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第十話 一刻と過ぎゆく(後)

 お姉さんの真っ直ぐとした声。


「私ね、最後の別れ際ミカゲに言ったの。『幸せになってね』って」


 幸せに……?


「だからあの時、自然とあなたに訊いたんだと思う。ミカゲは幸せだったのかなって」


 確かに訊かれた。

 あの時私は、ミカゲはお姉さんといられてきっと幸せだったと答えた。


「ミカゲはきっと、あなたといられて幸せだったのね」


「私……と?」


 お姉さんには言っていない。ミカゲと一緒にいたと。ミカゲと一緒に神社を掃除したのだと。それなのにお姉さんはお見通しで。


「だから、消えてしまった」


 あくまでも普通の声音で、切なくそれは屋台の方へ消えていく。


「今度こそお別れね」


 お姉さんが立ち上がる。

 急な事で、とぼけた顔で彼女の事を見ているかもしれない。


「東京に帰るのよ」


「でもまだミカゲはっ……」


 お姉さんは私と会った後から今日まで、ずっとミカゲを探していたと言っていた。

 それなのにもう諦めて。

 もういないんだと知っているのに、お姉さんももうミカゲは存在しないんだと勘付いているのに、止めたいと思ってしまう。

 もっと探して、もっとちゃんとミカゲをーーと強く願って。

 ふわっと吹く風。

 お姉さんの髪を不自然に揺らした。

『お姉さんの、名前は』

『岬よ。あなたは?』

『里桜です』

 最後に自己紹介をして別れを告げた。

 お姉さんは東京に戻ってしまう。今までずっとあの神社は廃神社だった。だけどようやく管理人が決まったらしい。

 管理人を見つけ出すためにこの町へ一旦戻ってきたと。

 ーー……ミカゲの未練は、神社が汚い事ではなかった。汚い神社を綺麗にする事で成仏した訳ではなかった。

 ミカゲは神社が綺麗になったから消えたわけではなく、幸せになれたから消えてしまった、らしい。

 お姉さんのいた神社が汚くて、それが嫌で死んでしまう前に未練として残ってしまって、ミカゲは妖怪となったのではなく。

 私が掃除するのを手伝って、その時間がただ単に幸せだったから。

 ずっと、何十年間も一人だったミカゲは神社を掃除するのを理由にしてまで誰かと一緒にいたかった。あの時はネコくんもいて、あの時間だけ神社を綺麗にしようというやる気が心を一つにして。

 でもミカゲは神社を綺麗にするのに必死だった。寝不足になるほど、立ったまま倒れそうになった時もある。

 ミカゲ、君は神社が綺麗になったから、成仏したんでしょ? 君の未練は誰かと一緒にいたい。ではなく、神社の汚さに呆れて妖怪になってしまったんだよね?

 そうであってほしいと思ってしまうのは、なぜか。


「何か嫌な事でも言われた?」


「……ううん。何でもないよ」


 待ってくれていた斗真には悪いけど。

「私、行く場所あるから。ごめん」

そう言うと、斗真は

「そっか」

と身を引いてくれた。



 行く場所ーーミカゲのいた神社。

 初めて会った日を覚えている。あの時はルカとレオもいた。

 草が生え放題で。ルカが剣で草を切ろうと一振り振った時、悲鳴が聞こえて。草原から出てきたそれはミカゲーー妖蛇だった。

 すぐに妖怪だと分かった。

 なんせ蛇が喋るんだから。

 ここを綺麗にしきるまで一ヶ月くらいかかった。ミカゲと一緒にやって。ネコくんも枯れていた手水舎を直してくれた。

 大変だったけど楽しかったんだ。


「明けましておめでとう。これからもよろしくねーーミカゲ」


 これを言いにここまで来た。

 簡単に風に消えてしまう。誰も受け止めてくれない新年の挨拶。

 本当はここへは来るか迷った。また、あの時の事を思い出してしまうから。初めて目の前から、親しくなった妖怪が消えてしまったあの日。動物が妖怪となった動物妖怪は、消えてしまうんだと分かったあの日。

 妖怪は死なないという誤った考えはなくなった。妖怪は一度死んでしまっている生き物で、生きている事が奇跡なのかもしれないけど。消えてしまう道理が今でもわからない。

 分からなくていいのかもしれないね。

 というより、分からないのが普通。

 妖怪が見えなければこんな事は考えず、のうのうと生きていた。

 消えてしまう道理なんて分からない。

 未練なんてものはヒトそれぞれで、その重さもそれぞれなのだから。

 前から何となく思っていた事だけどーー妖怪が消えてしまうのは人間が成仏する事と同じ。永遠なんてこの世に存在しない。

 それを思い知らされる。

 “ーー明けまして、おめでとうございます”


「え……」


 閉じていた目を開くとそこにはーーミカゲの姿。なんてあるわけがない。ただの幻聴。

 幻聴だーーと思いたいのに。

 目の前にいる。


「ミカゲ……」


 名を呼ぶとふっと微笑む。

 その笑みは本物。

 ミカゲ、貴方は消えてしまって本当に良かったの? 消えていなければ今頃あのお姉さんーー岬さんにもう一度会えたのに。

 消えてしまって、また未練ができてしまったから現れたとか?

 ……そんな事ではない。

 そうどこかで分かっているのに。

 ミカゲの体は今にも消えそうで、光の粒子できらきらと輝いている。


「ミカゲーー」


 それで良かったのか。

 訊こうとすれば、にこりと微かに笑って消えてしまう。

 そっか……、今のは【幻影】。

 実際には存在しないのに、存在するかのように見えるもの。

 そうだよね。ミカゲはもうとっくに消えてしまっている。目の前に現れるはずがないんだーー。

 今のは。


「幻なんかじゃないよ」


 えっ。

 はっきりと聞こえた声に動揺し振り返れば、そこには。


「ネコくん……」


 いつからそこに。


「たぶん今のは、ミカゲが最後の力を使って粒子をかき集め、元の姿のような形にした。いわゆる、……幻、であっているのかな」


 ネコくんが私のそばまで来て説明をする。隣まで来ると、さっきミカゲのいた所を遠くを見るかのように見つめている。


「……でも。私に会う前に、会うべき人がいるはずなのに」


 そう、岬さんだ。小さい頃この神社にいた女の子。今はもう立派な大人だけど。

 ミカゲとも親しく話していて、とても楽しそうだった。

 ミカゲの記憶から、一番の思い出を私は見た。

 お姉さんは今はもうミカゲの事が見えないかもしれない。ネコくんが私の隣にいても気づいていなかったから。……でも、一番に思っているのは岬さんーーお姉さんの事でしょ。綺麗な女性になっているよ。

 どうして新年の挨拶をするためだけに私の前に現れたの。ミカゲにとってそれは、最後にお姉さんと出会えるチャンスだったのに。


「ーー君に会いたかったんだよ」


 久しぶりに来たミカゲの神社。

 それはもう、本当の意味で、ミカゲのいる神社ではなくなった。

 守り神のいない神社なんて、誰も来ないよ……。

 知っていればの話だけどね。

 私は知っている。けれど。


「またここに来るから」

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