3-1 新都へ
授業もなく、訓練もない土曜日の朝。
玖浄院の正門前にはシャツにジーンズと言った楽そうな恰好の雷牙の姿があった。
彼は携帯端末で時間を確認する。待ち合わせは午前十一時なので、あと十分くらいだ。
「すこし早かったか」
なぜ雷牙がこんな場所にいるのか、理由は二日前に遡る。
木曜日の放課後、寮へ戻る道で瑞季と一緒になったところで、ふと彼女が言って来たのだ。
『土曜日に新都を案内する』と。
まぁ言ってしまえばデートのお誘いである。彼女がデートと思っているかは定かではないが、若い男女が街中を回るのだからデートなのだろう。
というか雷牙にとってはデートであって欲しかった。
雷牙は瑞季に惹かれている。それが恋愛感情なのかは初めてのことなのでわからないが、この正門前で初めて会ったとき、彼女の可憐さに目が話せなかったのは事実である。
育ての親に相談したら『雷くんもお年頃なのねぇ』としみじみと言われた。
「綺麗だったよなぁ……」
「何がだ?」
「つおおぉぉッ!?」
何気なく呟いた言葉に反応され、雷牙は素っ頓狂な叫び声を上げて振り向く。
背後に立っていたのは瑞季だった。
同時に、雷牙は再び彼女の姿に眼を奪われることになる。
いつもの制服姿ではなく、底の浅いヒールを履き、タイトなボトムスに、白のブラウスに優しい色合いの薄いカーディガンを羽織っている。
僅かに化粧もしているようだが、元が超が付くほどの美少女であるため、化粧も相まって破壊力がとんでもないことになっている。
それでいて、出で立ちは可憐さだけではなく、パンツスタイルによってクールな印象もある。
もはや完璧であった。
「変な声をあげて、どうした?」
「へ!? あぁいや、その、なんつーか……」
「なんだ?」
煮え切らない様子の雷牙に、瑞季が小首をかしげる。
その仕草すら、今の雷牙の頬を真っ赤に染めるには十分すぎた。
何度か目線を泳がせたが、やがて観念したのか、彼は少し上向きがちに小さく言った。
「……綺麗だなって思ってよ」
やっとのことで言えたものの、瑞季からの返答や反応はない。
数秒間、二人の間に沈黙が流れるものの、耐えられなくなったのか雷牙から口を開く。
「な、なんか反応してくれよ」
「……フフ、いやすまない。君はお世辞が上手いな」
「いやいや、世辞なんかじゃねぇって! 普通に綺麗だと思ったし!」
「ありがとう。うれしいよ。では、行くとしよう」
薄く笑みを見せた瑞季は、雷牙の横を通り過ぎて行ってしまう。
「あ、おい! 待てって!」
二人から離れること数十メートル後方。
茂みの中から二つの人影が顔を出した。
「なぁ、舞衣。やっぱやめようぜ。気になるのはわかっけどさぁ」
「別に二人の邪魔をしようなんて思っちゃいないわよ。ただ、どんな感じのデートになるのか様子を見たいだけ」
人影の正体は、舞衣と玲汰だった。どうやら雷牙と瑞季のデートをかぎつけて様子を探りにきたようだ。
「あ、お前もしかして、二人が付き合ったらその馴れ初めとかを暴露する気でいるんじゃ」
「するかそんな事!! 今日見たことは全部私の心にしまっておいて墓場まで持っていくわよ」
「どうだかな……とりあえず、お前が変なことしないように、見張りとして俺もついてく」
「んなこと言って、アンタだって気になるだけじゃないの?」
舞衣の言葉に玲汰の身体が僅かに震えた。
図星である。
雷牙と瑞季の関係が気にならないといえば嘘になる。ただ、できれば友人として二人が恋仲になるのであれば、それはそれで祝福したい。
横にいるパパラッチのような不純な動機ではない。断じてない。
「てか、後をつけるにしてもそろそろ行かねぇとやべーぞ」
「ホントだ。行くわよ!」
「へーへー」
二人は、前を行く雷牙達の後をつける。
雷牙と共に正門を出た瑞季はいつもとかわらない冷静で落ち着いた表情を浮かべているが、その心中は決して穏やかなものではなかった。
――――綺麗、か。
綺麗と言われること自体は、初めてではない。出席したパーティなどで年配の男性や父の知り合いに言われている。
けれど、同年代の少年に面と向かって言われるのは初めてだった。ましてや、惹かれている相手に言われたことなどない。
気を紛らわすために髪をいじったりしてみるものの、まったく気は紛れない。そればかりか頭の中では先ほどの雷牙の声が何度も反復されてしまっている。
「……どうしたというんだ、私は……」
「なんか言ったか?」
「いや、ただの独り言だ」
なんとかごまかしてはみるものの、実際ごまかせているのか怪しいものである。
「ふぅん。で、最初はどこにつれてってくれるんだ?」
「大型の商業施設だ。こちらに来てまだ一週間だ。寮があるとはいえいろいろと入用だろう?」
「確かにな。じゃあ頼むわ」
どうやらそこまで怪しくは思われていないようだ。
内心でホッと胸を撫で下ろすと、瑞季は雷牙と共に最寄り駅へと向かう。
新都東京は日本の首都であり、最新技術や流行などの発信地でもある。
都心部は高層ビルが乱立し、毎日人々が忙しなく行き来している。
瑞季が雷牙を案内したのは、高層ビル群のひとつにある、駅を跨ぐようにして作られた、駅ビルと大型の複合商業施設が一体化したようなビルであった。
休みだということもあり、家族連れやカップルの姿が多く見受けられる。
「ほえー……。俺が住んでた山の近にあった街にもこういう施設はあったけど、やっぱり新都は違うんだなぁ」
「ここにいれば一日過ごせるからな。玖浄院にいれば食事に困ることはないが、ファッションなどはこういった場所で買った方がいいだろう」
「なるほどな。にしても意外だったな。お嬢様でもこういうところ来るんだな」
「君がどういう想像をしていたかは知らないが、私の家は君が考えてるような大金持ちというわけではないんだぞ?」
「でも入学式んとき、執事みたいな人いただろ?」
「父は忙しい人だからな、あまり家にいられないから私の世話役として何人か人を雇っているんだ。その中で雷牙が見た権堂さんは一番勤めている期間が長い。だが、私の面倒をずっと見てくれるわけじゃないんだぞ?」
「じゃあ自分の買い物に人がついて来てくれたりはしないのか」
「当然だ。やってくれるのは食事や屋敷の清掃だ。時には権堂さんがついて来てくれるけどね」
瑞季が説明すると、雷牙は「お嬢様も色々なんだなー」と頷いていたものの、僅かに怪訝な表情を見せる。
「アレ、でもお袋さんは?」
「母か……」
彼にとっては何気ない質問だったのだろう。特に悪気があって聞いたわけではない。
瑞季はふと視線の先で、母親と手を繋いだ幼い少女の姿を見た。
僅かにこみ上げてくるものを感じながらも、彼女はそれを振り払う。
「……母はもういないんだ。私が幼いときに、持病で亡くなった」
「あ……わりぃ。答えづらいこと聞いちまって」
「いいんだ、気にしないでくれ。そんなことより、お腹が空いていないか? そろそろお昼だ。店を予約してあるから行こう」
少しだけ暗い表情になった雷牙の腕を取り、瑞季は今日のために予約しておいた店に向かう。
瑞季が予約した店は、学生が行くにしてはそれなりに値の張る個室タイプの和食店だった。
中は非常に快適で、個室にいればほかの客の声などまったく聞こえなかった。
二人は食事を終え、食後のデザートに手をつけている。
「いやー、にしても美味かった。和食も久々だったなぁ」
「食堂ではいつも大盛りばかりだから、少し足りなかったんじゃないか?」
「そんなことはねぇよ。でも本当に美味かった。会計は俺が持つよ」
「もう済ませてある」
瑞季は携帯端末を取り出した。どうやらクレジットカードと連携させているらしい。
しかし、男として女性におごられのはいかがなものだろうか。
「だったら、俺の分の代金をお前に渡す」
「気持ちだけ受け取っておくよ。それとも、この額を今払ってしまって大丈夫なのか?」
彼女がだされたコース料理の明細を見せてきた。
最初は「払える」と言いたかったが、明細をみると、雷牙の顔が見る見るうちに蒼白になっていく。
「……今回は、ありがたく奢られます」
「うん。人の好意は素直に受けとておいた方がいい」
満足げに微笑みを浮かべる瑞季からは、ここに来る途中で一瞬浮かべた悲しげな色は全く見えなかった。
けれど、雷牙は彼女にあんな表情をさせてしまった自分が未だに許せずにいた。
彼女は母親が故人であることを話したのに、自分はなにも話さなくても良いのかと、自分の心が言っている。
小さく息をついた後、決意したように彼女を見据える。
「瑞季。たぶん俺と話してて薄々気付いているとは思うんだけど、俺には両親がいねぇ。赤ん坊の頃から、師匠とその付き人の人に育てられてきたんだ」
「雷牙? どうしたんだ、突然」
「いやなんつーか、俺なりのケジメってやつだ。お前はお袋さんが亡くなってること話したのに、俺だけ隠してるのもなんか嫌だなって思ってよ。だからまぁ俺の身の上話でもって……興味ないか?」
恥ずかしげに頬を掻く雷牙であるが、瑞季は一瞬キョトンとしたものの、首を横に振る。
「いいや、寧ろ興味がある。教えてくれるか?」
「ああ。俺は赤ん坊だったからまるで覚えてないんだけど、十五年前の斬鬼村正の災で、俺の両親は死んだんだ」
「あの災害現場にいたのか!?」
落ち着いた様子だった瑞季が少しだけ声を荒げた。無理もない。
斬鬼村正の災は、それまで観測された刃災の中で最大の刃災だ。死傷者三万人強に比べて生存者など三〇〇にも達していないらしい。
今では小学校、中学校の教科書にも掲載されるレベルであり、当時生まれていなかった者でも学校の教材などで見ている。
「母さんも父さんも刀狩者だったみたいだからな。父さんは母さんと俺を逃がすため、母さんは……俺を守ろうとして死んだらしい。だけど、死ぬ直前に師匠に俺を託したんだ」
「では、君のお師匠は……」
「ああ。母さんと師匠も師弟関係だった。元々家族のいなかった母さんとは親子みたいなもんだって言ってたな」
「なるほど。ならば君を託すのも頷けるな」
「んで、師匠に引き取られた俺は、師匠の付き人の安生美冬さんって人に育てられた。もちろん師匠にも育てられたけど、俺にいつも優しく声をかけてくれたのが美冬さんだ」
ふと修業時代を思い出す。朝から晩まで山の中で師匠と木刀でひたすら実戦形式の修業。
ひたすらボッコボコにされ、血と汗と涙と泥でグズグズになった雷牙を優しく手当てしてくれた。
そして雷牙がそのような惨状で帰ってくると、彼女は決まって「このクソジジィ!!」と師匠に鉄拳を振り下ろしていた。
「育ての親というやつだな」
「そうだな。師匠が厳しかったから、優しい美冬さんがいてくれて助かったけどな」
「なるほど、上手く調和が取れていたというわけだな。私の母も、優しかったが、同時に厳しかった。だが、その厳しさがあったから今の私がある」
「師匠ってのはどこも同じなんだなー」
「そうらしい。ところで雷牙、お師匠の名前は何と言うんだ?」
「あーそっか、言ってなかったっけな。師匠の名前は――」
脳裏を袴姿の髭の長い老獪の姿がよぎる。
顔には大きな傷があり、厳つい雰囲気を漂わせる彼の名は。
「――柳世宗厳だ」
雷牙と瑞季が入っていった和食料理店の前には、非常に庶民的なレストランがある。
そのレストランのテーブル席では、舞衣と玲汰が向かいの様子を観察していた。
「出て来ねぇな」
「もうちょっとかかるでしょ。あとここアンタのおごりね」
「ざけんな殺すぞ」
「冗談よ」
「テメェの冗談は信用ならねぇ」
彼らの尾行はまだ続く……。




