知らない事実の存在
カチャリ、と理事長室のドアが開いた。瞬間、アネスの纏う雰囲気が一変した。全く好意的ではない、刺々しく寒々しい、身の凍るような拒絶する雰囲気だ。アネスはいつもこうだ。自身が特に認めない者に対してはあからさまに拒絶の意を表す。そこは、まあ、ルークロイド伯にそっくりだろう。
それに反応した叔父は視界にルークロイド伯が見えると慌てて身を正す。それを見てルークロイド伯が小さくため息をついたのは見なかったことにしよう。この人もそこまで気にする人ではないから。……まあ、叔父が気づけなかったのはあの人の注意力の散漫さが原因だろうし。
叔父は深々と頭を下げる。身分など特に関係ないのだが、分家のアスフェルトルークス家は現在ルークロイド家に大変世話になっているためこのような態度である。
「お前も頭を下げろ!」
「は?」
別に俺は下げる必要はないと思うけど。ああ、そうか。俺がまだ分家だと思っているからか。だとしたら、相当なバカだろ。そっちとはとうの昔に縁を切っているし。なんで気づいてないのやら。
それに気づかない叔父にルークロイド伯が冷たい瞳を向けていた。そして、ため息をつく。ルークロイド伯は左手に持っていた杖をトン、と床に軽く叩きつけた。
ルークロイド伯の足元に展開されるのは黄色と黒の混ざる召喚陣。ルークロイド家の代々の契約精霊は麒麟だ。それは幻精霊にあたる高位精霊である。ルークロイド伯が契約していた幻精霊である麒麟は確かアネスへと代替わりをしたはずだ。
よって、現在のルークロイド伯の契約精霊は高位精霊の森林鹿である。森林鹿は基本的には穏やかで友好的な性格だ。特に、ルークロイド伯の契約精霊である森林鹿のモフィスはいざこざや諍いを嫌うタイプであったはず。
『エナン、貴様が儂を呼び出すのはいつぶりかのぉ』
「悪いな、モフィス。この小僧に一度会わせてやりたくてな」
『ふむ』
モフィスは叔父を見る。叔父はすぐさま硬直した。多分、モフィスの不思議な威圧に当てられたのだろう。長い年月を生きる精霊達は、皆独特な雰囲気と威圧を持ち合わせている。それは、ルークロイド伯のモフィスに限らず、アネスの契約精霊や俺の契約精霊にもある。
つまり、叔父はその機会が面白いほどなかったのだ。だから、気圧されている。なんとも滑稽な図だ。
『アスフェルトルークスの分家も、いつからそう偉そうになったのかの』
モフィスの言い分は最もである。所詮は分家。なのに、その事実はいつしか歴史の中に埋もれてしまった。
それを知る者は、ごく僅かであり彼の『七名家』ですら、その事実を忘れていると思われる。俺にとっては、別にどうだっていいのだ。生きているという、今がある。それしか興味はない。
それは、かつての自分に負い目があったから。だから……
「どういう、こと……です、か?」
『意図的に消されておるわな、のうエナン』
モフィスはそれだけ言って、消えていく。ルークロイド伯と言えば、不敵に笑っていた。
まあ、そうだろうな。この事実は本当のことであり、これを公表すれば立ち位置は変わる。が、俺はそんなの望んではない。
「小僧、お主は知らぬでよい」
「……ルークロイド伯、ですが……」
「儂等はただ、アネスが転入するから挨拶に来ただけだ。のう、セーリムス卿」
「……ええ」
今まで無言を、というか興味がなくて関与してなかったフォルはルークロイド伯に声をかけられるとさしも興味なさげに答えた。元の目的はアネスが転入するから、そのための挨拶。ただ、それだけである。フォルは俺に目配せするとアネスを連れて出ていく。
モフィスが出ていたからだろう、大人しかったアネスはフォルに連れて行かれる。その時に、叔父を冷たい瞳で睨んでいたのを知っているのは叔父を除く俺らだけだろう。
ルークロイド伯は呆れたため息をアネスに対して零しながら、叔父をもう一度見る。
「小僧」
「……はい、」
ルークロイド伯は名前を覚えているのに呼ばないことで有名だ。それは、自身が認めたら名を呼ぶというスタンスを貫いているからである。つまり、言うなれば名前を呼ばれている人々はルークロイド伯に認められているということだ。
その条件下で名を呼ばれていない叔父は彼に認められていないことを指す。そして、名を呼ばれている俺に気づいたのだろうか。叔父は俺を睨んできたが俺の知ったことではないし……ましてや、過去のことから叔父を彼は許すことはないだろう。
「己の背負う罪を、しかと自覚するとよい」
ルークロイド伯に視線で合図されて、部屋を出ようとする。しかし、俺だけは出られなかった。それは何故か。答えは簡単だ、叔父が俺に対してのみ反応する結界を張ったからだ。
先に出たルークロイド伯もそれに気づいたが何も言わずに溜息を吐いていた。本当に、下らないことをしてくれる。
「お前、何故ルークロイド伯と親しい」
「それ、あんたに関係ないよな」
「答えろ! そもそもがおかしかったんだ」
矛盾点に気づく。生家との関わりを絶っていた俺が、何故『七名家』の未熟者達の指導の引き受けたのか。何故、1年という短い期間を普通クラスで過ごしたのか。何故、俺が『黒』の保持者であることをひた隠しにしていたのか――――……その答えは、どこに。
叔父は俺を指名した。それを引き受けた。流れはただそれだけ。が、しかし。その裏では密かに交わされていたことがあった。
「俺が依頼を引き受けたのは、俺の契約精霊がそれを頼まれて気まぐれに、ただの暇つぶしとして引き受けてきたことを言われたからだ」
「な……誰にだ!? しかも、お前契約精霊は居ないはずだろう!?」
「バカなのか? 『黒』持ちなら未契約者にバカみたいに群がってくるぞ」
もとより俺は契約精霊持ちだから重複契約なんてしてないが。たまに居るんだよな、重複契約者。あれ、バカみたいに魔力食われるからする気ないけど。ただでさえ、契約精霊がそこそこ魔力を食うしな。
叔父を見遣り、ため息をつく。そもそも、
「あんた、俺に面倒ごと押しつける気だったからこんな面倒ごと任せたんだろ」
叔父は俺に契約精霊がいることは知らなかった。なのに、何故こんなことを任せたのだろうか。最初から分かっていた。だから、何も言わなかった。
「失念してたな」
「……何をだ」
忌々しげに見てくる叔父に失笑しかない。忘れていたのだ、この人は。
俺が『黒』持ちであることを、『聖獣』寮の寮長であったことを。たかが一年、そこから離れていただけで俺を無能だと錯覚したこの叔父は。
生家には俺の情報はない。全て隠蔽されて亡き者にされている。だから、俺がどういった存在であるかなど彼ら何も知らないのだ。笑える話、俺も彼らに興味なぞない。お互いがお互いに干渉しないから、こういうことができるのである。
アスフェルトルーク家は本家と分家に分かれている。どちらが本家か、それすらも分かっていない彼らは歴史の産物を分かっていないのだろう。
これ以上、ここに居ても無駄だ。奴の能力を借りるのは少々癪だが、簡単に出られるに越したことはないし使わせて貰う。
――――パキン、と結界が壊される音が耳に落ちる。
「な、なっ……!」
「ああ、俺の契約精霊が誰からその依頼を貰ったか、だったな」
ほんの少し、魔力を上げて奴の能力を借りただけでいとも簡単に結界が崩れた。脆いな、魔力の込め方が一点に集中しすぎた結果か。溜息をついて、叔父を正面の叔父を見る。間抜けずらだ、自分の結界が壊されると思ってなかったに違いない。バカだろ、そんな傲慢な思考だからダメになるんだ。
「『七名家』からだ」
「……っ!?」
まあ、アンタは知らないし彼らも知らないだろうがな。正式に言えば『七名家』の契約精霊が俺の契約精霊に持ちかけた案件だった。それを、奴は暇つぶし程度の遊びで引き受けてきたのだ。自分は姿を現す気はないくせに、よく引き受けてたものだ。こっちの苦労も考えやがれ。
未だ状況を把握しきれていない叔父を置いて、待たせてしまっていたルークロイド伯の元に向かう。
「お待たせしました」
「何、構わん」
ルークロイド伯は叔父を冷たい瞳で見た後にすでに興味はない、と言わんばかりに踵を返す。未だに衝撃に襲われている叔父を放置して俺も部屋を出る。扉を閉めれば、先に出ていたフォルとアネスが待っていた。先に寮に帰っていればいいのに、と思ってはいたが待っていることを予測していたし、先に帰れと行ってもアネスが待つ! と言って聞かないと思ったから何も言わなかった。
「レンイ!」
「帰るぞ」
この暴走娘が寮に入るだけですぐさまカオス化しそうだがもう知らない。ルークロイド伯に礼を言って転移を使って寮まで戻る。別れ際、ルークロイド伯が何かを言っていた。それは俺にしか分からなかっただろうし、完全に俺の問題だった。まだまだ、面倒ごとと手間のかかることは増えるらしい、まったく。叔父も面倒なことをしてくれたものだ。
『気をつけなさい、彼らはあの事実を何も知らない。そして、君の祖父が残した遺言とあの日の告白もな』
気づいたら半年近くぶりの投稿でした。いや、読まれてないのは分かってるんで特に気にしてはなかったのですがちょっと期間が空きすぎました。
読んでくださっている方々には申し訳ないです。栞を挟んだままにしていただきありがとうございます。