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斬閃の刀狩者  作者: 華月建
第一章 鬼と刃
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エピローグ 騒乱の後

 雷牙は瑞季を見たまま動けなかった。


 不可抗力だったとはいえ、胸を掴んでしまった。かなりしっかりと。音がしそうな勢いで。


 視線を動かさず、右手に残った柔らかな感触を思い出す。


 ムニっというか、ふにょん、というか、むにょん、というか……。


 とにかくそういった擬音がぴったりな、かなり柔らかい手触りだったことは覚えている。


「……」


 だが、雷牙がよからぬことを思い出したのを察したのか、瑞季の潤んだ瞳が少しだけジト目になった。


「え、えっと……」


「変態……」


「が……っ!?」


 ボソッと言われた言葉がグサッと音を立てて胸に突き刺さった。


 ショックを受けているが、胸の感触を思い出していたのは事実であるし、完全に変態的ではあった。


 気になっている女子に完全に軽蔑されたと項垂れる雷牙は、大きなため息をついた。


「……顔を上げろ。雷牙」


 一瞬上げてもいいものかと思ったが、彼女に恥ずかしい思いをさせてしまったことは事実。


 ビンタされるのを覚悟で頭を上げる。


 頬を襲ってきたのは鋭い痛み――。


「なにをしてる?」


 ――ではなかった。


 恐る恐る目を開けると、不思議そうにこちらを見つめている瑞季がいた。


 頬と耳はまだ赤く、目元も僅かに濡れていたが、先ほどのようなジト目ではない。


「い、いや。ビンタされるんじゃないかと思って……」


「まぁさっき君が思い出していたであろうことに関しては悩むところだが、胸を掴まれたことは故意じゃなかったわけだし、そんな理不尽なことはしないよ」


「いいのか?」


「そんな捨てられた子犬のような目をするな。君も消耗していたんだから、仕方ないことだ」


 紅潮した頬を気にしないようにしているのか、彼女はいたって冷静な口調だった。


 その様子にどこか申し訳なさと、ありがたみを感じながら、雷牙は壁に手をあてながら立ち上がる。


「本当に、わるかったな。その、胸、掴んじまって」


「気にするな。私も慣れてる」


「慣れてるッ!?」


「え、あぁ!! 違うぞ、慣れてるというのは、そういう意味じゃない!! 舞衣や他の友人たちによく触られているからだ!!」


 今度は首から額にいたるまで、それこそ顔全体を赤くした瑞季が腕をブンブンと振って否定する。


 普段のクールな彼女からは想像もつかない様子に、雷牙は小さく噴き出してしまい、結局大声で笑ってしまった。


「笑うなー!」


「いやぁわりぃ、我慢してたんだけど思わず笑っちまった」


「……君も女子の胸を鷲掴みにしたのだがな」


「ぐはぁ!? お前やっぱ根に持ってるだろ!?」


「どうだろうな。口を滑らせてみんなの前で言ってしまうかもしれないが……」


「それお前も恥ずかしいぞ!?」


「大丈夫だ。君が私を無理やり押し倒したことにする」


「やめろォ! わるかったって!!」


 軽く腰を折って謝罪するものの、勢いは土下座のそれであった。


 実際、あの一件を持ち出されては、非は完全に雷牙にあるので、謝罪する以外にない。


 すると、小さな溜息が聞こえた後、コツンと額を小突かれた。


「これでこの話は終わりにしよう。というか、大声でする話でもなかった」


 まだほんの少しだけ赤い彼女は、フッと笑って踵を返し、保健室の入り口へ歩いていく。


「ホラ、速く寮に戻ろう」


「お、おう」


 若干フラつきはしたものの、意識がしっかりと覚醒しているおかげなのか、倒れるようなことはなく、雷牙は瑞季と共に保健室を後にする。


 校内は人気がなく、廊下はすでに薄暗かった。


 しばらく無言で歩いていたものの、ふと雷牙は疑問を浮かべる。


「保健の先生に何も言わずに出てきたけど、よかったんかな?」


「目が覚めたら戻っていいと言われた。特にどこも悪くないだろう」


「まぁ、傷は治癒術で治したからな」


 外傷は治癒術で全快させていたから、保健室に運ばれたのは精密検査と休息のためだったのだろう。


 霊力の回復に最も効果的なのは睡眠などの休息である。


 次点で効果があるのは――。


 ――――ぎゅごるるるるるるる。


 盛大に鳴いたのは雷牙の腹の虫だった。


「フフ、どうやらもう心配はなさそうだな」


「みたいだな。つか、めっちゃ腹減ってる……」


 改めて自覚してしまうと、非常に空腹なことがわかった。


 思い返してみれば子供の頃からこうだ。


 修行中に霊力を馬鹿みたいに使った後は、すぐに倒れるか、強烈な空腹が襲ってきた。


「確か師匠が言ってたっけな。お前は食事で霊力も回復させてるって」


「あぁ、だからあんなに食べるのか」


 瑞季も合点がいったのか深く頷いた。


 人間の内在霊力の回復には、食事も含まれる。


 ただし、睡眠より効率は低く、摂取する食事の量も馬鹿にならない。


 雷牙の大食いは彼の内在霊力があまりに莫大であるからこそ起こることなのだ。


「確か今日の大盛りメニューはラーメンだったっけか。今ならバケツいっぱいぐらい食えそうだな」


「……霊力に変換しているとはいえ、胃袋はどうなってるんだ」


 瑞季には呆れられたが、実際それは雷牙自身よくわかっていない。


 ただ、子供の頃から異様によく食べられたのだ


「まぁ、君が良く食べる理由がこれでようやくわかった。ところで、雷牙」


「うん? チャーシューならやらないぞ?」


「それはいらない。そうではなく、私と大城との会話を、覚えているか?」


 ふざけて返してみたものの、彼女は少しだけ俯いていた。


 顔色はわからないが、耳はすこしだけ赤い。


「まぁ、な」


 すこしバツが悪そうに雷牙は頭を掻いた。


 あの時、大城に全身を刺されながらも体内の瘴気を解毒していた時だ。


 瑞季の声は明確に聞こえていた。


『彼に魅力を感じたから、彼のあり方に格好良さを感じた』。


『私が見てきた綱源雷牙は、貴様程度の男がいくら強くなっても、負けはしない!!』。


 印象的だったあの言葉。


 雷牙はとてもうれしかった。彼女が自分のことをそんな風に見ていてくれたこと、想っていてくれたことに。


「残念ながら、私にもあの時の気持ちがまだよくわからないんだ」


 すこしだけ恥ずかしそうに、同時に緊張した様子の彼女に対し、雷牙は無言でいる。ここで何か口をだすことは、彼女に対し、失礼だと思ったからだ。


「だけど、これから先、私の気持ちに答えが出たら、その時は、君の答えを聞かせてもらえるかな」


 ふと顔を上げた彼女は凛としていながらも、僅かに頬を紅潮させていた。


 保健室で見た恥ずかしそうな表情とはすこし違う、決意と緊張が混じったような表情だ。


「ああ、いいぜ。答えが見つかったら、教えてくれ。その時は俺もちゃんと答えるから」


 笑いかけると、瑞季の表情が少しだけ崩れ、どこか安心したような笑顔が浮かんだ。






「……以上が、報告となります。武蔵長官」


 京極剣星の前には、高級そうな黒檀の机の向こう側にこれまた高級そうな皮椅子に座る初老の男性がいた。


 顔には深く刻まれた刀傷があり、巌のような表情は大人でも泣き出しそうである。


 彼の名は武蔵(たけくら)辰磨(たつま)。ハクロウの最高責任者であり、ハクロウ全体のトップである。


「零の君がいて新宮を捕縛できないとはな」


「申し訳ありません。捕縛する前に斬鬼化され、討伐を優先しました。処罰であれば受けます」


「いや、拘束が難しければ殺してもかまわないと命令を出したのは私だ。ご苦労だった。下がっていい」


 辰磨の人を射殺せそうな視線を受け、剣星は軽く腰を折って踵を返す。


 だが、扉の前まで来たところで、振り向かずに問う。


「辰磨さん。今回の事件、もっと早く行動を起すことはできなかったんですか。被害者の中には、斬鬼となった人もいます。それに、玖浄院での話もお聞きになったでしょう」


 役職名ではなく、彼の名を呼ぶ剣星には悔恨の念が見られた。


「我々がもっと早くに動いていれば、大城和磨をみすみす斬鬼にすることはなかった」


「確かにそうだ。しかしな、京極よ。その程度の被害で済んでよかったではないか。七英枝族とはいえ、大城家は落ちぶれの末席。断絶したところでダメージにはならん」


「しかし、少年の命が失われているんですよ?」


「我々の職務には、時には必要な犠牲もある。その辺り、お前はよく理解していると思っていたのだが?」


「……失礼しました」


 剣星は短く言うと、長官室から出る。


 足取りは自身のふがいなさと、救えたかもしれない命を救えなかったことに対する悔恨を現すように荒かった。





 剣星が出て行った長官室では、立ち上がった辰磨は机に備えられているコンソールを操作する。


 すると、空間投影型のモニタが現れ、自動的に照明が落とされる。


 暗くなった室内を照らすのはぼんやりと光るモニタの光だけだ。


 モニタが何度か明滅すると、室内全体に響くような声が聞こえた。


『どうなったかね、武蔵くん』


 声は機械で変換されているようで、人間の声ではなかった。


「新宮・カイル・トラヴィスの捕縛は失敗。現場担当の京極剣星の手によって、殺害されました」


『ふむ、捕縛はできなかったか。まぁいいだろう。我々の障害になることに変わりは無い。消せるのであれば消しておいた方がいいというものだ』


「はい。しかし、本当に大城家を切り捨ててよろしかったのでしょうか」


『構わんさ。所詮は末席、大した問題ではない。では、次も期待しているよ』


 声の主は一方的に通話を切った。


 室内に再び照明が灯り、モニタは消えた。


 窓の外に広がる新都の夜景を見ながら、辰磨は拳を握り締める。


「……すまない、京極よ……」






 群馬県北部の山中。


 殆ど人も立ち入らない山奥に、豪奢な屋敷があった。


 屋敷の縁側には、長い髭を蓄えた袴姿の男性が、中天高く浮かんでいる月を見ながら晩酌を楽しんでいた。


「あ、やっぱりここにいた」


 女性の声が響く。


 月明りに照らされた女性は、深いブラウンの髪をサイドアップに纏めており、美人であった。


 老人はとっくりを掲げる。


「おう、美冬。お前も一杯どうだ?」


「……じゃあ、一杯だけ」


 美冬と呼ばれた女性は一瞬迷ったようだったが、老人が注いだ酒に口をつける。


「雷ちゃん、元気にやってますかね」


「まだここを出てから一ヶ月しか経っておらんぞ?」


「育ての親としては心配なんですよ」


「なに、あやつなら問題あるまい。なにせ、儂の弟子だからな」


 月を見上げ、愛弟子の後ろ姿を思い浮かべた老人、柳世宗厳は満足げな笑みを浮かべる。


「しかし、あやつの道はまだ始まったばかり。これから何を学び得て行き、どのような強さを手に入れるかは雷牙が次第よ。今年の五神戦刀祭でそれの片鱗が見えれば良いのだが、な」


 ふと、月明りが雲によってかげる。


 宗厳は傍らにおいていた刀を持つと、庭の中ほどまで行き、上空の雲を見据えた。


 刹那、僅かに甲高い音が聞こえた後、彼は何事も無かったかのように縁側へと腰を下ろす。


 瞬間、月を隠していた雲が割れ、月が再び露になる。


 宗厳が雲を斬ったのだ。


「やれやれ、いい月だったというに、邪魔をしおって」


「だからと言って雲を斬らないでください」


 美冬の小言を軽く流し、宗厳はとっくりのまま酒を仰ぐと、再び月を見上げる。


「強くなれ、雷牙。そして上がって来い、刀狩者の更なる高みへと」

エピローグとは言っても一章のエピローグですので……。

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