プロローグ 在りし日の記憶
『はい。おーしまい』
構えていた剣をいとも簡単に、そしてあまりに軽い口調で弾かれた。
甲高い金属音と共に弾かれたのは、剣を持っていたブロンドの髪の女性の身の丈ほどはあろうかという長大な剣であった。
ただの剣ではなく、それは突如として世界に現れた妖刀とそれによって生みだされる斬鬼を打ち倒すための兵装、鬼哭刀だ。
弾かれた剣は、背後で重い音をたてながら演習場の地面に突き刺さった。根元近くまで刺さったことが、剣の重さを現している。
それに気を取られるまもなく、鼻先には鬼哭刀としては標準な日本刀型の鬼哭刀が突きつけられる。
『今日も私の勝ちだね』
茶目っ気のある笑顔で言ったのは、隊入りを果たしていることを現す、黒いハクロウの制服を着た日本人の女性だ。
綺麗な黒い髪は動きやすさを重視したのか、短く切り揃えらている。
スッと通った鼻筋に切れ目調の目つきは彼女の気の強さの表れでもあるのだろうか。
こういってはあれだが、異性よりは同性に好意を寄せられそうな雰囲気だ。
『なに? 私の顔になにかついてる?』
『あ、いえ。……まいりました。降参です』
両手をあげて半歩下がると、女性は頷いてから刀を鞘に納めた。
弾かれた剣を拾い上げつつ、大きく溜息をつく。
『今日も貴女には勝てませんでしたね』
『けどさっきのは惜しかったよ。あともう一歩踏み込まれてたら危なかった』
『謙遜を。どう見ても貴女には余裕がありましたよ』
剣を背負いながら苦笑気味に言うと、彼女はバツが悪そうに頭を掻いた。
その姿を見ていると、とてもではないが先ほど自身の剣を簡単に弾き飛ばした人物には見えない。
『とりあえず、今日の鍛錬は終わりにしよう。これ以上はお腹の子に悪いかもしれないし』
視線の先にいる彼女は、下腹部に手を当てていた。
瞳は慈愛に満ちており、まさしく母親のそれであった。
しかし、そこで疑問が生まれる。
『今更なのですが、妊娠中なのに戦闘訓練はダメなのでは……』
『普通ならねー。けど私もこういう運動してないと落ち着かないし、刀狩者の体は頑丈なんだから大丈夫だって』
『そういう問題でしょうか……』
『私も気をつけてるから大丈夫だよ。それよりも、ヴィクターには付き合ってる人とかいないわけ?』
『わ、私ですか!?』
『お、その反応はいると見た! さぁさぁ、教えなさい!』
興味津々な様子で詰め寄ってくる彼女に、ヴィクターと呼ばれた女性は恥ずかしげな素振りのあと、頬を赤くする。
『えっと、同じ隊の……』
そこから先は彼女の耳元で唱え、誰にも聞こえないようにした。
『へぇ、あの人なんだ。付き合って何年?』
『三年と少し、です』
『じゃあもう結婚すれば?』
『へぇッ!?』
話の流れからして振られるかもしれないと覚悟はしていたが、本当にきてしまった言葉に、ヴィクターは素っ頓狂な声をあげた。
『ホラ、私達ってこんな職業だしさ、子供をつくれる内に作って、出来るだけその子と長くいられた方が良くない?』
『で、ですが……』
『はいはい、ビビらない。付き合ってるんだから土台は出来上がってるって。あとはもう押し倒して既成事実を作れば完璧!』
ウインクをした彼女はビッと親指を立てる。
とまどっているのも一瞬で、いつの間にか彼女は背中に回りこみ、そのままズンズンと背中を押される。
『ま、待ってください! なにも今日じゃなくたって!』
『えー……。じゃあいつするのよー』
『こ、今年中にはします!』
『ふぅん。まぁ無理やりさせて後から色々あっても嫌だし、ヴィクターの好きにすればいいよ』
少しだけ不満そうだったが、彼女は背中から手を離してくれた。
とりあえず突発的なプロポーズは避けられた。
ホッと胸を撫で下ろしていると、彼女は「じゃあさ」と繋げる。
『生まれた子が育成校の生徒になったら、勝負させてみない?』
『どっちが強いかってことですか?』
『そうじゃないけど、ようは子供同士で切磋琢磨して欲しいわけよ。それか……』
彼女がそこまで言いかけたところで、彼女の体と風景が僅かに白み始めた。
けれど、ヴィクターは焦らない。この後に起きることは、わかっている。
これは、夢なのだから。
かつて自身が見惚れた彼女と、関わった日々を追想しているだけ。
徐々に意識は覚醒へと向かい、ヴィクターは目の前の光景が白み、崩れていくのを見ていた。
カーテンの隙間から差し込む朝日と、僅かに聞こえる鳥のさえずりでヴィクター――ヴィクトリア・ファルシオンは目を覚ます。
ネグリジェのままカーテンを開けると、眩しい朝日が部屋一杯に広がった。
手早く仕事着に着替えると、彼女はベッドサイドテーブルに置かれている写真立てを手に取る。
写真には夢の中に出てきたあの黒髪の女性とまだ二十代だった頃のヴィクトリアが満面の笑みで写っている。
「……光凛さん」
写真を見ていると、自然に目尻から涙が零れた。
あの女性、綱源光凛はもういない。
子供を産んだという報告から半年も経たない内に彼女は亡くなった。
原因は刃災だったらしい。お互いに、いつか刃災で命を落とす可能性があることはわかっていた。
まさか彼女がという思いが、十五年経過した今でも拭えない。叶わぬ願いだろうとは想っているが、もう一度会いたい。
そんな思いが強くなったのは、恐らく自身の子供が育成校に入学したからだろう。
だが、そんなある日だった。刀狩者だけが扱える動画サイトにとある動画が上げられていたのだ。
仕事の合間、気を紛らわす程度でそれを見た彼女は愕然とした。
動画は日本の刀狩者育成校、玖浄院で斬鬼が発生し、それを学生が打ち倒したものだった。
斬鬼を打ち倒した少年が、かつて自身が慕った彼女の姿が重なって見えたのである。
そんな馬鹿と思ったが、実況の声で彼女は確信することとなる。
『だ、堕鬼沈黙! し、勝利したのは、一年A組!! 綱源雷牙ーーーー!!!!』
綱源雷牙。
久しぶりの日本語だったが、確かにそう言っていた。
光凛の子供の名前は、確か雷牙という名前だった。
一度だけビデオチャットで顔を見たことがあるが、赤ん坊なりにも彼女に似た雰囲気があった。
そして動画に写っていた彼は、その赤ん坊が成長するであろう姿であり、雰囲気も光凛とそっくりだった。
同時に、ヴィクトリアは彼女との約束が現実のものになると確信した。
まだ二人が若かった頃、お互いの子供達が育成校に通うことになったら、互いに切磋琢磨し、助け合える存在になれれば良いと。
ふと控えめなノックが聞こえ、ヴィクトリアは涙を拭って「はい」と静かに答える。
はいってきたのは、自身のブロンドの髪を受け継ぎ、柔和な雰囲気とあどけなさが残る少女。
自身の娘、レオノア・ファルシオンであった。
「レア、準備は出来たの?」
「はい。お母様」
レオノアはスカートを僅かにつまんで軽く頭を下げた。
彼女の傍らには大きなキャリーケースがあり、これからどこかへ旅立つことを示唆している。
「入学早々に転校させることになってしまって本当にごめんなさい」
「私は全然気にしてないよ、お母様。むしろうれしいくらい。だって刀狩者が生まれた国、日本の玖浄院に通えるなんて夢のようだもん」
「そういってくれると私も助かるわ。あと、約束はちゃんと覚えているわね?」
ヴィクトリアの問いに、レオノアはコクンと頷くと柔和な笑顔を浮かべる。
「もちろん! 彼にあったらちゃんと伝える。ああ、早く会いたい。どんな人なのかなぁ」
「……きっと、素敵な人だと思うわ。私が憧れたあの人の子供なんですもの」
ちょうどその頃……。
「だぁっくしょい!! ……風邪でも引いたか?」
雷牙は大きなくしゃみをぶちかましていた。
二章開始です。




