第六話
近づいてくる蹄の音といななきを聞いて、フランシスは窓から顔を出した。
「止めて! 馬車を止めて、カイル!」
そして馬車が止まるやいなや、外へ飛び出した。
「走るな! おい、フランシス!」
マリオンの叫びも、はやる気持ちを止めることはできなかった。
「ブランカ!」
愛馬の名を呼びながら、フランシスは走った。そして自分の前で止まって頭を低くした白馬の首に両手を回し、その顔に頬をすり寄せる。
「帰ってきたよ、ブランカ! 寂しい思いをさせてごめん」
懐かしい森を抜け、見慣れた街並みを見てもまだどこか夢を見ているような気持ちだったフランシスは、愛馬の匂いとなめらかな感触に触れ、間違いなく帰ってきたのだと実感した。
涙が出そうになりながら、フランシスは愛馬にまたがった。
「スクープだ! フランシス王女が帰ってくるぞ!」
ゴシップ記事で有名な新聞の記者マックスは、興奮しながら仲間たちに告げた。
彼は自慢のルックスと口のうまさでアステラ城の侍女をまるめこみ、頻繁に特ダネを手に入れていた。
フランシスの記事ほど読者が食いつくものはない。新聞の売り上げは一気にはね上がるのだ。
「一面の記事は差し替えだ! みんな急いでアステラ城へ行け! いいか! 絶対にマリオン殿下とのツーショットを撮るんだぞ!」
アステラ城の前には大勢の人が集まっていた。
明るいニュースだったからあっという間に広まってしまったのかもしれないが、たくさんの視線にさらされ、名前を連呼され、時折カメラのフラッシュを浴びせられ、フランシスは馬車を降りて先に来てしまったことを心底後悔した。
衛兵たちが懸命に人々を移動させてやっと道が開けると、フランシスは猛スピードでそこを駆け抜けた。
エントランスにずらりと並んでいる人々の中にパトリシアの姿をみつけたとき、フランシスはもう涙をこらえることができなかった。
愛馬を止めて飛び降り、また走る。
「フランシス!」
パトリシアも駆け寄ってきた。
「姉上!」
飛びついてきた体を抱きとめ、強く抱きしめた。
「フランシス! フランシス!」
「姉上……」
パトリシアはフランシス以上に泣きじゃくっていた。
制止する衛兵の言葉を無視して入り込んできたカメラマンたちが、一斉にフラッシュをたいた。
「さあ、早く、お父さまが待ってるわ」
歩き出す二人の王女の後を、記者たちもついてくる。
「こらこら、勝手に入るな!」
「陛下との対面シーンを撮らせてくださいよ!」
「国民みんなが待っていたんですから!」
止める衛兵と記者たちがもみ合っているとき、人混みをやっと抜けられたマリオンたちが到着した。
「マリオン殿下!」
記者の半分がそちらに駆け寄っていった。
「お帰りなさい、殿下!」
「無事のご帰還、おめでとうございます!」
「記者会見、開いてくれますよね!」
「ちょっと、フランシス様と並んでもらえませんか!?」
馬車や馬から降りた全員が、その騒ぎに面食らっていた。
「病人を先に」
マリオンは記者を無視してカイルに指示を出した。
そして、エントランスで待っているフランシスに「先に行け」と目で合図した。
「なんだか、すっかりヒーローだね、僕たち」
嬉しそうに言うクリストファーを、ショーンは呆れた表情で見た。
「勘違いするな。俺たちは、ただのその他大勢だから」
フランシスとの対面を果たしたジェイソン国王の目は少し赤かったが、パトリシアに車椅子を押されて娘の恩人たちが待つ広い部屋へ入ってきたときには、すでに威厳のある顔つきに戻っていた。
大事を取ってベッドに休ませたダニエルと彼につき添うオリバーとパトリシアだけ不在だったが、ほかは全員、国王から直々に感謝の言葉を受けた。
特に歩み寄ってきたマリオンには、国王は何度も頭を下げ、その手を握って礼を言った。
「あなたがいなかったら、どうなっていたか……」
「でも、お嬢さんは強かったですよ、陛下。こんな災難も乗り越えて、最後には諸悪の根源を成敗した」
「殿下のおかげです」
「僕だけじゃなくて……」
マリオンは振り向いた。
フランシスが、後ろで二人のやり取りが終わるのを待っていた。
ロビンの手を引いて。
「父上、レイチェル伯母様です」
ジェイソン国王は、穏やかな表情でロビンに目を向けた。
「初めてお目にかかります。国王陛下」
ロビンは深々と頭を下げた。
「本来でしたら、とても陛下の前に顔向けできるような立場ではございません。でも、罰を受けるなら、陛下の手でと……」
「姉上」
いきなりそう呼ばれて、ロビンは驚いて顔を上げた。
「フランシスに手紙をもらって、あなたがとてもご苦労なさったと聞いています。そして、フランシスが大変世話になったと……」
ロビンは、信じられない表情で声を震わせた。
「いえ……私は……」
「私の母が、亡くなるまでずっとあなたを探していました。これで、母にいい報告ができる」
ロビンの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「あなたも私も、辛い過去は消せない。でもせめて血を分けた者同士なら、その辛さを恨みに変えず、いたわり合っていきましょう。そのお手本が私の身近にいる。私の娘たちは、お互いを恨んでもしょうがないような経験をしたのに、実に仲がいい」
フランシスは顔を上げて姉を見た。
パトリシアも、照れたように妹を見て笑った。
「ありがとうございます」
泣きながらまた深々と頭を下げたロビンの背に手を添えながら、フランシスは言った。
「父上、伯母様は産婦人科のお医者さんなんです」
そして国王を見た。
「伯母様にここへ来てもらったのは、もちろん父上に会ってもらいたかったからだけど、もうひとつ理由があって……本当は、使用人がたくさんいる家を空けるのはとても無茶なことなのに、僕がどうしても、僕のおなかの子を伯母様にとりあげてもらいたくて……」
食器のぶつかる音がやけに大きく響いた。
お茶を入れ替えていたマーサが、あやうくティーポットを落としそうになったのだ。
そのマーサが、目を丸くしてフランシスを見ている。
パトリシアも、同じようにぽかんと口を開けていた。
マリオンが近づいてきて、フランシスの肩を抱いた。
「父上、僕のおなかに、マリオンの赤ちゃんがいます」
父と伯母が和解した。
会いたかったパトリシア、マーサ、ブランカ……みんな元気だった。
この部屋に、自分の大切な家族と仲間が集まった。
そして今、愛する人がそばにいて、自分のおなかにはその人の赤ちゃんがいる。
なんて幸せなんだろうとフランシスは思った。
だからすぐには気づかなかった。
父の青ざめた顔が、やがて怒りの色に変わったことを。




