第三十話
「で、殿下、待っ……」
止めようと伸ばしたカイルの手は空を切った。
大きな背中が、堂々とした足取りで歩いていく。
「木片、持ってますよね?」
カイルは青ざめた顔で、誰にともなく問いかけた。
「持ってたって、剣に変えられませんよ、殿下じゃ」
そんなこともわからなくなるくらい動揺しているのかと、ギルバートはカイルの方が心配になってしまった。
「木片を持ってきているんですか?」
オリバーが聞いてきた。
「念のため、全部。フランシス様とショーンがいれば使えるから」
そう言えば、ショーンはどこへ行ったんだろうとギルバートは辺りを見回した。
「全部、私によこしてください」
オリバーが言った。
マリオンが、座り込んでいるフランシスの正面までたどり着いて足を止めた。
フランシスは、じっとその顔を見上げていた。
マリオンの表情はこちらからは見えなかったが、あの凛々しい顔でやはり恋人をみつめているのだろう。
「縄を解いてあげてくれないか」
落ち着いた声が聞こえたが、耳がいいギルバートにはその声が少し震えているのがわかった。きっと涙をこらえているのだ。
兵士たちがウォートン公爵の方を窺う。
その顔にはまだ少しためらいの色はあったが、それでも公爵はうなずいた。
「解いてあげなさい」
一人の兵士がうなずいてしゃがみ、フランシスの手首の縄を剣で切った。
(やった!)
ギルバートが涙を浮かべながら心の中で叫んだとき、
「殺しなさい!」
自分以外の人間にも十分聞こえる女性の大声が響いた。
「王后陛下よ」
ロビンがつぶやいた。
「何をしているの!? 早くその男とアステラの王女を殺しなさい! 国王陛下を殺されたのよ!」
二日前、優しい母の表情で娘を見ていたあの女性が、いま鬼の形相でエントランスの階段を下りてきた。ボディガードのような側近と侍女を数名従えている。
「殺した者には褒美をたんまりあげるわ! 早く……」
女王の叫びが終わらないうちに、銃声が響き渡った。
「イザベラ・バースティン!」
一度夜空に向けて空砲を放った銃を、今度は女王に向けながらアランが叫んだ。さっきまでクールだった表情が、一変して憎悪に燃えた戦士になっていた。
女王のそばにいた側近と侍女たちは驚いて飛びのき、孤立した女王は青ざめて立ちつくしている。
「俺はアステラ人でもバルトワ人でもない! お前たちの贅沢三昧に一番被害を被ったこの国の人間だ! 国王が死んだだけでは済まさない! 王族全員の命と引き替えにして、初めてこの国は生まれ変われるんだ!」
「だ……」
ただそれだけで、誰の声だかギルバートにはわかった。
「駄目だ!」
フランシスが立ち上がり、呆然とアランを見ていたマリオンの横を足をひきずりながら通り過ぎ、アランと女王の間に立った。
「女を殺しちゃ駄目だ! 母親を殺しちゃ駄目だ!」
そして両手を広げる。
「フランシス!」
マリオンが駆け寄って、アランからその体を隠すように彼女の肩をつかんだ。
「あれははったりだ。弾はあそこまで届かない」
ギルバートとフランシスにしか聞こえないような小声で、マリオンは囁いた。
「女を殺すなだ? なんだその理屈は」
一瞬だけ驚いたアランは、しかしすぐにあざ笑うように言った。
「あの女のドレスと宝石、その他もろもろの贅沢のために俺たちは税金をむしり取られ、俺の母は体を売る以外生計を立てられなくなった! 妹は、麻薬中毒になったキチガイの馬車に轢き殺された! 同じ女だ! あの女の幸せが、どれだけ多くの女の不幸の上に成り立っていると思っているんだ!」
「アランくん」
いきなりオリバーに呼ばれ、アランはギョッとして隣を見た。
初対面の人間が、自分の名前を知っていることに驚いたのだろう。
「怒るのも無理はない。だがここで理性をなくしたら、今までの努力が水の泡になる。その武器では、あそこにいる女王は殺せないんだろう? それなのに今また戦闘が始まったら、後ろにいるあなたの仲間にも犠牲者が出る」
そしてオリバーは、力のこもった目でじっとアランをみつめた。
「急いではいけない。あなたが成し遂げようとしていることは、そんな簡単なことではないのだから。今は任せるんだ。あなたが信じると決めたあの人に」
オリバーは、節くれだった指でマリオンを指した。
「そして、神を信じるんだ」
「神? 神なんてどこにいるんだ」
一度はオリバーに絆されて銃を下ろしたアランは、しかしまたその口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。
それには答えずに、オリバーは呪文を唱える。
光の剣の呪文だとギルバートにはわかった。
「これを、順に隣に回して」
「黙ってろ、フランシス。あの男を刺激したら危険だ」
マリオンはフランシスを後ろにかばったままそう言ったが、隣にいたオリバーに何か言われたらしいアランは、結局女王に向けていた銃を下ろした。
「さ、さあ、何をしているの!? 早く国王陛下の仇を討つのよ!」
勢いを取り戻した女王がまた叫んだ。
「どっちにつく!? ウォートン公爵! 国民たちの支持が地に堕ちた女王か1? あなたの愛国心を信じて協力しようとしている俺たちか!?」
しかしウォートン公爵の耳には、マリオンの声はまともに届いていないようだった。その目を大きく見開いて、ウォートン公爵は呆然と立ちつくしていた。
それに気づいてマリオンももう一度振り向くと、何か神々しく光るものが、ひとつ、またひとつと、門のところにいる男たちの前で増えていった。
夜のとばりが完全に降り切って、離れた位置にいる彼らの目には、ただぼんやりと不思議な光にしか見えなかった。
「なんだ、あの光は……」
ウォートン公爵が震えているような声でつぶやいた。
「神がお怒りになっているぞ!」
カイルの声だった。
「戦の神グラディウスの祝福を受けた王女を、すぐに解放しろ!」
その声と一緒に、たくさんの光が夜空に突き上げられた。
「解放しろ!」
「解放しろ!」
「解放しろ!」
怒涛のような声が、今にもなだれ込んできそうな迫力で響いた。
(どこまでもはったりで通すつもりだな)
フランシスを抱きしめながら、マリオンは苦笑した。
「だ、騙されちゃ駄目よ! そんな茶番に!」
しかし、はったりでも茶番でもない奇跡が起きた。
女王の叫びをかき消すような大音響を響かせて突然雷が落ち、エントランスのコンクリート製の像に直撃した。
「キャーッ!」
崩れてきた像から間一髪で逃れた女王は、しかし打ちどころが悪かったのか倒れたまま起き上がれずにいる。
周辺にいた者たちも、腰を抜かしていたり足がすくんでいたり、誰ひとり女王に近づけないでいた。
ウォートン公爵も、そしてディアスの兵士たちもその様子を呆然とみつめたあと、恐々マリオンたちの方を振り向いた。
フランシスを抱きしめたままマリオン自身も驚きで固まってしまっていたが、ハッと我に返って彼らの視線を受け止めた。
「これでわかったか? この人は、神に護られた最強のプリンセスなんだ!」




