? あ、俺か……。な、なんだ?」
いきなり声をかけられて心臓が口から出そうになったが、なんとかそれを押し留めて冷静を装って彼女に問い返す。
「入らないのか? 君も新入生だろう?」
僅かに首をかしげて問われ、はたと気づく。そうだ、彼女に見惚れていてまだ学内へ入れていなかった。
すこし慌てながらもセンサーに学生証をかざすと、電子音が聞こえ、ゲートが開かれる。そのまま校内に入ると、彼女はこちらを見て苦笑を浮かべていた。
恥ずかしいところを見られたと雷牙は僅かに頬を赤くするものの、彼女の方から再び問いが投げかけられた。
「この時間にここにいるということは、君も斬鬼の影響を受けたのか?」
「あ、ああ。まぁな。アンタもそうみたいだな」
「ああ。もっと速く着く予定だったんだが、今朝は色々と立て込んでしまったんだ。それに斬鬼騒ぎが重なって、こんな時間になってしまった」
やれやれと被りを振る彼女に対し、雷牙は未だに胸の高鳴りが止まずにいた。表面上冷静を取り付くろってはいるものの、恐らく顔は赤いままだろう。
初めて感じる感覚に戸惑っていると、いつの間にか近くに来ていた彼女にズイッと顔を覗き込まれた。
「どうした? さっきから顔が赤いようだが」
「い、いや気にしないでくれ! アレだ、ここに来るまで全力疾走してきたからちょっと暑くってよ」
パタパタと手で顔を扇ぎ、首元を広げて空気を送り込む素振りをするものの、内心はそれどころではなかった。
あれほど近い距離にあんな美少女の顔があれば、誰だってこうなるはずだ。
「そうか。体調が悪くないのなら安心した。では、そろそろ行こう」
彼女に促され、雷牙は手うちわを続けながら彼女の後に続いた。しばらく無言で歩く二人であるが、不意に「あっ」と彼女が思い出したように声を上げた。
「そういえばまだ名乗っていなかったな。私は、痣櫛瑞季だ。よろしく」
「俺は綱源雷牙。こちらこそよろしくな。呼ぶ時は雷牙でいい」
「わかった。じゃあ私を呼ぶ時も瑞季でいいぞ、雷牙」
「お、おう。わかった」
こちらの気もしらずにフフッと笑いかける瑞季に、雷牙も少しばかり鼓動が落ち着いたのか、僅かに視線を逸らしながらも答える。
すると瑞季はどこか安堵したような表情に戻ると小さく声を漏らした。
「本当は少し不安だったんだ。玖浄院に着いたら私一人だけだったらどうしようとな。けど、雷牙、君がいてくれて安心した」
「ホントかよ。緊張やら不安やらとは無縁そうな顔してんのにな」
「本当だとも。というか雷牙はさっきなんで固まっていたんだ?」
「え゛ッ」
急な掘り返しに思わず変な声が出てしまった。
さてどう答えたものだろうか。『瑞季の美しさに見惚れていた』『あまりにも綺麗で身動きがとれなかった』どちらを言った所でドン引きされることは確実だろう。
どうにかして引かれないような答えを探していると、ふと打開策が頭に思い浮かぶ。
「い、いやーあれだ。すっげぇ高級車だなーって思ってさ。やっぱり瑞季っていいとこのお嬢様だったりするのか?」
「ん? いいとこかどうかはわからないが、私の家は剣術流派の一族なんだ。ハクロウ創設当時からハクロウと関わりがあったらしく、その影響で不自由のない暮らしをさせてもらっている」
「へぇ。剣術流派ねぇ……」
なんとか話題の転換に成功し、これ以上根掘り葉掘り問われることはなくなったようだ。
けれど、別に引っかかることもできた。ハクロウ創設当初から関わりがあるということは、相当歴史があり、発言権のある家系なのではないだろうか。
僅かに前を行く瑞季の横顔を見ながら雷牙は疑問を持つのであった。
刀狩者は対妖刀、対斬鬼の戦闘要員である側面を持ちながら、国家の戦力としても見られている。
基本、ハクロウに所属している刀狩者であるが、例えば国家間での戦争となった場合、ハクロウは中立となり、どちらの味方もしない。
ゆえに近年では刀狩者はただの刃災対処だけの役職ではなく、兵士としても役割も持っている。ただし現在は、刃災対処に重きを置くことが殆どであるため、戦争などは滅多に起きない。
しかし、戦争や刃災以外にも問題点は多く、刀狩者としての力を悪用する国際的なテロ組織や、犯罪結社も存在する。
結果として、刀狩者に求められるのは、妖刀や斬鬼に対する力だけではなく、対人戦闘も視野にいれた戦闘技能が求められるのだ。
学生の頃からそれらを視野に入れるため、育成校には巨大なアリーナがいくつもある。内部は生徒同士が戦闘を行うためのバトルフィールドと、観戦するための観客席がある。
無論、戦闘以外でもこれらは使用され、現在第一アリーナでは、三十分繰り下げられた入学式が行われている。
雷牙と瑞季の姿もそこにあり、二人は並んだ状態で座っている。二人の周囲には、彼らと同じ新入生が、期待や緊張が入り混じったような表情を浮かべている。
『――私からの挨拶は以上です。新入生の皆さん、これから互いに頑張りましょう』
アリーナのバトルフィールドに設置された演壇で新入生歓迎の挨拶を終えたのは、生徒会長らしい。雷牙達からは遠くて顔は余り見えないが、声で女子ということは判断できた。
巨大な空間投影型のモニターもあるようだが、それほど大々的には行わないのだろう。
「そろそろ終わりか」
「恐らくな。うん?」
「どした?」
ふと疑問符を浮かべた瑞季に問うと、彼女は受付で渡された入学式のプログラムが書かれた用紙の一部を指差して見せてきた。
彼女の指差した箇所には『エキシビジョン』とあった。
エキシビジョン。スポーツなどでは模範試合や特別実演とも言われるものだが、なんだろうか。
「さっきは気付かなかったが、上級生による出し物だろうか」
「さぁな。まぁ待ってればわかるだろ」
椅子の背もたれに背を預け、小さく息をつくと、進行役である教員の声が響く。
『生徒会長からの挨拶でした。それでは次のプログラムに写ります。次は、我が玖浄院の伝統、新入生の首席と、次席によるエキシビジョンマッチです』
教員の声に新入生全体がざわつき、会場の照明が落される。当然だ。ここにいるほとんどが上級生が見せる演目てきなものだと思っていたものが、まさか新入生同士をぶつけるものだとは。
雷牙と瑞季もこれには面食らったようだった。
「首席と次席ってことはトップで入学した奴らってことか」
「ああ。玖浄院は首席などの発表を入学式までしないという話だったが、こんな形で開かされるとはな」
「どっちにしろ選ばれた二人はたまったもんじゃねぇな」
カラカラと笑う雷牙であるが再び響いた教員の声に笑みはすぐに消えることとなる。
『名前を呼ばれた生徒はフィールドに上がってください。では、新入生首席、痣櫛瑞季!』
声が響いた瞬間、スポットライトが雷牙の隣に座っていた瑞季を照らし、先ほどまで沈黙していた空間投影の大型モニターにも彼女がでかでかと写しだされた。
「わ、私か!?」
「うわーお……。なんつーかドンマイって言って良いのかこれ。首席ってことは。すげぇじゃん」
「それはそうだが……」
突然名前を呼ばれ、端正な顔を困惑にゆがめる瑞季はやや気恥ずかしそうにバトルフィールドへと上がっていく。
「剣術流派の一族って言ってたから実力高いんだな。でもまさか首席とは……」
フィールドに上がっていく背中を見送っていると、ふと周囲の生徒がざわついているのが聞こえた。
『痣櫛ってまさかあの痣櫛か?』
『それしかないでしょ。噂になってたけど本当だったんだ……』
『てことはあのかわいい子が痣櫛殺鬼術の次期当主ってことかよ!?』
『しかも首席って……すごすぎ……』
どうやら新入生の多くは瑞季のことを少なからず知っているようだ。
雷牙が想像しているよりも彼女は有名人のようだった。
『続いて、次席――』
教員の声に、新入生の多くが身を引き締める。自分ではないかという緊張感が、全体に張り詰める中、スポットライトがその人物を照らし出す。
『――綱源雷牙!!』
声と同時にライトが煌々と雷牙を照らし、瑞季と同じようにモニタへ雷牙が写しだされた。
けれど、当の雷牙とは言うと、
「……は?」
現在の状況が飲み込めず、なんともマヌケな疑問符を浮かべていた。
ようやくメインヒロイン登場です。




