第十二話
「あなたを置いてさっさと帰ったくせに、今度は急いで戻れなんて、気まぐれにもほどがあるわ、あなたの主人は!」
エントランスに向かって歩きながら、さっきから隣で文句を言い続けているパトリシアに、カイルは苦笑した。
今朝、「至急戻れ」というマリオンからの手紙が届いた。
伝書鳩ではなく郵便だったので、到着まで数日要したことを考えると緊急事態でないことはわかったが、それでももちろんカイルはすぐに出発しなければならない。
必要とされることはもちろん嬉しいのだが、カイルは生まれて初めて主君の命令に背きたくなった。いや、今までも数々の無理難題に不満を言ったことは何度もあったのだが、それでもマリオンの命令は、カイルにとって最優先事項だった。その忠誠心を脅かす存在が、初めて現れた。
荷物など鞄ひとつだけなので、空いている方の腕にその可愛い存在が腕をからめている。
「でも、殿下が気まぐれじゃなかったら、私がここに残ることもなくて、ここに残ったから……」
そこから先を照れくさくて言えないでいるカイルの言葉を受けて、パトリシアは笑顔で見上げてきた。
「そうね。それは感謝しなきゃね」
「結局、あの方は私がそばにいないと駄目なんです」
カイルは幸せだったので、少し有頂天になって得意気に言った。
「それじゃ駄目よ! フランシスを連れて行くんなら、その代償を覚悟してもらわないと」
「え、いやいや、私がフランシス様の代償だなんて……」
畏れ多いと思いつつも、カイルはふと思った。自分以外に、あの人使いが荒い主君の側近を務められる人間がいるのだろうか。
いたらいたでなんだか寂しい気持ちもあるが、いなかったら困る。
いや、そもそもそんな心配はまだ早い。二人ではぐくもうとしている恋は、まだ芽を出したばかりなのだ。
「道中、気をつけてね」
からめた腕に、パトリシアは力を込めてきた。
「大丈夫です。慣れていますから。それよりもパトリシア様こそお体に……」
「パトリシア様じゃないわ。パティって呼んでよ」
だがカイルは、その名を呼ぶ前に硬直して足を止めてしまった。
目の前で、フランシスが呆然と二人を見ていた。
ちょうど帰ってきたところらしく、後ろにはロビンとメイドのパトリシア、そしてダニエルがいた。
「あ、お、お帰りなさい!」
カイルは、とっさにパトリシアの手を振りほどいた。
「帰るの? カイル」
「は、はい、今朝、帰って来いと殿下から手紙がきました。何かことづけはありますか? フランシス様」
「別にない。ゆうべ会ったから」
「え、そうなんですか!?」
「あ、父上には黙ってて」
「もちろん言いませんよ。私はもう帰りますし」
「私たちのことも、まだお父様には言わないでね、フランシス」
自分の手を振りほどいたカイルに恨めし気な視線を送りながら、パトリシアが言った。
「私たちのことって、どういうことですか?」
「こういうことよ」
言いながら、またパトリシアはカイルの腕に自分の腕をからめた。
「私たち、結婚するの」
フランシスも、そして後ろに立っている三人も驚いていた。
カイルは慌てた。
「あ、あの、まだ正式に決まったわけでは……」
「またお父様をびっくりさせたら体に毒だろうから、もう少し元気になるまで黙っていようってカイルは言うんだけど……」
「殿下にも……まだ言ってませんし……」
「私と結婚するってことはアステラの国王になるってことだから、ちょっとびびってるのよ、この人」
あっけらかんと笑う姉の顔を、フランシスは言葉をなくしてただ見ていた。
カイルがバルトワへと旅立つのを見送ったパトリシアは、その後ろでじっと黙っていたフランシスに、いきなり腕をつかまれて彼女の部屋に連れてこられた。
「何を考えてるんですか、姉上」
部屋に入るなり、フランシスは厳しい表情で問いかけてきた。
確かに驚いただろうが、そんな咎めるような顔で問い詰められるいわれはないと、パトリシアは少し不愉快になった。
「何をって、見ての通りよ。カイルと結婚することにしたの。だからあなたは、安心してバルトワにお嫁に行って」
「馬鹿なこと言わないでください!」
「馬鹿なこと? なによそれ……」
「なんで僕のために、姉上が犠牲になるんですか!?」
「ちょっと! 思い上がらないで! 私がカイルと結婚することがなんであなたのためなの!? なんで犠牲なのよ!?」
「昨日まで、全然そんなそぶりなかったじゃないですか!? いったいいつからそんな関係になったんですか!?」
「昨日よ」
「はあ!?」
「昨日、恋に落ちたの。ファーストキスまでしちゃった」
パトリシアは照れながら、チロッと舌を出して微笑った。
「しっかりしてください、姉上」
フランシスは、熱でもあるように自分の額に手を当てた。
「なんなのよ、さっきから!?」
パトリシアはまた声を荒げた。
「カイルの何が駄目だって言うの!?」
「そういうことじゃなくて、そんなに簡単に人を好きになっちゃ駄目です。もっと慎重に……」
「なによ、偉そうに! 私より経験積んでると思って!」
「僕は、姉上に幸せになってもらいたいんです」
「だから、カイルと結婚することがなんで幸せじゃないって決めつけるの!?」
「僕の顔を見るなり、姉上の手を振りほどいたじゃないですか!?」
「あのね、フランシス。男がみんな、あなたの彼氏みたいに自信満々だと思ったら大間違いよ。そもそもあんな自信過剰な男を基準にしないでよ」
フランシスが言い返せずに黙ってしまったのをいいことに、パトリシアはさらに畳みかけた。
「だいたい自分の恋愛もうまくいってないくせに、私にあれこれ指図するのはやめて。私の好きな人のことをもう一度悪く言ったら、いくらあなたでも許さないわよ!」
捨て台詞のような言葉を残し、パトリシアは勢いよく扉を閉めて妹の部屋を出た。
だが、すぐにしょんぼりしてその扉にもたれた。
(ちょっと言い過ぎたかしら)
本当は、フランシスのためという気持ちはおおいにあった。でもそれは絶対に言ってはいけない。
それに、フランシスのためという気持ちがあっても、昨日から自分はフワフワしたときめきの中にいた。これを恋と呼ばずしてなんと呼べばいいのだ。
動機や目的がなんであれ、少しも犠牲なんて気持ちはないのだから結果オーライではないか。
(あなたが悪いのよ。妹のくせに偉そうなこと言うから)
パトリシアは自分を正当化してみる。
それでも心は晴れなかった。
何が悲しいって、楽しみにしていた妹との恋愛談議が、こんな形になってしまったことが一番悲しかった。
バルトワ城に着くなり、マリオンはひと息つく間も与えられず正装させられた。
「お急ぎください! もうパーティーは始まっています!」
侍女たちが大急ぎでマリオンの身支度を整えている隣で、執事が懐中時計を見ながらせわし気に言った。
「パーティー? なんの」
「モーガン侯爵令嬢のお誕生日パーティーです。お聞きになってないんですか」
モーガン侯爵令嬢って誰だっけと、数秒間マリオンは考えた。
なんせ、宿もとらずにずっと馬車に揺られ続け、さすがに疲れ切っていた。
「ああ、クロディーヌか」
やっと思い出した。
「何事かと思ったら……」
マリオンはため息をついた。
「そんなパーティー行かなくたっていいだろう。それより休ませてくれないか」
「いけません! 国王陛下のご命令です! 殿下のお妃候補筆頭のご令嬢ですぞ!」
マリオンは思わず顔を強張らせた。
(そんなことのために俺は、泣いているフランシスを置いて帰ってきたのか)
愕然とした顔の自分が、鏡の中から問いかけていた。
頭痛がしてきた。
たくさんの祝福の言葉に笑顔で応えながら、クロディーヌは内心いらだっていた。
パーティーが始まってだいぶ経つのに、肝心のマリオンが現れない。
父は、確かに国王陛下が直々に確約してくれたと言っていた。今日のパーティーに必ずマリオンを出席させると。
アステラにこれ以上好き勝手を言わせてなるものかと、バルトワの報道陣が一致団結してマリオンの名誉挽回の記事を各紙に載せることになった。彼がいかに素晴らしい男で、なおかつアステラからわざわざ粗暴な女戦士などを嫁にもらわなくても、彼にふさわしい令嬢がバルトワにはいくらでもいるのだという記事を。
そして昨日国王陛下は、そのマリオンの正妃の筆頭候補だと、記者の前でクロディーヌの名前を挙げた。翌日にはそのクロディーヌの誕生パーティーが開催されるという、図ったようなタイミングで。
当然、たくさんの報道陣がモーガン邸に集まった。いつもなら入り口で止められる柄が悪そうなゴシップ記事の記者でさえ、報道陣の腕章さえつけていれば簡単に入場できた。
その手ぐすね引いて待っている報道陣たちの間から、待ちくたびれて欠伸をする人間まで出てきたころ、やっとお目当ての王太子殿下が現れた。
「マリオン!」
クロディーヌは駆け寄った。
フラッシュが一斉にたかれる。
ただでさえ疲れているのに、そのフラッシュはマリオンをさらに仏頂面にした。
「お花をありがとう!」
クロディーヌはマリオンに腕をからめた。
「花?」
マリオンは眉間にしわを寄せる。
本人の知らないところでバルトワ城の誰かが勝手に手配したのだと、クロディーヌは察した。
このままだと、嫌がっているマリオンに自分が強引にくっついている構図になってしまう。なんとか、マリオンの笑顔を写真に収めさせなければ――。
クロディーヌは知恵を絞った。
「おめでとう、マリオン」
「それはこっちの台詞だろう」
「赤ちゃん、できたんですって?」
「ああ」
やっとマリオンは微笑した。
「ありがとう」
また一斉にたかれたフラッシュに合わせてクロディーヌも微笑んだが、内心ちっとも嬉しくない。私の誕生日だというのに、こういう言葉でしか笑ってくれないなんて。
悔しいから、クロディーヌは言わずにはいられなかった。
「でも彼女もかわいそうね。自分の親だけじゃなくて、あなたのお父様にも結婚を反対されているんでしょう?」
マリオンは黙っている。
「今朝の新聞見た? 私があなたのお妃候補筆頭だって、あなたのお父様がおっしゃってくださったのよ」
「それは」
マリオンはクロディーヌに顔を近づけた。
クロディーヌはときめいて頬を染めた。
「その年頃で売れ残っているのが君くらいしかいないからだろう」
顔を近づけたのは、ほかの人に聞かせない配慮が必要な言葉だったからだ。
クロディーヌが思わずムッとしてまなじりをつり上げたとき、マリオンはこの日一番の笑顔を浮かべた。
「君も早くいい人みつけろよ、クロディーヌ」
夏休みの間、ショーンは足しげくアステラ城に通った。
いつ行ってもフランシスは公務で忙しそうでろくに話せない日も多かったが、黙々と仕事をしている彼女を横で見ているだけでもショーンは幸せだった。
慰問とか視察とか外へ出かける用事はもっぱらパトリシアが担当していたが、それでもたまにフランシスも出かけていたり、会議やら何やらで顔も見れない日は、オリバーの家から連れてきたらしい鶏の世話をしたり、騎士団の稽古にまぜてもらったり、ダニエルの遊び相手になってあげたりして過ごした。
だからすっかり城の住人たちに顔を覚えられ、その日も誰に断ることもなく中へ入っていった。手には、本屋でみつけたバルトワの雑誌が入った紙袋を持っていた。
勢いよく手を振って歩いていたら紙袋から雑誌がこぼれ出て床に落ちた。それを拾うためにしゃがんだから、緩いカーブを描いている階段の上からはちょうど死角になったのだろう。
ふと顔を上げると、階段の上でフランシスが周りを見回していた。それが誰もいないことを確認しているように見えたので、ショーンは訝しく思いながらわざと立ち上がらずにいた。
そのフランシスが、一度大きく息を吸い、目を閉じる。
なにやってんだ? と思ったとき、彼女の体はゆっくりと前に倒れた。
「フランシス!」
慌てて立ち上がり、叫びながらショーンは階段を駆け上った。
そして落ちてきた体を抱きとめると、そのまま一緒に下に転げ落ちた。




