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最強のプリンセス  作者: 雨宮佳奈子
第五章 罪と再生とロイヤルベイビー

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第九話

 せっかく集めた書類が、またパラパラとカイルの足元に落ちた。

「パ、パトリシア様。お気は確かですか!?」

 マリオンの側近をしていれば、驚かされることなどしょっちゅうだ。だがいまだかつて、ここまで驚いたことがあっただろうか。

「私はただの、しがない子爵家の四男坊です」

「バルトワの子爵家なら、アステラだったら伯爵家かそれ以上ね」

「え、そうなんですか!? ……って、いやいや、それにしたって身分違いもはなはだしい」

「父上はそんなの気にしないわ。だって、フランシスのお母さんは平民だったのよ」

「でも、いくらなんでも、フランシス様のためにパトリシア様が犠牲になることは……」

「犠牲? じゃあカイルは、私を幸せにはしてくれないの?」

「い、いや、そんなことは……」

「あなただったら、もしかしたらマリオンと結婚するより幸せになれるかも。マリオンだったら、側室を何人つくるかわかったもんじゃないし」

「パトリシア様、あなたのお父上はあんなことを言ってましたが、殿下はフランシス様と出会ってから、一切ほかの女に目もくれていません」

「それも悔しいじゃない! 私が婚約者のときは浮気しまくっていたくせに! 悔しいから、私は絶対マリオンよりいい人みつけたねってみんなに言わせたいの」

「は、はあ……」

「別に、フランシスと競おうとしてるわけではないけどね」

「あの……私の……いったいどこが……」

「まず、顔ね」

「はあ!?」

「それに、さっきも言ったように、あのマリオンの側近を無難にこなせているってことは、実は相当有能な人なんだってことに、いま気づいたの」

「あの……顔だったら、ほら、騎士団のディーンとか……」

「騎士団の男たちは駄目よ! 全員フランシスの信者だから。騎士団に限らず、どの男も私とフランシスが一緒にいるとみんなフランシスばかり見てる。私のことなんか虫くらいにしか思ってないんだわ」

「あ、それわかります。どの女性も殿下の隣にいる私のことは、空気くらいにしか思っていないです」

「空気ならまだ役に立つからいいじゃない。私なんか虫よ」

「ははは」

「はははって、なに笑ってるのよ! 冗談に決まってるじゃない!」

「あ、すみません」

 カイルは首をすくめた。

「でも、話しているうちにまた悔しくなってきたわ。だいたい姉より先に妊娠するってどういうことよ。絶対私の方が先に結婚して、幸せになってみせる。そして見返してやりましょうよ。私たちを空気扱いした奴らを」

「はあ……」

「そしてそれが、結局フランシスとマリオンのためにもなるんだから、一石二鳥じゃない」

 パトリシアはにっこり笑った。

「はあ……」

 納得しかけて、カイルはハッと我に返った。

「い、いや、駄目です。そんな簡単に結婚を決めては。ちゃんと段階を踏まないと」

「段階?」

「まずは、愛をはぐくむんです」

「じゃあ、はぐくみましょう、カイル」

 そう言ってパトリシアはカイルの手を取った。

 そのキラキラ輝く無邪気な瞳に、カイルはついポーっと見惚れてしまった。

 この女性は、虫は虫でもこれからきれいな蝶になる蛹だと思った。

 その蛹が、目を閉じて唇を上に向けた。

 キスをしろという意味だとわかって、カイルは慌てた。

 唇を奪うのは簡単だが、それはこの国の王になる覚悟をするということだ。

(そんなことが私にできるのか)

 でもここで逃げたら男がすたる。何よりこれは、主君のためだ。

 そんなことが頭の中を目まぐるしく駆け回ったが、そんな理屈は実は二の次で自分はただシンプルにこの女性にキスしたいのだということを、カイルは頭の片隅ではわかっていた。

 蝶に変えるための儀式のように、優しく唇に触れた。

 この強引さは、さすが主君の従妹だと恐れ入りながら。


 高原の避暑地には、キンポウゲの黄色い花が咲き乱れていた。

 孤児院への慰問と聞かされていたフランシスは、しゃれた建物の中で自分たちを迎えた級友たちの顔に、しばらくは事態がのみ込めなかった。

「ジュリア!」

「会いたかったよお!」

 久しぶりに会うリチャードとボブとロジャーが、我先にと抱きついてきた。

「おい、お前ら、もうジュリアじゃないんだぞ。気安く触ってんなよ」

 ショーンが目をつり上げている。

 その後ろには、もちろんギルバートとクリストファーもいる。

「あなたに息抜きをさせようと、みんなが計画してくれたのよ」

 そう説明するロビンの方を、フランシスは困惑した表情のまま振り向いた。

「それと、パティとダニーにも、たまには外出させてあげようって……」

「パティは、誰かさんのたっての希望だけどね!」

 そう言いながらギルバートの腕に肘鉄をくらわせて、クリストファーはニヤニヤ笑った。

「ぼ、僕だけじゃない、君たちだって会いたかったろう? せっかく友達になれたんだから」

 赤くなっているギルバートに気づかずに、パトリシアは頭を下げた。

「私たちまでお招きいただいて、本当にありがとうございます」

 続いて弟のダニエルも頭を下げた。

「ありがとうございます。旅の間はお世話になりました」

「挨拶なんていいからさ。疲れたろう? 少し横になる? それともみんなでお茶を飲む?」

 ホスト役のクリストファーがダニエルの背を押した。

「大丈夫です。皆さんと一緒にいたいです」

「どちらかと言うと、こっちの方が顔色わるいな」

 そう言いながらショーンが歩み寄ってきて、フランシスの肩を抱いた。

「つわり真っ最中だからね。横になる?」

 ロビンも聞いてきた。

「大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」

「ショーンの方こそ、なに気安く触ってんだよ」

 リチャードが唇をとがらせた。

 彼とボブとロジャーは、なぜいじめっ子のショーンをクリストファーが招待したのか理解できずにいた。

「俺はいいんだよ。命がけの旅から帰ってきた者同士なんだから。お前らとは親しさの密度が違うんだ」

 それでも納得できずにギルバートの方を見た三人に、リーダー格の級長は苦笑してみせた。

 広い部屋に移動して、ギルバートは改めて初対面同士の紹介をした。

 メイドが紅茶とケーキを運んできてくれた。

「フランシス様の伯母さんで、お医者さんのロビンさんと、ロビンさんの家で働いていたパティ、そしてその弟のダニー。こっちは、クラスメートのリチャードとボブとロジャー」

「こんにちは」

 三人の少年は頭を下げた。

「よろしくね。本当は若い人同士で楽しみたいでしょうけど、妊婦と病人がいるので、念のためついてきたの」

「妊婦かあ。本当に妊婦なんだ」

 ロジャーがまじまじとフランシスのおなかを見ながら言った。

「僕まだ、ジュリアがフランシス王女だってことさえ実感できない」

 リチャードが言った。

「その前に、女の子だってことも……」

 と、ボブ。

「いいよ、ジュリアで」

「えっ」

 ショーン以外の少年たちが、同時に驚きの声を上げた。

「ギルバートもクリスもいくら敬語を使うなって言っても直らないから、いっそみんなの前では、僕はジュリアになる」

「それいい! だったら僕も呼び捨てにできる」

 クリストファーが嬉しそうに言った。

「い、いや、駄目だよ、そんなの」

「そうだよな。とても『フランシス』なんて呼べないよな」

 ギルバートの制止の言葉とロジャーの声が重なった。

「お前らはそうしろ。俺はちゃんと本名で呼ぶ」

 そう言ってまたフランシスの肩を抱いたショーンの手を、反対側にいたギルバートが叩いた。

「君はデリカシーがなさすぎるよ」


 日中は高原を散歩したり、近くの川で釣りをしたりして過ごした。

 パトリシアは頃合いを見て、弟を連れて先に帰ると言った。疲れ知らずの少年たちと同じように遊ばせるわけにはいかない。

「これ、持って帰ってお料理しますね」

 少年たちが釣った魚が入ったバケツを持とうとすると、ギルバートが駆け寄ってきて彼女の手から取り上げた。

「重いから僕が持つよ」

「大丈夫です。皆さんと遊んでいてください」

「いいんだよ、パティ! 級長は君と一緒にいたいんだから!」

 クリスがそう言うと、リチャードとボブとロジャーが「ヒューヒュー」とおかしな声ではやし立てた。

「うるさい!」

 赤い顔で彼らを一喝したあと、ギルバートはパトリシアとダニエルと一緒に別荘への帰路についた。

「まったく、ふざけることしか能がないんだから」

「これ、マリネにしたら、きっとフランシス様も召し上がってくれます」

 ギルバートが照れていることなど気づかずに、パトリシアはバケツの中を見ながら言った。

「君は今はお客さんなんだから、そんなことしなくていいのに」

「そういうわけにはいきません。私はフランシス様のお世話をするために呼んでいただいたんだと思っています。いまは本当に、食べられるものが少ないので」

「そう言えば、痩せたよね、彼女」

「つわりがひどいのに加えて、ご公務が忙しすぎるんです。でも、心配なのはそれだけじゃなくて……時々、すごく悲しそうなお顔で考え込んでいらっしゃいます」

 思いつめた表情で言ったあと、すぐにパトリシアは微笑を浮かべた。

「でもきっとここで皆さんと楽しく過ごせば、元気を取り戻してくれますよね」

「夜には元気になれると思う。とっておきのサプライズがあるんだ」

「サプライズ?」

 パトリシアと手をつないでいたダニエルが、興味津々といった顔でギルバートを見上げた。

「そう。言っちゃ駄目だよ、ダニー」


 さっきからマリネのレモンしか食べていないフランシスを、ショーンは異様なものでも見るような目で見ていた。

「よくそんな酸っぱいの食えるな」

「妊娠したらこれが食べられるようになった」

「お魚も食べないと駄目よ、フランシス」

「そうだよ。それ、僕が釣ったのだよ」

「なに言ってんだよ、クリス。お前一匹も釣れなかったくせに」

「え、ばれてた?」

 食卓が笑いに包まれたとき、ギルバートが小声で言った。

「来た」

 そしてクリストファーに目で合図を送る。

 クリストファーはそそくさと立ち上がった。

「僕、ちょっとトイレ」

「フランシス様」

 真面目なギルバートは、相変わらずその呼び方しかできない。

「今日は、僕たちからプレゼントがあるんです。赤ちゃんができたお祝いと、無事に帰国できたお祝いと、それから、僕たちの学校を危険から救ってくれたお礼を兼ねて」

 その危険を作る原因そのものだったロビンは、居心地の悪そうな顔をした。

「少しのあいだ、目を閉じててもらえませんか」

「え……」

 フランシスは苦笑した。そして素直に目を閉じる。

「閉じたよ」

 しばらくしんとしていたが、やがてふたつの足音が聞こえた。

「あっ」

 ショーンの声。

 閉じていた両目が、さらに誰かの手でふさがれた。

「え……」

 大きくて、温かい手。

 その手を、フランシスの涙が濡らした。

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