第1話 『プロローグ』
——物音ひとつしない静寂が、無機質な空間を満たしていた。
狭い放送室だ。必要最低限の放送用機材が置かれたデスクと防音設備のほかには、使い古されたオフィスチェアが一脚。回転させるたびに乾いた音が鳴る我楽多。それを鳴らさない術を身につけたのは、いったいいつからだっただろう。
ふと、無機質な空間の中に機材とはこれ如何に、なんて、ネタと呼ぶにはあまりに忍びない戯言が浮かんだけれど、かぶりを振って思考から追い払う。僕がこれからお届けするのは声であり、音なのだ。こういう文字媒体でしか伝わらない言葉遊びは極力避けるべきだろう。それがプロというものだ。別にプロではないけれど。
眼前のガラス越しに、こちらの部屋とは打って変わって散らかった準備室が見渡せた。開けっぱなしの窓を隠すように、クリーム色のカーテンが揺れている。数分前には微かに聴こえていた陸上部の快活な掛け声も、野球部が奏でるバットの金属音も、今はまったく聴こえない。
一度扉を閉めてしまえば、ここは切り離された異空間。
それは家の押し入れであり、サラリーマンの車内であり、授業中の個室トイレであり。
日常の中の非日常であり。
僕だけの、秘密基地だ。
「——」
鼻から息を吸い、少し止める。ゆっくり口から吐く。それを二回繰り返した後、発声練習。
あめんぼあかいなあいうえお。うきもにこえびもおよいでる。北原白秋先生にはいつも大変お世話になっている。
壁にかけられた時計を見遣ると、ちょうど時刻は午後一時。念のため手元のスマートフォンを起動して狂いがないことを確かめた後、僕は学校指定のチャイムの音源を流す。
キーンコーンカーンコーン。
聴き慣れたそれが鳴り終わる。それからコンマ数秒遅れて、僕はマイクのボリュームを徐々に上げていく。
そして——、
「『千種奏の屋上へ行こう!』」
タイトルコールと同時に、今度はBGMのボリュームを調整。お昼の放送に相応しい軽快な音色とリズムが、スピーカーを通して校内全域へと広がっていく。
午後一時。毎週月曜日の昼休み。
たったひとりの放送室。僕しか存在しないサンクチュアリ。
しかし、そんなことはない。スピーカーの向こう側には、みんながいる。このマイク一本で、みんなへと繋がっていく。
夢のような三十分間が、本日も幕を開けた。




