第七話
「すてきなニュースって……そのこと?」
パトリシアが、困惑を隠せない表情のまま言った。
「赤ちゃんって……ほんとに……ほんとなの?」
「ほんとです、姉上」
「私の……」
パトリシアに微笑んで見せた後、震える声の方にフランシスは目を向けた。
手が震えてお茶を淹れるどころではなくなっているマーサの手から、別の侍女がティーポットを取り上げていた。
「私の……小さなフランシス様が……」
フランシスはマーサの元へ歩み寄った。
「あの……小さかったフランシス様が……」
それ以上は言えずに顔をおおってしまったマーサの肩を、フランシスはそっと抱いた。
「マーサ。心配ばかりかけたけど、僕はやっと、自分の体を受け入れられたんだ」
フランシスの胸に顔をうずめて、マーサは嗚咽を漏らした。
「陛下」
押し黙っているジェイソン国王に、マリオンは呼びかけた。
「外に報道陣が集まっています。急がせて申し訳ないんですが、この機会に婚約の発表をさせてもらえませんか。僕は残念ながら、ここに長居はできないので」
「私が……」
国王は、振り絞ったような声を出した。
「いつ、君たちの結婚を許すと言った?」
マリオンは顔を強張らせ、フランシスは耳を疑って父の方を振り向いた。
部屋の温度が一気に下がったような錯覚を、誰しもが感じた。
「フランシスを救ってくれたことには感謝している。だが、許せることと許せないことがある。この子がいくつだか知らないのか? まだたったの14歳だ。なんという非常識なことを……」
「父上」
青ざめた顔でフランシスは言った。
「僕は先月、15歳になりました」
「14歳も15歳も同じだ! 子供を産む年なんかじゃない! 待ちなさいと何度も言っただろう! 16歳まで結婚できないという法律には、ちゃんと意味がある。その年にならなければ、子供を産むのも育てるのも早すぎるからだ。肉体的にも、精神的にも」
国王は、怒りの表情をフランシスからマリオンの方へ移した。
「そう。15歳なんてまだほんの子供だ。そんな子供に、よくもこんな、恥知らずなことを……」
「父上!」
口を開いたマリオンが何か言う前に、フランシスは国王の元へ駆け寄ってしゃがみ、その腕をつかんだ。
「僕が望んだんです! マリオンの子供を産めば、きっとこの体に生まれたことを受け入れられると思ったから。母親になりたかった。母上の生まれ変わりを産みたかったから」
「エレナの生まれ変わりなど産めるわけがないだろう! こんなふしだらな娘が!」
フランシスは、凍りついたような顔でただ父を見上げていた。
「陛下」
マリオンの声は落ち着いていた。
ジェイソン国王の激昂ぶりが、逆にマリオンを冷静にさせた。
「僕は確かにふしだらでしょう。それは認めます。でもふしだらな男だからこそ、たくさんの女を見てきたからこそ、断言できます。フランシスほど純粋でまっすぐな女を、僕は知らない。だから、彼女をふしだらなんて言った言葉は訂正してください。罪は全部僕にあります。彼女を無事に連れて帰れたことで、僕は驕っていました。調子に乗っていました。真っ先にあなたに謝るべきでした。あなたの大事なお嬢さんを、結婚前に妊娠させてしまった。あなたがお怒りになるのももっともです。でも、誓って言います。僕はどんなことがあっても、お嬢さんを幸せにします」
「殿下。あなたは、大事なことを忘れている。いや、忘れたふりをしているのか。この子はさっき言った。子供を産めば、自分の体を受け入れられると。逆を言えば、そうでもしない限り自分の体を受け入れられない苦しみを、ずっと抱えて生きてきたということだ。この子は男なんだ。男が、男と結婚する。男が子供を産む。そんな不自然なことをしたら、必ずいつかひずみが出る。あなたに流されて、押し切られて、それを幸せだと、自分の体を受け入れられたと思い込んでも、いつかきっと錯覚だったと気づく。それでなくても、15歳の恋愛など淡い幻想だ。だから待てと言った。いつかこの子は、男になるんだから。だからこそ、この子をこの国の王太子に任命したんだ」
「父上……」
泣くのをこらえているような、フランシスの声だった。
「僕は、たぶんもう、男にはなれません」
国王は目を見開いてフランシスを見た。
「神様の……グラディウスの声が聞こえたんです。男になりたいか、女でいたいかって……。僕は、女でいたいって答えたんです。おなかの子を、守りたかったから……。デヴィッド・ファーガソンは、母上の魔法が解けないように、僕が女でいるように、ずっと僕に魔法をかけていた。だから、デヴィッドが死ねば、僕は男になると彼に聞かされました。デヴィッドを殺したのはマリオンです。そうすれば、僕が男になると知っていても、マリオンはデヴィッドを殺すことをためらわなかった。そのときは、僕のおなかに子供がいることを知らなかったから、それが僕のためだと思って……。父上、マリオンは何よりも、僕の幸せを一番に考えてくれているんです」
「では、それでもお前がいま女の体のままなのは、グラディウスの力だと言うのか」
「はい」
「つまり、お前が妊娠さえしなかったら、お前は今ごろ男になれていたんだな?」
フランシスは言葉につまった。
「マリオン殿下の欲望のために、お前は、お前の人生を台なしにされたんだ」
「違う! 違います!」
「違わない。お前の幸せを一番に考える男なら、たった15歳のお前を妊娠させるようなことなどしない」
「お父様」
パトリシアが、妹と反対側にしゃがんで父の腕にふれた。
「フランシスに一般常識をあてはめたらかわいそうだわ。いつ男の体に変わるかわからなかったから、フランシスもマリオンも急いだんじゃない。それでも、15歳になるまでは待っててくれてるって……その……子供をができるような行為を……マリオンはしないで待っててくれてるって、私、フランシスから聞いてるわ。それって、ほんとにフランシスを大事にしてくれてるってことでしょ?」
「恐れながら、陛下」
フィリップが立ち上がった。
「アステラの騎士団長として、私にも発言させてください。今回、一緒に旅をさせていただいて、マリオン殿下の偉大さに、そしてフランシス様を想うお気持ちの強さに、つくづく感服いたしました。フランシス様のために労力を惜しまなかっただけじゃない。今回の旅で、とんでもない額のお金を惜しみなく使ってくださいました。ここまでできる方は、世界中どこを探したってほかにいません」
「そうですよ、陛下!」
ディーンも立ち上がった。
「だいたい、こんなきれいな恋人に手を出すなって言う方が無理な話です。それなのにお二人が結ばれたのは、たった一度だけだって聞きました」
「それは、殿下が女に不自由していないからだろう」
「え……」
勇気を振り絞って国王に意見したディーンは、顔も体もかたまってしまった。
マリオンはさすがに怒りの表情を隠さなくなった。
「パティが言ったようにフランシスが15歳になるまで待ったというのも、いくらでも代わりの女がいるからだろう。さっき、自分で認めた。ふしだらな男だと。たくさんの女を知っていると。私の妻は彼の叔母だ。殿下がどんなにもてる男かよくわかっている。彼の父親のニコラス国王にも、複数の側室がいる。それを非難するつもりはない。だが、フランシスはアステラの次期国王だ。たとえ体は女でも、この子はこの国の未来を背負っているんだ。断じて、あなたのような男と結婚させるわけにはいかない」
「よくわかりました、陛下」
マリオンは、口元にだけ笑みを浮かべた。
「最後の言葉が、あなたの本音ですね。パティが僕の婚約者だったときは、あなたは一切反対しなかった。同じかわいい娘なのに。つまりあなたは、ただ跡継ぎを手放したくないだけなんだ。僕がフランシスを妊娠させたことも、過去の女性遍歴も、あなたにとっては結婚を反対する都合のいい口実に過ぎない。たぶん僕がどんなに品行方正にしていても、きっとあなたは何かしら粗をみつけ出して反対するんでしょう。パティが生まれたとき、つまりフランシスが生まれる前から、僕たちは婚約させられた。オリバーが言うところの実直なあなたに、世継ぎをつくらなければならないという都合のいい理由ができた。つまり、フランシスのお母さんと結ばれる理由が」
「何を言い出すんだ!」
国王の顔が怒りで赤く染まった。
「最初に僕を貶めたのはあなたですよ。いえ、僕も非難したくて言っているわけではありません。国王なら当然のことです。実直なあなたは、僕の叔母、パティの母親である本妻を裏切り、苦しめたことに罪悪感を感じていたことでしょう。そして叔母を苦しめたせいでエレナさんを失った。そのうえエレナさんが命を賭けて産んだ子供が世継ぎにならなかったら、あなたも、亡くなったエレナさんも報われない。もしかしたらあなたはフランシス以上に、彼女が男になる日を待っていたんじゃないですか」
国王は、怒りの表情のまま押し黙っている。
「だとしたら、僕がフランシスのために何をしても、あなたには何の意味もないということですね」
「あなたがフランシスのために使った金は、全額払います。いつ身代金を要求されてもいいように、準備はしていた」
「いりませんよ、そんなものは。僕はアステラのために金を使ったんじゃない。自分の愛する女のためです。でも、大金を使おうが命を賭けようがあなたの気持ちを変えられないなら、もう本人に選ばせるしかないですね」
そしてマリオンは、青ざめた顔で立ちつくしているフランシスの方へ顔を向けた。
「そんなわけで、フランシス。俺はすっかりお前のお父さんに嫌われてしまったから、もう帰る。ついてくるか? それとも、ここに残るか?」
「駄目よ!」
いきなり腕をつかまれて、マリオンは振り向いた。
ロビンが睨むような目で見ていた。
「そんな残酷な選択をさせては駄目。父親と恋人のどちらかを選べなんて」
「父親だけじゃない」
国王が、マリオンに負けないくらい毅然とした声で言った。
「この国を、祖国を、捨てる覚悟があるのかどうかだ」
ロビンは、愕然とした表情で国王を、そしてフランシスを見た。
知り合ったばかりのファーガソン邸の使用人たちでさえ彼女の妊娠を祝福していたというのに、実の父親にそれを非難されて、フランシスはまるで絶望の淵に立っているような表情をしていた。足かせで拘束されて、家族にも恋人にも二度と会えないかもしれない状況でさえ、おなかの子がいるから幸せだと微笑していたというのに。
「マリオン殿下を選ぶということは、そういうことだ」
そう言った国王をじっと見たあと、マリオンは黙って背を向け、ドアに向かって歩き出した。
「父上。僕は……父上も、マリオンも、姉上も、おじい様も、この国も……みんな同じくらい、大切です」
マリオンは足を止めた。
「でも……わかってください。僕は……マリオンがいなかったら……今ごろ死んでた……」
フランシスの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「生きていたとしても……顔にひどい傷を負って……ディアスの国王の操り人形になっていた……」
マリオンは振り向いた。
「ううん……。そんなことがなくても、僕はただ……ただ……マリオンと生きていきたい」
今度は、国王の顔から色が消えていった。
「ごめんなさい、父上」
泣きながらそう言って振り向いた。
ドアのそばで立っていたマリオンが右手を伸ばした。
その手に向かってフランシスが速足で歩きだしたとき、突然大きな音が部屋を揺るがした。
「お父様!」
「陛下!」
振り向いたフランシスの目に、車いすから落ちて床に倒れている父親の姿が飛び込んできた。
「フランシス! お父様が!」
「オリバー先生を呼んでこい! 早く!」
パトリシアとフィリップの叫びを聞くまでもなく、フランシスは父親の元へ駆け戻った。
あと数センチで届くはずだった恋人の手に、とうとう触れることはできずに。




