エピローグ
エ ピ ロ ー グ
※
『恋をしましょう』は、出来栄えは悪くなかった。ただ、興行的には全く上手くいかず、マリリン・モンローの失敗作、と位置づけられた。
イヴのハリウッド進出の夢は実現したが、どうやら一発屋で終わりそうだった。
一九六一年二月一日、『恋をしましょう』の次の作品『荒馬と女』が公開された。
アーサー・ミラーが愛妻マリリンのために書いた脚本だと、仲睦まじい様子を想像したファンは、公開を待ちわびた。
しかし、愛の冷めたアーサーが、マリリンを活かす脚本を書くわけがない。マリリンの演じるロズリンは、社会に適応できない、単に我儘な女だった。
クランクアップした十一月五日、共演したハリウッド・キング、クラーク・ゲイブルが心臓発作を起こし、二週間後に死亡した。
「マリリンが、遅刻ばかりして、老体のゲイブルに負担が掛かったんだ!」
「我儘なマリリンに、ゲイブルは辛抱強く対処したってさ。心労が祟ったんだろう」
「マリリンは、ハリウッド・キングを殺したのよ!」
マリリンは何も言えず、耳を押さえた。罵声は直接、マリリンにぶつけられた。悔しい思いに、唇を噛む。
ゲイブルには申し訳なかったと思う。二時間、三時間の遅刻では、済まなかった。時に一日、酷い時には、三日も遅刻した状況もあった。
スタッフに死人が出るほどの心労を与えたマリリンの行動には、隠された意味があったから。
マリリンは、エリックの子を産む決意をしていた。そのため、妊娠を知らせず、撮影に入った。
誰にも言えないのだから、仕方ないが、皆、マリリンの体をさほど気遣ってくれなかった。そもそも、太めだったため、妊娠による体型の変化がわかりづらい点もあった。
二月十日、マリリンは元気な男の子を出産した。
看護婦が赤ん坊を、マリリンの前に抱いてきてくれた。青い瞳に、黒い髪。エリックとそっくりだった。
ずっと付き添ってくれたエヴェリンが、涙を浮かべて感激していた。
「マリリン、やったね! エリックの血を、あんたは残したんだ」
マリリンは「そうね」と小さく笑うと、赤ん坊の頬を突く。赤ん坊は、いやいや、とばかりに眉間に皺を寄せ、固く握り締めた手で払った。
「決めた。この子は、エリック・ドノバン・ジュニアよ」
エヴェリンがそっとジュニアを抱き上げ、ゆっくりと揺すった。
「いい名前だね。お父さんのぶんも、しっかり生きていって欲しいね」
「ええ、この子なら大丈夫。きっと長生きしてくれるわ」
しばらく無言が続き、看護婦が部屋を辞した。待っていたかのように、エヴェリンが問い掛けてくる。
「ジュニアを里子に出す決意に、変わりはないの?」
マリリンは妊娠中から、すでに決めていた。
イギリスに住むエルが、是非とも自分で育てたいと申し出た。マリリンは「よろしくお願いします」と応えた。
「ええ、変わらないわ。私が育てたら、エリックとの秘めたる恋が暴露される。私たちの愛は手垢をつけられたり、汚されたりしないように、心の奥深くに収めておくのよ」
「イギリスじゃあ、なかなか会いに行けないでしょうに」
エヴェリンの思いは嬉しかった。マリリンだって、できるものなら、自分の手で育てたい。でもマリリン・モンローが夫以外の男の子供を産むなんて、とんでもないスキャンダルだ。アーサーとは一月二十一日に離婚していたから、数字も合わない。ジュニアの将来にも、悪影響を及ぼす。
「エルには、母親として育ててください、って頼んであるの。実の母がマリリン・モンローである事実は、永久にお互いの胸の中、墓場まで持って行くでしょう」
「マリリンが母親だったら、ジュニアはどれだけ喜ぶか、知れないよ」
「私の傍には、いないほうがいいの。いろいろと問題が大きくなるわ」
エヴェリンが言い難そうに、マリリンに問い掛けた。
「それってさ、最近タブロイド紙を賑わしている問題と、関係ある?」
ドキリとした。ケネディ兄弟との仲が世間で噂されている事実は知っていた。エヴェリンがいくら親友とはいえ、全てを話す必要はない。
エヴェリンの質問は、さらっと無視しようと決めた。
「私、なんだか、もう、あまり長く生きない気がするの」
エヴェリンがそっと、ジュニアの体を、マリリンに返した。
「何を言ってるの! ゲイブルが死んだ理由は、あんたではないわよ。暴れ馬を抑える役を、スタントにやらせなかったから、心臓に負担が掛かったんだ」
マリリンは思わず、口の端を上げた。
「ゲイブルの後を追おうとしている、なんて考えは、欠片もないわ。そんな気持ちになるなら、エリックの後を、とっくに追っているわよ。ただもう、私を取り巻く大きな、負の渦の中に、置いておきたくないの」
エヴェリンが、意味が分からず口を開けた。
「どういう意味?」
マリリンは失笑した。自分でもわからない、強い存在について、どうして説明ができようか。新しい命が腹の中にあった時、マリリンの勘は怖いぐらいに当たった。そんな時に感じた、不吉な思いだった。
ジュニアには、エルの元で伸び伸びと育って欲しい。父親が苦しんだような子供時代ではなく、笑いが絶えない日々に。
マリリンは、愛しい思いに、ジュニアの額にキスをした。
――ジュニア、ママはこのアメリカで、生きられる時まで生きていくわ。貴方は何も知らないまま、平凡でいいから、幸せになってちょうだい。
愛するからこそ、身を切り裂かれる思いで、ジュニアとの繋がりを切り捨てる。
ジュニアはいつか、自分が母に捨てられたと苦しむだろうか? その時には是非とも、エヴェリンを訪ねて欲しい。マリリンを良く知っていて、ジュニア誕生の秘話にも拘わっている。
その時にはもう、マリリンはこの世にいない。どんな予言者の言葉を聞くより、確かな気がした。
マリリンは最後にもう一度、ジュニアの頬にキスをすると、拒絶の態度で、ジュニアに背を向けた。
完




