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シンデレラ天下一舞踏会 〜灰かぶりの令嬢は零時の鐘が鳴ってからが本番です〜

作者: 宇多川マチ
掲載日:2026/07/15

 私は顔面に灰をかけられた。


 比喩ではない。渡される薪は湿ったものばかりで、竈の奥へ押し込むと煙が逆流した。かがんで咳き込む私の鼻先で、義妹がわざと灰かき棒を灰の山に突っ込んだ。跳ねた灰が私の顔と髪と前掛けに、ぱふん、と降り積もった。


「まあ、レイラ。灰がお似合いね。今日から灰かぶりのレイラ(シンデレイラ)とでも名乗ったら?」

 義妹は扇で口元を隠して笑った。笑い声までは隠せていない。

「そのまま舞踏会の床でも磨いてきてはいかが? みんなの注目を集めることができるわよ」


 その言葉で、頭の中の札がぱたぱた並んだ。継母。義姉妹。灰。そして灰かぶりのレイラ、シンデレイラ。


 前世の名前は、新出令維螺(シンデ・レイラ)


 そう。私は日本で一度トラックに轢かれて死んで、この令嬢レイラに転生している。


 いや待て。落ち着け、新出令維螺。灰をかぶる令嬢くらい、たぶん、ほかにもいる。たぶん。名前の響きは、いったん考えない。


「レイラ、聞いているの?」

 階段の上から義姉が私を見下ろしていた。銀糸の刺繍が入ったドレスに、丁寧に磨かれた舞靴。背筋はまっすぐで、顎の角度まで計算されている。

「今日の天下一舞踏会、あなたは屋敷番よ。床を磨いて、竈を片づけて、奥の間の銀器を全部磨いておきなさい」


 天下一舞踏会?


 舞踏会はわかる。シンデレラっぽい。そこまではいい。天下一って何?


「今年は三年に一度の開催ですものね、姉さま」

 義妹がくるりと回る。

「昼は予選。百人の中から七人に絞られて、夜は王家代表を加えた八人で本戦トーナメントでしょう? 優勝者は王子殿下と最後の一曲を踊れるって」

「ええ。そして王国中の貴族が注目するわ」

 義姉が微笑んだ。

「灰かぶりが出る場所ではないの」


 昼に予選、夜に本戦。しかも、この国では舞そのものに力が宿る。美しく踊れば人を魅了し、強く踏み込めば対戦相手をひざまずかせる。この世界の舞踏会は、武闘会だった。


 踊りと聞くと、身体が勝手に震える。中学二年のダンス授業。好きだったケントくんと同じ班になって、少しだけ頑張ろうと思った。発表が終わったあと、彼は笑って言った。


「新出のダンスって、気持ち悪いな」


 たぶん、彼は帰りの会のころには忘れていただろう。だが私は忘れなかった。一生忘れなかった。いや、一生どころかこうやって異世界に転生しても覚えている。


「返事は?」

 継母の声が飛んだ。黒い絹のドレスを着た夫人は、喪服めいているのに宝石だけはやたら明るい。

「はい、お義母さま。私は、屋敷に残ります」

「わかっているならいいのよ。その姿で玄関に出ないでちょうだい。家の恥ですから」


 三人を乗せた馬車が出ていき、扉が閉まる音が屋敷じゅうに響いた。


「もう無理」

 私は竈の前にしゃがみこんだ。

「シンデレラ役、私には向いてなさすぎる」


 そのとき、竈の奥の灰がぼうっと光った。次の瞬間、光の中から咳き込む声がした。


「けほっ。ちょっと、薪が湿りすぎよ。妖精を燻製にする気?」


 私は反射的に灰かき棒を握り、身構えた。竈の奥から這い出てきたのは、紫紺のローブを着た老婦人だった。胸元には深紅のリボン。白い髪はふわふわで、目元はやさしい。ただ、ローブの裾から覗くふくらはぎだけが異様に仕上がっている。


「私は魔法使い、フェアリー・ゴッドマザーよ。ちょっと一ついい? この竈は灰を溜めすぎ。あとで掻き出しておきなさい」

 ゴッドマザーと名乗った老婦人が、いきなり小言を言った。彼女はすぐさま私の手から灰かき棒を抜き取り、竈の中の薪を二本ほど組み替えた。死にかけていた火が素直に立ち上がる。炎の扱いに慣れている。そのテキパキとした手仕事は、魔法使いというより主婦の技だった。

 それから彼女は、私の手首をつかんだ。

「細い。あなた、ちゃんと食べてるの」

「魔法より先にそこですか?」

「口答えしないの」

 真顔だった。竈から出てきたばかりなのに、私の細さだけは見逃さなかったらしい。ゴッドマザーというより、面倒見のいい母ちゃんのようだ。

「誰がゴッド母ちゃんよ」

「ひん」

 心を読まれたのか、思わず変な声が漏れてしまった。

「ごめんなさい、ゴッドマザー」

「呼び名はどっちでもいいわよ。呼び方を変えたところで、やることは変わらないもの」

「やること?」

「当然でしょ。助けに来たのよ、レイラ」

 灰かき棒は返してもらえない。もう完全に台所の主みたいな顔をしている。私は遠慮なく、ゴッド母ちゃんと呼ぶことにした。


 ゴッド母ちゃんは、青く透き通った舞靴を取り出した。ガラスの靴ではない。夜明け前の空を固めたような瑠璃色の靴だった。


「きれい」

「これは瑠璃の舞靴。履いた者の姿勢を魔法で整え、正しく舞えるようにする靴よ。少しだけ意思があって、雑な姿勢には容赦なく噛み付いて怒るわ。さ、履いてみて」

「え、いいんですか?」

「あなたが履かないで誰が履くのよ」

「これで、私のポンコツダンスも王国一の踊りに進化するんですか?」

「まずは転ばないところからよ」


 疑うより信じるほうが楽だ。素敵なダンスが踊れる魔法なら、あの体育館で辛酸を舐めた経験を忘れさせてくれるかもしれない。


「これを履けば、本当に」

「踊れるわ」


 ゴッド母ちゃんは食い気味に断言した。私はその一言にすがることにした。靴に足を入れた瞬間、冷たさが爪先から膝、腰、背中から頭の先までぴんと抜け、自然と背筋が伸びた。


「痛っ。ちょっと、痛いんですけどこの靴。なんか、本当に噛まれてるみたい」

「魔法が効いてる証拠よ」


 効いていると言われればそう思えるから不思議だ。痛みさえありがたい。だが。


「これ、結構重いんですけど」

「重く感じてるってことは、まだ馴染んでないみたいね。そのうち魔力が足にいき渡って、軽く感じるようになるわ」

「本当ですか?」

「嘘言ってどうするのよ」


 ゴッド母ちゃんは胸を張る。だが、その瞳はあさっての方角を向いていた。


「ただ、魔法は今夜零時に解ける。馬車もドレスも飾りも、鐘が鳴れば元に戻る」

「この靴も?」

「それは別。瑠璃の舞靴だけは残る。特別なの」


 なるほど、と私が納得するかしないかのうちに、ゴッド母ちゃんはどこからか取り出したステッキ状のものを高々と掲げた。

「さあ、魔法をかけるわ! ビビディ・バビディ・ブートキャンプ!」

 ブートキャンプ?

「なんか胡散臭いんですけど」


 灰が舞う。窓から外を見ると、古びた荷馬車が現れていた。荷台にはかぼちゃが山ほど積まれている。


「かぼちゃの馬車よ」

「かぼちゃを積んだ馬車ですよね。かぼちゃの形をしたやつを期待してました」

「そんなお化けかぼちゃがあったら、馬車になんかせず市場で高値で売り飛ばしてるわよ」


 ゴッド母ちゃんが杖を振ると、灰が舞った。気づくと星屑みたいに綺麗な布が、ふわりと私の肩にかかっていた。リボンとレースがその上から重なり、勝手に縫い合わさって、ドレスの形へ変わっていく。


「さあ、準備はできたわね。いざ行かん!」


 そう言うゴッド母ちゃんは、肩で息をしていた。


 王宮の舞踏宮は名ばかりで、どこからどう見てもそこは闘技場だった。円形の大舞台を客席が囲み、魔灯が黒く磨かれた床を魅惑的に照らしている。審査席にはチャーミングな王子殿下が座っていた。耳飾り、首飾り、古い指輪を身につけ、わくわくを隠しきれない様子で舞台を見下ろしている。あれが舞踏の勝敗を裁く三種の神器で王子が裁定を下すための道具なのだと、隣の令嬢が囁いた。古い指輪は対象者の嘘も見破れるらしい。本当かよ。


 楽官が巻物を開いた。

「それではこれより、天下一舞踏会を開催する! 予選は十名一組の群舞で行う! 演者の顔と名は仮面と番号で伏せる! 三拍以上足を止めた者は失格! 王子殿下の裁定で、百名から七名を選ぶ!」


 舞踏会とは思えない、気合の入った開会宣言とルール説明だった。


「残るのは七人で本戦は八人? 計算おかしくありません?」

 控えの間では、令嬢たちの囁きが飛び交っていた。

「何言ってるの。本戦には王家代表、聖女ルシア様が加わるのよ」

「前大会覇者で殿下の筆頭婚約者候補のルシア様が?」


 前大会の覇者は、八人目として予選を免除されているらしい。


 頭の中で、体育館の床がきしんだ。新出のダンスって、気持ち悪いな。その記憶で肩が丸まりかけたとき、瑠璃の舞靴がかつんと床を叩いた。その音で私は我に返る。


「第十組! 九十一番から百番、舞台へ!」


 名を呼ばれ、私は一歩前へ出る。緊張するまもなく、舞踏が始まる。


 半拍遅れた。あ、終わった。そう思った瞬間、瑠璃の舞靴が踵を締め付ける。その痛みで足が前に出る。


 綺麗な一歩ではなかった。だが、一度も転ばなかった。肩が上がれば土踏まずが締め付けられ、逃げ腰になると爪先が締まる。この靴、めちゃくちゃ意思がある。


 客席のどこかで小さな笑いが起きる。私のことを笑っている? そう思うと、足が止まりそうになる。


 そのとき、舞台端からゴッド母ちゃんの声が飛んだ。


「九十九番、顔を下げるな! 勝利が床に落ちてるとでもいうの? そんな姿勢だと腰いわすわよ!」


 いわすって何? それ、私を励ましてるつもり?


 だが、ゴッド母ちゃんの言いたいことだけはわかった。私は顎を上げ、踊り続けた。


 銅鑼が鳴り、曲が終わる。十人のうち立っていたのは四人だけだった。王子が耳飾りに指を当てる。私が刻んだ拍を、耳飾りが数え直しているのがわかった。危うくて、何度も途切れかけて、それでも最後まで途絶えなかった拍を。


「九十九番。拍は危うかったが、最後まで足を止めなかったな」

 王子殿下の声が、審査席から聞こえた。


 唐突に王子から声をかけられ、心臓が跳ねた。だがまだ予選を通過したわけではない。それでも、最後まで逃げなかったことは見てもらえたらしい。ほっとすると、どっと疲れが押し寄せた。


 すべての組が終わると、楽官が七つの番号を読み上げた。五番、十七番、三十二番、四十八番、六十一番、七十二番。


「九十九番」


 最後に私の番号が呼ばれた。予選通過だ。


 拍手はまばらだった。それでも、ゼロではない。仮面に借り物のドレス、全身を伝う汗、そして震える膝。私が知っているシンデレラの舞踏会にしては、だいぶ絵面が違う。


「九十九番、少し話を」

 気づくと、いつの間にかチャーミングな王子が舞台脇に来て話しかけてきた。

「すみません、名乗れません」

 ここで名乗っては、継母義姉妹にバレる。

「まだ名は聞いていない」

「聞かれる流れだったので」

「じゃあ聞こう。そなたの名は?」

「うう、墓穴」


 私は逃げた。舞踏宮の廊下を走り、人気のない脇廊下へ滑り込む。本戦の開場までは、まだ少しだけ間がある。王子と話す勇気より先に、仮面を外して、呼吸を整える場所を探していた。


 けれど仮面を外したところで、廊下の角から本戦の支度を終えた継母たちが現れた。義妹は宝石の舞靴を履いたまま、義姉は白い腕袋をはめたまま、私の顔を見つめている。


「あなた……九十九番?」

「嘘でしょ? あの変な踊り手が、レイラだったの?」

「変な、は余計です」


 言ってから、しまったと思った。継母が無表情のまま私に近づいてきた。


「あなた、我が家の恥を王宮へ持ち込んだのね」

「恥じゃありません。私は……予選を通過しました」


 私の声は小さく、震えていた。それでも言った。次の瞬間、義妹が私の裾を掴んだ。びり、と布が音を立てて裂けた。


「あ……!」


 私の叫びも虚しく、義姉が肩のリボンを掴み、もう一度裂いた。


「本戦には出ないで。あなたが出れば、我が家の名が汚れるわっ!」


 私は破れたドレスを両手で押さえるので精一杯だった。三人が去ると、壁際の暖炉からゴッド母ちゃんがぬっと現れた。


「大丈夫?」

「出てくるの遅くないですか」

「ごめんなさい。あそこで飛び出すと、あなたより先にあの三人を蹴り殺してしまいそうだったから」

 ゴッド母ちゃんの前脛骨筋がビンと盛り上がった。

「それはそれで、見たかった気もします」


 ゴッド母ちゃんは、どこからともなく古い衣装箱を引きずり出した。


「これは?」

「あのいけすかない継母が屋敷に隠してたものよ」


 衣装箱の中から、淡い月色の布が出てきた。

「あなたのお母さまの舞踏衣装よ」

「え?」


 母の顔はもうはっきりと覚えていない。だが、嵐の夜にずっと私の隣にいてくれた、あの温もりは覚えていた。


「私、母みたいには踊れません」

「お母さまの真似をする必要はないわ。あなたはあなた。衣装の方をあなたの身体に合わせるのよ」


 ゴッド母ちゃんは魔法の杖を頭上に掲げた。それから杖を床に置き、鋏を布に入れた。古い袖がほどけ、重すぎる飾りが外れた。ゴッド母ちゃんはどこからともなく針と糸を取り出すと、裂けたドレスのレースまでほどいて、高速で縫い合わせていく。気づけば、月色の布は私の身体に合う舞台衣装になっていた。


「これで衣装はバッチリね。あとは足腰ね」

「足腰?」

 私が首を傾げると、ゴッド母ちゃんは鋭い目つきで私を見た。

「ビビディ・バビディ・ブートキャンプよ」


 舞踏宮の裏庭に連れて来られた。そこから古い馬車回しまで、夕刻の開場ぎりぎりまで歩かされた。ただ歩いたわけではない。ゆっくりと足を頭上までピンとあげ、それからゆっくりとそれをおろす。軸足をぷるぷると震わせながら、ゆっくりと。体重移動を間違えると瑠璃の舞靴が足をぎゅっと締め、都度体の動かし方を正す。痛みに顔を歪めると、ゴッド母ちゃんが檄を飛ばした。


「そんなしんどそうな顔をしてる人の踊りを、誰が見たいっていうの!?」


 私は口を結び、もう一度足を出した。痛みと重さを感じるたび、靴の魔力なのか、私の動きは洗練されていった。


 夜の舞踏宮は仮面がない。昼の予選では九十九番呼ばわりだった私は、夜にはもう「灰かぶりのレイラ」になっていた。囁きが耳に入るたび、瑠璃の舞靴の内側が汗で湿った。おそらく、義妹らが控えの間で言いふらしたのだろう。


 本戦は一対一。三拍以上足を止めれば負けだ。黒い円の外へ出ても負け。降参しても負け。あとはチャーミングな王子殿下が三種の神器をもとに裁定する。とにかく、足を止めたら終わり。それだけ覚えればいい。


 初戦の相手は義妹だった。勝負開始と同時に義妹の薄桃色のドレスの裾が花開き、宝石の舞靴が淡く光る。私は義妹の顔ではなく足元を見た。爪先だけで軽く跳ねている。可愛い足だ、と思った。ステップが軽い。


 私は床を思い切り踏んだ。どん! と、自分でも驚くほどの音が出た。湿った薪も絞った雑巾も、朝の冷たい床も、私はぜんぶこの足で踏んできた。可愛くもない。だが、軽くもない。


 義妹の舞靴から宝石の光がひとつ消えた。異変に気づいた彼女が足元を見た。その一拍で肩が落ち、バランスを崩す。


「第一試合、勝者、レイラ!」


 客席のざわめきが一拍遅れて起きた。灰かぶり、という囁きに予選とは違う色が混ざる。義妹は泣きそうな顔で「認めない」と言った。私は言い返さなかった。


 続く準決勝の相手は義姉だった。彼女が纏う白銀のドレスは、月明かりに照らされ神々しく輝いていた。

「その衣装、見覚えがあるわ。返しなさい」

 義姉が私の衣装を見て、強い口調で言った。

「返しません」

「なら、無理やりにでも脱がせるわ」

 シンデレラの舞踏会で聞く台詞ではない。銅鑼が鳴った。彼女の舞は静かで正確だった。すらりと伸びた足は正しい場所へ置かれ、陶器のように艶やかな手指が正しい角度で開く。


 彼女のように踊りたい、と私は思った。私は反射的に彼女のステップの真似をする。瑠璃の舞靴が強く鳴った。違う、と言われた気がした。


「真似をしても無駄よ。あなたに貴族の踊りは似合わない」


 義姉の声が刺さる。客席が見ている。完成された義姉の舞と、それに追いつけない私の舞を。体育館の床が近づいてくる。新出のダンスって、気持ち悪いな。どこからか聞こえてきた。


「シューチュー!」


 ゴッド母ちゃんの声が私の耳をつんざいた。私は義姉の真似をやめた。指先を綺麗に見せようとせず、首も優雅に返さない。台所で桶を持ち上げる腰で、低い姿勢から思い切り床を蹴り上げる。


 月色の衣装が少し遅れてついてきた。重かった袖が軽くなり、足首にまとわりついていた裾が横へ流れる。私は義姉との距離を詰める。遠目には完璧な舞でも、近づけば彼女が次に足を置く場所が予測できた。規則正しすぎるのだ。白銀の裾が舞い上がる瞬間、私は半歩踏み込んだ。義姉が次の足を置こうとした場所を、先に踏む。


 どん! 再び舞台に轟音が響き、足の置き場を失った義姉が体勢を崩して倒れた。


 銅鑼が鳴る。


「勝者、レイラっ!」


 義姉は尻餅をついた状態で、口を開けたまま私を見上げるしかなかった。


 決勝の相手はもちろん、聖女ルシアだった。彼女は純白のドレスに純白の手袋、純白の舞靴。まるで踊る花嫁だ。王子殿下の筆頭婚約者候補で、前大会の覇者。相手に不足はない。


 決勝は一曲勝負。三拍以上足を止めれば負け。黒い円の外へ出ても負け。楽官がそう告げたとき、大時計の針はすでに十一時四十分を過ぎていた。


 零時。魔法が解ける時刻だ。途中で零時の鐘が鳴れば、それから先は魔法が切れて踊れなくなる。その前に決着をつけなくては。


 決勝の楽が鳴った。


 零時までもう時間がない。私は初っ端から前に出た。床を力強く踏み、ルシアの純白の舞靴へ向かっていく。彼女の足元を狙い、体勢を崩しにかかる。


 だが、当たらない。


 ルシアは半歩ずれて、私の力を横へ流す。私の方は、彼女を追えば追うほど息が上がり、足が重くなっていく。焦って踏み込んでも、ルシアはもうそこにいない。純白の裾だけが目の前をかすめた。


「急いでいますね」

「急いでます」

「私はもっと、あなたと踊っていたいわ」

「ひん」


 作戦変更。こうなったら黒い円から押し出す。私は連続で踏み込み、ルシアの逃げ道を削る。境界線まであと半歩というところで、ルシアは笑ってくるりと私の背後に回り込む。気づけば、私の踵のすぐ後ろに境界線があった。一歩下がれば負けだ。


 大時計の鐘が鳴った。零時になってしまった。

 髪飾りの光が消え、ドレスの飾りがほどけた。客席がざわめく。

 月色の衣装から魔法の光が落ちていく。足が震えた。魔法が切れる。

 爪先が、勝手に次の場所を探した。踵が落ちる。


 鐘が鳴り終わる。


 だが私は、次の一歩を踏んでいた。


 魔法は消えたはずなのに、足はまだ動く。瑠璃の舞靴は重くも痛くもない。


 舞台袖でゴッド母ちゃんが両手を合わせているのが見えた。完全に「バレた」という顔をしていた。なんで?


「ゴッド母ちゃん! あのー、魔法がまだ切れてないんですけど!」

「切れてるわよ」

「切れてません! だってほら、まだ足が動いてますよ!」

「だから、その……最初から、あなたを踊らせる魔法なんてかけてないの」

「え?」

「その靴はただの舞靴。舞に必要な動きを、体に覚えさせるための矯正具なの」

「ええええええっ!?」

 客席がどよめいた。ルシアまで目を丸くしている。

「まあ、結果オーライじゃない」

「あとで蹴りますから!」

「優勝してからにして!」

 ルシアが踊りながら、小さく吹き出した。

「続けてもいいかしら?」

「もちろんです」


 純白と瑠璃が黒い床でぶつかる。ルシアが笑う。私も息を切らして笑っていた。踊り合い。いや、踊り愛だ。言葉にすると最悪だけど、もうそうとしか言えない。


 楽が速くなる。ルシアの白い裾が円を描き、私の月色の裾が遅れて追う。上品さでは勝てない。速さでも勝てない。けれど、しゃがんで、磨いて、歩かされてきた足腰は、まだ床を踏み込む力を持っていた。


 私は右足を高々と上げた。それから相撲の四股を踏むように、舞台を大地ごと踏みしめる。舞台が揺れ、ルシアの拍が乱れる。そのまま彼女の足が止まった。客席が息をのんだ。銅鑼が鳴った。


「参りました」

 ルシアは悔しそうに笑った。純白の手袋の指が、少し震えていた。


「勝負あり! 天下一舞踏会、優勝者は、灰かぶりのレイラ!」


 歓声が舞踏宮を割った。


 私のふくらはぎは、自分でもわかるくらい張っていた。パンプしている。今ならゴッド母ちゃんのふくらはぎといい勝負ができる。


「すごい足だ」

 王子殿下が、ぽつりと言った。

「み、見ないでください」

「すまない。だが、見事だった」


「お待ちくださいませ」

 観客席で継母が立ち上がった。丁寧な微笑みが、かえって怖い。

「その娘の優勝は無効です。その衣装も瑠璃の舞靴も、この家のもの。レイラは家の財を盗み、身元を隠して予選に出たのです」


 王子が一歩、私の前へ出た。


「夫人。その申し立ては、神器の裁定を覆すに足るものか」

「もちろんでございます。瑠璃の舞靴は、持ち主を強制的に勝たせる品です」

「靴はあなたの家の財ではないわ」


 舞台脇でゴッド母ちゃんが手を上げた。胸の深紅のリボンが、妙に堂々としている。


「その靴は私がレイラに貸したものよ。妖精が預かっていた古い舞靴。衣装はレイラの母親のものを私が仕立て直したもの。両方とも、そちらの家の品ではないわ」


 継母の微笑みが消えた。


 王子が右手の指輪を夫人へ向けた。青い光が、継母の胸元の宝石を冷たく照らす。本当に、指輪は嘘にも反応するらしい。継母は口を開きかけて、閉じた。


「申し立ては退ける。夫人、あなたには亡き夫君の家を預かる資格がない。屋敷と財の管理権は、今夜をもって王家が預かる」


 継母の扇が、かたりと膝から落ちた。客席の貴族たちが、彼女から少しずつ距離を取っていく。


 王子が舞台に降り、私に向かって手を差し出した。私は瑠璃の舞靴を整えてから、その手を借りて立ち上がる。いつの間にかゴッド母ちゃんも舞台に上がっていた。


 私は王子に礼を言ったあと、その手を離し、ゴッド母ちゃんの肩をぱしんと叩いた。


「痛いわね。お礼が肩パンってどういうこと?」

「蹴られないだけでもありがたく思ってください」

「おー、こわ」

 ゴッド母ちゃんは大袈裟に怖がる。

「ビビディ・バビディ・ブートキャンプの意味がわかりました。本当にブートキャンプでした」

「でしょ?」

 ゴッド母ちゃんが笑った。


 王子がもう一度、手を差し出した。


「舞靴の留め具が緩んでいる」

「自分でやります」

「私にやらせてくれ」


 王子がしゃがみ込み、私の瑠璃の舞靴の細い留め具を締める。私は足の震えを押さえるので精一杯だった。


 いつの間にか、曲が始まっていた。


「優勝者は本来、私と一曲踊るのだが、この足では無理か」

 ぷるぷると震える私の足を見て王子が言った。正直、立っているのでやっとの状態だった。だが、王子の誘いを無下に断るのも悪い。

「一曲くらいなら」

「足は痛くないのか?」

「痛いです」

「正直だな。では、短めに」

「助かります」


 王子が私の手を取った。不思議と体が軽くなり、足が動いた。いったい、どんな魔法をかけられたのだろう。


 王子が微笑む。私も自然と微笑み返した。彼のリードで、また体が動く。どこからか拍手が湧き起こる。疲れているのに、なぜかいつまでも踊っていたいと思った。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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