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3つの駅の物語

作者: 山谷麻也
掲載日:2026/01/27

挿絵(By みてみん)


 プロローグ


 駅舎は限りない郷愁を誘う。

 運転免許を持たない私は、鉄道がもっぱらの移動手段である。いろいろな列車に乗った。数えきれないくらいの駅で乗り降りした。その中で、とりわけ愛着を感じる駅が三つある。


 最初に位置関係を概観しておく。

 三つとも四国は土讃線の駅である。土讃線はその名のとおり、土佐(高知)と讃岐(香川)を結ぶもので、鉄路が四国にはすかいに敷かれている。これらの駅はそのほぼ中央部、徳島の西端部にある。


 その1 祖谷口いやぐち


 四国三郎・吉野川は四国山地を過ぎると、川幅が広がり、流れが急に緩やかになる。そこに南方から支流が注ぐ。祖谷川である。剣山(一九五五メートル)に源を発し、秘境・祖谷を下ってきた川だ。

 祖谷口駅は吉野川と祖谷川の合流地点にある。まことに言いえて妙な駅名だ。


 このあたりでは土讃線は吉野川の西岸に敷設されている。長く、東岸からは渡し舟を利用するしかなかった。地域住民の不便を見かねた篤志家が一九三五年(昭和一〇)、一本の吊り橋を架ける。大川橋なる立派な名前を持った橋だった。正式名称を聞いたことはほとんどなかった。渡る者から料金を徴収した時期があり、地元では「賃取り橋」で通っていた。少し上流に一九七三年(昭和四八)近代的な橋が架橋されてもなお現役を続けていた賃取り橋、寄る年波には勝てず二〇二〇年(令和二)に撤去された。


 私は祖谷川の西岸にある二〇軒ほどの小さな村で生まれ育った。周囲を山で囲まれ、生家からはるか下方に祖谷川の渓谷が見えた。渓谷沿いに祖谷街道が抜かれ、時おり米粒のようなバスやトラックが通行していた。

 祖谷街道は一九二〇年(大正九)、二〇年間に及ぶ長期かつ難工事の末に完成した。以前、祖谷との往来は山越えしかなかった。そのルートの一本が私の生まれた村の上を通っていた。すでに歴史的使命を終えていたとはいえ、我が家ではよくその往還を使った。母親の実家が途中の村にあったことが大きい。


 村の急な坂道を登り詰めると峠があった。ここで往還に合流する。母親の実家へは祖谷口方面へ向け、なだらかな山道を下った。

 行き交う人もなく寂しい道だった。やがて視界がパッと開けてくる。前方に祖谷口駅が見える。運が良ければ、蒸気機関車が白煙を吐く瞬間にさえ遭遇できた。


 少年は見とれていた。

 文明そのものだった。目に映るのは、動きはあっても音のない光景。透明の巨大なカーテンが、文明と非文明を分けていた。


 祖谷口駅は、中耳炎の治療で香川県の耳鼻科に通院した際に利用した記憶がある。おそらく、その時の出来事だろう。

 母親とホームで待っていると、真っ黒な蒸気機関車が近づいてきた。遠望していたものが眼前にある。しかし、感動している場合ではなかった。尻に違和感を感じたのだ。ムズムズし、身をよじらずにはいられなかった。


「虫が出てきた!」

 訴えると、母親は素早く私のズボンを降ろし、手で引っ張り出して捨てた。親子は何事もなかったかのように汽車に乗り込んだ。

 家庭の薬箱には虫下しが常備され、シラミ退治のため、学童に殺虫剤のDDT=ジクロロジフェニルトリクロロエタンを散布した時代だった。


 その2 阿波池田駅


 祖谷口駅から阿波池田駅は八・四キロ、普通列車で一二分ほどである。土讃線の駅ながら、徳島線が佃駅から土讃線に乗り入れ、阿波池田駅まで運行している。

 私の少年期、池田は都会だった。四国の中央部という立地の良さから、長く中枢都市だった。駅舎は立派で、多くの乗客がひっきりなしに乗り降りしていた。とりわけ朝夕の車両は通勤・通学客で超満員だった。乗り切れず、デッキにつかまっていた者も多い。命がけの乗車だったのだ。


 池田の知名度を全国区にしたのは、ほかならぬ池田高校野球部の活躍だった。蔦文也監督に率いられ、高校野球史上に輝かしい一ページを残した。

 蔦監督が何かの機会に駅で時刻表を見上げた。その姿勢がバッターボックスに立った時の姿勢に近いことに気付き、部員に教えた——という話をどこかで読んだことがある。


 甲子園で池田高校は勝ち進んだ。一戦ごとに応援のボルテージがあがる。一方で、当惑している人物がいた。

「(甲子園に応援に行く人を運ぶ)臨時列車を出すのに一苦労しました」

 当時の駅長が苦笑いして回顧していた。


 私は徳島市内の高校に進学し、高校の近くに下宿していた関係で、ギューギュー詰めの通学列車に乗ったことはない。阿波池田駅も、たまに親元に帰る時に乗り降りするくらいだった。

 従って、大して印象に残る駅ではなかった。ところが、徳島を離れて半世紀近く経ったある年、私は阿波池田駅を通勤で利用するようになっていた。


 都内で小さな会社を経営していて、眼病が判明した。「失明宣告」され、五〇歳で鍼灸師に転職、埼玉県の自宅近くで開業した。

(このまま埼玉に骨を埋めるのかな)

 と思っていた矢先に起きたのが東日本大震災だった。災害ボランティアに参加したことがきっかけで、Uターンを決心したのだった。


 一口にUターンといっても、簡単には実現しなかった。妻と次女とで四国に住居を移した。私には、治療院の後継者問題なども残っていた。やむなく掛け持ちし、毎週、四国と埼玉を往復することになった。


 日曜の昼に阿波池田駅から岡山行の特急に乗り、岡山で乗り換えて新幹線で東京に向かう。火曜の夕方、車中の人となり、夜中に阿波池田駅に降り立った。

 田舎町の深い闇の中に、うっすらと駅の待合室の灯がともる。妻がひとりポツンと立って待っていてくれた。これが田舎の駅の現実だった。


 それでも、列車の旅は快適だった。洋画の紳士よろしく、フラスコを買った。ウイスキーや焼酎の水割りでほろ酔い気分になって車窓の景色を楽しんだものだ。

 ただ、懐は寂しくなるばかりだった。仕方なく、二年目からは夜行バスに切り替えた。行きも帰りも車中泊するものだった。


 つごう四年間、移動距離は地球六周半に及んだ。強行軍は眼病の進行を早めたか、最後のころには白杖を突いていても歩行は危なっかしくなっていた。


 その3 三繩みなわ


 三繩駅は吉野川の東岸、阿波池田駅と祖谷口駅の中間にある。

 祖谷口駅を出た列車はそのうち短いトンネルに入る。数舜後、吉野川の鉄橋に差し掛かる。眼下にはエメラルドグリーンの水をたたえる吉野川。観光列車ならスピードを緩めて、絵葉書のような景色を堪能させてくれる。再びトンネルへ。そして、三繩駅に到着する。


 途中の絶景以外、何の変哲もない田舎駅に写る。よくよく見ると、敷地がやたらと広い。そのはずである。ここは三繩鉱山で採れた銅や硫化鉄など鉱石の積み出し駅でもあったのだ。街を潤してきた鉱山は一九五五年(昭和三〇)に閉山となり、坑道入口跡だけがわずかに名残りをとどめているにすぎない。


 Uターンすることとなり、自宅兼治療院を建てる敷地を探した。やっとの思いで見つけたのが、三繩駅から五〇〇メートルほどにあった空き地だった。旧市街地のメインストリート沿いながら、草ぼうぼう。そのまま街の盛衰を象徴していた。


 駅舎がお気に入りだった。

 盲導犬に連れられ、缶ビールを持って、よく夜の散歩に行った。そんな時、スマホで聴くのがPPM=ピーター・ポール・アンド・マリーの『五〇〇マイルもはなれて』(五〇〇 Miles)だった。高校時代、激化するベトナム戦争を背景に、若者に大ヒットした曲だ。


 口ずさんでいると、汽車が近づいてきて停車した。普通列車なら一両編成のはず。ところが三、四両もの編成で、改札口の向こうは急に明るくなり、ディーゼル機関車のエンジン音が響く。特急が通過列車を待つために一時停止したのだ。


 埼玉と徳島の遠距離通勤に使っていたのは、その後の終電だった。

 いろいろな人生を運ぶ列車の姿がそこにはあった。

(ずいぶん遠くまで来たもんだな)

 感慨にふけりつつ、高知方面に向かう特急を見送った。


 エピローグ


 お気づきのように、四国にはいまだに「汽車」が走っている。電化されていない区間が多く、特に徳島県は全国で唯一、電化率ゼロとして知られる。

 汽車はディーゼルエンジンを搭載し、発生させた電流を動力源に走行する。「電車」が発電所から送られる電気によって動くのと違い、汽車は自前の動力源を持つ。

 同じように、蒸気機関車も石炭をいて走る。四国では蒸気機関車が見納めとなって久しい。動力近代化の流れの中、有力な炭鉱がなく、いち早くディーゼルに切り替えられたからだ。


少年を魅了した蒸気機関車。煙も吐かず、警笛も鳴らさなかった代わりに、停車中もエンジン音の止むことがないディーゼル機関車。いずれにしても、エネルギッシュだった。

 地方の赤字路線は年々減便され、あちこちで廃線の検討が進められていると聞く。頼りになる代役が現れるかどうか、鉄道ファンならずとも疑問の残るところだろう。


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