第2話 『わたしだけの時間』
「紗悠、なんか弁当ちっちゃくない?」
前の席が無人になったのを良いことに、机と椅子を勝手に拝借しながら、吉乃は私の手元を見下ろしてそう言った。
月曜日の昼休み。二年C組の教室は、いつも通りの喧騒に包まれている。
部活の昼練に繰り出す未来のアスリート。購買部のパン争奪戦へと赴く戦士たち。現代社会を生き急ぐ彼らを横目に、クラスメイトたちはお弁当片手に、おもいおもいのコミュニティを形成していく。
かくいう私のコミュニティは、窓際前方、吉乃と二人で囲う机二つ分の狭い区画だった。つまりは二つの机をくっつけて、友達と一緒にお弁当を広げていた。
「ダイエット中だったっけ?」
「えー、あー、うん、そう。そんな感じ」
私の露骨な生返事に、吉乃は綺麗に描かれた眉をきりりと持ち上げる。
「はいダウト。あんたの腹のどこに減らすべき贅肉があるんじゃい」
「ちょっ、やめてよもー!」
机の下から無理やり脇腹に触れようとしてくる吉乃。その変態の魔の手から逃れるように、私は手に持った弁当箱ごと身を引いた。
「あっ、さては彼氏!? 彼氏か貴様!? このあたしを差し置いて、ついに作りやがったのか!? ほっそいウエストが彼氏の好みかコノヤロー!」
「作りやがってない! もういいから早く食べよ」
吉乃が大声で叫ぶものだから、近くにいた女子たちが何事かとこっちを見てくる。本当にやめてほしい。誰と誰が付き合っただの別れただの、そういう色恋沙汰は全盛期のエンタ芸人のネタくらいの勢いで拡散されるのが女子社会というものなのだ。ましてやクラスでも何かと目立つタイプの吉乃とあらば、その拡散力は今年の花粉をも凌駕する。
「あっ、紗悠がまた変なこと考えてる顔してる」
「してないしてない」
目敏く指摘してくる吉乃を適当にいなし、私は弁当箱——毎週月曜日専用の弁当箱を開いた。
先の台詞を聴いた時は正直びっくりした。しかし、いくら付き合いの長い吉乃といえど、私が月曜日だけ普段より一回り小さい弁当箱を使っていることまでは見抜けまい。
それくらい、私にとって月曜日は特別な日なのだ。
だって——、
『千種奏の屋上へ行こう!』
聴き慣れたチャイムの音とともに、前方のスピーカーから快活な男子の声がした。
教室にいる全員が、一斉に声へと目を向ける。その顔にはさっき私たちを見てきたクラスメイトのように、何事かと訝しむ色は見当たらない。それはさも存在して当たり前のようにそこに在りながら、決して無視できない不思議な力をもってみんなを惹きつける日常だった。
「おっ、始まった。『かないこ』」
登校中にコンビニで買ってきたらしい菓子パン(ちなみに校則違反)をパクパク食べながら、吉乃が長い脚を組み替える。これまた校則違反の短いスカートでその動作をするのは、同性から見ても危なっかしくてハラハラドキドキするけれど、スカートの短さに関しては私もどっこいどっこいなのであまり文句は言えなかった。
『この番組は、クスッと笑える昼休みをテーマに、僕、千種奏が毎週月曜日にお届けしているラジオ番組です。いつか出入り禁止の屋上でタイトルコールすることを目指しつつ、今日のところはせまーい放送室からお送りします』
脚を組んだままの姿勢で器用に背後のスピーカーを一瞥し、吉乃が呟く。
「前々から思ってたけど、この定型文の後付け感ハンパないよね。絶対あのテレビ意識してるじゃん」
バカ、その雑さがいいんじゃん。
喉元まで出かかった言葉を、すんでのところで飲み込む。
危ない危ない。ちょっとでもボロを出そうものなら、派手な見た目に反して何かと聡い吉乃のことだ。すぐに言葉尻を捉えてあることないこと追及してくるに違いない。さながらハンバーガーショップのコントでファミコン言葉ひとつにブチギレる伊達みきおみたいに。これは違うか。
頭の中で富澤たけしと一緒に「ポテトはいかがですかー?」と言っている間にも、唐突に始まった校内放送は先へと進んでいく。
『はい、じゃあまずは恒例の近況トークから。そうですね……僕はみなさんご存知の通り、まあ放送部に所属しているんですけど、やっぱり最近運動不足だなって感じます。というのも、四月にあったじゃないですか。そう、体力テスト! あれがまあしんどくて——……』
そこから、トークテーマは今年度の体力テストへとシフトしていく。どうやら千種君のシャトルランの記録は十七回、握力にいたっては二十キロらしかった。そのへんの女子中学生と喧嘩したらギリ負けそうである。
「握力二十キロって。どんだけ弱いんだよ、かなっち。ねえ、紗悠?」
「それな」
ドーナツを掴む時のトングみたいだよね。
脳裏を掠めたネタが言葉になることはなく、私はドーナツの代わりに卵焼きを口に運ぶ。今朝自分で拵えた卵焼きのはずなのに、味はよくわからなかった。
緊張しているのが、自分でもわかる。
「——」
私が心の中で「千種君」と呼び、吉乃が「かなっち」とイジった少年——私たちのクラスメイトである千種奏君は、毎週月曜日の昼休みに学校の放送室を借りて自主ラジオを配信している。
『千種奏の屋上へ行こう!』——通称『かないこ』
吉乃の言う通り、某テレビ番組を意識しているのであろうそのラジオもどきの始まりは、確か去年の秋くらいだったと思う。
初めは全然意識なんてしていなかった。それもそうだろう。そもそも昼休みに自主ラジオを配信するという行為自体が意味わからないし、もっと言えば、それをほかでもない千種君がやっているという事実も理解不能だ。
千種奏君。黒髪眼鏡で、絵に描いたような優等生然とした男の子。とてもじゃないけど、そんな、所謂『目立つ行為』をするようなタイプじゃあないと思う。
意識なんてしていなかった。
「何やってんの」って思っていた。
はっきり言って、恥ずかしかった。
私とは、違いすぎて。
そして——、
『かないこ大喜利ー!』
「——ぁ」
体力テストのフリートークが一段落し、自作らしいオリジナルのジングルが流れた後、スピーカーから聴こえてきたのは待ち侘びたタイトルコールだった。
かないこ大喜利——そう、大喜利だ。
『このコーナーでは、毎週学校をテーマにした大喜利を出題、回答を募集します。今回のお題は【こんな体育の授業なら死んでも休みたい】です』
慣れた様子でコーナーの説明をこなす千種君。対して、私の心臓は先の数倍の早さで脈打っていく。
きた、きた、きた、きた!
興奮と緊張が最高潮すぎてヤバい。
何がヤバいってまじヤバい。
何気なく教室を見回す風を装って、吉乃の様子を横目で観察。吉乃は相変わらずスピーカーを眺めながら、いちごミルクのストローを口に運んでいる。こちらに顔を向ける素振りはない。
よし。大丈夫、今日もバレてない。いい加減一人で過ごせばいいのはわかっているけれど、そうはしたくないのが私の性格のなんとも悩ましいところだった。
千種君の声が教室中に響き渡る。
『さあ、今回はどんな回答が集まっているんでしょうか。早速紹介していきましょう。えー、ラジオネーム・とある数学好きさん。【こんな体育の授業なら死んでも休みたい】』
『【Wi-Fiの調子が悪い】……ははっ、体育にタブレットって一番いらないでしょ』
違う。けど、面白い。
『ラジオネーム・授業参観撲滅委員さん。おい何があった。えー、【こんな体育の授業なら死んでも休みたい】』
『【天井にバレーボールが挟まったら、ちゃんと回収するまで授業を中断する】』
回収している間、みんなでただ天井を見つめるだけの時間を想像したら、虚無すぎて思わず吹き出しそうになってしまった。けど、これも違う。
『ラジオネーム・花よりタンゴさん。【こんな体育の授業なら死んでも休みたい】』
『【関心・意欲・態度の、関心だけを見られている】……いや、関心ってどこで判断してるんだよ』
さすがは花よりタンゴ。着眼点が斜め上すぎる。そしてこれも違う。
『えー、続いてラジオネーム——……』
千種君の口からラジオネームが呼ばれる度に、ちょっとずつ体温が上がっていく。いつもこうだ。このままいけば、いずれ臍で茶が沸騰するまである。
なんてくだらないことを考えていないとどうにかなってしまうくらい、今の私はどうかしていた。
半ば祈るような思いでギュッと目を瞑ると、
『続いては……おっ。ラジオネーム・キャラメルペペロンチーノさん』
「——ぁ」
——その瞬間は、いつだって不意に訪れる。
『【こんな体育の授業なら死んでも休みたい】』
『【誰ともペアを組めずに余った二人のうちの一人が、率先して先生とペアを組みに行った】……あははっ、そんなにその子と組むの嫌だったんだ』
「……ふはっ」
さっきまで表情乏しく菓子パンを頬張っていた吉乃、その口角が持ち上がる瞬間を私は見逃さなかった。
吉乃は普段お笑いを観ない。そんな彼女にウケた。その事実が私の心を満たしてくれる。
それに何より——千種君。
彼に選ばれたことが、何よりも何よりも嬉しくて。
『——はい。ということで、今回の大喜利はここまで。みなさん、たくさんの回答ありがとうございました。さて、次回のお題は——……』
コーナーは終わり、ラジオはその後も恙なく流れていく。
吉乃がこちらを振り返りながら、
「いやー、最後の面白かったね……ん、紗悠? どうしたの、そんなにニヤニヤして」
「んーん、なんでもない」
「キモッ」
「うっさい」
毎週月曜日の昼休み。
面白くて、楽しくて、不安で、でもやっぱり面白くて。
私だけの特別。
お弁当も喉を通らないくらい——夢のような三十分なのだ。




