息子がヒーローになりまして。
息子の様子が変だ。
いや、夕食の食卓にいること自体が不自然なのだ。色褪せた畳の上にあぐらをかいている。敢えて訳さないが、ろくでもない英語が書かれた赤いティシャツと穴だらけのズボン。アンパンマンのパジャマを着てた頃が懐かしい。
思春期を迎えて、反抗期に突入しコンビニの前に座り込んでダラダラと時間を潰す息子の姿を何回も目撃して見て見ぬふりをしていた。
息子の金髪の髪が、おかわり、と茶碗を差し出す動きと共に揺れた。は、っと我に返ると椅子から腰をあげて茶碗を受け取ると私はおかわりの飯をよそった。
「俺さ、…」
歯切れの悪い言いにくそうな声。奥歯に手づくり餃子のニラが挟まったのかもしれない。
バイトを首になった、私の通帳の金を使い果たした、あのおっぱいがデカイ姉ちゃんを孕ませたのか、色々と悪い言葉の続きがパブロンという入浴剤を入れた時の泡のように次々と浮かぶ。柑橘類の匂いが好きだ。以前、妻がグレープフルーツはダイエットに効果的なのよっと風呂に入れた事がある。ジャムになるグレープフルーツの気持ちが身をもって痛感したのはいい思い出である。
「ヒーローになろうと思うんだよね」
味噌汁を啜りながらぽつり。照れ屋で肝心のところで顔を合わせられないところは私譲りだ。
「人助け、か。それは立派だがヒーローはボランティアみたいなものだぞ。サラリーマンと併用し活動しているヒーローがいるが、両立は大変だ」
「なんか、自分の知り合いみたいな口調だけどそのヒーローのサラリーマンってあれだろ」
久しぶりの私の手料理に満足したのか、膨らんだ腹を撫でつつ壁に寄り掛かる。行儀が悪い。だが、私は特別注意をしない。息子に嫌われたくない。世間様から見たら眉を潜める行為を私は黙認している駄目な父親なのだ。
ちなみに我が息子がいうあれ、とはあれだ。青いヒーロースーツに身を包み股間をもっこりさせている、赤いマントのあのひとである。
「俺は、あんなヒーローにはなるつもりはない」
「……あんな、とは?」
済んだ食器をまとめて流し台に運んだ。水に浸けておかないと汚れが取れにくくなる。私はちょっとした一手魔を面倒臭がり妻にいつも叱られた。
「……あれを正直一度も見たことないから、なんとも言えないけど…単なる人助けで終わりたくない」
眉間に皺を寄せて重い口調で息子は言った。その言葉は私の右耳から入って左耳から抜けていく。
「そうか」
長く沈黙した後、私は取り合えず息子と同じく重い口調で言葉を返した。何も考えてはいないが、そうした方が何かを考えている風になるからだ。
「とりあえず、父さんは反対だ」
沈黙に堪えきれず自分の口から滑り出た言葉に私は驚いた。特に反対する気持ちはなかったが、息子の成長を促すために反対するのもいいかもしれない。後から納得して、私は息子の反応を伺った。
「……何で、反対なんだよ。」
ごもっともな息子の言葉。私は銀縁眼鏡をつ、っと指で押し上げると目付きが悪いと幼少の頃から言われる双眸を細めて言った。
「ヒーローはなろうとしてなるものではない。単なる人助けで終わる。かの英雄達は死んでから、人々にあの人は素晴らしかったと称えられた。評価は後々になってから生まれるもの」
「……死んでから」
ぽつりと低い声で呟くと息子は俯いた。表情が見えない。泣いてないだろうかと私は少し心配になった。
「俺は自分の名誉とか名声のために、ヒーローになりたいわけじゃないんだ」
私は息子のその言葉に熱く感激した。
「分かった。父さんも一緒に戦う!」
えっ!と明らかに迷惑そうな顔をする息子。思ったことを隠せないのは妻譲りである。
「いや、親父は……司令をやってくれ。遠くから俺のヒーロー具合いを見ててくれ」
どうやら私と一緒に行動するのが恥ずかしいらしい。
息子の年の頃、私も親父と並んで歩くのが嫌で嫌で仕方なかったもん。分かる。その気持ち。だが、父親となった今、父親の気持ちも分かる。
息子に構ってもらい、たい!
「そんなことを言って、私が邪魔なんだろう?ヒーローになりたいくせに、親父をないがしろにするなんて、けしからん!!」
私はプンスカ怒り始めた。モンスターペアレントならぬ、モンスターダディだ。またの名は構って怪獣。さあ、息子よ!父さんをやっつけるがいい!
ばっ、とファイリングポーズを取る私を見てはぁーっとため息を吐いた。
「寝る」
飯を食ってすぐ寝ると、牛になるぞと言うが息子は止まらず部屋に行ってしまった。私は肩を落として皿を洗って片付けを済ました。
そして、携帯電話を取り出してツイッターで、「息子がヒーローになりまして。皆様にご迷惑おかけします」と呟いた。