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 小学校の校庭の片隅にジャングルジムがある。いつもは生徒が集まっているが、今は人の姿がない。そもそも、校庭自体に生徒の姿がない。

 今は日曜日。しかも正午を回っている。野球チームの練習すらやっていない。

 ジャングルジムの一番上で、ぼんやり青の空を見ていた。足音がして、下を見た。僕が呼び出した人がそこにいた。僕を見てにっこり微笑し、ジャングルジムを上がってきた。そして、僕の横へならんだ。

「で、どう?」

「どうって?」

「久し振りの学校でしょ? 休みの日だけど」

「うん」

 ――懐かしいね。

 ここからの景色が懐かしい。

 校舎の陰影が懐かしい。

 校庭の大時計が懐かしい。

 隣に静久がいることが、懐かしい。

「思い出したよ。色々なことを」

「ふーん。良かったじゃない」

 冷めた言い方をするが、彼女は驚きと喜びで笑窪が出来ている。さっと右腕が伸びてきて、途中で止まった。

「いつ思い出したの?」

 腕を掴む代わりにそう聞いてきた。

「あのあと――シズクが退院して、僕が留美さんの助けを借りながら一人で家に戻ってから。一人で暮らすようになってから」

 小学生にして一人暮らし、みたいなことになっている。だが、家事全般は留美さんが手伝ってくれている。食事は留美さんの家である寮まで行き、静久と一緒に摂っている。ときたま泊まっていくこともある。だから、一人暮らしとは言えない。一人暮らしみたいなもの。それが現状。

 学校へはまだ通っていない。記憶が戻っていないため、行く気になれなかったのだ。静久は同じクラスらしいのだが、それは、あまり学校へ行くこととは関係がないことに思えた。

 だが昨日家にいたとき、気紛れに姉の部屋へ入ってみた。

 小学校の卒業文集があった。姉のページを覗いてみた。小学校のときの思い出が、読んでいて楽しくなる文体で作文化されていた。

 そして最後の文に、僕らの名前を見付けた。

『惺と静久ちゃんが、ずっと仲良しでいたら嬉しい。二人が仲良く登校するのを見るのが好き。これからは班長としてじゃなくて、お姉さんとして二人を見守っていきたい。だって、二人は本当に仲がいいから。ずっと一緒にいるのを見ていたいな。』

 なぜ姉が小学校を締めくくる卒業文集の最後に、僕らのことを載せたのかは解らない。

 ――ああ、バッカみたい……。

 何かがかしんと頭の中で響いた。いつかと同じ感覚。そう。まだ僕と静久が入院していたとき、静久が涙を見せたとき。記憶が戻り掛けたとき。

『ねえちゃん、何書いてんの? バッカみたいだよ』

『いいじゃない、本当のことなんだから。かまわないでしょう、静久ちゃん?』

『うん。睦お姉ちゃん、嬉しいよ! ありがとう、お姉ちゃん!』

 いつか交わした会話。甦る映像。姉がいる。静久がいる。二人とも笑っている。きっと僕も、笑っている。母もいる。父もいる。

 ――ああ、そうだった。

 記憶との邂逅は、思っていたよりもずっと緩やかで、かつ自然で、優しかった。

 僕は過去の僕や静久や家族と再会した。

 本当に僕は泣き虫だ。姉の卒業文集の上に染みを作ってしまった。


「睦お姉ちゃんの文集――あれ、嬉しかったな」

 静久は目を細める。細める直前、彼女の双眸は悲しそうに光った。

「うん。ずっと一緒にいたいね」

「一緒にいるの!」

 突然静久は僕のことを睨んだ。潤んだ目で睨まれ、僕は怯む。

「もう離れるな! 勝手にあたしの傍から離れないで! あたしは離れないんだから!」

 彼女は両腕を伸ばし、僕の右腕を掴んだ。掴んだ右腕に顔を押しつけ、しばらく体を震わせていた。

「記憶がなくなったのは仕方ないけど、だけど、わかってるけど……それでももう、やだよ、あんなに辛いの」

 涙声だった。掠れた声が僕の腕を伝った。体の底に響くような。

「ゴメン。静久の気持ち、ちゃんと考えてなかった……」

「……バカ」

 彼女は静かに嗚咽を漏らしはじめた。

 たしかこうしていた、ではなく、いつもこうしていたという確信をもって、僕は彼女の頭を撫で掻いた。

 間もなくして静久は泣き止んだ。腫れた目を拭いながら、彼女は笑ってみせた。

「今日は、惺の記憶が戻ったのを記念して、叔母さんと三人でお祝いしよう」

 僕は頷いた。

 ――うん、ありがとう。

 言わなかったけど、伝わらなかっただろうけど、恥ずかしいから……言うのは恥ずかしいから、代わりに僕は笑ってみせた。

「じゃあ、叔母さんに言ってくる! 惺は、家で待っててね! 用意が出来たら呼びに行くから!」

 そう言ってジャングルジムを下り、彼女は駆けて行った。校門の側で立ち止まり、大きく一度手を振った。

 サヨナラじゃないんだから。そう思ったけど、大きく手を振り返した。


 誰もいなくなった校庭で、僕は頭に戻った記憶を辿るために目を閉じた。心の一角に設けられた窓から、様々な幸せな日々や悲しい出来事が覗ける。今はその光景にこれからの希望が見えた。

 以上で『堕天使が零したもの』は終わりです。拙い文章にもかかわらず、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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