3-2
「はぁ……」
夕食時、レオノアが大きな溜息を漏らした。
席につく前からこんな感じだった彼女に、雷牙と瑞季が視線を向ける。
「どした?」
相変わらず大盛りメニューにがっついている雷牙が問うと、レオノアは「はい……」と細い声で答える。
「実は試合の後、アリーナの控え室で端末を確認したら母からメールが届いてたんです。到着が少し遅れるって」
「なにかあったということか」
「天候が悪いらしく、飛行機が離陸できないそうで……」
再びの溜息。
そういえば、彼女と二人でデートもどきをした時も「もうすぐ母が来られるんですー」と嬉しそうに話していたことを思い出す。
楽しみにしていた分、ダメージというかショックみたいなものが大きいのだろうか。
「だが来られなくなったわけではないだろう? そこまでショックを受けなくてもいいじゃないか」
「それはそうなんですけど、雷牙さんと一緒に会うのが楽しみだったので……」
「……ほう、一緒に母親の下へ挨拶に行くと」
凄まじい形相で隣に座る瑞季に睨まれる。
「い、いやそれはホラ、俺の母さんとの昔話とかさ。なぁ、レオノア!?」
「そうですね。雷牙さんのお母様のお話も含め、二人の将来のことや将来のことや将来のことを話したくて」
「そうかそうか、二人の将来のことか」
恐る恐る瑞季を見ると、笑顔を浮かべていたものの額に青筋が見えた。
これはいけない。これ以上はいけない。
頭の中で警鐘が鳴り響き、雷牙は咳払いをしてから急遽話題を変える。
「だけど、そんな調子で大丈夫なのか? 今日トーナメントを勝ち上がったんだから、次の相手はホラ、あの辻直柾だぞ」
そう。
今日はレオノアの試合があった日だ。
二回戦、三回戦とある程度余裕を残した勝利を収めた彼女の次なる相手は、昨日残虐な方法で勝ち上がった直柾だ。
これまでの相手とは訳が違う。
レオノアは決して弱くはないが、気がかりなことを引き摺っていれば、それが敗北につながる危険性は十分ある。
「確かに、雷牙の言う事も最もだな。母君と会えないのは寂しいかもしれないが、引き摺っている暇はないぞ」
どうやら瑞季も話題に食いついてくれたようだ。
よし、と心の中で拳を握る。
「それに関しては大丈夫です。母と会えないからと言って不安定になるほど私の心は弱くありませんから」
「いやー到着が遅れる程度でそんだけ溜息ついてる奴に言われてもなぁ」
「説得力がイマイチだな」
「うぐ……」
レオノアも多少自覚はあったようで僅かに苦い表情をした。
しかし、意外なことにそんな彼女に助け舟を出したのは瑞季だった。
「だが、君もうかうかしてはいられないと思うが?」
「え゛」
「次の相手は陽那だし、勝ち上がったら三年の先輩と。それも勝ち上がれば今度は生徒会のメンバーと。更に上に行けば件の辻先輩とも当たる。勝算はあるのか?」
珍しく試すようなおちょくるような視線を向けてくる瑞季に一瞬たじろぐ。
「そ、そりゃあまぁ少しは……。あぁやめやめ! たらればの話したってしょうがねぇ。勝つときは勝つ、負けたときは負けた! それだけだ」
「最初に振って来たのは雷牙さんでは……」
「ナ、ナンノコトダロウナー」
適当に返した雷牙は残っていたラーメンを手早く平らげると、そのまま食器を返却口に戻す。
が、その途中でふと雷牙の口元が不敵に歪んだ。
どこかしたり顔で席に戻ると、「あーそういえば」と再び話題を切り替える。
「俺の相手もそうだけど、瑞季の四回戦の相手もやばいよなぁ。だって生徒会の副会長だろ? それに勝ったとしても、次は書記の近藤先輩か会長の武蔵先輩だ。ヤバイと思うぜー?」
「うわぁ、すごいドヤ顔。してやったり感が半端じゃないです」
「さっきたらればの話をしてもしょうがないと言っていた男には見えんな」
「なんとでも言えー。それで勝算はあるのか?」
ふふんと胸を張り、瑞季に問いを投げかける。
若干引かれたような気がしないでもないが、この際そんなことは気にしない。
「子供か君は……。だが、まぁまるっきりないわけではないよ」
「瑞季さんは一年生の中で唯一属性に目覚めてますしね。その点では同じ土俵に立っているようなものでしょうし……って、もうこんな時間に」
レオノアが少しだけ焦ったような表情を見せ、空になった食器をまとめて立ち上がった。
「すみません。この後母と通話する予定が入っているので、失礼しますね」
「あ、ああ。じゃあまたな」
彼女は軽く会釈をするとそのまま返却口へ食器を片し、寮に向かって小走りに駆けて行った。
後姿を見送っていると、「さて雷牙」と背筋にゾワリと来る声をかけられる。
見ると、瑞季が凄まじく冷酷な笑みを浮かべていた。
「な、なんでございましょうか瑞季サン……?」
「いやなに、レオノアと色々と約束しているようだったしなぁ。そのあたり、じっくり聞かせてもらいたいと思ってな。あと、トーナメントの勝算も参考までに聞かせてもらえるかな?」
「い、イェッサー……」
凄まじい威圧感に気圧され、結局その後一時間近く彼女に詰問される羽目になった。
さらに、翌日からの対属性鍛錬メニューはさらに厳しさを増したのだった。
深夜。
新都のとある高級ホテルの一室では、若い男女三人が酒瓶を煽っていた。
「にしたってハクロウも間抜けだよなぁ。こんな近くに俺らがいるのに、ノーマークと来た」
「そうね。新宮のじいさんはヘマでもしたんでしょう。ところで、依頼主から振込みはされてるわけ?」
女性が振ると、端末を操作していた青年が頷く。
「ああ。確認した。きっちり振り込まれてるよ。ただ、向こうは飛行機が飛ばなくて到着が遅くなるらしいけど」
「まぁいいさ。上からはこいつの実験もしてこいって言われてるしな」
八重歯が特徴的な青年は懐からカプセル剤を取り出してニタリと笑う。
「それなりの実験を重ねて、データを上に提出すれば私達の待遇はもっと良くなるって聞いたしね。ターゲットがこっちに来るまでは、楽しませてもらいましょう」
長い金髪をかきあげた女性は、口元を三日月のような形に歪ませる。
彼女が大きな窓から外を見やると、眼下には新都の街明りが煌々と夜を照らしている。
だが、その光が当たらない闇の中で何が起きているのか、彼らはよく知っている。
「あ、そうだ。ターゲットには子供がいるらしいですけど、どうします?」
「どうするもこうするも決まってるだろ。ガキごとヤっちまうのさ」
下劣な笑みを浮かべた八重歯の男の口元からは唾液が少しだけ垂れていた。
「そのヤるって言うのは、殺す方? それとも犯す方?」
「決まってんだろ姉御。どっちもだ……!」
「相変わらず下品ね。まぁいいわ、殺すのなら好きになさいな」
女性は肩をすくめた後、再び新都の夜景に視線を戻すと、遠くに見えるハクロウ本部を見据えた。
「……狼共め。自分達の無力さを知りなさい」
新都の路地裏では、やや小太りのサラリーマン風の男性が息を切らしながら走っていた。
手にはその出で立ちからは不釣合いな大振りのサバイバルナイフが握られていた。
やがて彼は足を止めると、後ろを確認して誰も追ってきていないことに安堵したのか、その場にへたり込む。
「ハァー、ハァー……!」
肩で息をする男性の顔色は悪く、顔面には大量の発汗が見られた。
目は血走っており、とても正常な人間とは思えない。
しかし、それ以上に異質だったのは彼の握っていたサバイバルナイフと腕に付いた大量の血痕だった。
「フ、フフ、ハハハハハ……やったぞ! 私はやってやったんだ……!」
男性は喜びに打ち震えるかのように拳を握る。
そしておもむろに懐からカプセル剤を取り出す。
彼はつい先ほど、自身が持つナイフで自分の妻と娘を殺害してきたのだ。
上司にいびられながらも働き、くたくたになって帰っても、家では邪険に扱われ、やれ臭いだの、やれとろいだのと罵られる毎日。
娘には家族だと思いたくないとまで言われ、妻に至っては若い男と不倫までしていた。
そのことを詰問したらしたで、「探偵を雇う金があるなら家に金をいれろ」と逆上される始末。
いっそのこと死んでしまおうかと思った時、彼はとある人物に声をかけられた。
美しい金髪の女性だった。
彼女に渡されたのが、このカプセルとナイフだった。
『辛いのならすべてを壊してしまいなさい』。
彼女はそんなことを言ってこれを渡してきた。
最初は何を言っているのかわからなかったが、それから数日後。
通い詰めていたキャバクラで働く女性に離婚するから結婚して欲しいと告げた。
しかし、彼女から帰ってきたのは、確固たる拒絶と罵詈雑言の嵐。
いままでどれくらいの金を貢いでやったというのか。
その瞬間、彼の頭の中に殺意が湧いたのだ。そして彼はこの薬を飲んだ。
以降のことはよく覚えていない。
ただ、気が付くと彼女のバラバラ死体の上で彼女の頭にナイフを突き立てていた。
最初は気が動転してその場から逃げたが、落ち着くと罪悪感よりも先にすごくすっきりとした気分になったのだ。
悩む必要はなかったのだと。
金髪の女性の言っていたことは正しかったのだ。
辛いなら壊してしまえばいい。
だから、彼を長年苦しめていた元凶である妻と娘を殺害した。
それも残虐に。
「なんて晴れやかな気分なんだ! 私はこれで苦しみから解放された……!!」
歓喜に打ち震える男性の目は赤く光っていた。
しかしその歓喜を邪魔するかのような声が耳に入る。
「あのーすみません。こんなところでなにを……」
見ると、若い警察官がこちらをライトで照らしてきたが、男性の手に血塗れたナイフが握られていることに気が付くと、すぐに表情を険しくさせる。
「あ、あなたそれは一体……!?」
「あぁ、これはいけないなぁ。また悩みの種が増えてしまった……殺さないと」
男性はゆらりとした足取りで立ち上がると、手の中にあったカプセルを飲み込む。
瞬間、体の奥底から力が溢れ、全ての雑念が振り払われた。
「夫による殺害か……」
ハクロウ本部、斬鬼対策課第一部隊、部隊長、武田信十朗は微弱な斬鬼の出現反応があった住宅地で渋い顔をしていた。
反応があった住宅に踏み入ると、中はまさに血の海だった。
その家に暮らしていたであろう妻と娘は体をバラバラにされた上に、顔面は先日起きたキャバ嬢殺害の時と同じように、顔面を滅多刺しにされていた。
あまりにもひどい惨状に、部下の何名かは気分を害していたレベルだ。
しかし、夫の死体はどこにもなかった。
あったのは妻と娘の遺体だけ。
恐らくこの殺人はこの家の主がやったことで間違いないのだろうが、果たして人間にあそこまで出来るだろうか。
バラバラとは言っても、刃物で切り裂かれた以外にも、引き千切られたような痕跡もあった。
まともな人間が人間の腕や足を引き千切ることなどまずできないだろう。
考えられるのは、斬鬼化だが、このあたりで斬鬼を見た報告はないし、あればすぐさま鐘魔鏡に反応がある。
現に微弱ながら反応はあったのだ。
「夫が斬鬼化し殺害したというのか……。だが、夫はどこに消えた」
「隊長!」
副官の声が聞こえ、そちらを見ると、遺体の回収を終えたハクロウの職員が住宅から出てくるところだった。
「なにかわかったか」
「はい。ここの家の主人、牧田靖男は先日のキャバ嬢が働いていた店によく通っていたようです。写真を見せて店に確認してもらったので間違いありません」
「そうか。では、牧田靖男を見つけ出す。放っておけば、犠牲者が増える。クロガネが関わっていることは間違いない」
「……それが、今さっき控えていた班から連絡があり、警察官のバラバラ遺体が発見されたようです」
副官からの報告に、信十朗の眉間に皺がより、彼は住宅の塀に拳を叩きつける。
「汚らわしい鉄錆どもが……!」




