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探偵マリリン  作者: 霧島勇馬
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プロローグ

      プ ロ ロ ー グ


1 スタンドインの憂鬱

 マリリン・モンローのスタンドイン、エヴェリン・モーティアルトは、ニューヨークのアパートで、『エド・サリバン・ショー』にチャンネルを合わせていた。

 このところ、マリリンは映画を、一年に一本のペースで撮るスケジュールだったので、エヴェリンものんびりした日々を過ごしていた。

 マリリンと似た容貌だからといって、いいことは少ない。どちらかというと、厄介事に巻き込まれる場合が多かった。

 突然、電話が鳴った。エヴェリンは嫌な予感がした。首を横に振り、受話器を取り上げる。

 エヴェリンの予感は的中した。電話の主は、天下のマリリン・モンローだった。

「エヴェリン、すぐにスターライト・ホテルに来てちょうだい!」

 切羽詰まった声だった。エヴェリンには、だいたいの見当がついていた。

「また、薬を飲みすぎたの?」

「そうなの! もうじき、イヴ・モンタンとシモーヌ夫妻に会わなければならないの。なのに、このまま眠ってしまいそうなのよ!」

 やれやれ、またやったか。マリリンは、緊張すると、それを和らげるために、睡眠薬を飲む悪癖を持っていた。眠くて頭がぼんやりしていたら、緊張も消える、と馬鹿な論理を披露してくれたっけ。

 ……無視するわけにもいかない。

「わかったわ。すぐに行く。どんなドレスを着て行ったの?」

 マリリンの声は悲鳴に近かった。

「どんな衣装でもいいってば! 化粧室で着替えましょ!」

「あと、何分ぐらい、意識を保っていられそう?」

「……五分ぐらい」

 冗談じゃない! 他人はいつも何時間も待たせるくせして、エヴェリンには五分以内に来いと要求するのか!

 怒りに顔が熱くなり、罵声を浴びせそうになる気持ちを、懸命に抑えた。唾をごくりと呑み、なるべく静かに告げる。

「わかった。ホテルの一階にある化粧室で落ち合いましょう」

 いくら着替えるにしても、ホテルまで普段着では行けない。エヴェリンは受話器を置くと、とりあえず適当な衣装を探しに、クローゼットを開けた。

2 スターの苦悩

 マリリンは大きく息を吐くと、公衆電話の受話器を下ろした。

 ――もう、嫌! だから最初から、こんな会合、持ちたくなかったのよ!

 ブースから外に出ると、夫のアーサー・ミラーが、神経質な顔を向けてきた。

「連絡は取れたか?」

「五分以内に来てくれるよう……頼んだわ」

「どんなに飛ばしたって、二十分は掛かるだろう」

 その程度の問題なら、わかっている!

「だから! 早く来て欲しいって願いを込めて頼んだの!」

 瞼が重くなってきた。立っているのさえ、大変だった。マリリンは公衆電話のブースの横に、ロングドレスのまま、しゃがみ込んだ。

「待っている間ぐらい、立っていられないのか!」

 アーサーが周囲を気にして、マリリンの腕を引っ張り、強引に立たせた。ホテルのボーイが、すぐさま近寄って来た。

「お客さま、ご気分が優れないのですか? お休みする部屋を用意いたしましょうか?」

 マリリンは意識して、ボーイに撓垂(しなだ)れ掛かった。

「……ええ、お願い。二時間か三時間も休めば、大丈夫だと思うから」

 アーサーが、舌打ちした。

「三時間も君の仕事のために、拘束されるのか。迷惑な話だ」

 何が、君の仕事のために、だ!

 マリリンと結婚してから以降ずっと、アーサーは何一つ小説を書き上げていない。生計を立てている実情は、マリリンの収入だけだった。

「いいでしょ! どうせ、タイプライターに向かっても、何も書けやしないんだから!」

 一瞬、アーサーの顔が怒りで凍り付いた。

 ――ふん、怖くないわよ! 私をわざと不安にさせて、会合を失敗させる腹だったんでしょ!

 一九五九年四月、結婚して二年になるが、アーサーとの仲は、すっかり冷えていた。特に切っ掛けと言えるものがあるとすれば、二度にわたる流産だろう。

 セックスの女神が、子供一人も(はら)めないなんて、笑わせる。でも、これが現実だった。

「なるべく下の階がいいわ。待ち合わせ場所のロビーに近いから。それから、もうじき、私と容貌のよく似た女性が来るんだけど、私の部屋に案内して欲しいの」

「かしこまりました」

 その時には、フロントに立っていた男もやって来て、二人でマリリンの体を支えた。

 あまり目立ってはいけない。何しろ、イヴ・モンタンとシモーヌ・シニョレは、これから会う女がマリリンだと信じて疑わないのだから。

 ホテルの従業員も、さすがの機敏な動作で、マリリンの姿が周囲に気付かれないよう気を使い、廊下を運んだ。

 瞼を開けたままでいる真似がこんなに大変だなんて。あまりに眠くて、頭が痛くなってきた。

 フロントがマリリンを抱え、ボーイが鍵を開けた。アーサーはコートを手にしているだけで、何の協力もしない。忌々しい!

 マリリンはベッドに倒れ込んだ。ふかふかのマットレスの中央に、すぅっと魂が吸い込まれていく。

 そうだ、エヴェリンに着替えてもらうために、服は脱いでおかないと。マリリンが服を脱ぎ出すと、ボーイが慌てて外を向いた。フロントは落ち着いたもので、アーサーと小声で話していた。

「ご宿泊客のモンタン、シニョレ夫妻とお食事をなさるんですね。レストランの人間に、事情をお話しておきます。途中でまた、奥さまが入れ替えに加われる可能性もありますから」

 アーサーが鼻で笑う。

「僕はマリリンと一緒より、スタンドインといたほうが、気分が楽なんだ。何しろミス・パーフェクトだからね」

 フロントが「はぁ」と苦笑する。

 愛しのエヴェリン・モーティアルト。どんな時でも、身形(みなり)をきちんと整え、いつだってスタンバイOK。要求された仕事は完璧にこなす。

 もしマリリンと容貌が似ていなかったら、ハリウッド女優として、大きく羽搏(はばた)けたことだろう。撮影関係者でエヴェリンに肩入れする人間は多い。

 誰かが、冗談で言っていた。二十世紀フォックス社とは、エヴェリンが契約して、マリリンがスタンドインを務めたほうがいいのでは、と。

 マリリンだって時々思う。もう、いい加減、マリリン・モンローを辞めたい。平凡な女になって、誰にも好奇の目で見られることなく、静かに暮らせたら。

 アーサーが冷徹な声で、マリリンに呼びかけた。

「ロビーに行っているよ。モンタン夫妻が、もう既に現れているかもしれない」

「……エヴェリンに会ったら、この……部屋に――」

「着替えなんて必要ない。君の趣味の悪いドレスより、エヴェリンがいつも着ているセンスある服のほうが、モンタン夫妻は好印象を持つだろうよ」

 言い返してやりたいが、上手い言葉が思いつかない。その隙に、アーサーが部屋を出て行った。ポーターとフロントが続く。

 ドアを閉められ、暗い部屋にマリリン一人が残された。途端に後悔が押し寄せる。

 やれば、できるんじゃないか。今からでもアーサーを追いかけて、モンタン夫妻と挨拶だけでもしたかった。エヴェリンの株がまた上がる展開も悔しい。

 眠りたくないのに、睡魔が押し寄せる。

 赤ん坊が眠りたくても眠れないで、泣いている様を見ると、マリリンは、いつも現在の自分に当て嵌めた。

 眠りたくても眠れないのと、眠りたくないのに眠たいのは、似た者同士だ。意識を失った瞬間、ようやく幸せが訪れる。

 ――こんなつもりじゃないのよ……いつも、ちゃんと頑張ろうと思うのよ……。

 そのまま、マリリンは眠りに落ちた。

 エヴェリンがホテルのロビーに入ると、一際ぐんと背の高い男が目に入った。醸し出すオーラで、即座にアメリカ人ではないとわかった。

 ――あれが、フランスのトップスター、イヴ・モンタンか。どことなく、ジョー・ディマジオに似てるわ……。

 ディマジオはアメリカプロ野球界の英雄で、マリリンの二番目の夫だった。マリリンは野球の世界に疎く、ディマジオの凄さを、とうとうわからず仕舞いだった。

 ディマジオも、マリリンに家庭には入って欲しかったらしく、結婚当初から、夫婦仲は上手くいっていなかった。長持ちはすまいと踏んでいたが、あっけなく別れた。

 アーサーとの蜜月も終わった。この先マリリンは、どこへ向かうのだろう?

 イヴと目が合った。落ち着いていこう! ポイントを押さえた濃い化粧をしていけば、だいたいの男は騙せた。それに、イヴとは初対面だ。エヴェリンは満面の笑みを浮かべ、右手を差し出しながら、近づいた。調子に乗って、腰をくりくり動かしてみる。

 ――さあ、エヴェリン劇場の始まりよ! ミス・パーフェクトの演技を、とくとご覧あれ!

「アンシャンテ、ムッシュー・モンタン、マダム・シニョレ、ジュ・メクスキュズ・デートゥル・アン・ルタール(遅れて済みません)」

 シモーヌが妖艶な笑みを浮かべた。さすが純フランス産だけある。特有のムードを持った奥方だ。流暢な英語で返してくる。

「そんなことありませんわ。たった今、来たばかりですのよ」

 マリリンが遅刻魔である現状は、フランスでも知られているだろう。少なくとも、ハリウッドに活動の場を求めるフランス人なら知っているはずだ。

 ――ふん、気取っちゃって。フランス産なだけの、アンティーク人形のくせに。

 イヴがマリリンの手を取り、キスをする。

「お目にかかれて光栄です、マダム・ミラー」

 ――呆れた! マリリンがアーサー・ミラーの妻だなんて事実に、何の意味があるのさ!

「マリリンとお呼びください。私もファースト・ネームでお呼びしたいですわ」

 イヴが笑顔で返す。

「敬語は要らないよ、マリリン」

 シモーヌがイヴに続けて、口を開く。

「素敵なドレスね、趣味がいいわ」

 だいたい、退屈な人間はまず、ドレスを褒める。フランス産というだけで、シモーヌは無駄に株価を上げている気がする。

 もっとも、マリリンから頂く多額の衣装代を、趣味の悪いドレスに使った経験は一度もないが。

「ありがとう、シモーヌも素敵。大人の女って雰囲気」

 シモーヌはうっとりと笑った。

「いつまでもいい歳して、子供の真似していられる国じゃないからよ」

 それは三十をとうに過ぎて、今も甘ったるい声で歌うマリリンを馬鹿にしているのか? マリリンの敵は、エヴェリンの敵だ。

 ――(あったま)来る、この女!

 にぃっと口の先が割けそうなほどに微笑みを返し、エヴェリンは右腕でアーサーの、左腕でイヴの腕を取った。

 すかさず、ロビーに待ち構えていたカメラが、フラッシュを焚く。

「マリリン、こっち向いて!」

「僕にも笑顔を頼むよ!」

 誰もシモーヌの名前など呼びはしない。ここがアメリカでなくフランスであっても、状

況は同じはずだ。マリリンに男は(かしず)き、女たちは不満にハンカチを噛む。

 ここでシモーヌに負けたら、マリリンに顔向けできない。睡眠薬を常用し、時に意識不明になってエヴェリンに頼ろうが、マリリンは星空に一際大きく輝く、世界のセックス・シンボルだ。何よりマリリンの人気が地に落ちれば、エヴェリンの仕事もなくなる。

 エヴェリンは一歩前に出て、カメラマンにセクシーなポーズを取った。

 ――さあ、どこから撮ってもいいわよ! シモーヌの顔を写真の半分しか映らないようにしてやる!

「エヴェリンもやってくれるじゃないの。シモーヌの顔が、完全に見切れているわ」

 ホテルの部屋で眠りこけたマリリンは、翌朝の新聞を手にして、大いに笑わせてもらった。ベッドサイドにエヴェリンが座り、昨夜の報告をしてくれた。

「イヴときたら、マリリンと共演する気満々なの。そんな話がフォックス社に流れているの?」

 途端に鬱陶しい思いが、マリリンを支配した。二十世紀フォックス社とマリリンの契約では、あと一作を撮影しなければならなかった。

「フォックス社が私とイヴの共演を望んでいる点は事実よ」

「あんたはどうなの、マリリン? イヴと共演したいの?」

 共演したいか、だって? いつだって、マリリンの意見が通ったためしはない。マリリンは大スターと呼ばれながら、フォックス社に搾取され続けていた。

 過去に一年間、フォックス社を黙らせて、演技派開眼のために、ニューヨークに留学もした。結果、マリリンのギャラは当初よりだいぶアップした。

 でも、一流と呼ばれる女優、たとえば、エリザベス・テイラーなどに比べたら、収入は十分の一に過ぎなかった。

 マリリンは大きく諦めの息を吐いた。

「仕方ないわ。会社には従わないと。私には断る権利なんて、一切ないんだから」

「あっきれた! 天下のマリリン・モンローが、相手役を選ぶ権利もないってぇの?」

「ただ私が、「イヴは夫アーサーの次に、素晴らしい男性だと保証するわ」なんてフォックス社に報告したら、全て丸く収まるのよね」

 知りたい点は、エヴェリンから見て、イヴがどう映ったか、だ。どうせ共演する展開にはなるだろう。せめて良い報告ぐらい聞きたかった。

 エヴェリンが悔しそうに苦笑いした。

「それがさ、悔しい話なんだけど、すっごいオーラがあるのよ。ちょっと横目で見られただけで、こちらはドキッとしちゃう。ロマンスの国で大スターになっている理由も頷けるわ。背は高いし、身のこなしもスマート。文句のつけようなし」

 マリリンは口元に拳を当て、しばし考えた。

「下手すると、食われちゃうわね」

「うん、そう思う」

 マリリンは覚悟を決めた。

「やるしかないわ」

「ア・ムールの国の男と、アメリカのセックス・シンボルとの戦いか。マリリン、負けないでよ!」

 頼もしい味方が、ここにいる。ミス・パーフェクト、エヴェリンが。

 周囲はエヴェリンの完璧ぶりをマリリンが煙たがっていると思っている。だが、真実は違う。煙たい女なら、とっくにスタンドインを解雇している。

 エヴェリンは誰よりマリリンのファンでいてくれる。時々迷惑を掛けるが、何とか耐えてくれている。どうか、これからも、マリリンをサポートして欲しい。

「じゃあ、さっそくフォックス社に電話するわ。ザナックは喜ぶでしょうね。安上がりで客の入る映画が、また一本、撮れるんですもの」

 エヴェリンが両腕を上げ、大きく伸びをした。

「また、いろいろと気を揉む日々が始まるわけか。マリリン、しっかりね!」

 エヴェリンには、感謝している。マリリンがカメラ恐怖症を克服できないせいで、迷惑ばかり掛けている。周囲はエヴェリンがマリリンと立場を取り換えたらいいと噂しているが、涼しい顔で、地味な仕事を引き受けてくれている。

 あまり、甘えてもいけない。エヴェリンに臍を曲げられたら、マリリンの日々は立ち行かない。

 マリリンは「頑張るわ」と、笑顔を作るしかなかった。



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