第六話 蛇の願い事(後)
幼い頃からずっと一緒にいた。
昔の話になるけど、斗真はいつも私の家に遊びに来ていた。そして夜までいて、結局は泊まっていく。
当時はそれが当たり前だと思っていた。
変わったのは私の両親が亡くなってから。
斗真は気を遣い始めたのか、逆に自分の家に呼ぶようになった。
正直、気を遣われるのは好きではないんだ。小さい頃からそれは変わらない。
だからそれに対抗してか、人前では一度も泣くことはなかった。
でも、斗真に少し当たってしまったこともあったかもしれない。
小学二年生だったということもあってか、ずるずると引きずることはなく。
いつからかおじいの神社へ通うようになった。
すると、今度は斗真の家に行かなくなった。
斗真と、斗真の両親と一緒にいたくなかったからではない。ただ単に気を遣わせてしまうのが嫌だったんだ。
幼い子供にも、気を遣うことはできると証明できたかな。
私の両親は事故で亡くなった。
それは風の便りで分かったこと。
「よっ、久しぶりだな」
足元に現れたのは小さな赤鬼。手を上げて挨拶している。
「あ……あまのじゃーー」
「どうした?」
昔の思い出に浸っていた私は数秒で我に帰り、足を止めた。
すると数歩前にいる斗真が振り返る。
(ど、どうしよう)
斗真には天邪鬼のことが見えない。ここで普通に天邪鬼と喋れば、斗真に間違いなく変に思われる。
でもここで天邪鬼を無視するわけにはいかないし。いやでも会話するわけにもいかない。
ーーああ~どうしよう
迷った挙句、決めた。無視する方向に。
「おい無視か」
(ごめんね天邪鬼)
こうするしかないんだ。
自然とその横を通り過ぎた。
「何か見えるの?」
「へっ? 何が?」
斗真のいきなりの質問にびっくりして心臓が止まる。
おかげであまり出したことのない声が出てしまった。裏声だ。
「里桜には、見えないものが見えている気がして」
……鋭い。斗真は洞察力良すぎて困るよ。
「見えないものって、例えば?」
さりげなく言ってのける斗真に対して、できるだけ平然と質問を投げ返す。
もし、今の言葉を妖怪の見えない私に言われていたら、斗真が何言ってるのか全く分からないと思う。
「幽霊とか」
「ユーレイ?」
斗真の答えにふっと一息つく。
良かった。妖怪とまでは予測できていないようだ。
「そんなの見えないよ。それに見えたら、絶叫しまくるって斗真も知ってるでしょ」
嘘は、ついてないよね。
「そういえばそうだったね。怖い番組見ているだけで叫んでばかりだった」
「え、そうだったけ」
「そうだった」
柔らかい表情。斗真の横顔を見る限り、勘付かれてはいなそうだ。私には変なものが見えているって。
先ほどまでの考え込むような顔と全く違う。
ーーこれで、良かったんだよね。
妖怪という普通の人間には見えない者が私に見えている、と素直に言えば、斗真は信じてくれると思う。
だけど、教えてはいけない気がするんだ。
教えてしまえば斗真まで巻き込むことになる。
……そんな気がするから。
次の日、学校は休みだった。
「リオ様、リオ様っ」
いつも通り朝早く神社に着けば、階段を登り切る前に、ミカゲが私たちの存在に気いたのか嬉しそうに駆け寄ってくる。
「はあー」
隣ではネコくんが溜め息を。
「どうしたの?」
溜め息を吐くネコくんではなく、ミカゲへと問う。
ネコくんのことよりも、ミカゲのことが気になった。明らかにいつもよりテンションが高い。
「草は全て昨日のうちに抜き終わりました!」
ぱあっと明るすぎる表情に、太陽を見ているような感情にさせられてから、新鮮な驚きを与えられた。
階段を登りきり、神社の建物周辺を見渡すと、今までの私たちの苦労が報われたような気がした。
「……本当だ、すごい!」
あんなにいいように生えていた草が、今はもうない。
一昨日、私が最後に帰った日には結構な量が残っていたはず。それをミカゲが一人で片付けてくれたんだ。
ミカゲも成長したってことかな。
最初は全然。
ミカゲを見ていると、草を抜くことがすごい大変のように感じられていた。でもだんだんと様になってきたというか、抜く量が増えてきていた。
これで少しは、ミカゲに筋肉ついたかな。
「でもまだ、残ってるでしょ」
良かったね良かったね、とミカゲと二人、達成感に浸っていると、ネコくんの言葉で現実に戻された。
ネコくんの視線をたどれば、それは神社の建物。遠くから見ても薄汚れていると分かる。中はどのくらい汚いのだろうかと、想像するだけで怖い。
「えー……と、じゃあ気を取り直して」
“今度は神社の中を掃除しよっか”
神社から視線を外し、隣にいるミカゲにそう言おうとした時だった。ふわっとその体が宙に浮くように前へ倒れていく。
「ミカゲ!?」
胸板や肩に手を当て、とっさに支えた。
一体どうしてしまったのだろう。心配して覗くと、微かに目を開けて微笑んだ。
「……ちょっと、疲れてしまったようです」
「それって、もしかして眠いってこと?」
私の言葉にコクっと頷くミカゲ。
どうすればいいんだろう。
「とりあえず、あっちに運べば?」
ネコくんが助言し、指さしているのは神社。
よし、と気合を入れ、ミカゲへ肩を貸す。だがもう意識がないのかけっこうな重さがのしかかる。
「はあー、仕方ないなあ。オレが運ぶから、リオはこのヒトが寝転がれるような場所掃除しておいて」
自分より大きな者を一人で背負うネコくん。なんだか少しだけかっこよく見えた。
「おも……」
顔を歪ませている。
ミカゲの全体重を支えているんだ。きつそうにするのも当然。
すぐに床へミカゲを寝転がせる。
赤い鳥居をくぐり、神社の建物までミカゲを運んだネコくんは、ふー、と一息つく。
それほどの距離はなかったが、自分より大きいヒトを背負うのは大変だったんだろう。
何も知らないミカゲは、横になって穏やかに眠っている。
「……みー、さん」
口ずさむようにしてミカゲの口から出た言葉。
寝言だろうか、それにしても大切な者を呼ぶかのような、優しい声ーー。
ミカゲの顔を見ていると、すっと何かが頭に入る感覚を生じ、ある情景が目の前に広がる。
『わあ、こんなところに蛇さんがいる』
天気のいい、日差しの強い中。幼い女の子がかがんで何かを見ている。
女の子視線の先には、ミカゲ……?
『(ぼくのことが見えてる?)』
かがんでいた女の子はしゃがみ込み、物珍しそうに目を輝かせ蛇ーーミカゲのことを見つめる。
『ねえねえ蛇さん、喋られるの?』
『(えっと、はい、一応)』
『へえ~そうなんだすごいね』
『(いえ、そんなことは)』
女の子にはミカゲのことが見えているんだ。
妖怪は普通の人間には見えない。けれどこの女の子には見えている。
そういう力があるんだろうか。
『なに照れてるの? みーちゃんのこと言ったんだよ』
『(みーちゃん? 誰のことですか?)』
『私のことだよ。私、みーちゃん』
自分のことを指差し、嬉しそうに自己紹介をする。
それに対してミカゲが女の子の名前にさん付けを。
『(みーちゃんさん、ですか)』
『“さん”いらない』
さん付けされるのが嫌いらしい。すぐに不機嫌そうな顔になった。
子供はなんでも表に出すから、心情が分かりやすい。
『(そう呼ばれるの、嫌ですか?)』
『嫌! ……いや、嫌じゃないけどなんか長い』
どうやらさん付けされるのを嫌っていたわけではなく、長くなってしまった自分の名前呼びに不満を持っていたようだ。
『(では、みーさんで)』
そう言ったミカゲは、穏やかに微笑んでいるように見えた。
蛇の姿であるミカゲの表情など、変わらないものと知っていても。
ーーここで映像は途切れる。
まただ。また記憶が見えた。
天邪鬼の記憶を見てからだいぶ経つけど、今度はミカゲの記憶。
「リオ……? どうした」
「ーーな、なんでもないよ」
自分の世界に入ってしまうような感覚。
周りが見えなくなって、なんとも言えない感情が私に流れ込んでくる。
『ミカゲっ』
『(はい、何でしょう?)』
『あそぼ』
中良さげにしている二人。女の子の眩しい笑顔。
微笑ましい光景なはずなのに、楽しい思い出の中に“寂しい”という感情が微かに伝わってきた。
ミカゲーー……
ミカゲにもあるんだね。心の底に沈んでいる記憶。
誰に話すものでもなく、ただ自分だけのもの。それでも忘れることのない大切な思い出。
天邪鬼の記憶の中には黒髪の少年がいた。それがいつのものなのかは分からない。数年前のものなのか、あるいは数百年前のものなのか。
今のミカゲの記憶の中では、この神社は綺麗だった。
早くこの場所を綺麗にして、元通りにすればもっと何か知れるかもしれない。
自分の口から聞けない臆病者の私には、こうするしかないんだ。
ーーなんだか、もやもやする。
どうして私に誰かの記憶が見えるのだろう。たくさんある記憶の中で、他愛ない光景が目の前に広がる。
大事なことなんだろうか。私に何かしろという合図なのだろうか。
そう、深く考えてしまう。
ーーそして二週間後。
「終わったね」
「終わりました」
神社掃除は終了を迎えた。
赤い鳥居の前で神社周辺を見渡す。
「手水舍が……」
ふと視界に止まったものは手水舍。
水は枯れてしまっていたはずなのに、なぜか水が流れている。
遠くから見ても綺麗になっていると分かる。手水舍に張り付いていたコケなどがなくなった。
「手水舍が直ってる」
神社の建物や神社の周辺が綺麗になっても、手水舍だけは直らないと思っていたのに。どこから見ても完璧。
一体誰がこんなことを……。
「ああ僕が直しておいた」
当然かのように答えたネコくん。様子をうかがえば、すまし顔。そんなネコくんに視線が集まる。
「別に、ただ暇だったから直してあげただけだし」
腕を組み、そっぽを向く。
気恥ずかしくてわざととっている態度だろう。
ピクピクと動く猫耳。
「ネコくん……」
「いいヒトですね」
何もしてくれないと思ってた。
初日、面倒くさそうにしながら、まえ持って自分はやらないと言われたから。
手伝おうか?ーーそう訊いてきた時があったけど、断ったんだ。そういう風にして、やってもらうものではないと思ったから。
私の言いたいことを続けたミカゲが、ネコくんからの反発をくらう。
「……うるさい、そういうのやめてくれる」
ミカゲに対して少々口は悪いが、結構気にしてあげているみたい。
ぽかぽかとする暖かい心。
私はいま、ネコくんのことを微笑ましそうに見つめているだろう。たぶん隣にいるミカゲも。
「ーーありがとう。ぼくのお寺を綺麗にしてくださって」
隣にいたミカゲが前へと回り込み、わかりやすく頬を緩め、にこやかに笑う。
微妙に空気が変わった。
「本当にありがとうございます。リオ様」
先ほどまでの明るい雰囲気はどこへいったのだろう。表情は変わらずの笑顔だけど、真剣そうに話すミカゲは一体何をーー。
「ミカゲ……?」
ーー訳が分からなかった。
ミカゲの身体が光り輝き、粒子のような無数の光の玉が空へと舞う。でもそれは空高く飛ぶこともなく、途中で弾け、消えてしまう。あたかも何もなかったかのように。
なぜだかふと思い出した、あの時のことを。最初に私が妖怪に襲われたときのことを。
私、ルカに守られたんだ。剣を一振り、ルカは私を狙う妖怪にむけ、簡単に消し去った。そう、簡単に。
その妖怪は消える間際、いま目の前にいるミカゲと同じように光っていた、身体から溢れるように光り輝く粒子が出ていた。
だから分かった、なんとなく分かったんだ。
「ーーこれでやっと、私の未練がなくなりました」
「ミカゲ……どうして」
私の中途半端な問いかけに、何も言わずにふっと笑う。
最後に見たのは柔らかな笑み。
『心の優しいリオ様。そんなあなたがーー好きです』
消えていく瞬間、そう聞こえたような気がした。
目の前でおきた出来事に頭がついていかず、方針状態。さっきまでミカゲのいた場所、もう誰もいない場所を真っ直ぐと見続ける。
それ以外にすることが見つからなかった、考えるなんてその時の私にはできなかった。
(……どうしてーー)
そう誰かに問い詰めて、状況整理をする。
その間ネコくんは、一言も口にすることはなかった。
《前世が動物の妖怪はこの世に未練を残した者。この世に未練がなくなってしまえば消えてしまう。》
レオの話を聞いて、ネコくんはそれを始めから分かっていたんだと知った。
「私、余計なことしちゃったのかな」
分かっていながら、私に話さなかった。その代わり、神社を綺麗にすることがミカゲの未練となるものと予測し、わざと手伝わなかった。自分が手伝ってしまえばミカゲの消える日を早めてしまうから。
無闇に妖怪に近づかないほうがいいと言われたのは、こうなると分かっていたからなのかもしれない。
なのにそんなことも知らずに私は……。
『無闇に妖怪に近づかないほうがいい』
これはネコくんに言われた言葉。
妖怪は危険だから、それだけの理由で近づかないほうがいいと言われたのかと思っていた。だけどこの言葉には、違う意味も含められていたのかもしれない。
「ずっと心に残っていた未練がなくなった。だからそのミカゲという蛇は消えた。リオちゃんは余計なことなんてしてないよ」
レオの慰めに、ずっと下げていた顔を上げる。だからといって、自分の行いに納得できたわけではない。
素直に受け止められないよ。
「……レオたちにも、未練があるの?」
「あるよ」
「それがなくなってしまば、消えちゃう?」
急に寂しくなった。二人が消えてしまうんじゃないかって。またミカゲと同じようにいなくなってしまわれたら、どうすればいいのか分からない。
心配する私を安心させるようとしているのか、レオはふっと笑う。
「僕たちは君を守るという使命があるからね、未練がなくなったとしても守りきるまでは消えないよ」
それって、未練もなくなって私を守りきってしまえば消えちゃうってことだよね。
どうしてそんな悲しいこと……。
「使命がなくなれば作ればいい。お前を守りきったあとは自分で使命を作る」
〝だから心配するな〟
そう聞こえるのは気のせい?
私の自惚れかな。
珍しくルカが口を挟んだ。
そのことに少し救われたのかもしれない。
「絶対、だよ」
「ああ」
あれから二週間が経った。
たまにあの神社に行ったりする。あの時の事を思い出して辛くなるから、あまり行きたくないんだ。
それでも今日、行こうと思う。
あの神社へ。
「行くの?」
途中で会ったネコくんが一緒について来た。もしかしたら待っていたのかもしれない。
着いた神社は変わりなく綺麗なまま。ミカゲとの労働が思い出される。
一目見たら帰ろうと考えていた。
神社から逃げるように背を向けた。けれど振り向いた先には思いがけない人物。
ーー綺麗な女性
彼女のカールされている髪が、風に揺れている。
茶髪なのに清楚感を漂わせている彼女は、なぜだか私を見つめ続ける。
どちらとも何も言わず、私はこの女性に何か運命的な出会いを感じていた。
「実はね、私、蛇とお話ができていたの」
(それって……)
「こんなこと言うと笑われるかもしれないけど、ココロが通じ合っていた、そんな感じだった」
彼女は父を亡くし、東京に出たらしい。母はすでに亡くしていた。そして今は一人暮らし。
穏やかに、頬を緩めている彼女の横顔。
「ちゃんとした声は聞こえていなかったはずなのに。たぶん御影の言いたいことが聞こえているつもりになっていただけ、なのかもしれない」
冬に近づいた季節。冷気が肌に突き刺さる。
階段のところに座り、彼女と二人、話をする。
「“ミカゲ”って名前、お姉さんが付けたんですか?」
「そうよ、幼い頃お父さんにこう言われて付けたの。『神の御霊のことを神霊と言う、神霊のことを御影と言うんだ』って」
なぜか気になったのが名前。
元々動物なら、誰かに付けてもらったんではないかと思った。ただそれだけ。
「お父さんは蛇の声が聞こえていなかったけど、私の話を聞いて神の御霊とか言い出したのよ。変な話でしょ?」
「い、いえ……」
難しい話。
実はよく分かっていない。
「もしまだここに御影がいたのなら、もう一度会いたかったなあ」
ふわっと風に乗って流れていく。
彼女にしてはなんとなく発した言葉だろうが、私には深く、何かが心臓に突き刺さった。
「ごめんなさい……」
「え?」
「私が、悪いんです」
いきなり謝った私に彼女は驚いたような声をあげた。
私が余計なことさえしなければ、このお姉さんはミカゲに会うことができた。
可能性を無くしてしまったのは私。ミカゲだって、このお姉さんに会いたかったはず。寝言でも、このお姉さんの名前を呼んでいたのだから。
「御影は、幸せだったのかな」
「もちろん……ミカゲはきっと、お姉さんといられて幸せでした」
私の心情を知ってか知らずか話を変えたお姉さんは、くすっと笑い静かに立ち上がった。
「私はこれで失礼するわね。もう帰らなくちゃ」
「はい……」
ーー静かになる空間。
「私、やっぱり余計なことしちゃった」
お姉さんがここに来たのは、この町に用があって、そのついでらしい。また東京に戻ると。
隣に座っているのはネコくん。
お姉さんに見えていないネコくんは静かにずっと、私たちの話を聞いていた。
……限界。
ネコくんがいるのに。
神社の拭き掃除、大変だったなあ。
『だいぶ拭き終わりましたね。次はどこをやりましょうか』
『ミカゲ、そっちお願い』
『はい! わかりました』
天井のホコリをはたいていた時も。
『ミ、ミカゲ……ぎゃあーっ』
『ど、どうしました!?』
『ゴ、ゴキ……。む、虫がーー』
大変だったけど、楽しかった。
『ミカゲー、そっち終わった?』
『はい、なんとか終わりました』
『それじゃあちょっと休憩しよ』
もう同じようなことはできない。
『ミカゲそれはーー』
『ミカゲーーだから』
『ミカゲーー・ーー』
ミカゲはもういないから。
ミカゲとの思い出たくさんあった、たくさんできたのに。
「ミカゲ……」
ボロボロと溢れ出す雫。自分でも分かる涙声。
ネコくんはポンポンっと、優しく頭を撫でてくれた。何も言わず、私が泣き止むまで。




