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例え世界が変わっても  作者: パピヨン
第一章 国家転移
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初めまして。この作品は処女作となります。なのでおかしいところがあったら指摘してくれると嬉しいです。

1939年9月1日、ドイツ第三帝国はポーランドに宣戦布告。第二次世界大戦が始まる。

1941年大日本帝国は真珠湾に奇襲攻撃をしかける。太平洋戦争の始まり。

1942年、暗号がバレていることに気づいた山本五十六はそれを逆手にとり、6月5日ミッドウェー海戦にて米空母3隻、重巡洋艦6隻駆逐艦数隻を沈め大日本帝国海軍の大勝利となった。

だが暗号の改良を提案するも、案の定

「日本語は米英如きに解読なんぞ出来ん」という回答がきたため五十六主導海軍独自の暗号を作る。この改革により海戦は日本の有利に進むが、アメリカの造船能力と大量の戦闘機、爆撃機に苦戦を強いられる。

8月3日アリューシャン列島を攻略しアラスカ上陸作戦を決行、

2週間後にはアラスカを攻略するものの、補給の問題でカナダ侵攻は不可能となり、カナダからアメリカへの侵攻計画は白紙になり、アンカレッジまで撤退。

24日、ハワイ近海にて海戦勃発。アメリカ太平洋海軍を半壊させるものの、空母1隻、軽巡洋艦5隻などを失う。その為五十六は伊400によるワシントン空襲作戦を立案する。

10月4日オーストラリア上陸作戦を開始したものの、情報が漏れていたため作戦は失敗。死者2万人をだしオーストラリアから撤退。

26日、伊400潜水艦によりワシントンを奇襲爆撃。アメリカ側死者2人負傷者200人、日本側損害なし。アメリカ側の被害は少ないが、アメリカ本土史上初の空襲もあり、アメリカは前代未聞の混乱状態となる。

28日、急ピッチで作られた伊401がニューヨークを空襲。爆撃機1機が落とされたものの、アメリカでは日本との早期講和ムードが高まる。

43年8月、無謀な作戦、インパール作戦開始。予想通り作戦は1週間で破綻。死者16万人をだし陸軍の無能さを追求される。

10日、珊瑚海にてアメリカ太平洋艦隊主力と衝突。大海戦となり結果アメリカ主力艦隊は壊滅、日本海軍も武蔵など多数の戦艦を失う大打撃をくらい、戦術的には引き分け。戦略的には太平洋艦隊の壊滅と西太平洋、オーストラリア近海の制海権の確立という当初の目的を果たせた為、勝利となった。

その翌日、アメリカからの打診により講和交渉が始まる。アメリカ太平洋艦隊の壊滅を受け、アメリカ国民は講和1色ムードとなる。

12月8日、ハワイにて講和会議が開かれ、ハワイ王国の独立、フィリピン、アリューシャン列島の割譲、アメリカ太平洋艦隊の残りを日本に譲渡する。ドイツとも講和すること。さらに今後の第2次世界大戦に一切干渉しないこととし、賠償金はゼロとなった。

賠償金ゼロということに陸軍と国民は納得できなかったものの、五十六や他の海軍将校はアメリカの恐ろしさを肌で感じた為、早期講和を優先した。また打撃を受けた日本海軍もアメリカから譲渡した艦船で穴埋めでき、さらに最新技術も手に入ったことにより海軍はさらに強くなった。

24日、ドイツ、イタリアなどとアメリカは白紙講和した。無賠償、無割譲。さらにイギリスなどを支援しないという内容だった。

44年、1月3日スリランカ上陸作戦を開始。そして7日で攻略。

2月6日、インドの南部へ上陸作戦を開始。2日後インド独立戦争勃発。日本はインド独立軍を支援。さらにビルマ地方とスリランカの譲渡を条件にインド独立軍は大東亜共栄圏に正式に加盟。

6月8日、スエズ上陸作戦を決行し、スエズを奪うもイギリス戦車相手に苦戦、ドイツ軍の支援もあり何とか奪取に成功。

陸軍はドイツから戦車技術の購入交渉を始める。交渉の結果、ティガーやIII号戦車、試作型の戦車をいつくか購入。さらにドイツに新型零戦や新型戦闘機を売った。

8月15日、地中海にてイギリス、フランス連合艦隊と日本の連合艦隊と海戦。結果は日本海軍空母2隻、戦艦5隻、重巡洋艦6隻、駆逐艦数十隻を失う歴史的大敗北だが、大和や航空機の活躍もあり、連合軍戦艦2隻、重、軽巡洋艦含めて18隻、駆逐艦26隻を沈めた。

その後海軍は航空主戦論に基づき、航空機開発に注力し最後の超大型戦艦、呉を作った。これにより日本海軍は戦艦開発を中止した。

44年9月9日、イギリス領インド帝国が崩壊しインド独立戦争終結。これにより日本帝国陸軍はアフリカ進出論とドイツを助けるための北進論に別れる。実はこの時ドイツは第二次スターリングラードの戦いに敗れ、ソ連の猛攻撃を受けてドニエブルラインまで撤退していた。だがソ連軍は、アメリカの支援もなかったため、だいぶ進軍速度は落ちていた。それに対してドイツは、足りなかった資源、石油やゴムを日本から輸入していたため、完全敗北になっていないものの敗北は時間の問題と思われていた。日本はソ連の勝利を避けるため、

11月5日、不可侵条約を破棄。2日後にソ連に宣戦布告。更に2日後、米英の支援が無くなり力尽きた中華民国と中国共産党が降伏、日中戦争は終結した。

この時ドイツから購入した戦車を参考に作った新型中戦車、ライコウの活躍もありソ連国境警備隊は3日で壊滅、さらに旧式戦車も次々撃破していった。この事態にソ連は2つの戦線をかかえることになり、さらにドイツの反攻も始まりソ連は各戦線で負け続け、反スターリン派による反乱がおこり45年5月、ソ連は降伏。日本はシベリアとその東を割譲させ、アムール国を建国した。ドイツは東方生存圏に基づき東方地域を併合した。

ソ連アメリカの脱落により、イギリスは窮地にたたされ、8月15日、日本とドイツ、イタリアと名誉の休戦条約を締結。内容は太平洋の島々とマレーシア等は日本に割譲させ、アフリカはイタリアに。フランスは北部をドイツ領に。南部はヴィシー政権のフランスとなった。イギリスは独立は守られたものの、かつての大英帝国は無くなっていた。

こうして第2次世界大戦は枢軸側の勝利となった。

だが、アメリカの脅威はまだ終わっていなかった。その為対アメリカ戦のために陸軍の大改革と陸、海の航空部隊を空軍として独立させ、さらなる戦力強化をしたが、無理があった。

戦争により経済はボロボロ。さらに占領地域では独立運動もあり軍政は支持が急速に没落。やがて1956年、東京革命が勃発。この革命は全国に及び軍政権は崩壊。民主主義政権が誕生し、これまでの帝国主義を否定。時の首相である北条幸太郎は、占領地域を解放しさらに技術提供、インフラ整備しアジア連邦を作り多民族国家が完成した。

自治権はあり、さらに日本はインフラ整備もやり、日本企業の進出による雇用の増加により不満は皆無、まさしく国家の理想的な状態となった。さらに日本は陸軍、海軍の大規模な大改革をやった。急速な改革だったため反対派が出ると予想されたが反対派は多くはなかった。その為新型戦車や新型空母、攻撃ヘリなどが次々と産み出されて行った。

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