第四話
診察を終え、フランシスの肩を抱いて部屋の扉を開けると、外で待っていた人々の多さにロビンは面食らった。バルトワとアステラの客人たちはもちろんだが、この家の使用人たちまでいる。
一番前で青ざめて立っているマリオンの体に、フランシスは駆け寄ってしがみついた。
「どうなんだ?」
フランシスの肩を抱きながら、マリオンはロビンに問いかけた。
「心配いらないわ。着床出血っていって妊娠初期にはたまにあることよ」
一斉に安堵の声が上がった。
ロビンは苦笑する。
「よかった」
大きく息を吐きながら、マリオンはフランシスの顔をのぞきこんだ。
「今日は一日部屋で休んでいろ」
「そんな過保護にしなくても大丈夫よ」
「伯母様」
また苦笑したロビンの手を、フランシスがつかんだ。
「僕と一緒にアステラに来て。お願い」
まだ瞳が濡れていた。
ロビンはため息をついた。
「私がいなくなったら……この家は……」
「大丈夫ですよ、奥様!」
庭師のロッドが大声で言った。
「留守はしっかり守ります」
「フランシス様についていてあげてください」
「今日は大丈夫だったとしても、なんだか心配よ、ねえ」
「何日も馬車に揺られるんでしょ」
メイドたちも顔を見合わせながら口々に言った。
「元気な赤ちゃんを、奥様が取り上げてあげてくださいよ!」
料理長も言った。
ロビンはため息をつきながら、じっと自分を見ているフランシスを見た。
ほんの数分でこの国の国王を陥落させたその顔で懇願されて、果たして拒める人間などいるのだろうかとロビンは思った。
(いるとしたら、それはあの革命家のアランのようなひねくれ者くらいね、きっと)
しかもロビンは、昨日の朝フランシスがうなされていたと、マリオンから聞いていた。
やっと体調が戻ってきたらしいオリバーにマリオンと二人で相談に行くと、フランシスが国王を殺した現場をその娘に見られていたことがわかった。彼女がうなされながら口にした「許して」という言葉は、おそらく父の死を目撃した王女に向かっての言葉なのだろう。
フランシスは、マリオンにさえその話をしない。
心を読めるオリバーがいなかったら、一人で抱え込んでしまう彼女の心にどこまで寄り添えるだろう。もちろんそれはマリオンやオリバーの役目なのだろうが、予期せぬ出血で急に大きくなってしまった初めての出産への不安から守ってあげられるのは、今はロビンしかいないのだ。
そして、オリバーのところへ一緒に来てほしいとマリオンに請われたロビンは、そのときに彼から聞かされていた。国へ帰ったら、立場上、彼はいつもフランシスのそばにいられるわけではない、むしろ離れている時間の方が多いのだと。そしてオリバーも、孫と一緒に住んでいるわけではない。フランシスの危うさを見抜いたロビンに、マリオンは自分がそばにいないときの代役を任せたがっている。
ロビン自身もきっと、無事に生まれたという知らせを聞くまで毎日心配し続けるのだろう。
「わかったわ」
ロビンは苦笑しながら言った。
「一緒に行かなかったら、いったい何人に恨まれるかわからないものね」
人々はまた安堵の声を上げ、互いに顔を見合わせて笑い合った。
「ありがとう、伯母様」
涙をこらえているような表情でフランシスが言った。
あんなに強くて何でもやってのけてしまう少女が、今は別人のように頼りなさげに見えた。
自分が犯した罪が許されることは決してないが、それでもエレナの忘れ形見のためにこうしてできることがある分、自分はまだましかもしれないとロビンは思った。娘の目の前で父親の命を奪ってしまった罪悪感にさいなまれながら、その贖罪の術も知らずに、この子はあとどのくらい悪夢にうなされることになるのだろう。
憐憫の思いがこみあげてきて、ロビンは自分の手を握ったままのフランシスの手を、強く握り返した。
「取り消してもいいんだぞ」
旅立ちの準備をしているアステラの騎士たちをぼんやり眺めていたビリーの肩に手を置き、別室に誘うと、マリオンはそう言った。
「ここに残るって言った話」
ビリーは、どう答えていいかわからない表情で主君を見た。
「ファーガソン夫人のために、残ろうとしたんだろう?」
ビリーはさらに戸惑った顔をしたあと、いくぶん顔を赤らめて横を向いた。
「な……なんのことですか?」
「残ってくれるなら、もちろん助かる。お前が言ったようにこの国の動きを観察する人間は欲しいし、何より、国王の遺児の心配をしているフランシスが多少は安心するだろう。だが、それは本当に多少だ。気休め程度だ。何かあったとき、お前ひとりでどうにかできるものでもないだろうし、そんな危険は冒さなくていい。ここに来たのはあくまでもアクシデントなんだから、観察する人間がいなくても大きな問題ではない。まして、お前が本当に守ろうとしている人間が、すれ違いでアステラに行ってしまうんだから」
「ですから、何を言っているのか……」
「ファーガソン夫人は、ジュリアン公爵によく似ている」
ビリーは、動揺を隠そうとするように下を向いた。
「彼女のことを、スパイだとか裏切り者だとか思う人間も、確かにいるかもしれない。だから心配だったんだろう?」
しばらく答えを探すように黙っていたビリーは、やがて覚悟を決めたような顔をマリオンに向けた。
「あのあと、改めてファーガソン夫人からこの家の当主代理になってくれと頼まれました。使用人しかいなくなるこの家が今まで通りに存続できるかどうか心配されていましたが、バルトワの人間が形だけでも仮の当主になっていれば、新しい国王も無下にはできないだろうと。それに、私がここに残ると言ったとき、フランシス様は本当にホッとした顔をされた」
そしてビリーは微笑した。
「男が一度口にしたことは、そう簡単には変えられません」
マリオンはそんなビリーをじっと見たあと、やはり微笑してその肩に手を置いた。
「そうか」
そして肩をポンポンとたたく。
「頃合いを見て呼び戻す。それまで、よろしく頼む。いや、だが、いずれここに戻る夫人と一緒に、ずっとここにいてもいいし。お前が望むなら」
「殿下、私はただ、あの人がジュリアンのお姉さんなので……」
「わかってる、わかってる」
無骨な男の照れた顔がおかしくて、マリオンはまたビリーの肩をたたいた。
そして翌朝、マリオンたちは帰国の途に就いた。
国王と女王の崩御で混乱のるつぼにあるディアスで、新しい時代への期待が人々の胸に生まれつつある、六月の晴れた朝だった。




