第八話
外に出るなり、マリオンは報道陣に取り囲まれた。
「殿下、陛下の様子はどうでしたか?」
「記者会見開いてくれるんでしょう!?」
「ご結婚はいつごろになりそうですか?」
蠅でも追い払うように彼らを押しのけながら、マリオンはただ無言で進み、止めておいた黒い馬に乗ろうとした。
「殿下!」
カイルが猛スピードで追ってきた。
「馬車に乗ってください。私が御者になります」
「いい。お前はここに残れ」
「えっ、またですか!?」
「毎日じゃなくていいから、何かあるたび連絡をよこせ。そうだな。うまいものを食わせるからと言って、クリスを飛んでこさせてもいい」
「オリバーさんもロビンさんもついてるんです。私の役目はフランシス様よりも……」
「バルトワに来たい奴がいるかどうか打診したが、ディアスの奴らは全員ここにいたいと言っていた。みんなフランシスの信者だ」
「あ、そっちの心配ですか。いやそれはたぶん、ロビンさんがいるからじゃ……」
「陛下はどうなんだ?」
カイルのぼやきを、マリオンは最後まで聞かなかった。
「私もマーサさんと話しただけで正確な診断を聞いたわけではありませんが……」
報道陣がじっとこちらを注視しているので、カイルは声を潜めた。
「おそらく、相当心労がたまっていたんでしょうと……。フランシス様がいらっしゃらない間はいつも睡眠不足のようでしたし、それでなくても、ずっと国王と女王の両方の仕事を兼任していらしたからと……」
「フランシスもかわいそうにな。せっかく帰ってきたのに」
そしてマリオンは、黒馬に飛び乗った。
「もう行かれるんですか!? せめてもう一度、ちゃんとお話しをされてから……」
「もう一度顔を見たら、今度は俺があいつを拉致してしまう」
病人には勝てないと、マリオンは思った。
(ずるいですよ、陛下)
本当は、ジェイソン国王の苦悩は十分理解しているつもりだった。
それでもマリオンは、心の中でひと言愚痴るのをおさえられなかった。
「疲れがたまっていたのよ、お父様」
やっと意識が戻ったジェイソン国王の冷たい手を握って、パトリシアは涙目で言った。
「オリバーさんがしばらくここにいてくれるそうだから、きっとすぐに元気になれるわ。でもしばらくは、公務は私とフランシスに任せてね」
「フランシス……」
しぼり出したような力のない声で国王はそう言い、頭をめぐらせた。
パトリシアの後ろに立っていたフランシスは、ベッドに歩み寄ってその隣にしゃがんだ。
「行かなかったのか……」
「はい」
パトリシアが手を離すと、国王はそれをフランシスの方へ伸ばしてきた。
フランシスは、黙ってその手をとった。
「わかってくれ……。アステラのため……民のため……死んだお前のお母さんのため……お前は、この国の王にならなければならないんだ……」
力がなかった国王の手が、急に体中から振り絞ったような強さでフランシスの手を握ってきた。
「そしてそれは、お前のためでもあるんだ」
「陛下」
答えを探しあぐねているフランシスの気持ちを察したオリバーが、後ろから呼びかけた。
「もう、それ以上はお話しにならない方がいいです」
人の口に戸は立てられなかった。
ディアスでの冒険譚を大々的に報じる予定だった報道陣たちは、しかしもっと人々の興味を引く話題の方に食いついた。
15歳の王女の妊娠。国王の激怒――どこから漏れたのか、そのショッキングなニュースは瞬く間に国中に広まった。その話題にたくさんの尾ひれがつき、新聞も雑誌も飛ぶように売れ、国中がその噂で持ちきりになった。
報道陣たちは、国民たちが飛びつく記事をよく知っていた。
国民のアイドルを悲劇の主人公に祭り上げたのだ。
年端のいかぬ純情な王女が、バルトワの名うてのプレイボーイの毒牙にかかった。無理やり妊娠させられた。国家間の犠牲になった――そんな記事が、連日紙面を賑わわせた。
そして、おそらく金をつまれたのか、マリオンの慰み者にされたと証言する匿名のバルトワの女性が何人も紙面に登場した。
それは、極力フランシスの目や耳に触れないように周囲の人間は気遣ったが、それでなくてもフランシスは、結局ギルバートとの約束を果たせなかった。
心労で倒れた父親に代わり国王代理の任務に就かざるを得なくなったフランシスは、魔術師養成学校に復学することは不可能になったのだ。
その彼女に、今度はつわりという肉体的な苦しみも襲いかかり、食事はほとんど摂れなくなり、細かった体はさらに痩せ衰え、その顔から笑顔が完全に消えた。
そのフランシスの顔にロビンが久しぶりに嬉しそうな表情を見たのは、日中の激務をやっと終えてくつろいでいる部屋を訪ねたときだった。
果物ならなんとか喉を通るというフランシスのために、マーサが城中からかき集めたようなたくさんの果物の皮を剥いていた。
マーサがいてくれて良かったとロビンは思った。
これからフランシスに報告する内容を、自分一人で告げるのは荷が重すぎた。その役目は、できればマリオンに任せたかったのだが。
「気分はどう?」
「大丈夫だよ」
笑顔が返ってきたが、果物をひとつも手に取る様子がない。
そして、何やら一生懸命書いていたものを、ロビンに見せた。
「見て、伯母様。赤ちゃんの名前。どれがいいと思う?」
その紙を受け取ってすぐにロビンは困惑したが、一生懸命顔に出さないようにしようと努めた。
エリザベス
エミリー
エミリア
エイミー
エリー
エチエネット
エリス
エリーゼ
エマ
エリカ
全部、Eから始まる女性の名前だった。
「僕は、エリザベスが一番いいかなと思うんだ。これなら、姉上やパティのように愛称で呼んであげられる。リズとか、ベスとか……。ね、可愛いでしょう」
「フランシス」
気が重かったが、一刻も早く言わなければとロビンは思った。
「女の子の名前は、次の子のために取っておきましょう」
フランシスの顔から表情が消えた。
「おなかの子は、男の子よ」
凍りついたような顔で黙っていた。
「お、おめでとうございます!」
不穏な空気をかき消そうと、マーサが大げさなくらいの大声で言った。
「来年の冬の終わりのころには、もうお世継ぎが生まれるんですね! なんておめでたいんでしょう!」
「そう……」
消え入りそうな声だった。
「そうとわかったら、いっぱい栄養をつけましょうね。冷たいものなら喉を通りますでしょう? ローストビーフとか、サーモンのマリネとか……」
「いらない……。食べても、吐いちゃうから」
「吐いても全部じゃない。少しは栄養になるのよ」
ロビンも、柔らかい口調を心掛けながら言った。
「今日は疲れたから、もう寝る」
「じゃあ、果物をジュースにしてきますね」
「いらないってば!」
今まで聞いたことがないような強い口調で怒鳴られて、マーサはたじろいだ。
ベッドで丸くなって寝ていた黒猫が、驚いて顔を上げた。
「あ……」
フランシスはすぐに戸惑い、彼女たちから目をそらした。
「ごめん……。ほんとに、疲れてるんだ……」
長かった雨季が終わり、アステラに夏が訪れた。
暑くなる前に仕事を終わらせてしまおうと、パトリシアは早起きして執務室で書類の山とにらめっこしていた。意味がわからない言葉が羅列されており、もう読むことを諦めかけたころ、ドアがノックされた。
「何かお手伝いすることはありませんか?」
カイルだった。
「毎日暇で暇で……。フランシス様はどこかへ出かけてしまったし……」
「ちょうどよかった、カイル! 意味がさっぱりわからないの!」
カイルが歩み寄ってきて覗きこむと、各地区の領主たちの陳情書だった。
「ふむふむ……」
カイルが書類を手に取って読んでいる横で、パトリシアはサラサラとサインをした。
「意味がわからないって言いませんでした?」
カイルは青ざめて問いかけた。
「だから諦めてさっさとサインしちゃおうと思って」
「駄目ですよ! ちゃんと読まないと! 無茶な要求をされていたらどうするんですか!?」
「大丈夫よ。財務大臣がちゃんと目を通したんだから」
「それだって駄目です! 何かあったらパトリシア様のせいにされます! バルトワでも殿下が面倒がってろくに読みもせずサインして大問題になったことがあります! それ以来、殿下に回ってきた書類は全部私が目を通すことにしています!」
「じゃあ、カイルは意味が理解できるの?」
「当たり前ですよ! 伊達にあのちゃらんぽらんな人の側近をやっているわけではありません!」
そしてカイルは、パトリシアの前に座ってブツブツ言いながら書類を読み始めた。
「フランシス様はどこへ?」
読みながら問いかける。
「孤児院への慰問……って言うのは建前で……」
「建前?」
カイルは顔を上げた。
「そうでも言わないと、あの子遊びに行こうとしないから。ロビン伯母様とパティがフランシスに内緒でクリスの別荘に連れて行ったの。ダニーも一緒よ。ほら、あの姉弟も孤児だから、孤児院って言えばなんか連れて行っても不自然じゃないでしょ。たまにはダニーにも外の空気を吸わせてあげなきゃ。ロビン伯母様がついていれば大丈夫でしょうってオリバーさんも言ってたし。……って言うか、クリスの友達がどうしてもパティも連れてきてほしいって言ったらしいの。ほら、あの人たちディアスでずっと一緒だったでしょ」
「もう一人のパティさんはお留守番なんですか」
カイルは同情のこもった目で言った。
「まあね。そりゃ行きたかったけど、フランシスの留守のあいだ私が少しでも仕事を進めておいてあげないと、あの子忙しすぎるんだもの」
「いいお姉さんですね」
そう言ってカイルは、また書類に目を通し始めた。
することがなくて、パトリシアはじっとその顔を見ていた。
(カイルって、こんなにまつ毛長かったんだ)
いつも飄々としているカイルでも、さすがに仕事をしているときはキリっとして見えた。
(……って言うか、こんなに男前だったっけ。いつもマリオンのそばにいるから気づかなかったわ。損な人ね)
視線を感じたのか、カイルが顔を上げた。
パトリシアは慌てて顔をそらした。なんだか顔が熱い。
「ちょ、ちょっと暑いわね」
そしてパトリシアは立ち上がり、執務室の窓を勢いよく開けた。
「わっ!」
途端に強い風が吹き込んできて、机の上の書類があちこちに飛んでいった。
「大変!」
慌ててしゃがんで拾おうとしたパトリシアの手の上に、カイルの手が重なった。
「あ、す、すみません!」
カイルは真っ赤になってその手を離した。
パトリシアも顔が熱いまま冷める気配がない。
カイルは耳まで赤くなりながら、そそくさと書類をかき集めた。
「ねえ、カイル?」
「はい?」
「私、いいこと思いついちゃった」
「はあ」
「あなたは、誰よりもマリオンに幸せになってもらいたいと思っているでしょ?」
「もちろんです」
「私も、フランシスには幸せになってもらいたいの。特に、マリオンがほかの女を選んだりしたら、私はあいつをぶっ殺してやりたいわ」
「ぶ……物騒ですね」
カイルは苦笑した。
「あの二人の結婚をお父様に認めさせるためには、私がこの国の王にふさわしい人と結婚すればいいのよ」
「なるほど」
「あのちゃらんぽらんなマリオンの側近を長年務めていたあなたなら、ぴったりだわ」
「なるほど」
一度納得したあと、カイルは仰天して立ち上がった。
「な、なんですって!?」
「私たち、結婚しましょう、カイル」




