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時には才能が道を選ぶということ 2

 一週間前。

 椿はその日、生まれてはじめてカーリングをやった。まさか自分が部活などというものをやるとは思ってもいなかった。それも大真面目に誰かと話し合いながら。

 今日他人と言葉を交わしたのは何回だろうか。

 フフ、と笑みがこぼれた。

 かつてない幸せな気分だった。このままカーリングをやっていけば負けて悔しいこともあるのかもしれない。しかし休日に皆でケーキなどを食べに行くことさえできるのかもしれない。

 ――この私が?

 顔が赤くなった。自分は何を浮かれているのか。

 バスを待っている間に妹へメールを送った。

「カーリングってどう思う?」

 鼻歌交じりに家へ着くなり、玄関先まで叔母が慌ててどすどすと現れた。

「こんな遅くまでどこ行ってたの! 電話にも出ないで!」

 言われて携帯を開くと、履歴は叔母からの着信で埋め尽くされていた。バスの中でマナーモードにしていて気づかなかったらしい。

「……あ、ぶ、部活」

 言いながら、椿は少し照れてしまう。

「わ、私、やりたいことが見つかった気がする……」

 自分が部活に入るなどとは叔父夫婦も思っていないに違いなかった。これまで遅く帰って心配させることもなかった。

「なにもこんな時に!」

 しかしどうもそんな空気ではない。

「こんな時って」

 叔母のここまで激しい剣幕は見たことがなかった。叔父は険しい表情で先程からひっきりなしに携帯電話で誰かと話しては切ることを繰り返している。この時間にはいつもテーブルの上に食事が並んでいるはずだが、そんなものはない。

 ――つまり、いつも通りではないのだ。

 椿の背筋に嫌な汗がブワッと吹き出し、それは一瞬にして冷たくなり寒気に変わった。

「落ち着いて聞いてね。さっき向こうの御両親から電話があって、蓮華ちゃんが倒れたそうなの。一緒にいた友達の話だと、携帯ショップからの帰り道、蓮華ちゃんは立ち止まって携帯メールを確認したらしいの。それで下を向いたちょうどその時――空から握りこぶしくらいの氷の(つぶて)が降ってきて運悪く後頭部に当たって倒れたみたい」

 運悪く?

「意識は……」

 椿がそう訊くと、叔母は唇を少しばかり結んで眉を寄せた。

「当たりどころが悪かったみたいなの。お医者様の話では、最悪の場合は死を覚悟してくださいって……」

 何故?

 椿は運命や因果関係や文脈について考える。

 時間的に考えてそのメールはつまり、自分が先程送ったものだ。もしメールを送らなければ妹は立ち止まりはしなかっただろう。

 心臓が押し出した血流がドクンドクンと椿の頭に向かう。一瞬にして脳味噌が自問自答と仮定のセンテンスで真っ黒く埋め尽くされていく。暗闇でイスに縛り付けられた椿に背後から低い声が問い詰めてくる。

 ――どうしてお前はあんなタイミングでメールを送ったんだ?

「それまでカーリングに夢中だったからです」

 ――どうしてカーリングをしている最中、ヘルを見かけなかったんだ?

「ヘルは妹のところに行っていたんでしょう。氷の上にいることを楽しむ私を苦しめるために、私の大好きな蓮華を襲ったんです」

 ――どうしてお前なんかがカーリングをしようと思ったんだ?

「私は遥夏にこう答えました。魔がさしたと。『魔』が」

 ――もしお前がヘルの思惑に気づけていたら。もし妹のことを片時も忘れていなければ。今まで通り過ごしていれば。余計なことをしなければ。

 運悪く?

 最悪の偶然?

 否。

 偶然ではない。明確な因果関係があった。責任の所在を曖昧にして逃げてはいけない。

「また、私のせいだ」

 椿は喉を締め付けられたような、かすれた声で結論を出した。口の中が乾いてうまく舌が回らない。

 叔母が話しかけようとするが、普段の椿とかけ離れた様子に気圧されてしまう。迂闊に触れようものなら爆発してしまいそうな、皮下ギリギリまで張り詰めた感情で震えている。

「ああ、もう。ああ! 分かってたのにまた! このクソバカは何度やればわかるッ!」

 椿は廊下の壁に思いっきり頭を叩きつける。鈍い音に叔父が振り返り、叔母が悲鳴を上げた。ガラス戸がびりびりと振動した。

 ーー所詮他人事、お前は自分の痛みじゃないから学ばないんだよ。

「もっと痛くないと。忘れちゃう」

 額から血を流すほど続け、確認するように擦り付ける。ずりずり、ごづん、ずりずり、ごづん、ずりずり。白い壁が見る間に赤く染まっていく。ふとガラス戸の向こうにヘルの姿を見つけた。

 ――妹を犠牲にしてお楽しみか。つまるところ、お前はそういうやつなんだよ。

「黙れッ!」

 吹雪の中、赤黒く裂けた口元は大きく歪み、心底楽しくてしょうがない様子で笑っていた。

 叔母の制止を振り払い、椿はヘルを追ってガラス戸を突き破った。そのまま外に転がり、ヘルの足下に倒れた。ガラス片のシャワーが顔や首の皮膚を切り裂き、まるで赤いぼろ雑巾のようだった。ヘルが「見たい? 見たい?」と屈みこんでくる。フードの下、萎びた指の隙間から赤い目が見え隠れする。

 椿はその足首を掴み、薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞って叫んだ。

「殺す。絶対に殺してやる。あの時から私の人生はめちゃめちゃだッ! 殺してやるッ! ブ厚い氷の下にいようが月の裏側にいようが……」

 叔母夫婦は錯乱した椿に怯え、一歩も動けなくなっていた。

読んで頂いてありがとうございます。

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