第二話
「寂しくなります」
フランシスの髪を切りながら、パトリシアが言った。
昨日馬車の中でしてくれた髪のセットがとても上手だったので、「切ってほしい」と頼んでみたら快く引き受けてくれた。
「君さえよかったら、一緒に僕の国へ来ない?」
髪に集中していたパトリシアの目が、鏡の中のフランシスの顔を見た。
「弟さんは危険な状態を脱しただけで、完治したわけではないっておじい様に聞いたよ」
本当は、昨夜オリバーの心の中が見えただけで、まだ休んでいる祖父とは会話をしていないが、そこまでは説明しなかった。きっと混乱すると思ったから。
「だから、僕のおじい様のそばにいた方が安心じゃない?」
「ありがたいお誘いですけど……」
パトリシアはまた視線を下げて、鋏を動かしながら言った。
「私は、ずっとここの奥様にお仕えしたいんです。奥様は恩人ですから。払っていただいた弟の治療費は、何年かかってもお返ししたいんです」
「じゃあ、伯母様もアステラに来ることになったら、君もついて来る?」
パトリシアは、また手を止めてフランシスを見る。
「マリオンが、一緒に来るように説得している。それは、妊婦の僕の身を案じてのことらしいけど、僕は違う理由で伯母様に来てほしいんだ。国王が死んだから伯母様が罰せられる心配はなくなったと思うけど、それでも、伯母様は自分がしたことの罰を受けようとしている節がある。僕たちがいなくなってここが静かになったら、デヴィッドがいない喪失感も強くなるんじゃないかな。だから心配なんだ」
そしてフランシスは、鏡越しにパトリシアとみつめ合った。
「君たちじゃ頼りないというわけじゃないし、僕がそばにいたって何もできないかもしれないけど、でも少なくとも、僕の子供を取り上げるという約束を果たさなきゃと思ってもらえれば、時間が稼げるって言うか……その間に何か、生きる張り合いみたいなものをみつけさせてあげたいと言うか……」
パトリシアはうなずいた。
「たとえば、また医者の仕事を始めるとか……。もちろんそれは、ここでもできることかもしれないけど……」
「私は、奥様の行くところならどこでもついていきたいです。それに……」
短くなったフランシスの髪に櫛を入れながら、パトリシアは夢見るような表情をした。
「私も、フランシス様の赤ちゃんが見たいです」
フランシスは顔を輝かせた。
「君が行きたいって言ったら、伯母様もその気になるかもしれない。ここの使用人たちも、何人か僕たちについてくるって言ってるらしいし」
「奥様もきっと、フランシス様の赤ちゃんは見たいはずです。なんといっても、お身内なんですから」
フランシスは、微笑しながらおなかに手をあてた。
この子の存在が、あらゆる問題を解決してくれると信じた。
「生まれたら、また一緒に子守唄を歌おうね」
相当疲れているらしいオリバーは、朝食の席にも現れず寝込んでいた。
アステラに帰るのは、どんなに早くても彼の回復を待ってからということになった。それでなくても昨夜、相当量の酒を飲んだらしい大人たちは、大半が覇気のない顔をしていて出発どころではなかった。ついていきたいと言っているファーガソン邸の兵士たちも、もちろんそれぞれ準備の時間が必要だった。
大人たちの中で元気そうなのは遅れてきてあまり飲んでいないマリオンと、宴会に加わらなかったフィリップとビリーの三人だけだった。マリオンが元気なのは違う理由だろうとショーンは勘ぐっているが。
カイルは二日酔いで朝食も喉を通らないようだったが、それでも主人よりは先に起きてその隣に仕えているのはさすがだなと、ショーンは思った。
(従者の鏡だな)
自分もあんなふうに、いつもフランシスの隣にいたい。
主人と従者という関係は不本意ではあるけれども、そうやって近くにいたら、もしかしたら一発逆転のチャンスが訪れるかもしれない。
そんなことを画策しながら、とりたててすることがないショーンは、同じように暇なギルバートとクリストファーと一緒にメイドが用意してくれた紅茶を飲んでいた。
「何か聞いたか? ギルバート」
あまりに暇なので、聞こうかどうしようかずっと迷っていたことを、ショーンは我慢できなくなってギルバートに問いかけた。
ギルバートは顔を上げて怪訝そうにショーンを見た。
「あいつらの部屋から、何か聞こえたか?」
内心ドキドキしているのを悟られまいと必死に平然を装って、ショーンは紅茶を勢いよく飲んだ。
「あいつらって?」
「だからあいつらだよ! ゆうべ同じ部屋で寝たろ!」
ギルバートはぽかんとショーンを見ていたが、やがて顔を赤らめた。
「そ、そんなの、聞こえたって聞かないよ!」
聞いているクリストファーも赤くなった。
「聞こえたんじゃないか!?」
「だから、聞きたくないものは聞かないって!」
「聞きたくなくたって聞こえるんだろ?」
「聞こえな……あ、いや、そういえば、明け方、また『許して』って言ってた。フランシス様」
「許して?」
「聞こえたのはそれだけだよ。僕も寝てたし」
「変態プレイでもやってるのか、あいつら」
「バカ! 違うって。なんだかうなされてるみたいだった」
「そんな激しいことしといて、よくまああんなしれっとした顔で、女の子に髪切ってもらったりできるな」
「キ、キスマークとかついてるのかな。うなじに」
「やめろよ、クリスまで」
「だって僕、昨日からフランシス様のうなじしか目に入らなくて……。この上、あの髪がもっと短くなったら……」
「うなじがどうしたんだ?」
「なんでもないよ。ショーンは知らなくていい」
ギルバートが毅然とした口調で言う。
「教えろよ。そう言えば、昨日はほくろがどうとかって言ってたな」
「わあ! 思い出させないでよ!」
「にぎやかだな」
開け放したままのドアからフランシスが入ってきて、三人は同じように気まずそうな顔をしてかたまってしまった。
後ろから入ってきたパトリシアが、テーブルのカップを片づけ始める。
「新しいのを入れてきますね」
「ねえ、見て。パティ上手だろ」
フランシスは彼らの正面に座り、自分の短くなった髪を指さしながらにこやかに笑った。
「君たちも切ってもらえば……」
言いかけて、突然鼻血を出したクリストファーを目を丸くして見た。
パトリシアも同時に気づいて、ポケットからハンカチを取り出した。
「鼻血が……」
「いやらしい奴だな。パティに髪を切ってもらう想像しただけで鼻血出してるのか」
フランシスは呆れた口調で言った。
「ち、違……」
パトリシアから受け取ったハンカチで鼻を押さえながら、クリストファーは必死に首を振った。




