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「どういう、ことだ?」

 伯父の注意は完全にシズクへ向けられていた。だからといって僕は身動きを取れないので、静かにシズクの話を聞くことにした。

「小父さんこそ、知らない振りはやめませんか? 小父さんは全てを知っているはずです。あたしたちよりも詳しいはずです」

 伯父の目が見開かれた。

「君より詳しい――確かにね。惺が運転の邪魔をして事故を起こしたという事実を知っている」

「誰が言ったの? 警察はそんなこと言っていないはずよ」

「…………」

 伯父はシズクを睨む。視線だけ人を殺せそうな狂った目で、シズクを射刺す。

「謎なんて初めは何もなかった。あったのは事実だけ。なかった謎を生み出したのは小父さん。事実を歪め、惺を混乱させているだけ」

 小父さんは事実に狂わされただけ――

「狂っているだと?」

「そう。小父さんは狂ってる。だから事故の事実を受け入れず、そのやり場のなさを誤った解釈にすりかえ――」

 伯父がシズクに襲い掛かってきた。咄嗟にシズクは僕を左へ押し倒した。抱きすくめながら床へ倒れると、壁を強く蹴った。床がフローリングであることと、シズクが雨で濡れていたことで、僕らは氷の上を滑るようにスライドした。伯父とのあいだにすこし距離が生まれた。

 伯父は僕らに追撃を加えたりはしなかった。薄暗い廊下から見上げた伯父の姿は、人類に害をなす宇宙人のように見えた。両手をぶらんとさげ、その片方の手の先で刃が光に映えて白く瞬く。

「元凶は惺なんだ」

 ロボットの方がまだ抑揚のある声で伯父は言った。それを聞いてシズクは立ち上がり、ふたたび対峙する。だが、立ち上がるとき彼女は震えていた。怪我をしている彼女の体は、今にも細胞の一つひとつが解けてしまいそうなほどやわいのだ。

「一番悪いのは……そうね。さしずめ偶然といったところかしら?」

 そんなこと、小父さんなら解っていることでしょう?――

 伯父を見上げ、シズクは小さく笑った。彼女のクスクス笑う声は、ここが洞窟なのではないかと思うほどに反響した。

「なんだと……」

「小父さんは認めていないだけ。受け入れられないだけ。惺のお母さん――小父さんの妹さんが亡くなったことを。

 偶然道路の傍にあった木に雷が落ちたことを。

 偶然倒れてきた木を避けてバランスを保たなければならなかったことを。

 偶然雨で濡れた道路にハンドルをとられたことを」

「うるさい!」

 伯父はシズクに迫り、包丁を持たない左手で首を絞めた。今度はシズクは避けることが出来なかった。伯父はそのまま彼女を吊り上げた。

「がっ……!」

 シズクの苦しむ声。シズクの顔は背中しか見えないため伺えない。その代わり、伯父の凶変した相貌が見えた。その目は僕のことを見てはいない。シズクだけを睨んでいた。

「恵那は、殺されたんだ。おまえが、殺したんだ」

 伯父は僕でなく、シズクを見て言った。

 ――狂ってる。

 だが伯父の表情は平静だ。いや、平静である時点ですでに狂っている。

「悪いのは、あたしでもない――」

 苦しみながらシズクは吐き出した。と、包丁が煌めいた。

「……っつ」

 シズクの押し殺した声が聞こえた。

「黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す」

 お経でも読むような抑揚で、伯父は繰り返す。

「いたっ!」

 シズクが呻く。

 伯父が右手に持った包丁が蛍光灯の明かりを反射した光だった。頭上にふたたび振り上げられたそれの刃先は赤く染まっていた。

 ――シズク!

「死ね」

 棒読みの伯父の声。

 ――シズクが、殺される……!

 それがスイッチだったかのように、僕は動かない体を動かした。シズクの横を抜け出し、伯父へ体当たりした。

 驚くほどたやすく、伯父は僕の体当たりでバランスを崩してともに床へ倒れた。包丁が宙に浮き、僕の見えないところでがちゃっ、と落ちた。

「シズク、逃げろ!」

「どこへ?」

 彼女の声が降ってきた。思わず息を呑み頭上を仰いだ。僕の正面に、シズクはちょこんとしゃがみ込んでいた。左の頬が包丁で裂かれ、血が流れている。それを気にする様子はない。

「シズク! ダメだ! 逃げろ!」

「だからどこへ? それに、逃げる必要はないわ」

 シズクはにっこりして足下を指差した。そこには伯父の頭があった。もちろん、落ちてきた包丁で首が切断されて転がっているわけではない。ちゃんと首は繋がっているし、包丁はいつの間にかシズクが手に持っている。

「気絶してるわ」

 顔を覗きこんでみると、確かに伯父は目を瞑り、なんらかの反応も見せていない。

「とりあえず病院へ戻ろう。一緒に戻ろう」

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